すみれノオト 松田瓊子コレクション 早川茉莉 河出書房新社

松田瓊子さんという方を全く存じ上げないまま、この美しい装丁に惹かれて手にとりました。そうしたら、中から宝石のように、ぎゅっと凝縮された美しいものがたくさん溢れてきたのです。松田瓊子さんという方は、昭和15年に23歳の若さで夭折されています。この本は、生前に瓊子さんが書かれたエッセイ、小説と短歌、日記と、「その人・作品について」という紹介を合わせた、愛蔵本のようなしつらえになっています。

田辺聖子さんの後書きによると、瓊子さんの作品は、戦時中に密かに少女たちに愛されていたらしいのです。戦時中の、乙女らしい楽しみも何もかも奪われてしまった中で、「地上に二度とよみがえってこないだろう楽園―美しい自然、愛と善意に満ちた人々、音楽と読書の楽しみ、敬虔な信仰・・・・・・にためいきついてあこがれた」と田辺さんはその魅力について書かれています。野村胡堂の娘に生まれ、当時としては非常に高い教育を受け、オルコットやスピリ、バーネットの作品に傾倒し・・・生きておられたら、きっと児童文学の世界で活躍されたことでしょう。でも、書くことが大好きな美しい人は、若さの真っ只中で亡くなってしまった。この本には、若い情熱のきらめきが、そのままに詰まっています。言葉というのは、不思議です。何十年もの時を超えて、彼女の若い息吹をそのままに感じることが出来る。あの時代に、高い知的環境の中にいた女性ならではの感性や理想のまっすぐな美しさに、心打たれてしまいました。

私は、戦前の教育を受けた方の文章というのがとても好きです。例えば石井桃子さんや村岡花子さん。和歌や古典に培われた床しい日本語と、英語のリズムが溶けあって、何ともいえない典雅な言葉として昇華しているように思うのです。瓊子さんの文章にもその正統とも言える品があって、そこに感受性の鋭さが加わってそれはそれは快いのです。冒頭の「初夏のリズム」というエッセイを読むだけで、彼女がどれだけ自然を愛していたかがわかります。美に対する感性の優れていた瓊子さんは、愛するものが多すぎたのかもしれません。文学に音楽。自然の美しさ。小さな子ども。家族。信仰・・・そして、病弱な体を焼きつくすような恋人への想い。日記を読むと、彼女がどれだけ一日一日に思いを込めて生きていたかがわかって、苦しくなってしまうほどです。特に婚約していた智雄さんに対する愛情のなんと激しいこと。彼女の愛情は時間による浸食も褪色も知らず、ここに焼き付けられています。

瓊子さんははかないもの、小さなもの、いたいけなものをこよなく愛していたようです。そこには同じく儚い命を生きているという切ない眼差しがあったように思います。瓊子さんの姉の淳子さんは16歳で、兄の一彦さんは21歳で結核で亡くなっています。自分も同じ病に苦しんでいた彼女にとって、次は自分という想いは常にあったでしょう。病がちの彼女は自分の小さな世界にあるものを、心込めて愛していた。その命への切ないまでの愛情が、時間も空間も超えて、心に届きます。

戦争という黒雲が日本を覆い尽くす前の時代。この時代の、東京の知的階級の家庭にしか咲かない芳しい女性の美しさは、もうこんな文学の中にしか残っていないのかもしれない。でも、瓊子さんの胸の中に在った理想のまっとうさや正義感の折り目正しさ、美を感じる心は、時代を超える普遍的な価値観だと思うのです。綺麗ごとだと言われたらそれまでかもしれない。でも、人間なんて、本質的にはそんなに変わらないはずだと思うんですよ。今の若い人たちの眼にも、この本の美しさは届くと思うのですが・・・。コナン・ドイルや江戸川乱歩が永遠に愛されるように、「赤毛のアン」や「小公女」「秘密の花園」はいつだって女の子の心を捉えます。若い人がこの本を読んでくれるといいのになと思いながら、思いがけずに出逢った本の頁を閉じました。

2012年9月発行 河出書房新社

by ERI