ピーター バーナデッド・ワッツ 福本友美子訳 BL出版

「庭は神様に一番近い場所」とは、京都の大原でハーブなどをたくさん育てているベニシアさんという方の言葉。この絵本を読みながら、この言葉が浮かんで仕方なかった。本当に美しい絵本なのである。ピーターという少年が、お母さんの誕生日プレゼントに何がいいかと悩んでいると、おじいさんが植木鉢に何か植えて「せかいでいちばんきれいな木だよ」と言って少年にくれる。お姉さんたちは綺麗なケーキや絵をプレゼントしているのに、まるで棒のような木に気後れして、彼はそれを隠してしまう。しかし、お母さんがちゃんと見つけて庭に植えてくれたのだ。その木はフユザクラで、まだ雪ばかりの庭で、うすももいろの花をたくさん咲かせる。ピーターは大きくなってもこの木を見上げてお母さんのことを思い出すのだ。

ここに描かれている庭が、心に沁みいるような美しさなのだ。抑えた色調で丁寧に書き込まれた花々の間を、鳥が羽ばたき猫がゆっくりと歩く。作り込まれたイングリッシュガーデンというよりは、まさに日々の生活と共にある庭で、野菜も植えられているし、洗濯物だって翻っている。でも、というか、だからこその美しさに溢れて子どもたちを見守っている。お母さんに素敵なプレゼントをしたいのに、お姉さんたちのようには出来ない自分を悲しく思うピーター。そんな彼の気持ちをそっと受け止めて咲かせたおじいちゃんとお母さんの愛情が、大きくなってこの庭から旅立っていった彼の胸の中には、いつもひっそりと咲いていることだろう。それは、彼らがこの世からいなくなっても、きっとなくなることはない風景なのだ。だから、この絵本には時間を超えた美しさが宿っている。幼い、瑞々しい瞳に映る風景は特別なものだが、それを何度も何度も思いだし、人は心に自分の色で焼き付けていく。そのとき、愛情のこもった色を載せられる幸せが、この絵本には詰まっているように思う。そして、もうひとつ、大人になって、たくさんの超えがたいものを超えて見つめる命の美しさもこの絵には重なっている。物語の最後の頁は、大人になったペーターの見上げる大きな桜が描かれている。末期の目に映る花と、子どものまだ見開いたばかりの瞳に映る花の色は、もしかしたら似ているのかもしれない。遙かな憧憬が込められているようなこの絵を見て、そんなことも考えてしまった。

私もふとしたことで、今年からまた庭仕事を始めて、たくさんの花を植えた。にわかガーデナーは失敗ばかりだが、花たちはこんな粗忽者も優しく許していつも誇らしく美しい。今は秋バラの盛り。バラたちの香りを吸い込みにいきたくなる一冊だった。こんな美しい絵本は、子どもたちの心にも、きっと美の種を宿してくれると思う。