一三番目の子 シヴォーン・ダウド パム・スマイ絵 池田真紀子訳 小学館


一人の女が産んだ一三番目の子を、その子の十三番目の誕生日に、生け贄に捧げよ。そうすれば、一三年間の繁栄が約束される。約束が守られないとき、村は暗黒の神ドントによって滅ぼされるであろう。その呪いにより、主人公のダーラは、明日一三歳の誕生日を迎え、足に石をくくりつけ、海に沈められるのだ。ダーラはそのためだけに、家族からも離されて育てられてきた。

この残酷な一日を、作者は様々な眼から描いていく。ダーラの、死を目の前にした夜。恐怖に震える彼女の前に、一度も会ったことのなかった双子の兄・バーンが現れる。村では、一三番目の子を誰も産みたがらない。二人の母・メブも、自分が双子を妊娠していることに気付かなかったのだ。十二番目に生まれたのが男の子のバーンで、十三番目が女の子のダーラ。しかし、この最後の夜に、二人はクロウタドリの案内で、「運命の裏側」を覗くことになる。どちらが十三番目の子どもだったのかを知ってしまうのだ。真実を隠してきた母の悲痛な叫びと、それを笑う産婆の会話を聞いた二人が、それぞれお互いを助けるために死を決意する。その姿に、母のメブは「どうかこの一度だけ、正しい道をお示しください!」と神に叫ぶ。

生け贄になるダーラ、双子の片割れのバーン、母のメブ、家族はそれぞれの苦しみにあえいでいる。なぜ殺されるのが自分なのかという苦しみ。また、なぜ自分ではないのかという苦しみ。二人の子のどちらかを選ばねばならなかった母の苦しみ。そのどれもが、抑制された音楽的な文章からずっしりと伝わってくる。彼らの苦しみは、愛情と贖罪ゆえの、人としての苦しみだ。この苦しみも恐ろしいが、この物語の中で一番恐ろしいのは、この家族の傷みを全くの他人事として見放している、その他大勢の村人たちだ。これまでそうだったから、という思考停止。一人の命を捧げることで、大多数の人間が幸せになるなら、それが正しいという考え方。皆にあわせておかないと、矛先が自分に向かってきちゃ困るんだよね、という気持ち。その名前を名乗らぬ人たちが、声を揃えて「二人とも殺せ!」と叫ぶのだ。

シヴォーン・ダウドが、この物語を神話のような舞台設定にしたのは、この苦しみと無関心が、人間がずっと抱えている普遍的なものであることを伝えたかったからなのではないか。私たちは、ダーラとバーン、メブ、どの立場にも運命のいたずらでなり得る。しかし、知らず知らずのうちに、海に沈む子どもを無感動に眺めていることが多くはないか。こんな犠牲が間違っている、と声にあげることを怖れて見て見ぬふりをしているのではないか。子どもたちを縛る呪いは、他でもない人間が作り上げたもの。それを断ち切ったのは、双子と母の勇気だったが、本当はこんなことをさせてはいけないんだ、という強い気持ちが物語の底から伝わってくる。シヴォーン・ダウドは、『ボグ・チャイルド』でカーネギー賞を受賞した、将来を嘱望される作家だったが、47歳でこの世を去った。貧困地域や少年院など、本を読む環境にない子どもたちへの読書活動にも関わっていた方だったらしい。私は翻訳されたものを全部読んでいるが、どれも忘れがたい作品ばかり。彼女の未発表作品を、こうして美しい本にして出版して貰えて、本当に嬉しい。

パム・スマイの挿絵と装丁が素晴らしく、物語を一羽の鴎になって目撃するような、神秘的な気持ちにさせられる。手元に置いて、何度も何度も読み返したい。運命のいたずらに巻き込まれた痛みに震えるときも、この世界で一番美しいものに触れたいときも。そして、今、自分がこの物語のどこに立っているのかを確かめたいときも。呪いの連鎖を断ち切って、新しい土地に降り立った若い二人の背中が眩しい。これからを生きる、若い人たちに読んで欲しい本だ。

2016年4月刊行
小学館

エベレストファイル シェルパたちの山 マット・ディキンソン 原田勝訳 小学館


うちの図書館で高校生むけの冊子を作るというので、急いで読了。山岳小説も色々読んだが、シェルパを主人公にした小説は珍しいのではないか。エベレストという特別な山の魅力と、主人公のシェルパの少年・カミのピュアさが呼応しあって、厳しく美しい物語になっている。

物語は、ボランティアでネパールにやってきたイギリス人の少年を道案内役に進行する。急病にかかった彼を看護してくれた美しい少女・シュリーヤの頼みで、彼女の恋人であるカミを探しにいく。そこまでがまず大変なのだが、エベレストにも、カミという少年にも、簡単には会えないということなのだろう。「ぼく」が見たものは、首から下の機能を失ってベッドに横たわるカミの姿だった。物語は、そのカミの口から語られる。アメリカの有名人ブレナンを隊長とした登山隊に、シェルパとして参加したカミが、何を見、何を経験したのか。作者はカミの人生にも深く踏み込んで、彼がひとりの人間として、どんな希望や決意を持ってこの登山に臨んでいるのかを描き出していく。古くからの慣習が根強く残る土地で、カミが生まれながらの婚約者ではなくシュリーヤとの恋を成就させるには、お金が必要だった。この登山は、カミにとって将来を切り開くための大きなチャンスだった。カミのシェルパという仕事への誇りとシュリーヤへのまっすぐな愛情が、この物語の大きな魅力だ。

  しかし、高額なお金が動くエベレスト登頂は、まっすぐな情熱以外の様々な思惑や事情を孕んでいる。隊長のブレナンは、将来の大統領候補とも言われる人物で、それだけに注目度も高い。ブレナンにとっても、どうしても成功させなければならない登頂なのだ。しかし、エベレストは気高く来るものを拒む。様々な困難を乗り越えて、たった二人で頂上を目の前にしたカミとブレナンがした選択は、その気高さに相応しいものだったのか否か。

エベレスト登頂の経験がある作者は、様々な思惑を持って集まってくる人間達の事情を、リアルに描き出している。やはりそこにはお金が動いていて、名誉や名声が欲しい人間の欲望も渦巻いているのだ。しかし、エベレストはそんな人間たちを、丸裸にしていく場所だ。たったひとり、「個」として偉大な存在に向き合ったときに、どう生きるのか。自分以外、誰も知らない嘘を、人はつき通すことが出来るのか。負けるとわかっている道を進む勇気とは何か。人の、真の強さとは何か。様々な問いを投げかけて、何も言わずそびえ立つ山の存在感に痺れ、魅入られる一冊だ。