八島ヶ原湿原 8月のフルムーンミーティング 月の雫

八島ヶ原湿原は、霧ヶ峰の北西部にあります。ここのフルムーンミーティングのHPを見つけたのは、本当に偶然だったのですが。「これは、是非行かねば!」と野生の勘が働いた自分を褒めてやりたいほど素晴らしい経験になりました。

この日は朝から曇りがちのお天気で、予報では夜は雨だったんです。集合の7時30分の時点では、空は分厚い雲に覆われていました。しかし、案内して下さるビジターセンターのスタッフの方によると、満月の夜は曇っていても懐中電灯がいらないくらい明るいとか。半信半疑で出発しましたが、何にも人工的な灯りのない湿原に目が慣れてくると、すべてが仄明るく浮かび上がって見えてくるのがわかります。湿原には人間が勝手に踏み込まないために木道が作ってあるのですが、それがくっきりと見えてきます。木のシルエット。前を歩く人の靴。池の水が月を反射して白く見える。様々な白と黒のコントラストの中を歩いていると、自分が徐々に夜行性の動物になったように感覚が研ぎ澄まされていくのがわかります。

フルムーンミーティングは静寂が御馳走です。ガイドの方も必要最小限の話声だけで、なおかつあちこちでただ静かに佇む時間を設けてくださいます。湿原の真ん中で、木道を枕に寝そべると、雲の切れ間から夏の大三角の星々が煌めいていました。風の音が聞こえ、遠くの空には雷が時折光っています。たくさんの虫の声・・・。夜の湿原という非日常の中に自分がいるということが不思議で、でもこの上なく安らかな気持ちなのです。またしばらく歩いたあと、木道の途中で設けてあるベンチで、小さな小さな灯りを点けてお茶会。熱いハーブティーとクッキーを頂きました。なんだか絵本の中に迷い込んだ気持ち。ノルシュテインの『きりのなかのはりねずみ』くんがこぐまくんとしたお茶会は、こんな感じだったのかも。そう思った途端、雲が切れて満月が顔を出しました。

その月の、何と眩しかったこと!闇に慣れた目には、まさに銀の雫が降り注ぐような明るさでした。木道に、月の影がくっきりと落ちます。木の葉の間からきらきらと光がこぼれて溢れます。その光を全身に浴びる至福。月明かりに包まれることが、こんなにも幸せなことだなんて、初めて知りました。思い出したのは、月灯りを浴びて霊力を蓄える河童の八寸。朽木祥さんの『かたはれ』に出てくる愛しい小さな河童です。(『かはたれ』には鎌倉の美しい風景がたくさん出てくるのです。満月の夜に浅沼を旅立つシーンも忘れ難いです。ぜひ読んで頂きたい)銀の雫、というほどの月明かりを体感できた喜びに魂が震えるような時間でした。

そして、夢のような二時間ばかりが過ぎ、出発点の広場に戻ってきた私たちが月に別れを告げて、ビジターセンターへのトンネルをくぐろうとした瞬間、煌々と輝いていた月は、再び厚い雲の中に隠れてしまいました。まるで私たちとタイミングを合わせてくれたように現れて、姿を隠したフルムーンの役者ぶりにすっかりやられた夜でした。

この月は、宿に帰ってから深夜に窓から撮影したもの。フルムーンツアー中は撮影禁止です。

翌日、今度は夜明け前から起き出して、早朝の八島ヶ原湿原に向かいました。

これは朝日を浴びる八島ヶ池。夜明けの湿原は、神々しいほど美しかった・・・。

 

これがお茶会をした場所です。花たちも、とても可憐でした。

 一緒にツアーに参加した親子さんは、年に何度もこの湿原を訪れているらしいです。気持ちがわかります。今度は春の初めか秋に訪れてみたい。一日中ここを散歩していたいくらい美しいところでした。

・・・と、浮世離れした想い出に浸っていたら、どこやらの教育委員会が『はだしのゲン』に閲覧制限をかけたという話が聞こえてきました。非常にきな臭い話です。残酷な表現があるから、ということらしいですが。戦争というものが如何に残酷で、このような美しい風景をいとも簡単に踏みにじるものなのか、ということを教えるのが教育というものでしょう。闇を見つめる目を培うことなしに、美しいものを感じる心は育たない。人というものは、どんなに美しくにも、残酷にもなれる生き物なのです。その現実を歴史を通じてしっかり見つめることの大切さを、私たちは何度も思い知らされてきたのではなかったのか。教育に携わる人間がしっかりとした理念を持っていれば、一部の的外れの抗議に対して毅然とした態度をとることが出来るはずなのに。民族や国という縛りは、時に本質的なことを見誤らせます。『はだしのゲン』は人間が行う最大の暴力にさらされたときの記憶を子どもたちに伝えようとした真摯な営みであったと思うのです。

―と、すっかり話がそれてしまいました(汗)私が願うのは、こういう美しい風景が踏みにじられないこと。美しさを感じる心が殺されるような時代にならないこと。今も、あの湿原では霧と月が静かな時を刻んでいる。そう思うだけで幸せになれます。また、いつか行けますように。

 

 

 

カヤックとフルムーンミーティングの旅 

三日間ほど酷暑の大阪を抜け出して、一足早く高原の秋を感じてきました。友人は東京から。私は大阪から。長野で落ち合っての旅です。大学時代はあまり・・というか、全くアクティブではなかった私たちでしたが、今回の旅はカヤックを体験し、満月の夜の湿原を歩くというやる気満々な企画。そんなやる気が幸運の女神を引き寄せたのかとても素晴らしい旅になりました。まず、生まれて初めてレンタカーなるものを借りて運転したのが、我ながらすごい!(自慢するようなことやないですけど。しかも、このレンタカーがあまりにも走らなくて笑えましたけど)

梨木香歩さんの『水辺にて―on the water/off the water 』を読んでから、ずっとカヤックに憧れてました。あちこちを旅しながら、ここぞという場所を見つけてカヤックを組み立てて浮かべ、水の中に滑りこむ。まさに「自由」の体現ですよね。そして、自由を体現するということは、自分という存在と向き合うことでもあります。『たのしい川べ』『ハヤ号セイ川をいく』『ツバメ号とアマゾン号』『風の靴』等々、川辺の遊びは児童文学と切っても切れない関係なのも、そんなところに一因があるのかも。・・・と、段々話はそれていきますが(笑)そんな心にずっともっていた憧れが、友人の「カヤック乗ってみたくない?」という言葉で炸裂した次第です。憧れは遠く遠く流氷の海をゆく星野道夫さんにまで炸裂しましたが、ま、憧れは置いといて(笑)千里の道も一歩から、ということで白樺湖でのカヤック初心者体験コースに参加してきました。

梨木さんにとってはカヤックは孤独の記号、変動する境界。私たちの理想も、そこにあるんですが(大きく出すぎやろ!)最初は小学生に混じって、カルガモのひなのように、インストラクターのお兄さんについていくのが精一杯でありました。カヤックって、乗ってみると予想以上に水に近いんです。最初は恐怖感がありましたね。こんなに怖いものに、たった一人で乗る梨木さん。凄い・・・。改めて尊敬。でも、四苦八苦しているうちに、ふとカヤックが身体に馴染む瞬間があり、自分の身体感覚で乗ればいいのだと気が付きました。車みたいなもんですね。そこからはもう、とっても楽しくてずーっと水の上に浮かんでいてもいいくらいでした。自分の手で方向もスピードも全てが決められる楽しさ。浮かんでいると風に流されていくのもいい。アメンボのように、風景の中に溶け込んでしまうような気がしました。

そのあと、車山にリフト一本分をゆっくり上りながら散策。私たちはほんとに寄り道が多い。花を見つけてじーっと見つめて写真。登りながら刻々と変わっていく風景にいちいち立ち止まってあれこれ言いながら写真。蝶を見つけて(以下同文)鳥を見つけて(以下同文)。友人とは、何かを見て心に刻むタイミングが一緒なので、そこがとっても嬉しいんですよね。人のペースにいらいらすることもなく、急かされるような気がして悲しくなることもない。結果、売店のお姉さんが「30分くらいで」と言った道のりを、2時間かけて歩くことに。山頂に着いたら、リフトでやってきたハイヒールのお姉さまや、可愛いミニスカートの女子たちがいっぱいでした(笑)何より車山は涼しかった!


この日のミッションはまだまだ続きます。車で移動して今度は八島ヶ原湿原のフルムーンミーティングに向かいます。その前に宿泊予定の「鷲ヶ峰ひゅって」に到着したのですが・・。このお宿が、ほんとに素敵なところで、もうほんとに生きてて良かった、という気持ちになりました。大袈裟ですかねえ。でも、友人とずっと一緒に旅行したくて、でもお互い色んな事情があって実現できない年月が続いて。ほんの二泊三日ほどのささやかな旅でも、私たちにとっては大きな一歩だったのです。今、共にいて、この時間を過ごしている。そのことが奇跡のように思えて、夕暮れのお庭で雲の切れ間から降り注ぐ光の梯子を見ながらおもわずうるうるしてしまいました。

 これが宿の入り口。この門の両脇に、可愛い小人さんがいて出迎えてくれます。

 

この宿のすぐ横の林にはどうやら鶯が住みついているようで、滞在している間中、とても素敵な歌声を聴かせてくれました。ほんと、一週間くらい―いや、ひと夏ずっとここにいて、本を読んで散歩できたらこんなに幸せなことはないでしょうね。お料理も本格フレンチで最高でした。たくさん置いてある本も、好きな本ばかりで胸がきゅっとしましたし。あちこちに置いてある小さなものの全てに愛情がこもっている。そんなお宿でした。今思い出しても、温かい気持ちになります。

長くなりました。ひとまずこれでアップして、フルムーンミーティングのお話は明日。

本のなかの旅 湯川豊 文藝春秋

旅に憧れ続けている割には、実際に行けることが少ない。2匹の猫をはじめ、諸々の事情が手ぐすね引いて待ち構えているややこしい主婦の身では、今のところ二泊ぐらいがせいぜい。この間も、親友とあれこれ旅の計画を練りながら、お互いを縛るものの多さにうんざりしたところだ。外国なんぞ夢のまた夢。だから、自分では行けない旅の本をたくさん買ってしまう。作家は旅好きな人が多いので、あれこれと読むのが楽しみなのだけれど、この本は「好き」という範疇を超えて、とり憑かれたように旅をする文筆家たちのお話だ。彼らの「旅」は人生そのものと抜き差しならないほど結びついていて、否応なくその人となりを語ってしまう。この本は18人の文筆家について語っていて、その客観的ながら熱い語りを読んでいるうちに、なぜ人は旅に出るのか、という根源的な命題があぶり出しのように浮かび上がってくるのがとても魅力的だった。私にとって、本を読むことは幼い頃から慣れ親しんだ「旅」であり、どこまで行っても終わらない旅なのだけれど、どうしても本物の旅に出てしまう彼らの心性と、どこか重なるような気がしてしまう。

この本で取り上げられているのは、宮本常一や柳田國男といった民族学者、開高健や金子光晴、ヘミングウェイ、ル・クレジオといった作家、チャトウィンやイザベラ・バードといった旅行家、と多岐にわたっているのだけれども、文学好きの私にとって一番惹かれるのは、やはり作家たちの旅。特に開高健と金子光晴、中島敦は若い頃耽溺して読んだ作家たちだけに、熱心に読んでしまった。若い頃の私はとにかく濫読で、その分読書も肌理が荒かったように思う。今日も昔に買った筑摩書房のトーベ・ヤンソンコレクションを引っ張り出して眺めていたのだけれど、当時と今では、読んだ印象が全然違う。一番大切なキモのところを読み飛ばしてたやん、とびっくりしたところだ。だから、こうしてもう一度丁寧な解読を通じて大好きな作家に出会うのは、懐かしく慕わしいと同時に、新しい気付きに胸を突かれてしまう。開高健の熱を孕んだ豊穣の旅に私は深く魅せられていたけれど、その芯にあった彼の孤独と寂しさを、どれだけ知っていただろうと思う。同じく、なぜか若い頃やたらに好きだった金子光晴の『女たちのエレジー』にも言及があって、一気にいろんな詩が蘇ってきたけれども、やっぱり18や19の私が、彼の哀歓の何かをわかっていたとは思えない。思えないけれど、私は湯川氏の言う、彼らの真ん中にある果てしない空虚や寂寥の気配に引き寄せられていたような気はする。ただ、あの頃は、それをカッコいいと思っていたような。冷や汗ものだなあ。でも、こうして纏めて頂いて思うのだが、小説家の旅は、どこまで行っても自分をめぐる旅という気がする。主体は旅ではなくて、その旅を味わう自分にあって、私は色濃い彼らの世界にいるのが好きだった。百閒先生など、その最もたる存在かもしれない。『阿房列車』はどこを旅しても濃い百閒ワールドで、あれを読んでいると、ぐるぐると百閒先生の手の中を巡っているような気になってしまう。湯川氏が、その文章を「世界が解体し、何かが無意味になる」と述べているのには、ものすごく納得してしまった。

自分の懐かしい本ばかりに触れてしまったけれど、こういう教養がたっぷり詰まった本を読む楽しみは、自分の知らない本を教えてもらえることだ。湯川氏の物凄い読書量と、教養にひたすら圧倒されるけれど、この本からは、旅を愛した人たちに対する、やっぱり深い愛情と尊敬が伝わってくる。だから、とにかく全部読みたくなってしまう。宮本常一の『忘れられた日本人』や、ル・クレジオのエッセイ、明治の初めに東北の奥地を旅したイザベラ・バードやアーネスト・サトウ、思わずまたチェックして読みたい本リストに書き足してしまった。(積んどく本がたっぷり増えてるのに、一体いつ読むねん!)去年買ったチャトウィンの旅行記も早く読まねば。本というのは、一冊読むとそこからまた道が繋がっていて、どこまでも終わらない旅になるのである。まだ見ぬ場所。私の知らない世界。それが、こんなにあるというのは幸せで、茫然として、果てしなくて・・・その旅の途中で間違いなく力尽きてしまうのがわかっていてやめられないのも、やっぱり旅だ。本の旅と、この足で歩く旅と、ふつふつと自分の中に渦巻く欲望を新たにかき立てられる一冊だった。

2012年11月

文藝春秋

 

 

岡田淳さんの「夜の小学校で」原画展と“ひつじ書房”

春らしい穏やかなお天気のもと、神戸まで足を伸ばして岡田淳さんの作品展に行ってきました。JRの摂津本山駅前の画廊「しあわせなふくろう」さんで、『夜の小学校で』の原画展が行われていたのです。

原画はとても素敵でした。やっぱり印刷されたものよりも色がとても鮮やかに美しく、絵から優しさや温かさが溢れてくるようでした。ほかにも素敵な絵がいっぱい出品されていて、そちらは販売されてもいたのですが、何とほとんどが売約済み。わかるなあ・・・だって、岡田さんの絵って、見ていると、何だか胸にぽっと明るいものが宿るようなのです。落ち込んだ時や、心がすさんでやさぐれた時に、あたたかい光を投げかけてくれるような。「しあわせなふくろう」さんの中には、そんな岡田さんのパワーが満ち溢れていました。小さな画廊は、もういっぱいの人。今日は岡田さんご自身も来られていて、本にサインもして頂けるということで、小学生たちがたくさん来てました。皆、手に手に岡田さんの本を持って、とっても嬉しそう。岡田さんは一人ひとりとお話しながら、ゆっくりサインとイラストを描いてあげておられました。もう、子どもたちも岡田さんも幸せそうで、いつまでも見ていたい光景でした。一人の女の子なんか、岡田さんの大ファンで、ノートに書いた自分の物語も岡田さんに読んでもらおうと持ってきてて。一生懸命な顔して岡田さんが読むのを見てました。一生の思い出になるよなあ、もしかして、将来作家さんになって、この日のことをエッセイに書いたりして・・・なんて思うのも幸せでした。もちろん私もkikoさんもサインして貰いました。私がサインしてもらったのは『図工準備室の窓から』です。

その「しあわせなふくろう」さんの数軒横に、児童書の専門店「ひつじ書房」さんがあります。ここは、kikoさんの馴染みの本屋さん。児童書の専門店として有名です。以前からkikoさんに聞いて、ぜひ行ってみたかったので、今日は心おきなく埋没(笑)kikoさんと私をこんな本屋さんにほりこんだら、もう、何時間でもいます(笑)岡田淳さんを偕成社に紹介して、作家さんになるきっかけを作られたのは、ここの店主さんです。児童書に深い造詣と理解をお持ちの方なのです。もちろん品ぞろえも充実。大好きな本、気になる本がいっぱい。選書がとても素敵なんですよね。端から端まで欲しくなる。絵本から専門書まで、何を聞いてもいろんなお話をしてくださるので、嬉しくなってあれこれとおしゃべりしているうちに、数時間も経ってしまったという・・・。本を、児童書を、とても愛してらっしゃる。その愛情がたっぷり詰まった本屋さんでした。アイザック・B・シンガーの『ショーシャ』(吉夏社)と、マーガレット・ワイズ・ブラウン&バーバラ・クーニーという大好きなコンビの絵本『どこへいってた?』(童話館)を購入。ここは、また通ってしまうと思います。

たっぷり本を見たあとで、kikoさんのお友達の雑貨屋さんでカレー皿を衝動買いし、「tea room mahisa」で、美味しいスイーツとミルクシナモンティーを満喫し、帰りの電車の中で岡田さんの『図工準備室の窓から』を読んで、電車内で爆笑したくなるのを必死でこらえつつ帰宅するという、至福の一日でした。楽しかった~!

※「しあわせなふくろう」での原画展は、3月26日(火曜日)まで。最終日の26日は、1時頃から岡田さんご自身が来店されます。店内で本の販売あり。お近くの方は、ぜひ!

 

 

 

 

エストニア紀行 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦 梨木香歩 新潮社

梨木さんが実際にエストニアを旅したのが、2008年。『考える人』での連載などを経て、一冊の本として上梓されたのが、今年の9月末だ。実に4年の間、梨木さんは「内的な旅」(『考える人 2012年秋号』)を続けてらしたのだ。この本で日程を追う限り、それは短い9日間の旅なのである。しかし、そこから始まる梨木さんの精神の旅は、ご自分が根源的に抱える孤独のありかをめぐる遥かな旅だった。そして、その魂の旅は、私の心のアンテナをびりびりと震わせた。読み進めるごとに私がこの本に貼ったメモつきの付箋が、アンテナが震えた痕。梨木さんという渡りの心性を持つ方から発信された示唆は、「個」を超えた力となって私達にある方向を教えてくれるような気がする。

エストニアはバルト三国のなかの一つであり、他の国に入れ替わり立ち替わり支配され続けた歴史を持つ国だ。その複雑さがかえって開発を遠ざけたことと、森羅万象に神が宿る信仰を持ち続けた古い記憶から、自然が手つかずの状態で保たれている。日本では絶滅してしまったコウノトリが、人間とともに暮らしている土地柄なのだ。エストニアで、梨木さんは度々郷愁という言葉を使う。そう・・・何だか私も、読みながら自分の幼い頃に夏を過ごした田舎のことを思い出したりした。深い深い、迷い込んだら二度と出てこられないような山を歩いた記憶。そこを父と歩いて滝まで行った遠い日・・・こんなこと、覚えていたんだと思うような映像が浮かんだりした。父の田舎は、たった一度梨木さんが映像として見た、コウノトリが日本で暮らしていた場所の近くである。夕方には、赤とんぼで空が真っ赤になった。子どもだった私の体をとんぼの大群が包んで通り過ぎていったときの風圧は、生々しい記憶だ。梨木さん一行をげんなりさせた蛭じいさんは、その昔私をまむしの瓶詰で脅かした田舎のおっちゃんにそっくりだし(このくだりには大爆笑してしまった)。それに、養蜂家のおじいさんの語る、不思議な力を持つ女性の話は、『西の魔女』とそっくりだし。自分の記憶や梨木さんの著作の記憶とこのエストニアという国は、なんと重なることだろう。でも、そこは日本ではない。日本が失ってしまったものが色濃く漂う土地で、その昔近所にいたような人たちと出逢いながら、梨木さんの思索は、失われたもの、この世界からどんどん消え去っていく人間以外の生き物へと視点が移り変わっていく。森と、鳥と、動物をこよなく愛する梨木さんは、非常な痛みを持ちながらこの世界を見つめている。その痛みは、自分が人間であることへの罪悪感に近いと思う。

こんな罪悪感を感じる必要などない、という人もいるだろう。私たちは経済という大きな網に組み込まれているのだから仕方ないじゃないか。自分だって便利な生活の恩恵に預ってるんでしょ?そんな罪悪感は偽善でしょ、とか。にやにや笑いで「あんたも共犯だから」と共に汚れることを押しつけられたとき、私たちは口をつぐんでしまいがちだ。しかし、この世界の羅針盤は、他人の、もしくはこの世界に生きるものたちの痛みを自分のことのように感じる人、つまりは罪悪感を原罪のように抱える人たちによって指し示されるように思う。少なくとも、私にとってはそうだ。日本ではカワウソもコウノトリも、オオカミもトキもいなくなってしまった。チェルノブイリの事故のせいで人が強制的にいなくなった土地は、今、絶滅しかけている動物たちの聖地になっているらしい。そういうことを、常に繊細なアンテナで感じ続け、考え続ける梨木さんの心の旅は、今自分がいる場所を考えるきっかけに満ちていると思う。やたらに扇情的に流れてくる情報や、憎しみをあおるような愛国主義が垂れ流される中で、渡っていくコウノトリの視点を持つこと。支配され続けた歴史の中で、憎しみに流されなかった人たちのこと。忘れないために、何度も私はこの本を読むだろう。そのたびに、またこうして考えたことを書いていくと思う。梨木さんが書くことによって発信されたことを、私は受け止めて、受け止めようとしてこんなに拙いものを書く。正直それが何の役にたつんだろうと時々思ったりすることもあるのだけれど・・・梨木さんが抱える「病理のように」と自分でおっしゃる遥かな想いのようなものが自分にもあるなと思う。例え蟻さんのような歩みでも、私が世界の片隅でこんなものを書いているのは、ささやかなフィードバックを通じて「個」を超えようとする願いなのかもしれない。

・・・と、私のようなちっぽけなブロガーにも大風呂敷を広げさせるような、とにかくいろんな要素がぎゅっと詰まった本だった。ただ、梨木さんの見事な風景描写を読むだけでも楽しいし、不思議な幽霊(?)まで引き寄せてしまう、旅の磁力に吸い込まれてもいい。このエストニアと、フィンランドは絶対に行ってみたい。いや、行くぞ、と言葉に出して言霊を引き寄せよう。行くぞ!!

※2012年秋号の「考える人」に、この本に関連したロングインタビューが掲載されています。

2012年9月刊行

by ERI

 

 

 

東京本屋めぐりの旅 3

 

  19日(金)は、やっと快晴!再び本屋さん巡りに萌え・・・いや、燃えました(笑)
まず、中央線の御茶ノ水で降りて、ニコライ聖堂へ。秋の日射しに白壁の建築が映えて美しかった。正面のステンドグラスに『太初に言あり 言は神と共にあり』とあるのが、大学と古書の街である土地柄に相応しい。

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古書街を目指して歩いていると、有名な山の上ホテルがありました。池波正太郎先生はじめ、文人が缶詰になって原稿を書いたというホテルです。そっとロビーを覗かせて頂きました。落ち着いた雰囲気の、歴史を感じさせる佇まいにうっとり。田辺聖子全集が置いてありましたよ。東京での定宿なのかしらん。写真は、ホテルの立体駐車場の建物だと思うんですが、蔦が絡まって、なにやら不思議な佇まいを醸し出していました。東京というところは、割合に緑が多くて。人の多さに疲れた心がほっとします。

 

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昔から、それこそ池波正太郎先生はじめ、いろんな方のエッセイを読んで、東京の地名などはけっこう頭には入っているんです。でも、実際に歩いてみると、なぜこのホテルが文人たちに愛されてきたのか、立地条件や位置関係を知って腑に落ちるんですよね。皇居がどこまで広がっているのか、そんなことさえ、実際に見ていないとわからない。前日に、改装の終わった東京駅のど真ん中に立って、振り返ったとき、皇居まで何も遮るものなく道が通っているのを見て、なるほどと納得感が湧いたように、自分で歩いてはじめてわかることってあるな、としみじみしました。街の在り方は、やはり歴史と結びついている。土地の記憶を感じるのが東京歩きの面白いところです。
神保町の古書街では、みわ書房さんに行きました。児童書専門の古本屋さんです。細い通路の両脇には、子どもの本がいっぱい。ここでは、『ニューヨーク145番通り』を買いました。買おうと思っていた本にふっと出逢える、縁が繋がるのが、古本屋さんめぐりの楽しいところ。

 

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ここで、もっと神保町をぐるぐるしたい気持ちをぐっと抑えて、再び中央線で吉祥寺へ。まず、「百年」という古本屋さんに行きました。古本屋さんというよりは、おしゃれなセレクトショップという雰囲気のお店。ここは、ほんとに品ぞろえがとても良くて棚を涎を垂らしながら見つめてしまいました。絵本の状態が良くて、友人はここでたくさん絵本を購入。
次に「トムズボックス」へ。ここは、小さな絵本屋さんなんですが、絵本好きには有名なお店です。まず、入口が可愛い!!カレルチャペック紅茶店の吉祥寺本店の奥にあります。

 

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「トムズボックス」は、いつもギャラリーで個展が開かれているのが有名なんですが、私たちが行った時も、<「裏庭に咲いた話」大野八生展>が始まったばかりでした。実は、この大野八生さんの絵本『カエルの目玉』を、前日教文館ナルニア国で見て、「これ、いいよねえ」と友人と盛り上がっていたのです。非常によく観察して書いてらして、それでいてとぼけた味もあって、色がとても美しい。その絵を描いてらっしゃる方と、次の日にお会いできるなんて、思わず不思議な縁を感じてしまいました。個展は『夏のクリスマスローズ』(アートン)に収録されている絵の原画が展示されていたのですが、これがまた、ほんとに美しかった。愛情いっぱいに植物を育ててらっしゃるのが、伝わってくるんです。まっとうで鋭敏な感受性の美しさが、とても心地よくて・・描かれている植物の可愛さに胸がぎゅっとしました。会場には、ご本人がいらしてて、本を買った私たちに声をかけてくださって、さらさらと本の見返しにイラストまで書いてくださいました。「何がいいですか?」と聞いてくださったので「うちの2匹の猫たちを」とお願いすると、一瞬でさらさらと書きあげる、その筆運びの見事さに感動。
この本です。

 

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書いてもらったイラストは・・・内緒(笑)。友人はクリスマスローズを書いてもらっていましたが、それもとても美しかった。ほんと、行って良かった!
そのあと、高円寺の「えほんやるすばんばんするかいしゃ」へ。ところが、ここで迷いに迷ってしまい、たどり着くのが遅くなってしまいました。ここは、外国の絵本がたくさんあります。あまり他では見たことがないような珍しい絵本がたくさん。でも、帰りの時間が迫っているのと、歩きすぎてけっこう疲れてしまったので、あまり見る時間と体力がなかったのが残念でした。ここでは、マーガレット・ワイズ・ブラウンの『よるとひる』を買いました。ワイズ・ブラウンとレナード・ワイズガードのコンビの絵本が好きなんですよ。

 

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もう、ここで体力が限界でした(笑)中央線で東京までまっすぐ帰って新幹線に乗りました。中央線沿線って、便利ですよねえ。吉祥寺も高円寺も、また行ってみたい街です。
ふう・・・あちこち行ったなあ。本屋さんばかり行った三日間。楽しかった!また、来年あたり行きたいな。

by ERI

東京本屋めぐりの旅 2

 

 

18日は、まずシャルダンの展覧会へ。三菱一号館美術館です。ここは、建物とお庭がとても綺麗。

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モノクロで撮影すると、まるでパリの街角。 前日に行った東京写真を意識してか、ちょっとアート風に撮りたい感じが見えるのが、我ながらどうかと思う(笑)

 

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ここでは、『シャルダン展―静寂の巨匠』を見ました。シャルダンという人の作品を、これだけ一同に集めてあるのは初めてです。この展覧会が、とても良かった。こうして、一人の画家をじっくり鑑賞できるのは、とても贅沢なことです。いろんな作家の有名な作品を、いいとこ取りみたいにして集めてあるより、私はこういう形式の展示が好きかな。ゆっくりその世界に浸れて、世界観を感じることが出来るから。例えば、このシャルダンの展覧会でも、若い頃の静物画と、晩年の静物画とでは、全く趣が違います。晩年になるほど、画面に光が満ちて瑞々しく、描かれている果物などが命そのものに見える。生きてここにある喜び、というものが溢れている。若い頃の、自分が命そのものに輝いているときに見るものと、晩年になって見るものとでは、対象物に対する距離感が違うんだと思うんですよ。生きているということに対する慈しみや愛情が、その眼差しに感じられるんです。もちろん、技法の円熟や成長もあるでしょう。でも、あの静かな画面に溢れていた光は、紛れもなく命への愛情そのものだと思いました。その慈しみが、やはり晩年に近い年齢の私の心に沁みこんできました。年齢を重ねてわかることもありますね、やっぱり。見れてよかったなあ。
そして、改修工事が終わった東京駅を見て・・・。

 

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いつものように、銀座の本屋さん、こどもの本のナルニア国(教文館)へ。ここはとても好きな本屋さんです。落ち着いていて見やすいし、選書がとてもいいんですよ。何時間いたかなあ。2時間は優にいましたね。そして、友達とやたらにテンションがあがって本を買う、買う(笑)
これが、当日の収穫。

 

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このほかにも、絵葉書は買うわ、ちっさなぬいぐるみをお土産に買うわ、あれこれあれこれ追加で買ってたら、お店の方が「お家に本を送りますよ」と言ってくださって、大助かりでした。1万円以上のお買い上げで宅配サービスをして貰えるそうで、ほんとに助かりました。友人も、たんまり絵本を買って「どないしよ」状態だったんで(笑) でも、ショックだったのが、岩波の、既に持っている高楼方子さん訳の『小公女』、高楼さんのサイン入りがあったんですよ!うーん・・・持ってるから、迷って迷って見送ったんですが。買った友人に見せて貰ったら、可愛いイラストまで入ってる!高楼さんの直筆!高楼さんファンとしては、心が揺れる・・・。お取り寄せしようかどうか、考え中。
・・・ふと気がつけば、既に真っ暗。本にお金を使いすぎてすっかりしぶちんになった私たちは、銀座なのに、なぜかドトールでお茶と相成りました(笑)でも、銀座のドトールはおしゃれだった。

 

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あー、疲れたということで、二日目はここまで。

by ERI

東京本屋めぐりの旅 1

17日(水)から、19日(金)にかけて久しぶりに東京に行ってきました。約1年ぶりの東京です。友人と会ってゆっくりしゃべるという目的のために行ったのですが、美術館に2か所行った他は、とにかく本屋さんばかりを巡るという、ニッチな旅でした(笑)
17日は、まず恵比寿にある東京都写真美術館へ。

 

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ここは、建物がとてもいいんです。美術作品を、どんな建築で見るかというのは、けっこう大きなファクターだと思います。採光や雰囲気、空気感によって、作品の印象も違ってしまう。この写真美術館は、写真を鑑賞する、ということに特化した美術館なので、写真という表現に対して、でしゃばらず、語りすぎず、ニュートラルに雰囲気が保たれています。そこが気持よくて、気が付いたら2時間あまりが経っていたという(笑)「繰上和美 時のポートレイト」という特別展と、「機械の眼 カメラとレンズ」という写真美術館コレクション展が開かれていました。展示としては「機械の眼」の方が面白かったかな。友人が写真家なので、彼女のいろんな話を聞きながらそれぞれの作家の作品を見るのが面白いんですよ。写真というのは、一瞬を切り取る芸術。それだけに、その作品を切り取るまでの作家のスタンバイの仕方が見事にそこに現れるような気がします。そこを読みとるのも、写真の見方の一つかもしれないな・・と、彼女の解説を聞きながら思いましたね。ここはギャラリーも楽しくて、思わず長居してしまい、マイケル・ケンナの写真集と、キーホルダーを購入。マイケル・ケンナは高いんですが、この写真集はけっこうお手頃な値段で、なおかつ装丁がとても美しいんです。満足(笑)
こういう、写真だけの美術館というのは、大阪にはありません。写真、というものは、写真集で見るのもいいんですが、一つの統一された世界観の中でゆっくり向き合うほうが、まっすぐ伝わってくるものがあります。常にその機会に恵まれているのと、そうではないのとでは、写真という芸術に対する感性に差が出てくるような気がします。大阪にも、こんな美術館が欲しいよなあ・・・。今の府知事や市長じゃ、無理な話だよなあ。
そこから、代官山に移動。お目当ては、おしゃれな古着屋さん・・ではなくて、おしゃれな書店・DAIKANYAMA TSUTAYA です。確かにおしゃれでした。本や雑誌、写真集が溢れんばかりに並べてあります。分類はいたっておおらかで、食べ物、旅、ファッション、アート、小説や哲学・・・と、おおざっぱな括りはあるものの、とにかく連想に任せてどっさり置いてある感じ。外国の雑誌もありとあらゆるものがあって、とにかくにぎやか。本を探すというよりは、本と出逢うという感じです。「あ、こんなのあるんだ」と手に取って・・いったん手に取ったら、放しちゃいけません。もう二度と出会えない(笑)建て物が三つあって、どこも似たような感じで、なおかつ分類がされていないので、もう一度そこにたどり着こうと思っても、難しい。実際に、後で買おうと思っていた本の居場所がわからなくなり、店員さんに聞いたところ、店員さんもわからなかったという。「あのへんかも」という答えしか返ってこなかった。東京、代官山というシチュエーションでないと成り立たない商売かも。大阪でやったら「姉ちゃん、どこにあるかもわからんのかいな」と、おっちゃんやおばちゃんに怒られます(笑)あと、写真集も非常に雑多に並べられていて、その規則性もわからず。著者順でも、タイトル順でも、ジャンル別でもない。これは、本をとにかく分類してきっちり並べたくなる図書館員にはむずむずする環境でした(笑)・・・と、いろいろ言いながら、ここでも長々と本を見て、Coyoteの星野道夫さんの特集のバックナンバーと、ブルース・チャトウィンの旅行記を買いました。Coyoteは大好きな雑誌で、この特集号も当たりでした。復刊されて良かった・・・。

 

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これが、一日目の収穫。あとは、銀座に戻って、ひたすらしゃべって、しゃべりまくりました(笑)
長くなったので、ここで一旦終了です。

by ERI