夜の小学校で 岡田淳 偕成社

夜の小学校には、昼間とは違う時間が流れています。この物語は、夜の小学校の中から生まれたちょっと不思議な短編集。頁をめくるたびに、新しい扉が開きます。そこから吹いてくる風は、心に幸せなざわめきを残していくのです。御自身の手による素敵な挿絵と一緒に、大好きな岡田ワールドに浸りました。

主人公の「僕」は、桜若葉小学校というところで、夜警の仕事をすることになります。にぎやかな子ども達の声が溢れている昼間とは、違う顔をしている夜の校舎や校庭。そこには、不思議なお客様がやってくるのです。ほんとに夜の小学校で、こんなあれこれに出逢ったら・・・きっと、ちょっと怖い。でも、その隠し味のような怖さが、物語の醍醐味です。岡田さんの物語には、『二分間の冒険』『選ばなかった冒険』『ふしぎの時間割』など、学校を舞台にしたファンタジーがたくさんあります。『二分間の冒険』『選ばなかった冒険』は息子たちも大好きで、何度も何度も読みました。小学校を舞台にしたファンタジーは、岡田さんの魅力溢れる独壇場なのです。子どもたちにとっては、人生の半分を過ごす場所が学校です。いつもの見慣れた風景である学校。でも、ふと忘れ物を取りに帰った夕方の教室や、いつもは来ない日曜日のがらんとした校庭、気分が悪くなって行った保健室のベッドに寝転がって見上げた空の青さに、ふっと違う時間の流れや空気を感じてしまう・・・それは、生まれて初めて感じる異世界への、つまり物語への扉。一瞬で見失いそうになるその扉を、岡田さんは絶妙なタイミングで開けてみせます。長年小学校に勤務されて、学校の隅々まで知りつくしておられる、ということもあるかもしれません。そして、その長年過ごしておられた場所を見つめる瑞々しい眼差しと感性が、素晴らしいと思うのです。

この物語の「僕」は、若い頃の岡田さんご自身が投影されているようにも思うし、これから物語を書こうとする人、これから未来を切り開いていこうとする人への、優しい励ましも投影されているように思います。アライグマに「いろいろなしごとをしたことが力になるんですね」と言われて、「―そうだったんだ」と気がつく僕。日常の中に潜む不思議を発見する。それは、見慣れた風景を一変させる物語の力を得ることに繋がっていくのでしょう。『図書室』という短編では、本たちが静かに扉を用意して、開けてくれるのを待っています。学校という場所は、子どもたちにとっていつも幸せなところではありません。自分の小学生の頃を思い返してみても、まことに生き抜くのが大変だったとしみじみと思うのです。同年齢の子たちが何十人もひとつの部屋に揃う、あの人間関係を思い出しただけでも、もう無理と思ってしまう(笑)大人になった今なら、笑い話ですみます。でも、学校という逃れられない密室で自分の居場所がゆらぐ、あの不安は、真剣に辛いものでした。でも、本という扉を開ければ、私はいつも自分だけの時間を過ごすことが出来た。そこには、果てしない自由がありました。今、子どもをめぐる環境は、のんびりしていた私たちの頃とは比べ物にならないほど様々な難しさに満ちています。だからこそ、本当はもっと物語の力は必要なのだと思うのですが・・・児童文学というジャンルにおける物語の紡ぎ手は、少なくなってきているようにも思います。児童文学では食べられない。出版部数も限られていて、大人の文学に比べると、あまり注目されなかったりします。でも!でも、です。子どものときに、胸がわくわくするような物語に出逢わなければ、大人の本を読む人口だって、減ってしまうと思うんですよ。岡田さんも、密かにそんな危機感をお持ちなのかもしれないな・・・この本を読みながら、そんなことを思いました。

主人公の「僕」は、大好きな『ドリトル先生航海記』の扉を開けて、幸せな気持ちになります。

「本はいつだってああして待っているんだ」

子どもの心を受け止め、、時間と空間を超えて新しい場所に連れていってくれる・・・そして、懐かしい友達のように、いつも変わらずそこにいてくれる、本。本は一生の友達になってくれます。心から本を愛する岡田さんの気持ちが、溢れてくるような一冊でした。

by ERI

2012年10月

偕成社