炎と茨の王女 レイ・カーソン 杉田七重訳 東京創元社

異世界ファンタジーが好きであれこれ読むんですが、最近読んだ中では、これは特筆物のおもしろさでした。主人公は王女様。生まれつき神に選ばれしゴッド・ストーンの持ち主である彼女が、試練の旅を通じて大きな成長を遂げるというファンタジーの王道です。王道ですが、設定がとてもユニークで文章が瑞々しいので、良い意味でその王道を感じさせません。恋も、裏切りも、悲しみも、友情も、冒険も楽しめるジェットコースターストーリー。こういうの、いいですよねえ。ここまでいろんな要素を盛り込んであるにも関わらず、とても読みやすい。感情移入しやすいんです。それは、思うに主人公である王女さまであるエリサのキャラによるものなのかも。華やかさとは無縁の性格。食いしん坊で汗っかき、国政の面倒なことは優秀な姉に任せ、趣味は勉強。三カ国語を話し、聖典や歴史書は暗記するほど読み込んでいるという、引きこもり系のオタク女子王女なんですよ。何だかもう、読書好き人間にとっては他人とは思えない(笑)

その彼女がいきなり隣国のえらくかっこいい王と結婚することになります。嫁ぎ先にいく途中で既に命を狙われ、やっと着いたと思ったら、なぜか王は自分を王妃としては紹介してくれない。美しい愛人はいるは、先妻はやたらに美女だは、落ち込むことばっかりの日々で、ますます引きこもり傾向が加速するエリサ。このあたりのエリサのもやもやがとても丁寧に書き込まれていたので、そうか、宮廷を舞台にした心理劇になるのかなあと思ったら、何とある日いきなり誘拐されて砂漠の旅に放り込まれてしまうという運命の急変から、それはそれは息つく暇もないジェットコースターストーリーになるんですよ。ぐっと主人公の気持ちに引きつけておいてから翻弄する。もうね、読むのが止まらなくて困りました。

物語は、エリサの持つゴッドストーンをめぐって展開していきます。王女暮らしのエリサが、砂漠を越え、大きな国の戦争の狭間でぼろぼろに傷ついた人たちと出会って、何とかして彼らの力になりたいと思うようになる。これまで与えられていただけの生活から、自分の力と才覚で居場所を勝ち取っていくまでの、彼女の闘いと成長がまぶしくて読み甲斐があります。個人的には侍女として宮廷に潜入し、エリサを誘拐する美女のコスメ、エリサを愛する、優しい大型犬のような若者のウンベルトがお気に入りかなあ。この物語は三部作で、次々翻訳されるみたいです。早く続きが読みたいなあ。

天山の巫女ソニン 江南外伝 海竜の子 菅野雪虫 講談社

大好きなこのシリーズの外伝を読めるのはとっても嬉しい。しかも主人公は男前の花王子、クワンです。彼が華やかな見かけの中に抱えているものが深く掘り下げられていて、ファンにはとても嬉しい一冊です。「人の90%は目に見えない。 人間というものはもっと見えているつもりなのかもしれないけれど、 10%しか見えていないの。」この物語を読みながら、今月の19日に亡くなったカニグズバーグの「ムーンレディの記憶」の一節を思い出しました。

巨山の王女であるイェラの外伝を読んだ時にも思ったのですが、王子や王女に生まれるということは、大きな渦の中に生まれ落ちるようなものなんですよね。権力とか富とか、欲望とか思惑とか、ありとあらゆるものに翻弄される。クワンは、自分の出自も知らないまま、実力者の叔父に守られた少年時代を過ごします。しかし、故郷の湾が毒で汚染されてしまった事件をきっかけに、叔父も母も、故郷も失って、妹と二人きりで放り出されてしまうことになってしまうのです。あまり深くものごとを考えない性質だったクワンには、それが何故だか初めは全くわからない。しかし、慣れない宮廷で苦労し、王妃の命で危険な任務にかり出されているうちに、少しずつ霧が晴れるようにいろんなことが見えてくるのです。叔父が自分を湾の外に出さなかったこと。あまりにも不自然な事件の起こり方と、湾を封鎖するという後処理の厳しさ。その裏に何があるのか。でも、見えたところで、クワンには何も出来ないという現実が襲いかかります。あまりにも大きく複雑に絡み合う権力に、まだ若いクワンとセオは屈服せざるを得ないのです。この物語の中でクワンのたどる苦すぎる道のりは、読み手が生きている「今」を物語の光で照らしだしてくれる力があります。読みながら、私もいろんなことを考えました。

私たちは、王子でも王女でもないけれど、時代や生まれた国の事情に深く織り込まれている存在であることは同じです。その混沌とした営みの中に生きていくことは、いつの時代も簡単なことではありません。いきなり生まれ故郷が封鎖され、放り出されてしまう・・・そのクワンたちの姿は、そのまま明日私たちの身の上にふりかかることかもしれない。あの震災で起こった原発事故も、単なる不幸な事故ではなく―その裏には巨大企業の利権や、危機管理の甘さ、原発推進に励んできた国の政策や、もっとたどれば原爆投下のアメリカの思惑と、複雑な歴史と国の在り方の果てに起こったことです。でも、私も含めて、日本人は、深くその危険を考えることもしなかった。しかも、その危険が露呈してしまった今でも、この国の舵は、また原発推進に大きく切られようとしています。その裏に何があるのか。私たちは、見据えなければならない。クワンとセオが絶望の中から再び歩き出したように。

菅野さんの物語は、いつも自分の目で観察し、目に見えないものを見据えて自分の頭で考えていくことが一つのテーマとして流れています。私たちはちっぽけな存在でしかないけれど。何の権力も持たない、毎日を生活のために必死に働いて生きている、そんな人生だけれど。自分の目で見て、誰かの言うことを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考えること。皆が一斉に「そうだ」ということが、ほんとうに正しいのかをしっかり見据えること。そんな「個」が声をあげていくことが、地味だけれども危険な一元化に流れていこうとするものを押しとどめる唯一の力であるような気がします。・・・何て偉そうなことを言いながら、職場の「?」なこともなかなか変えられなかったりする微力すぎる自分でもあったりするんですが。ほんと、うろうろしてるありんこみたいだなーと、しみじみ思う(汗)でも、どんなに絶望しても妹のリアンを守り通したクワンのように。果てしなく困難な道と知りながら、クワンを王にするべく歩き出したセオのように。自分の大切なものを守り、自分の頭で考えることを死ぬまでやめないでおきたいと思います。

これからの時代は、グローバル、などという国家をも超えた新しい理不尽が荒れ狂う時代になるような予感がします。その中で、物語が問いかけるもの、たった一つの命が語る心の声は、ますます大切になるんじゃないかと思うのです。菅野さんの物語が語りかける声をもっと聞きたい。また、ソニンのシリーズを一から読みたくなりました。昨日届いた本2冊も、まだ封を開けていないのに、どうしたらええのん・・・(知らんがな!)

2013年2月刊行

講談社

霧の王 ズザンネ・ゲルドム 遠山明子 東京創元社

設定がとても面白いファンタジーなのですが、その設定ゆえに、主人公たちの心の中まで霧の中になってしまい、最後まで共感がもたらす心の震えを感じることが出来なかったのが残念です。

物語は、大きなお屋敷の下働きの少女サリーが、図書室で本を閉じるシーンから始まります。お屋敷はクモの巣のような廊下と、幾つあるのかわからない部屋と、東西南北にそびえる大きな塔、地下の迷路まである壮大なもの。サリーはそこから出たことがありません。いきなり夜の晩さん会にかり出されたサリーは、そこで客の何人かが死んでいく恐ろしい光景を見ます。どうやら、このお屋敷は普通の世界にあるのではないらしい。館の中の人は何度死んでも生き返り、図書室の仲良しの司書は梟だし、庭園にいる猫は、サリーに語りかけてくる。どうやらこのお屋敷は、邪悪な霧の王を閉じ込めるための時の止まった空間らしい。そして、サリーは、この世界のゆがみを正す唯一の存在らしい・・・ということが、読み進めるうちに段々とわかってきます。

凝った装丁と、各章の初めに施されている繊細な挿絵。贅沢な調度や料理のあれこれを読む楽しさ。美しい庭や果樹園の描写なども素晴らしくて、印象的なシーンがたくさんあります。RPGのゲームのように、大きな図書室をホームに、壮麗なお屋敷や地下迷路のダンジョンを探検したくなる。どこまで行っても霧の中、というあやかしの世界をさまよう面白さがあります。狼の頭に手を触れてワープしたりする面白い仕掛けもあって、そこがとても魅力的なのですが・・・その霧が、いつまで経っても晴れない。主人公のサリーは、霧の王をこの屋敷に幽閉した猫の女王・サラのもうひとつの姿らしいのです。しかし、サリーはそのサラの記憶を今は失っていて、なぜ自分が霧の王に立ち向かわねばならないのかがわからない。サリーの人格や個性が、設定に引きずられるままに最後まではっきりしません。そして、頭に霧がかかったサリーを導く役のわき役たちも、やはり、いまひとつキャラクターがはっきりせず、皆で右往左往したまま最後まで行ってしまうんですね。だから、ストーリーの中で誰かに感情移入することがしにくいのです。皆、ぼんやりと輪郭がかすんだまま・・・それが設定の在り方ではあるのですが、やはり物語というのは、主人公と一緒に心の旅をするものであると思うのです。そこが弱いというのが非常にもったいない気がしました。そして、これは私の理解力の故かもしれないのですが、この霧の奥にあるはずの、登場人物たちの真の姿が織り上げる物語の在りようも、しっかりと伝わってこない。だから、最後に霧が晴れたときのカタルシスが、あまり無いんですよねえ。右往左往した割には、あっけなく最後の闘い(?)が終わってしまう・・・というか、実質的にサリーはなんにもしてないというのも、感情移入しにくい理由の一つかもしれません。

何やら文句ばかりつけたような文章になってしまいましたが(汗)文章や設定の魅力と、筋運びとのアンバランスさが何やら歯がゆくて、ついあれこれ書いてしまいました。ファンタジーって、難しいもんですねえ。うーん・・・。でも、この作者は最近矢継ぎ早に作品を発表しているらしいので、翻訳されたらぜひ読んでみたいと思っています。いろんな要素がぱん、とツボにはまったら、傑作が生まれるんじゃないか。そう思わせる作者でもあるのです。いろんな意味で気になる一冊でした。

2012年12月刊行

東京創元社

 

夜の写本師 乾石智子 東京創元社

ファンタジーの面白い作品に出合うと、ほんとに嬉しい。子どもの頃のように、ご飯を食べるのもうっとうしくなるぐらい熱中するのが読書の一番の醍醐味です。本の中の世界に飛んでいって、はまり込みすぎて、帰られへんねんけど!みたいな(笑)その中でもファンタジーって、一番遠くに飛んでいけるジャンルです。特にハイ・ファンタジーと呼ばれる、世界観から細かい設定まですべて作り上げるファンタジーは、はまるとほんとに異次元に飛んでいける快感があります。偉大なトールキンの『指輪物語』はもちろんのこと、ル=グウィンの『ゲド戦記』やルイスの『ナルニア国物語』のシリーズなんかが一番の有名どころですが、どうもこのファンタジーという分野においては、特に欧米のものは最近粗製乱造の気配があって、げんなりしてしまうことが多々あるんですよね。・・・そう、CGで作ればファンタジーでしょ、みたいな認識のハリウッド映画みたいな作品が多すぎる。(おお、偉そうな発言・・・)少々行き詰まり感があるんですよね。キリスト教史観の縛りって、結構強いものがあるのかもとも思いますが。

その点、上橋菜穂子さんの『守り人』のシリーズや、小野不由美さんの『十二国記』のシリーズなどは、民俗学的な視点を得た、新しいファンタジーの可能性を切り開いておられると思うのです。(そう言えば、ル=グウィンも民俗学者の両親をお持ちですよね)菅野雪虫さんの『天山の巫女ソニン』や、濱野京子さんも、意欲的な作品を次々と刊行なさっています。日本のファンタジーは、いいぞ!というのがこのところの実感なのです・・・って、なんでこんなに前置きが長くなるんだろう(汗)で、要は、この『夜の写本師』は、いいぞ!ということが言いたいわけです。

右手に月石、左手に黒曜石、口のなかに真珠と、三つの品を持って生れてきた少年・カリュドウ。女魔道師であるエイリャに育てられた彼は、才能の豊かな少年だった。しかし、ある日、エイリャと幼馴染の少女フィンは、当代随一の大魔道師・アンジストに惨殺されてしまう。その光景を目の当たりにしたカリュドウは、全身を憤怒の炎に焼かれ、復讐を誓う・・・。

ガンディール呪法、ウィダチスの魔法、ギデスディンの魔法、と細かく体系づけられた魔法の数々を横糸に、アンジストと彼に殺された3人の魔女の運命が紡がれ、カリュドウの運命と繋がっていく。カリュドウの物語の間に過去の魔女たちの物語が挟まって、とても複雑な構成になっているにも関わらず、読み手を混乱させずに物語に引き込んでいく力があります。魔術に対して、「写本」という行為、言葉が持つ力を根幹にした営みを配したことも面白い。本というものに年がら年中取り憑かれている本読みにとって、これほど実感できる力は無いと思われます。

そして、これはファンタジーのみならず全ての文学に言えることなのかもしれませんが、人間の暗黒面、呪いや恨みや憎しみというものを見据えて掘り下げていく意思があることもこのファンタジーに深みを与えています。これは、何百年も続く恨みと復讐の螺旋が、膨大な命を飲み込んでいく物語です。でも、長い長い戦いの原点は、ある一人の男の愛の欠落から始まるのです。一人の男の負のエネルギーがどれだけの人を巻き込んで翻弄していくのか・・・その大きさをこの本は物語ります。先日もグアムで恐ろしい事件がありました。たった一人の男が自分の満たされない思いで振り回した刃物が、他人の大切な命を奪ったとき、どれだけの悲しみと苦しみを生み出すことか。しかも、それは、他人事ではなく、いつ、だれの身に起こるかしれないことです。明日、私の身にも降りかかるかもしれない。また、誰かを深く傷つけてしまうかもしれない。人は常にそういう存在なのです。私たちは間違いを犯す。間違いを犯すまいとして、また新たな過ちに陥ったりもする。この本からは、その人間を見据えて描き切る覚悟というか、強い意志を感じるのです。魔術という人智を超えた理不尽な力に、「写本」という徹底的に磨き上げた美意識の手仕事で対抗していく。そこに、人が限界の中で、必死にそこを超えてゆかんとする可能性を感じるのが、心惹かれるところです。そして、この復讐の結末が、またいいんですよ。ネタばれになるから書きませんが、一言だけ。・・・『愛』なんですね。いやあ、照れます・・・って、あんたが照れてどうするって感じですが、そう、『愛』なんです。そこが、またいい。優れたファンタジーは人生を語ります。私たちが忘れてしまった生き物としての根源的な力や暗黒の暗闇、それを凌駕する命の輝き、つまり魂の記憶を呼び覚ますような力があると思うのです。苦しみに満ちた復讐の物語ですが、最後の最後に呼び覚まされた記憶に、全てが浄化されていくようなカタルシスを感じました。

解説の井辻朱美さんもおっしゃるように、この物語にはゲド戦記は言わずもがなですが、『蟲師』や『百鬼夜行抄』、『夏目友人帳』といった日本の大好きな漫画の影響もそこはかとなく感じられて、漫画フリークとしても心ざわめく楽しさがありますね。漫画は、この国にだけ繁栄している独特の豊穣な文化だと思います。これから、その文化を土台にした新しい文学が生まれるかも・・・なんて思うのも楽しい。このシリーズにはあと2冊、『魔導師の月』と『太陽の石』があるんですよね。楽しみです。

2011年4月刊行

東京創元社