ネルソン・マンデラ カディール・ネルソン作・絵 さくまゆみこ訳 鈴木出版

先日紹介した『やくそく』と同じく、さくまゆみこさんが翻訳されています。アパルトヘイトという人種差別政策と闘い、南アフリカの大統領になったネルソン・マンデラ氏の大型伝記絵本です。この表紙のインパクトの強さといったら!留置場での長い年月を耐え抜き、世界中の人々の尊敬を集めた、素晴らしい「人間の顔」です。この顔を見つめていると、彼が持ち続けた人としての貴さが伝わってきます。

差別と闘う、というのはこれはもう並大抵のことではないです。今、『九月、東京の路上で』(加藤直樹著 ころから)という本を読んでいます。関東大震災のときに何千人もの朝鮮人の人たちが殺されてしまったときの記録なのですが、これを読むと差別心というのは人の心の中に巣くう弱さや恐怖心と分かちがたく結びついているということがわかります。だからこそ、それが発露されるときは暴力性も伴うし、有無を言わせない理不尽さで人の尊厳を踏みにじる。人を虐げるということは、加害者と被害者の心に、同時に恐怖という闇を育てるのです。しかし、さくまゆみこさんが後書きで述べられているように、マンデラ氏は、自分が受けた差別という恐怖に対して、恨みではなく融和で対峙していったのです。ノーベル平和賞をはじめとしたマンデラ氏への評価は、その越えがたいところを越えた彼の大きさへの敬意であり、越えがたさの中で悪戦苦闘を続ける泥沼の中に咲く一筋の希望であるのかもしれません。

この本には、南アフリカという国が置かれていた状況や、その中でマンデラ氏がどのように生き抜き、人々の希望となっていったのかが、簡潔にわかりやすく描かれています。そして何より、マンデラ氏が、英雄ではなく、一人の人間として誠実に生き抜いたことが書かれているのです。彼は誰にも成し遂げられなかったことをしたのではなく、自分の為すべきことを常に見据えて、苦しみに負けずに果たしきった。その身近さと非凡さが同時に伝わってくるのが素晴らしいと思うのです。関東大震災のときに吹き荒れたジェノサイドの嵐の中で、朝鮮人の人たちを守り切った人たちは、常日頃から、ごく普通に彼らと人間同士のつきあいをした人たちでした。人間を、たった一人の顔と名前のある存在として見るのではなく、「○○人」という顔の見えない記号でひとくくりにしてしまうことは、非常に危険なことなのです。私は、物語の力こそが、その危険を救うものであると思っています。物語は、常に「たった一人」の心に寄り添うものだから。すべての壁を乗り越えて心を繋ぐ力があると信じているのです。

南アフリカは日本から遠く、子どもたちにとってもあまり馴染みのない国かもしれません。しかし、アパルトヘイトにも繋がる、人種や民族への差別の問題は、間違いなく今の日本にも重くわだかまっています。だからこそ、ネルソン・マンデラ氏の、一人の人間としての生き方、この力強い顔を持つ「個」としての彼の存在がきちんと描かれている絵本を、たくさんの子どもたちに読んで貰いたい。そう思います。

2014年2月刊行

鈴木出版

 

やくそく ニコラ・デイビス文 ローラ・カーリン絵 さくまゆみこ訳 BL出版

スリやかっぱらいをして生きていた女の子が、ある日おばあさんからカバンをひったくろうとする。その中には、緑のどんぐりがたくさん入っていた。おばあさんの「おまえさんにやるよ。これを植えるってやくそくするんならね」という言葉どおり、女の子は次々にどんぐりを植えていく。すると、すさみきった街に緑が生まれ、人々の心が色づいて鳥たちが帰ってくるのだ。女の子は、どんどん違う街にどんぐりを植えていく・・・。

とてもシンプルなテキストなのだが、深みのある素晴らしい絵と溶け合って、読み手に新鮮な言葉として届くように考え抜かれている。どんぐりは、どんぐりなのかもしれないし、目に見えない大切なものの寓意ともとれる。女の子が初めてどんぐりの詰まったカバンを手に入れて眠った夜の枕辺の絵が素晴らしいのだ。色とりどりの小鳥たちが集まって、慈しむかのように孤独な女の子を見つめている。緑の葉っぱや、小鳥の声。小さな小さな命を慈しむことは、実は慈しまれることなのだとこの絵を見て思う。

うちにはけっこう大きな庭がある。まあ、大きいといってもたかが知れているのだが、長年暮らしているうちに、様々な草花が植わっている。しかし、ここ10年くらい、私はこの庭をほったらかしにしてきた。手入れをしなくちゃ、と思えば思うほど身体は動かず、月桂樹にはカイガラムシが付き、君子蘭は鉢から溢れそうになり、枯れるものは枯れて、生命力の強い花だけがやたらに咲き誇る、荒れ果てた野原のような場所になっていた。ところが、ふと出来心で買った、たった一株のパンジーが、この春とても美しく咲いてくれて、彼女と毎日話をするうちに、私は何となくまた庭に出る時間が多くなった。月桂樹を剪定して、君子蘭の絡んだ根を分けて植え替えもした。雑草を丁寧に抜いていると、それこそ10年以上前に撒いたカモミールの芽が出ていることに気がついた。手を入れて話しかけると、花や木は気持ち良さげに風に吹かれて、優しい顔を見せる。

「人の気持ちが変わることを、わたしはもう知っていたから」

自分のカバンを次の命に受け渡していくとき、女の子はこうつぶやく。壊れて失ったと思うものも、実は形を変えて自分の中に緑の芽のように生きているのかもしれない。こんな年齢でもそう思えるときが巡ってくるのだから、伸びようとする力に溢れている子どもたちなら尚更だ。小さな緑は、大きな樹となって、今度はたくさんの人の心を包んでいく。その力が、小さなひとりの人間にもちゃんと備わっていることが、素直に伝わってくる。何度でもやり直そうとしていいんだよ、何度でも手を繋ごうとしていいんだよ、と静かに語りかけるとても素敵な絵本だと思う。さくまゆみこさんは、こういう高学年から中学生向けの、力のある絵本をたくさん訳されていて、選書のセンスが素晴らしい。絵にとても力があるので、多人数を対象にした高学年の読み聞かせにも良いのでは。

2014年2月刊行

BL出版