今号の『飛ぶ教室』は、【44人の「わたしの一冊」】という特集。本好きには堪えられない。メモメモ片手に、読みふけってしまう。「わたしが出会ったこの一冊、わたしを作ったこの一冊」というテーマで、44人の方々が自分を変えた一冊を語っておられるのだ。本に深く関わる生き方をしている人の「一冊」への想いは深く濃く、それぞれの出逢いの熱さに、こっちも感染してしまいそうになる。
例えば、いしいしんじさんの「大人以上の大人の、本以上の本」の長新太さんへの想い。私も、こんな風に長さんを語りたかった。あの大きくて突き抜けていて、長さんの絵を見ているだけで、どこまでも世界が広がっていくようなあの感じ。長さんが書いた本たちがなかったら・・・という想像は、マンガ界に萩尾望都さんがいなかったら、と思うくらいの欠落感を伴う。巨人だよねえ、と思うんだが、その大きさをこんなに肉体的な感動で書けるのはさすがにいしいさんだと心から感嘆した。
江國香織さんの、もはや自分とうさこちゃん(ブルーナです)の区別がつかないほどの混然一体ぶりも凄いし魚住直子さんの『ムーミン谷の冬』への共感の仕方にも、感じるところがあった。ムーミンのシリーズはどれも大好きなのだけれど、『ムーミン谷の冬』は、私にとっては別格なのだ。それは、夜の中で自分だけ起きているという孤独への親和感なのかもしれないと、魚住さんの文章を読んで思ったことだった。植田真さんの、「日常の景色を変える鍵」という、ホームズ作品に出逢った夏の想い出は、コナン・ドイルの本の魔法に強烈に囚われていた小学生の頃にタイムスリップさせてくれたし。ここには、44人の、本と出逢ってしまった人の幸せがぎゅっと詰まっている。うん。やっぱり、本と出逢うのは幸せなことだ。
新人短編共作では、庭野雫さんの『母のワンピース』と、くぼひできさんの『俺を殺す方法』が印象的だった。『母のワンピース』は、母とのささやかな行き違いが、痛みのままに残ってしまった女の子の気持ちが、とても伝わってきた。母が生きていれば、そのうち笑いごとになってしまったかもしれないことが、少女には後悔となって残っている。でも、手作りのワンピースという温もりを感じ、そこに母の想いを感じることが、少女を少し大人にする。共感する、そこにいない人の心を理解しようと伸ばす手が、心を結んでいくのだということがさり気ないメッセージとして書かれているように思えた。『俺を殺す方法』は、なかなかショッキングな物語だった。母親の自殺未遂を目撃してしまった少年の話だ。語り手は、主人公の秀一の中に住む「俺」。日常の中でいきなり両親とものっぺらぼうになってしまうような秀一の疎外感が、「俺」に語らせることで浮かび上がっている。あまりにもショッキングなことが起こると、人は記憶を途切れさせて自分を守ろうとする。でも、本当は忘れられるはずなどない。心の奥深くにしまいこんでいるだけ・・・ややもするとぽっかり浮かびあがろうとする不安や恐怖の在りかを考えさせる作品になっている。これは、けっこう挑戦的な試みかもしれないけれど、私は、子どもというのは、心の奥底に恐怖という箱を持っているように思う。怖いけれど、怖ろしいけれど、時々そこをあけて見ずにはいられない、箱。この短編も、その箱に転がっていることの一つのような気がするのだ。家庭の崩壊というのは、子どもにとって一番の恐怖だ。その恐怖の手触りを、ざらりと乾いた筆致で書いてあることに惹かれた。知らなくていいことなのかもしれない。でも、物語という方法で、自分の、もしくは他者の未知の領域を知るのも、私は子どもの物語のひとつの営みだと思う。
「books」には、加藤純子さんによる朽木祥さんの『八月の光』の評が載っていた。三つの短編の有機的な繋がりを「記憶」を鍵として述べてらっしゃる文章に、自分のレビューに欠けていたものを見つけてはっとした。そう、こういうことだったんだなあ・・。さすがだ。
最後に、自分の「わたしの一冊」を考えてみた。子どもの頃の一冊なら・・・『小公女』だと思う。今でも時々読み返すくらいの一冊だ。なんでこんなに惹かれるのか、ということに、先日高楼方子さんの新訳を読んで気がついた。セーラは、どんな境遇にいても変わらない。ちやほや甘やかされても、どん底の暮らしの中でも、彼女はいつでも自分自身で在り続ける。その気概と誇り高さが、私は好きだったのだ。どこにいても、自分を物語の主人公になぞらえてしまうことで現実から距離を置いて自分を見つめる。そんな生き方を、私は知らず知らずにセーラに教えてもらったように思う。そして、大人になってからの一冊は、朽木祥さんの『かはたれ』だ。目に見えないものを感じること。耳に聞こえない美しい音楽を聞こうとする心。それこそが、この人生を生き切るための光であることを、大人になって新鮮な眼を失いかけた私に教えてくれた一冊。河童の八寸は、出会った日から、ずっと私の中に棲んでいる。やはり、折に触れて読み返す、中年になってからの私の原点なのだ。