ティンはベトナムの高地に住むラーデ族の象使いの少年だ。学校に行くのももったいないと思うほど大好きな象のそばにいたいティンは、将来立派な象使いになりたいと思っている。ところが、ベトナムからアメリカが撤退して二年後、かってアメリカ特殊部隊に協力した彼らの一族は、北ベトナムの攻撃を受けるようになってしまった。ティンの村にも危険が迫り、ある日いきなりの総攻撃を受けてしまうのだ。
大好きな象のことで頭がいっぱいの少年・ティンの日常があっという間に崩れ去るのが胸に痛くて、頁をめくるのがとても辛かった。私の幼い頃、まだベトナムは戦時下にあった。テレビのニュースでも度々見たのを覚えている。戦争は恐ろしいと思い、ニュースを見るたびに心が痛んだけれども、私にとってはどこか遠いところでやっている他人事の戦争だった。子どもというのは、とにかく自分のことでいっぱいいっぱいなもの。そして、どこかで大人たちがやっている戦争と自分は無関係だと思っていた。この物語のティンだって、そういう子どもの一人なのだ。なぜ、大人が始めた戦争のために、自分がこんな目にあわねばならないのか、わからない。しかし、子どもだからといって、戦争と無関係では決していられない。それどころか、まず一番に殺され、傷つけられるのは子どもたちなのだ。わけもわからぬままに、いきなり生死を分ける決断を次々と迫られるティンの慄きと恐怖が痛いほど伝わってくる。子どもが子どもでいられなくなる、それが戦争なのだ。しかも、突然の襲撃で、村人たちの半分近くが殺されてしまう極限状況は、ティンが信じていた世界を何もかも狂わせてしまう。
突然の殺戮は、村人たちを守っていた精霊の存在も吹き飛ばしてしまう。ということは、長い時の中で培ってきた土地との結びつきも無くなってしまうということなのだ。そして、一緒に暮らしてきた人たちとの絆も。辛くも兵士たちのところから逃げ出したティンは、ジャングルを仲間の象使いの少年たちと彷徨うのだけれど、極限状況の中でずっと親友でいたユエンや、象使いの先輩であるトマスとの仲も壊れていく。ティンの父は、優れたトラッキング(敵の足跡をたどること)の才能を持っていたので、何度かアメリカの兵士を案内したことがあった。ティンも、その手伝いをしたことがあったのだ。ユエンもトマスも、今のこの状況は、アメリカに協力した人間が招いたのだとティンを責める。苦しいとき、辛いとき、人はそれを誰かのせいにしてしまいたくなるものだ。責める二人にティンは反発し、ますます溝は深くなる。しかも、逃げ道のない状況は、大人たちも狂わせる。あんなに考え深かった父さんが、負けしか見えない戦いに突き進もうとしているのだから。
「ときどき、考えもしないうちに、一線を越えてしまうことがある。そして線の向こうにいってから、望んでもない状況に踏みこんでしまたことを知る。わかるか?わたしは、戦うという決断はしなかった。線を越えるという決断をしただけだ。」
なぜ戦うのかというティンの問いに答える、この父さんのセリフが胸に刺さる。戦争になるのか、ならないのかを分けるのは、こういう〈考えもしないうちに、踏み越えてしまう一線〉なのだろう。例えば、アメリカがベトナムに介入したときも。日本が軍国主義に染まってしまったときも。ドイツがヒットラーに政権を明け渡してしまったときも。きっとその前に踏み越えてしまった一線があったはず。私たちは、まだ踏み越えずにいるんだろうか。そうではないと、確証を持って言えないのが、また怖い。
でも、何もかも変ってしまった中で、唯一変わらないものがある。それが、象たちだ。象たちだけは、自分を可愛がってくれる少年たちを最後まで信じてついてくる。ジャングルの中で象たちが見せる表情の、なんて優しく穏やかなこと。佇まいの高潔なこと。深い絆で結ばれている賢い自分の象・レディと再会したティンは、どんなに嬉しかったことか。レディと、彼女が生んだ子象のムトゥ(星という意味)は、ティンの幸せそのもの。母子の象とティンが過ごすジャングルでのひとときは、それはそれは美しくて、読んでいて涙が出てしまう。彼らの幸せがつかの間だとわかっているから余計に切ない。でも、その喜びが、ティンにどうすればいいかを教えてくれるのだ。憎しみや悲しみではなく、愛情が、ティンに生きる道を指し示してくれる。苦しむティンの心の中から最後に生まれる微かな光が、とても胸に沁み渡るのだった。
シンシア・カドハタさんの文章は簡潔で、なおかつ抑制された文章から静かに滲みだしてくる詩情がある。風景が、心を持って語りかけてくるようだ。ティンたちが迷い込む果てしないジャングルが、苦しみ惑う彼らの心象風景と重なって、読み手に戦いの中で踏みつぶされていくたった一つの人生について問い続ける。もう大人の私は、戦争が地球上のどこで行われていようとも、自分と無関係で無いことを知っている。そして、今でもいろんな理由で戦争したがっている人たちがたくさんいることも知っている。だけど、私にその一線が見えるだろうか?自分も、無関心という罪を持って、うっかりそこをまたいでしまうのではないだろうか?そう思うと、とても恐ろしい。この物語を読んだ若い人たちが、その一線について、大きなものに流されようとするときに、私たちを呼び戻す象たちの声について、何かを感じとってくれたら嬉しい。私も、この物語を忘れまいと深く思う。
2013年5月刊行
作品社