図工準備室の窓から 窓をあければ子どもたちがいた 岡田淳 偕成社

昨日、この本を神戸からの帰りの電車の中で、待ち切れずに読んでしまったんです。いやー、失敗でした。もうね、面白すぎて、楽しくて、うふうふと声が漏れてしまうのです。あまりにツボにはまって、爆笑したくなるのを必死でこらえ、でも読むのをやめられなくて目を白黒してる私は、相当ヘンな人だったと思われます(笑)トンビのトンちゃんのくだりや、川を飛び越えられんで落っこちたお話、トイレのよこに図工準備室があるのをええことに、肝試しにきた子どもたちを脅かしてるところ・・・「さんばんめーのーはーなこさーん」「は~~~い」・・・もう、帰宅後再読して、転がりまわるくらい笑いました。「先生、何してんねんな!」ってツッコミながら。

そう、この本を読んでいる間、私はすっかり岡田先生に図工を教えてもらってる小学生みたいな気分でした。私、小学生のときは図工が大好きだったんです。でも、段々人と自分の作品を比べるようになって、あんまり好きじゃなくなってしまった。ほんまに勿体なかったなあ・・と、この本を読んで思ってしまった。岡田さんは、ずっと小学校で図工を教えてらして、その想い出がこの本にはぎっしり詰まっています。それがもう、楽しいのなんの。岡田先生は、図工準備室をうす暗くして、大きな枝やら不思議なオブジェ、雑然といろんなものを詰め込んで、ワンダーランドみたいにしてしまう。しかも、「先生のゆるしなく、じゅんびしつにはいったら、おしりペンペンです」などと書いた紙を張る。思わず裏返すと「うらがえしたひとはもういっぱつおしりペンです」と書いてあって「つぎのやつをひっかけるから、もとのむきにもどしておくこと」なんて、書いてある。ひゃ~!もう、こんな図工準備室に、行かずにおられようか、ってなもんです。そして、岡田先生の授業の楽しそうなこと!あー、これやりたかった!(今でもやってみたい)と思うことばっかり。それだけやなくて、岡田先生はいろんなことを子どもたちに働きかけます。演劇部をつくったり、お昼休みの放送のDJをして、そこで自作の短編を朗読してしまう。その短編は、今、自分が通ってる小学校が舞台なんです。ああ!なんて幸せなこどもたち。だって、その物語は、「今」の自分たちと一緒にあるワンダーランド、現在進行形の物語なんですよ。それは、不思議と一緒に生きること。子どもたちは、どんなにドキドキして放送を聞いたやろう。これこそ、エブリディマジックの魔法です。

岡田先生が図工の授業で目指してはったのは三つ。

わくわくどきどきしながら、
①絵をかくことが好きになること
②ぼくはやったぞ、と思えること
③あの子やるなあ、と思えること

ああ・・これに尽きるなあ。なんかもう、これがすべてやなって。そう思います。生きる喜びが、ここにはぎゅっと詰まっています。「図工は、いつの日か豊かな人生を送れるために、ではなく、今を豊かに生きる実学であったのだ」(本分より)私たち大人は、子どもたちに「先々のために勉強しなさい」と言う。でも、その「先」って、どこにあるんやろう。高校受験のため。大学受験のため。就職のため。スキルアップのため・・いつまで行っても「先」ばかり見なければならない人生って、しんどくない?って、思うんですよ。子どもたちの気分を支配している行き詰まり感って、そこにあるんじゃないのか。そう思います。岡田先生のような発想の先生が教育現場にいはって、子どもたちに「先生、はよ図工しよ」と言われる授業をしはることは、どんなに大切なことか。

昨日「しあわせなふくろう」さんで、この本にサインをして頂きました。その時に岡田淳さんがイラストも一緒に書いて下さったんです。私が『夜の小学校で』の最後の物語、『図書室』がとても好きだと言うのを聞きながら書いてくださったのは、人が軽く腰に手をあてて佇むシルエット。私は単純に「うわあ、素敵だ」と喜んで「ありがとうございます」と脳天気に抱きしめて帰りました。そして、この本をずーっと読んでいって。その『図書室』の話が出てきました。そこに書いてあった「本」に対する思を書いた一節に、私は撃ち抜かれてしまったんです。「世界はやっていける、人生は生きるに値する、ひとは信頼できるという感覚を、ドリトル先生の台所は育ててくれたのではないか」そう!これやん!って。私が幼いころに物語からもらったもののこれやった。そして、これからを生きる子どもたちに必要なんは、やっぱりこれやんな、って。もう、まっすぐ胸の真ん中に落ちました。岡田さんの作品の根底にあるのもこれで、だから、私はいっつも岡田さんの物語に勇気と優しさをもらうんやな、って。そう思って頁をめくったら・・・その言葉の裏に、私がサインしてもらった人のシルエットの絵が出てきたんです。うわあ!とびっくりしました。岡田先生にやられてしまった。もしかして・・私の一言を聞いて、岡田先生はこの絵を書いてくれはったんかも!そう思ったら、ドキドキして、嬉しくて、何だか泣けてしまった…。岡田先生のマジックに、笑って泣いて、感動して。すごく大切な宝物を頂きました。

この本には、阪神淡路大震災の話も出てきます。神戸に生きる人たちは、みんなこの記憶を抱えています。岡田先生も、きっときっと大変な思いをされたに違いない。でも、岡田先生は、悲しい話、つらい話ではなく、「それ以外の話をしよう」と心に決めたらしいのです。kikoさんもそうなんですが、神戸の人にはこういうところがあるなあと思います。優しいんです。悲しみも辛さも、お互いの中にあることを受け止めながら、「生きてるうちは、笑っとこや」て労わりあうような。美しいもの、美味しいものが大好きで、今を一生懸命生きてる。そんな強さと優しさ。『願いのかなうまがり角』(偕成社)に出てきた、震災でつぶれてしまったまがり角の話を思い出しました。大きな悲しみを知っている人ほど、人に優しい。身内に教育関係が多い私は、学校という場所の大変さについてもよく聞きます。それはそれは、いろんなことがあったに違いない。でも、こんなふうに学校生活の想い出を書き、愛情の溢れる本にされた岡田先生の想いに、たくさん幸せを頂いて、大切なことを教えて頂きました。岡田先生、素敵なサインとイラストを、本当にありがとうございました。大切にします。

2012年9月刊行
偕成社