祖母の手帖 ミレーナ・アグス 中嶋浩郎訳 新潮クレストブックス

最後にどんでん返しがある本というのは、レビューが書きにくい。そこがキモなのに、ネタばれになってしまうと思うと、やっぱり伏せとかなきゃ、と思いますもんね。この本もそうで、最後の2頁ほどに、「えっ!」と思わせる仕掛けがあります。仕掛け・・・と言っていいのかどうか。もしかしたらそれは、私たちが誰しも心に秘めている自分だけの物語のあり方そのものなのかもしれないなとも思います。

娘の頃から、まだ見ぬ恋に憧れ続けていた「祖母」は、親の勧めで祖父と結婚するが、夫を愛せないままだった。1950年の秋、結石の治療で湯治に出かけた祖母は、そこで運命の恋人である帰還兵と出会う。つかの間の激しい恋に身を焦がしたあと帰郷した祖母は、初めての男の子を出産する。家庭は何不自由なく営まれていくが、祖母はいつまでも帰還兵のことが忘れられない。何度も繰り返し祖母に帰還兵のことを聞いていた「私」は、祖母の死後に一冊の手帖を発見する・・・。この物語の語り手は、孫娘の「私」です。

全編を通じて、心と体の皮膚感覚に訴えてくる物語です。ストレートに言うと、とってもイタくて痛いのです。まだ見ぬステキな愛を待つ祖母の期待っぷりはイタタだし、その祖母を打ちすえる曾祖母の鞭はじんじんと肌に応えるます。結婚してからの針を踏むようなセックスレスの日々も、それが一転して娼婦のような性生活を受け入れるくだりも、とっても痛い。彼女がいつも体の中に持っている石は、蝶の幼虫が、まだ見ぬ美しい羽を思って作り出す繭のようなものかもしれない。叶えられない夢、この世界のどこかに、自分の運命の人がいるのではないかと思う、人に聞かれたら顔から火が出るほどハズカシイ願望の塊。でも、その痛みの中には、いつもひっそりと、快楽の甘やかさが潜んでいる。女という性が運命のように持っている痛みと快楽いうものを、こんなに傷ましく典雅に書き記した物語は珍しいかもしれないと思います。

そう、女って常に痛い。生理痛に頭痛、腰痛なんてのは女の常だし。思春期になると膨らみだした胸がやたらに痛むし、子どもを産むのはもちろん、閉経だって痛い。性に必ず痛みがついて回るのです。だから、この祖母の痛みは他人事ではなく、そのまま自分の体と繋がるもの。その女が、痛みを抱えながら、なおかつ「愛」という口はばったいものに繋がれてしまうイタタな部分を持っているというのは、何故なんでしょう。―心と体の奥底に持つ柔らかに密やかな、目の前に取り出せばあまりに剥き出しすぎて踏みにじらずにはいられないような、悲しみにも似たもの。そこに従ってしまうと、社会的な「死」が待っている。思えば、ボヴァリー夫人も、アンナ・カレーニナも、そんな痛みと快楽にに振り回された女たちでした。彼女たちは、みんな愛を手にいれるのと引き換えに破滅して死んでいったのです。この物語にも、たった一度の運命の愛を手に入れたあとを、ずっと不遇のままに生きた女性が描かれています。それはこの物語の語り手である「私」のもう一人の祖母。彼女は富裕階級の出身ですが、若い頃のたった一度の恋で勘当され、一生を働きづめに働いてたった一人で子どもを育てて死んでいくのです。でも、「祖母」は、たった一度の激しい恋をしたのに、ひと世代前の彼女たちのように破滅もしなければ、結婚生活を失いもしなかった。それは何故か・・という答えが、最後の最後に用意されているのです。

えっ、そうだったの・・・と確かにびっくりするのですが、そうか、やったね!とにんまりほくそ笑むというか。フィクション、つまり物語というものを自分の中に取り込み、生み出していく力を女が得たことの、これは可能性の物語でもあると、私は最後まで読んで思ったのです。だから、これは祖母の次の世代、「私」が受け継ぐべき物語であるんだな、と。感情を押し殺して生きることが美徳とされた世代に生きた祖母が思い描いた全き愛情の姿は、実は心の自由を手に入れることだったのかもしれない。もし彼女が今の時代に生きていたら、世の女性たちの心震わせる恋愛小説の書き手になっていたかもしれないですよね。じゃあ、あなたはどんな愛を思い描くの?と、祖母は残した手帖から孫娘に問いかけます。愛情というものは、ある意味独りよがりで滑稽なものでもあります。でも、後書きの作者の言葉にもあるように、その滑稽さも誰からも理解されない部分も、物語にすれば私たちは共感をもって迎え入れることが出来る。そして、孤独と悲しみにも居場所を与えることが出来るのです。祖母の痛みを受け継いだ「私」は、一人ひとりの読者なんですね、きっと。

「生まれてからずっと、月の国の人間のようだと言われてっきて、ようやく同じ国の人に出会えたような気がしたし、彼こそ今まで求めつづけていた、人生で一番大切なものだったように思えた」

私も、こんな風に思ったことがあります。恋愛したとき・・・と言いたいですが(笑)うん、まあ、そう思ったことも無きにしもあらずですけど、現実の恋は大概後で苦い思いを突き付けられるもんです(笑)そのもっと昔、居場所がないと思っていた頃に出会った物語の主人公たちと分け合った思いは、ずっと大切なものであり続けています。この物語も、ふとした時に思い出す、忘れられない一冊になりそうです。

2012年11月刊行

新潮クレストブックス