灰色の地平線のかなたに ルータ・セペティス 野沢佳織訳 岩波書店

梨木香歩さんの『エストニア紀行』に、ソ連が行った強制連行のことが書かれていたけれど、この本はそのエストニアと同じバルト三国の中の一つ、リトアニアの少女がソ連の収容所に強制連行されてしまう物語だ。読むのが辛い物語ではあるのだけれど、これは自分と関係ない国の過去の物語ではない。極限の状況の中で最後まで愛情を失わずにいいた家族がたどった道のりを考えるとき、この物語は、私たちのこれからを考える物語として「今」に繋がるのだと思う。

大学教授の父と美貌で優しい母、可愛い弟のいる15歳の少女リアは、家庭にも絵の才能に恵まれて何不足ない生活を送っていた。ところが、ある日いきなり踏み込んできたソ連の秘密警察に連行され、父親と引き離され、母と弟とともに気が遠くなるほど長く辛い貨物列車での旅の果てに強制収容所に送られてしまう。連行される直前に出産し、そのまま列車に乗せられてしまう若い母と赤ちゃんの話はとても辛い。そこで待ち構えていたのは、過酷な飢えと寒さと強制労働。このシベリアの収容所の悲惨さというのは、同じくシベリアに8年間収監されていた石原吉郎の手記にも詳しい。「そこは人間が永遠に欠落させられる、というよりは、人間が欠落そのものになって存在を強制される場所」(※)なのだ。特にリアたちがいた頃の、スターリンが死去する間際の収容所の内情というのは陰惨を極めたものだったらしい。リアたちの舐めた苦しみは、作者がシベリアからの生還者やその家族に丹念に話を聞いて書き起こしたもので、フランクルの『夜と霧』を思わせるほどに辛い。初めはとても喉を通らなかったドロドロのわけのわからぬ食べ物を、そのうち争って食べるようになる、知識階級の人たち。・・・私もきっと同じ状況なら必死で食べるようになるんだろう。でも、その度ごとに自分の中で大切にしている美しいものが死んでいくような気持ちになるに違いないと思う。それでもリアのように、彼女の母のエレーナのように誇り高く生きていられるのかと思うと、まったく自信がなくなってしまう。

そう、壊血病にかかってしまうほどの飢えの中でリアと弟のヨーナスが生き延びることが出来たのは、美しく賢い母のエレーナがいたから。彼女は愛の人で、どんなに苦しくとも少しの食べ物をみんなと分け合い、病に倒れた人を看病し、励まし続けた。しかし、鴨長明が『方丈記』の中で「思ひまさりて深きもの、必ず先だちて死しぬ」と言ったように、『夜と霧』でフランクルが「最もよき人々は帰ってこなかった」と述べたようにエレーナは子どもを二人残して死んでしまう。彼女のような精神の美しさは、虐げようとするものにとっては一番先に踏みにじるべきもので、そのためにはありとあらゆる努力が行われると言っても過言ではない。しかし、どんなに踏みつけにされ、汚されても、一番強く人々の中に生き続け、灯り続けるのもまたその美しさだと思う・・・これは綺麗ごとでなく、そう思うのだ。私はそうはなれないかもしれない。しかし、この世界にはエレーナのように美しい人はちゃんと存在する。(これはまた別のレビューに書くが、今日読んだ宮崎かづゑさんの『長い道』を読んでそれをまた確信した)そのかけがえのない美しさをこの物語の中で強く書ききったことを、私はとても大切だと思う。極限とも言える収容所生活のなかで、リナが紡ぐほのかな恋や、人々が祝うクリスマスの夜もまた、そんな美しさの一つだ。

また、リアは収容所の中の様子や苦しむ人々の姿を得意な絵で刻み続ける。命の危険と隣り合わせの行為を何度たしなめられても、それだけはやめることが出来ない。それは、家族も将来の夢もすべてを奪われたリナのたった一つの生きている証だったのだ。15歳というのは、一番お腹も空き、自意識もピリピリと過剰な時だ。誇り高く教育された少女らしい潔癖さと感受性は彼女を苦しめるけれど、それがまたリアを支えて生かしているのだとも思うのだ。そして、このリアが燃やし続ける「伝えたい」という思いと祖国への愛情は、苦しい時代を生き延びたリトアニアの人々の心のうちに燃え続けたものでもあるのだと思う。私はこの物語を読みながら、『エストニア紀行』で梨木さんが翻訳されていた、エストニアの国歌を思い出していた。リトアニアが独立を回復したのは1990年。私の感覚からいうと、ついこの間のことなのだ。この物語では、母のエレーナが死んだあとの物語は語られない。リアとヨーナスはリトアニアに13年後に帰還したらしいが、その後の物語も語られない。しかし、きっと「その後」の物語は今も続いているのだと思う。シベリアにいた石原吉郎は、帰国後にまた一段と辛い苦しみに陥った。辛酸を舐めて帰国した祖国は、彼にとって優しい場所ではなかったのだ。作者のあとがきによると、やはりシベリアからの帰還者には、帰国後も様々な困難が待ち構えていたらしい。このリアたちのような帰還者の言葉がこれからどのように掘り起こされるのかを考えたとき、次世代へのメッセージとしてこの物語が書かれたことは、出発点としてとても大切なことだ。そして、リアの一家が収容所に送られたのは、親戚の一家がドイツに脱出するのを手伝ったためだった。同じように生き延びた人たちは、自分たちの代わりに収容所に送られた人たちのことをどんな風に思いながら過ごしていたことだろう。そう考えると、「生き延びてしまった人たちの苦しみ」も、また今に続いているのではないだろうか。作者であるセペティスさんの父親は、リトアニアからドイツに脱出した人であったらしい。その家族の歴史を思うとき、この物語は、作者自身にとっても書かねばならない一冊であったことだろう。それだけの強さと内容をもった作品だ。この本を大切に訳された野沢佳織さんにも感謝をささげたいと思う。

(※)「望郷と海」石原吉郎 みすず書房

2012年1月刊行

岩波書店