[映画]ドストエフスキーと愛に生きる ヴァデイム・イェンドレイコ監督

翻訳という仕事を、私はとても尊敬している。私は外国文学が大好きだが、それも翻訳して下さる方がおられるからこそ。(今月号の『考える人』も「海外児童文学ふたたび」と題した外国文学特集で、思わず買ってしまった。)信頼できる翻訳家の方の名前が表紙にあると、「これは読まねば!」と嬉しくなるのだ。この作家ならこの方、という名コンビも多々ある。アーサー・ランサムなら神宮輝男さん。今の朝ドラになっている村岡花子さんとモンゴメリ。ミルンと石井桃子さん。・・・もう、書いても書いても書き切れないほど名翻訳がたくさんある、これは非常に幸せなことだが、元を正せば、そもそも日本の近代文学は児童文学も含めて、翻訳を通じて始まったのだ。そう思うと、「翻訳」という仕事は幾世代にもわたって交流していく大きな橋をかけるお仕事に違いないと思う。

この『ドストエフスキーと愛に生きる』というドキュメンタリーは、スヴェトラーナ・ガイヤーというドイツ在住のロシア語翻訳家の暮らしを追ったものだ。84歳の彼女は、ドストエフスキーの翻訳に取り組んでいる。彼女曰く、「五頭の象」、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』『悪霊』『未成年』という、目眩がするほどの大作に、真摯に向き合う日々が描かれる。 翻訳家の作業を、こうして映像で見せて貰うということに、まず感動した。綿密な準備に、細かい読み合わせを人を替えて何度も行う、その労力といったら。翻訳をするということは、原文に忠実であることと、俯瞰した視線で言葉の向こうにあるものを捉える批評家としての作業を同時に進行させていくことなのだ。スヴェトラーナは作中で、文学で書かれたテキストを緻密に織られた生地にたとえているが、翻訳も、オリジナルへの忠実さを横糸に、ありとあらゆる教養と、人生を見つめる深い眼差しを縦糸に織り込んで出来上がるものなのだろうと思う。この映画は、その彼女の縦糸の部分に深く分け入っていく。暖かみのある手仕事の数々で飾られた家。リネンに丁寧にアイロンをかける、折り目正しい生活の美しさもさることながら、私が引きつけられたのは、彼女の過去への旅だった。

スヴェトラーナはウクライナ出身で、父親はスターリンの大粛正による拷問が原因で亡くなっている。その娘であるということは、一生反体制の人間として冷遇されて生きていくことなのだ。ちょうどそのとき、キエフはナチスドイツに占領される。語学に秀でていた彼女は、敵国であるドイツに協力し、ドイツ軍が引き上げていくときに共に出国して奨学金を得て安定した職を得ることになる。父親は15歳の彼女に、収容所での一部始終を語ったのだが、スヴェトラーナは全くその内容を覚えていないらしい。生きるために、幼かった彼女はその記憶を封印してしまったと言う。ドイツはどん底の彼女に手を差し伸べ、救ってくれた。しかし、同時にキエフのユダヤ人を殺害し、ヨーロッパ全土で何十万人という人たちを収容所に送り込んだのだ。彼女の友達もキエフの谷で虐殺されたという。15歳の彼女が、母と二人で懸命に生き抜いていくときに、何があったのか。何を見て、何を感じたのか。過去について、彼女は多くは語らない。しかし、65年間一度も帰らなかった故郷を「月よりも遠いところ」と言う彼女にとって、過去は年老いてますます重く胸に刻まれていたものではないかと思うのだ。それは時間が経ったから消えてしまうような生半可な記憶ではなかっただろうと思う。翻訳という自分の仕事に対する勤勉さについて問われたスヴェトラーナは、「負い目があるのよ」と答えていた。もちろん、それだけで語れてしまうほど簡単なことではないだろう。しかし、晩年になって、ドストエフスキーの新訳に全てを注ぎ込む彼女の記憶と思いを想像すると、粛然とするのだ。キエフの若い人たちに、「自分の心の声をよく聴くこと。もし、それがそのときの常識とかけ離れているとしても」(記憶だけで書いているので、原文そのままではありません。念のため。)と彼女は説いていた。それは、大きな波に飲み込まれようとするときに、自分の心にどんな羅針盤を持つかという意味ではないだろうか。その羅針盤を心に宿すための闘いが、彼女の残したいものなのかもしれない。だから、彼女は取り憑かれたように仕事をせずにはいられない。このドキュメントのさなかに、彼女は最愛の息子を失う。その悲しみも、過去の痛みも、愛情も、誇りも、全てを背負い、厳然と窓辺に座って言葉を選んでいく彼女の姿から、最後まで目が離せなかった。彼女の訳では、『罪と罰』は『罪と贖罪』というタイトルらしい。読んでみたいと心から思う。彼女は87歳で亡くなられたそうだが、きっと最後の最後まで仕事をされたことだろう。ドイツ語のドストエフスキーは一生読めないけれど、私も、「五頭の象」を、もう一度読み直してみたくなった。文学好き、特に外国文学好きな方にはおすすめの映画です。

 

光の井戸 伊津野雄二作品集 芸術新聞社 

あけましておめでとうございます。

2014年の年明けです。どうか穏やかな一年になりますようにと、ほんとうに祈るように思います。今日は地元の氏神さまに初詣に行ってきました。小さなお堂に手を合わせていると、この地に住んで一度も大きな天災に遭ったこともなく、ご近所の方達もいい方ばかりという幸運に恵まれているということに、遅ればせながら気がつきました。25年も住んで今頃気がつくんかいな、という感じですが(汗)こういう小さなことにしっかり心の碇を下ろしておくことが、今とても大切な気がします。

心の碇というと、最近ずっと手元に置いて見ている本があります。伊津野雄二さんの作品集『伊津野雄二作品集 光の井戸』です。手垢でこの美しい本を汚してしまいたくないんですが、つい手が伸びて、頁をめくってしまう。この作品たちから溢れてくる耳に聞こえない音楽に心を澄ませていると、心がしんと落ち着いてくるのです。静かな表情を浮かべて、ゆったりと姿を現す女神のような作品たちに見惚れます。伊津野さんは、美しい彫刻を作ろうとして、これらの作品をお造りになっているのではないと思うんです。海が少しずつ石を刻んでいくように。風が砂に模様を描くように。星がゆっくり軌跡をたどるように。生まれて死んで、命を重ねて紡いでいく時が生み出すかたちに近いもの。日々命の理(ことわり)に耳を澄ますものだけが生み出せる、かたちを超えたかたち。「うた」という、少女の頭部がまるく口を開けて歌っている作品があります。彼女(と言っていいのかどうか)の声は聞こえないんですが、きっとその歌は太古の昔から鳴り響いているに違いないと思う。崇高なんですが、人をひれ伏させる気高さではなく、木や土の暖かさに満ちた慈愛を湛えています。「光の井戸」という言葉が指し示すように、伊津野さんの作品に溢れている光は、天上から射してくるのではなく、私たちの足下にある大地から生まれているように思います。そのせいでしょうか。穏やかに微笑む女性の面影は、どこか懐かしく慕わしい。伊津野さんの作品を見ていると、魂の奥底が共鳴して震えます。その分、時にいろんな負の感情や打算や、大きな流れに押し流されがちになる私の上っ面がよく見えるのです。「美」ということについて、最近特にいろいろ考えているのですが、人間がなぜ「美」を探し続けるのか、それはやはり「美」が太古の昔から私たちを支えるものであり、唯一私たちに残されている可能性そのものだからではないかと思うのです。伊津野さんの作品には、その可能性が溢れています。

かく言う私は見事に俗人で、年賀状の印刷のことで夫と小競り合いはするは、耳が悪いのになかなか補聴器をつけない母に「危ないやんかいさ」と小言をいうは、仕事に行けば、何度も言ったことを間違える同僚に「ええ加減にしてえや」と腹立つは、「明日は特売日やから、牛乳買うのは今日はやめとこ」と10円20円をケチる、そりゃもう、吹けば飛ぶようにちっさな器の人間です。でも、伊津野先生(とうとう先生、と言ってしまった)の作品を見ていると、このちっぽけな私の奥底に、伊津野先生が命を削って形にしておられるものと響き合い、水脈を同じにするものがあることを感じられるのです。それを知覚し、心の碇として自分の芯に鎮ませておくこと。例えば、マイケル・サンデル教授が授業で受講者たちに突きつけるような、正義の名をつけた残酷な二者択一を迫られたときに、この永遠を感じさせる美しさを思い浮かべることができたら。私は少なくともその正義の胡散臭さを感じることは出来るだろうと思うんですよ。

「差異のみがめだつ現代ですが伏流として在る共通のゆたかな水脈に繋がるために、自らの足元を深く掘り下げることが望まれているのではないかと考えています」

これは、伊津野先生自身の後書きの文章の一節です。ちっぽけな自分という目に見える現実に流されないように。「足元を深く掘り下げる」営みとして、今年も本を読み、じっくりと考える一年にしたいと思っています。

皆様にとって実り多い一年になりますように。今年もよろしくお願いいたします。

[映画]ハンナ・アーレント マルガレーテ・フォン・トロッタ監督

特定秘密保護法案が強行採決された。なぜ、そんなに急いであの穴だらけの法案を通さなければならないのか。世論の反対を押し切っての強行採決に非常に不安を覚える。憲法改正の動きといい、中高年御用達の週刊誌が煽り立てている反中韓キャンペーンといい、ここ最近のきな臭さといったらどうだろう。昨年の自民党の圧勝から不安に思っていたのだが、一斉になだれを打って一つの方向になびいていくこの空気が恐ろしい。しかも、こんな風に考える自分はえらくマイノリティであるようなのだ。ずっとのしかかる重いものを抱えている中で、この映画の予告を見て、「これは見にいかねば」と思ったのだが、なんと梅田ガーデンシネマでは珍しい立ち見まで出る混雑ぶりに驚いた。岩波ホールでも連日満員だそうである。嬉しい驚きだった。もしかしたら、私のような不安を抱えている人間は、多数派とはいかぬまでもそこそこいるんじゃないか。どんな非難にも負けずに真実を主張したハンナの姿とともに、少し勇気づけられた午後だった。

ハンナ・アーレントはユダヤ人の高名な哲学家だ。戦時中はユダヤ人の青少年をパレスチナに移住させる仕事をしていた。フランスで国内収容所に収容され、何とか脱出したあとアメリカに亡命し、そこで『全体主義の起源』を書いて名声を獲得する。しかし、1960年にイスラエル軍が逮捕したアイヒマンの裁判を傍聴し、ニューヨーカー誌に連載した『イェルサレムのアイヒマン』が世論の猛反発にあう。何百万人ものユダヤ人を収容所に送り虐殺した稀代の極悪人として裁判にかけられたアイヒマンが、実は何も考えずに言われたまま任務を遂行しただけの凡庸な人間であったこと。そして、当時ナチスに協力したユダヤ人の指導者達がいたことを指摘したためであった。彼女はそのために長年の友人を失い、孤独の中に叩き込まれる。しかし、彼女は一歩も引くことがなかった。アイヒマンの凡庸さの中にこそ、思考停止という最大の悪が潜んでいると確信していたからだ。この映画は、アイヒマンが強制連行されるシーンから始まり、非難の嵐の中で孤独に戦うハンナの姿が描かれる。

思考停止と悪というテーマで思い出すのは、高村薫の『冷血』だ。ネットの掲示板で出会った男たちが、さしたる動機もなく歯科医の家族を惨殺する。徹底的な警察の検証をもってしても、そこには犯行に繋がる「なぜ」は見つからない。彼らは言う。「考えていたら、やってません」と。何とアイヒマンと似ていることか。彼らは思考停止の虚無の中に自分を放り込み、ただ身を任せただけなのだ。この映画ではアイヒマンは役者が演じておらず、実際の裁判での映像が使われている。話し方といい、その情けない風貌といい、「ああ、知ってるわ、こんな人・・・」と思うようなただのオジサンなんである。「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない、人間であることを拒絶したものなのです」 これは映画の中でハンナが学生に講義する一節だが、実際のアイヒマンの映像はその主張を見事に裏付けていた。

この思考停止が、当時のドイツの官僚たちだけではなく、ドイツに対抗するべき連合国側にもはびこっていたことは、エリ・ヴィーゼルが『死者の歌』の中で述べている。ナチス政権はユダヤ人における虐殺を一気に行ったわけではなく、段階を踏んで小出しにし、諸外国の反応を伺っていた。しかし、そのどの段階においてもさしたる反応は見られず、ナチス側はこれを「了承」と見なしていった。『サラの鍵』(タチアナ・ド ロネ)で当時ナチスに反目していたはずのフランスでもユダヤ人の強制収容が行われていたことが世界に知られるようになったが、つまるところユダヤ人たちは「傍観者の無関心」(『死者の歌』)の中で四面楚歌の状態だったのだ。この思考停止は、まさに何百万人という大虐殺を引き起こしたが、その中枢にいた人物がまさに平々凡々たる一市民であったことは、今、私たちが肝に銘じるべきことだと思う。中国を占領していた時代の日本人将校の回想を読んだことがあるが、彼らはアイヒマンと同じことを言っていた。曰く、自分たちは命令されてやっていただけなんだと。ただ真面目に任務を遂行しただけなんだと。「真面目」という美徳が、戦争において発揮されてしまうとそれは無制限のやりたい放題になってしまうのだ。思考停止という『冷血』は、特別な人の中にのみ存在するのではない。それは、人間という存在が常に抱える、誰もが孕んでいる最大の悪に繋がるものなのだ。

そう考えたとき、まるでザルのように政権に無制限な秘密保持の権限を与える法案を強行採決してしまう安倍政権は非常に危険な存在であると思わざるを得ない。政権を握る側が一方的に秘密を指定でき、それを国民が知ろうとするだけでも懲罰の対象になるという法律が、恣意的に運用されない保障など、どこにもない。彼を「支持する」と答える大多数の人々の支持理由は、アベノミクスという、株価の上昇と円安という経済的なものだと思われる。要は金だ。私には、彼らが「あんたらは株価だけ見ときなはれ。そのほかのことは、わしらが上手いことやっといたるさかい」と国民の耳と口をふさぎにかかっているとしか思えない。彼らがこの強行採決の影で何を考えているのか、もっと目を懲らしてしっかり見ていないと大変なことになるのではないだろうか。人間は誰一人として全知全能な存在ではない。だからこそ、細心の注意を払って、悪が生まれる可能性をつぶしておかねばならないのだ。ハンナはこの映画のラストで疲れ切って自宅の窓から町を見下ろす。パンフに早乙女愛氏も書いておられるが、そこには摩天楼の夜が広がっているのだ。夜の都会の風景は、今、どこの国もさして変わらない。ハンナを包む夜の孤独は、今、私たちの周りにも広がっている。この映画はそのままでいいのか、と見る者に強く語りかけているようだった。ハンナは「思考」とは「自分自身との静かな対話」だと言う。その行為に「書物を読む」という行為は深く関わっていると私は思う。子どもたちにどうやってその行為を手渡すのか。そのことについても、また深く考えさせられる映画だった。

[映画]もうひとりの息子 ロレーヌ・レヴィ監督

ある日いきなり、自分の子どもが「あなたの実子ではない」と告げられたら。 是枝監督もこの赤ちゃんの取り違えをテーマにして映画を撮っていましたが、この「もうひとりの息子」の設定はもっと過酷です。何しろ、赤ん坊は片方はイスラエル、片方はパレスチナという反目しあう国の間で取り違えられてしまったのだから。この映画は、思いもよらない状況に放り込まれてしまった二組の親子を描いた物語です。

イスラエルとヨルダン川西岸地区のパレスチナというと、かってのベルリンの壁よりも超えがたい壁が幾重にも重なっているように思います。現実として、そこには鉄条網が張り巡らされた分離壁がそびえ立っていて、映画の中で何度もクローズアップされて映し出されます。恥ずかしながら、私自身初めてこの映画でその分離壁を見たのですが、まるで「国」や「宗教」という大きな枠組みの超えがたさの象徴のように延々と、全く向こう側が見えないほどに高くそびえ立っているのに圧倒されました。しかし、この映画は、その何とも如何しがたい壁を超えようとする物語なのです。

この映画は、二組の親子がいきなり我が子の出生の秘密を告げられるところから始まるのです、その受け止め方が母親と父親では全く違うのが印象的です。同じ部屋に集められ、初めてお互いの顔合わせをしたとき、父親同士はまるで縄張りで出会った犬のように牙を剥きあうのだけれど、母親はただ見つめ合っただけで、お互いの胸にある辛さと苦しみを認め合うのです。ひたすら抱いて、ご飯を食べさせて、病気のときは胸もつぶれんばかりに心配して看病して。たとえ宗教がなんであろうと、どんな言語を話そうと、その母としての営みや赤ん坊を一人前にするときの苦労や喜びのあり方は同じなんですよね。お互いの瞳の中に苦しみを認めあったとき、苦しみがその愛情から生まれているものだということが理屈ではなく伝わってしまう。その共感が、同じように自分の胸にも伝わってくるのがわかりました。

2011年にノーベル平和賞を貰ったリーマ・ボウイーさんの自伝を読んだとき、男たちがいつまで経っても出来なかった停戦を、女たちが短期間に実現させてしまったことが書かれていたのを思い出します。イスラエル人として生きてきたヨセフは、ユダヤ教のラビにユダヤ人としての自分を否定されてしまう。そして、パレスチナ人として生きてきたヤシンは、分身のように仲が良かった兄に、いきなり敵視されてしまう。お互いのアイデンティティが揺らぐ日々の中で、ただひたすら手を差し伸べる母親がいるということが、二人の息子を支えていくんですね。そして、若者の心にお互いに対する共感と、一歩を踏み出そうとする勇気が芽生えます。

国家とか宗教とか。絶対に超え難いと思うものを、ただ一人の人間として向き合ったもの同士だけが超えていく。基本はここだな、と。人間は時代や国家との関わりから絶対的に逃げられない存在です。でも、物語は「個」を徹底的に描ききることでその縛りを唯一超えられるのではないのか。そこに、おとぎ話ではない希望が見いだせないか。脚本だけに3年かけ、国籍を超えて様々な国のスタッフとキャストをそろえてこの映画を撮影した監督の心にある願いが、非常に胸を打つ映画でした。

八島ヶ原湿原 8月のフルムーンミーティング 月の雫

八島ヶ原湿原は、霧ヶ峰の北西部にあります。ここのフルムーンミーティングのHPを見つけたのは、本当に偶然だったのですが。「これは、是非行かねば!」と野生の勘が働いた自分を褒めてやりたいほど素晴らしい経験になりました。

この日は朝から曇りがちのお天気で、予報では夜は雨だったんです。集合の7時30分の時点では、空は分厚い雲に覆われていました。しかし、案内して下さるビジターセンターのスタッフの方によると、満月の夜は曇っていても懐中電灯がいらないくらい明るいとか。半信半疑で出発しましたが、何にも人工的な灯りのない湿原に目が慣れてくると、すべてが仄明るく浮かび上がって見えてくるのがわかります。湿原には人間が勝手に踏み込まないために木道が作ってあるのですが、それがくっきりと見えてきます。木のシルエット。前を歩く人の靴。池の水が月を反射して白く見える。様々な白と黒のコントラストの中を歩いていると、自分が徐々に夜行性の動物になったように感覚が研ぎ澄まされていくのがわかります。

フルムーンミーティングは静寂が御馳走です。ガイドの方も必要最小限の話声だけで、なおかつあちこちでただ静かに佇む時間を設けてくださいます。湿原の真ん中で、木道を枕に寝そべると、雲の切れ間から夏の大三角の星々が煌めいていました。風の音が聞こえ、遠くの空には雷が時折光っています。たくさんの虫の声・・・。夜の湿原という非日常の中に自分がいるということが不思議で、でもこの上なく安らかな気持ちなのです。またしばらく歩いたあと、木道の途中で設けてあるベンチで、小さな小さな灯りを点けてお茶会。熱いハーブティーとクッキーを頂きました。なんだか絵本の中に迷い込んだ気持ち。ノルシュテインの『きりのなかのはりねずみ』くんがこぐまくんとしたお茶会は、こんな感じだったのかも。そう思った途端、雲が切れて満月が顔を出しました。

その月の、何と眩しかったこと!闇に慣れた目には、まさに銀の雫が降り注ぐような明るさでした。木道に、月の影がくっきりと落ちます。木の葉の間からきらきらと光がこぼれて溢れます。その光を全身に浴びる至福。月明かりに包まれることが、こんなにも幸せなことだなんて、初めて知りました。思い出したのは、月灯りを浴びて霊力を蓄える河童の八寸。朽木祥さんの『かたはれ』に出てくる愛しい小さな河童です。(『かはたれ』には鎌倉の美しい風景がたくさん出てくるのです。満月の夜に浅沼を旅立つシーンも忘れ難いです。ぜひ読んで頂きたい)銀の雫、というほどの月明かりを体感できた喜びに魂が震えるような時間でした。

そして、夢のような二時間ばかりが過ぎ、出発点の広場に戻ってきた私たちが月に別れを告げて、ビジターセンターへのトンネルをくぐろうとした瞬間、煌々と輝いていた月は、再び厚い雲の中に隠れてしまいました。まるで私たちとタイミングを合わせてくれたように現れて、姿を隠したフルムーンの役者ぶりにすっかりやられた夜でした。

この月は、宿に帰ってから深夜に窓から撮影したもの。フルムーンツアー中は撮影禁止です。

翌日、今度は夜明け前から起き出して、早朝の八島ヶ原湿原に向かいました。

これは朝日を浴びる八島ヶ池。夜明けの湿原は、神々しいほど美しかった・・・。

 

これがお茶会をした場所です。花たちも、とても可憐でした。

 一緒にツアーに参加した親子さんは、年に何度もこの湿原を訪れているらしいです。気持ちがわかります。今度は春の初めか秋に訪れてみたい。一日中ここを散歩していたいくらい美しいところでした。

・・・と、浮世離れした想い出に浸っていたら、どこやらの教育委員会が『はだしのゲン』に閲覧制限をかけたという話が聞こえてきました。非常にきな臭い話です。残酷な表現があるから、ということらしいですが。戦争というものが如何に残酷で、このような美しい風景をいとも簡単に踏みにじるものなのか、ということを教えるのが教育というものでしょう。闇を見つめる目を培うことなしに、美しいものを感じる心は育たない。人というものは、どんなに美しくにも、残酷にもなれる生き物なのです。その現実を歴史を通じてしっかり見つめることの大切さを、私たちは何度も思い知らされてきたのではなかったのか。教育に携わる人間がしっかりとした理念を持っていれば、一部の的外れの抗議に対して毅然とした態度をとることが出来るはずなのに。民族や国という縛りは、時に本質的なことを見誤らせます。『はだしのゲン』は人間が行う最大の暴力にさらされたときの記憶を子どもたちに伝えようとした真摯な営みであったと思うのです。

―と、すっかり話がそれてしまいました(汗)私が願うのは、こういう美しい風景が踏みにじられないこと。美しさを感じる心が殺されるような時代にならないこと。今も、あの湿原では霧と月が静かな時を刻んでいる。そう思うだけで幸せになれます。また、いつか行けますように。

 

 

 

カヤックとフルムーンミーティングの旅 

三日間ほど酷暑の大阪を抜け出して、一足早く高原の秋を感じてきました。友人は東京から。私は大阪から。長野で落ち合っての旅です。大学時代はあまり・・というか、全くアクティブではなかった私たちでしたが、今回の旅はカヤックを体験し、満月の夜の湿原を歩くというやる気満々な企画。そんなやる気が幸運の女神を引き寄せたのかとても素晴らしい旅になりました。まず、生まれて初めてレンタカーなるものを借りて運転したのが、我ながらすごい!(自慢するようなことやないですけど。しかも、このレンタカーがあまりにも走らなくて笑えましたけど)

梨木香歩さんの『水辺にて―on the water/off the water 』を読んでから、ずっとカヤックに憧れてました。あちこちを旅しながら、ここぞという場所を見つけてカヤックを組み立てて浮かべ、水の中に滑りこむ。まさに「自由」の体現ですよね。そして、自由を体現するということは、自分という存在と向き合うことでもあります。『たのしい川べ』『ハヤ号セイ川をいく』『ツバメ号とアマゾン号』『風の靴』等々、川辺の遊びは児童文学と切っても切れない関係なのも、そんなところに一因があるのかも。・・・と、段々話はそれていきますが(笑)そんな心にずっともっていた憧れが、友人の「カヤック乗ってみたくない?」という言葉で炸裂した次第です。憧れは遠く遠く流氷の海をゆく星野道夫さんにまで炸裂しましたが、ま、憧れは置いといて(笑)千里の道も一歩から、ということで白樺湖でのカヤック初心者体験コースに参加してきました。

梨木さんにとってはカヤックは孤独の記号、変動する境界。私たちの理想も、そこにあるんですが(大きく出すぎやろ!)最初は小学生に混じって、カルガモのひなのように、インストラクターのお兄さんについていくのが精一杯でありました。カヤックって、乗ってみると予想以上に水に近いんです。最初は恐怖感がありましたね。こんなに怖いものに、たった一人で乗る梨木さん。凄い・・・。改めて尊敬。でも、四苦八苦しているうちに、ふとカヤックが身体に馴染む瞬間があり、自分の身体感覚で乗ればいいのだと気が付きました。車みたいなもんですね。そこからはもう、とっても楽しくてずーっと水の上に浮かんでいてもいいくらいでした。自分の手で方向もスピードも全てが決められる楽しさ。浮かんでいると風に流されていくのもいい。アメンボのように、風景の中に溶け込んでしまうような気がしました。

そのあと、車山にリフト一本分をゆっくり上りながら散策。私たちはほんとに寄り道が多い。花を見つけてじーっと見つめて写真。登りながら刻々と変わっていく風景にいちいち立ち止まってあれこれ言いながら写真。蝶を見つけて(以下同文)鳥を見つけて(以下同文)。友人とは、何かを見て心に刻むタイミングが一緒なので、そこがとっても嬉しいんですよね。人のペースにいらいらすることもなく、急かされるような気がして悲しくなることもない。結果、売店のお姉さんが「30分くらいで」と言った道のりを、2時間かけて歩くことに。山頂に着いたら、リフトでやってきたハイヒールのお姉さまや、可愛いミニスカートの女子たちがいっぱいでした(笑)何より車山は涼しかった!


この日のミッションはまだまだ続きます。車で移動して今度は八島ヶ原湿原のフルムーンミーティングに向かいます。その前に宿泊予定の「鷲ヶ峰ひゅって」に到着したのですが・・。このお宿が、ほんとに素敵なところで、もうほんとに生きてて良かった、という気持ちになりました。大袈裟ですかねえ。でも、友人とずっと一緒に旅行したくて、でもお互い色んな事情があって実現できない年月が続いて。ほんの二泊三日ほどのささやかな旅でも、私たちにとっては大きな一歩だったのです。今、共にいて、この時間を過ごしている。そのことが奇跡のように思えて、夕暮れのお庭で雲の切れ間から降り注ぐ光の梯子を見ながらおもわずうるうるしてしまいました。

 これが宿の入り口。この門の両脇に、可愛い小人さんがいて出迎えてくれます。

 

この宿のすぐ横の林にはどうやら鶯が住みついているようで、滞在している間中、とても素敵な歌声を聴かせてくれました。ほんと、一週間くらい―いや、ひと夏ずっとここにいて、本を読んで散歩できたらこんなに幸せなことはないでしょうね。お料理も本格フレンチで最高でした。たくさん置いてある本も、好きな本ばかりで胸がきゅっとしましたし。あちこちに置いてある小さなものの全てに愛情がこもっている。そんなお宿でした。今思い出しても、温かい気持ちになります。

長くなりました。ひとまずこれでアップして、フルムーンミーティングのお話は明日。

【映画】ひろしま 石内都・遺されたものたち Things Left Behind

ガーデンシネマで公開中の映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち Things Left Behind』を見に行ってきました。これは石内都さんという写真家がカナダのバンクーバーで開いたヒロシマの被爆をテーマにした個展のドキュメンタリーです。8月16日までの限定上映なので、見損ねないようにと思っていました。見れて良かった・・・。

とても静かな静かな映画でした。石内さんが撮影されたのは、広島の平和記念資料館に保存されている被爆者たちの遺品です。どれもささやかな生活の中で大切に使われていたものたちです。ジョーゼットのワンピース。花柄の可愛いブラウス。可愛いボタンのついた子どものお洋服。ハートのついた指輪。どれもとてもおしゃれで可愛いものばかりなのです。学芸員さんがおっしゃるには、戦時中だから表だって美しいものを身につけるわけにはいかなかったけれど、皆もんぺの下に、思いのこもった洋服や下着を身につけていたらしいとのこと。私は思わず、朽木祥さんの『八月の光』の中に出てくる人たちを思い出していました。『雛の顔』の美しいものが大好きだった真知子さん。着物の仕立てものをしていた母と娘。小菊模様の鼻緒の下駄を履いていた娘さん。皆、美しいものや可愛いものが大好きで、ひっそりとでも身につけて心を慰めていた、生きて笑っていた人たち。石内さんの写真からは、それらの遺品たちがつく吐息やつぶやきと一緒に、彼女たちの生活が浮かんでくるようでした。

展示されていたカナダの人類学博物館は、トーテムポールのために作られたような施設で、まるで荘厳な神殿のようなのです。ファーストネーションズ(先住民族)たちの魂がそこに刻まれています。その会場に展示された石内さんの写真は、古から生き続ける魂たちと響き合うようにほのかな輝きを帯びてとても美しいのです。私にはその美しさがとても印象的でした。爆風にちぎれ、体液の染みがつき、焼け焦げているお洋服は、その中に息づいていた温かい体の記憶を持ち続けているようなのです。柔らかいジョーゼットの肌触りを楽しんでいた21歳の娘さんの白い肌が透けて見えるような錯覚さえ覚えます。きっと輝くような裸身だったでしょう。美しいものを愛して、どんな状況にあっても、皆生きることを楽しんでいた。その記憶が、石内さんの眼差しに結晶し、その美を通じて「今」の私たちと結びついて繋がっていくのを感じました。見知らぬどこかの誰かではなく。彼女たちは68年前の私であり、今生きている少年少女たちであり、もしかして未来に生きている幼子たちなのだということが、その美しさをともに胸に刻まれます。

映画の中で石内さんが語られていましたが・・・。ヒロシマから、私たち日本人の大多数は何も学んでいないように思われます。そのことがフクシマに繋がり、今なお大勢の人たちが苦しんでいる。先日BSのドキュメンタリーで見たのですが、イラク戦争で使われた劣化ウラン弾で、ファルージャではたくさんの奇形の子どもたちが生まれているそうです。劣化ウラン弾というのは、核廃棄物から出来ていて、核分裂はしないけれども放射能を出し続けます。半減期は45億年。45億年・・・。気の遠くなるほどの時間、ずっとその土地を汚染し続けるのです。これは、まさに核兵器そのものなのだと、非常にショックを受けました。広島で核兵器が使われてから68年経ちましたが、その記憶は世界的には全く共有されていないのです。そして、そのツケは、イラクの子どもたちや、これから先に生きる子どもたちに回ってきます。50近くになって、やっとこんなことに気付いた自分も自分だと思うのですが・・・だからこそ、広島は、何度も何度も語られなければならないのです。記憶を深く分かち合うこと。その努力を惜しまない営みに、深く共感する映画でした。

印象的なことをもう一つ。映画の中で、一人の韓国の青年が、美しい着物を見て「日韓併合を思い出す」と語っていました。そう、私たち日本人は、侵略の歴史も持っているのです。被害者であると同時に、加害者でもある。その視点が描かれているのも、大切なことだと思ったのです。私たちは社会的なシステムの中で生きている。その軋轢の中で戦争が起こり、恐ろしい暴力が生まれる。どうも、私たちはそんな風に出来ている生き物らしい。暴力の種は、美しいものを愛してささやかに生きている人間の胸の中にやはり同じように潜んでいるのです。民族の違いや、肌の色や、宗教の違いなど関係ない。いろんな戦争やホロコーストや、公害の資料を読みこむうちに、私はそう思うようになりました。もちろん、私の胸の中にも同じものがある。だからこそ―痛みの記憶は、生身の体と心が受けた「ひとり」に即して語られることが大切だと思うのです。イデオロギーや大義名分の前に立ちはだかるのは、根源的な痛みを共有していくことしかないのではないのか。常に自分の心を見つめて静かに「ひとり」の物語を呼び起こしていくこと。このところ、ずっと考えていることに光をあててくれるような映画でもありました。長々書いているうちに、日付が変わって今日は8月6日です。また暑い一日になりそうです。先日訪れた広島を思い出しながら、過ごそうと思います。

 

朗読劇『銀河鉄道の夜』 大阪大丸心斎橋劇場 感想

大阪の大丸心斎橋劇場に、朗読劇『銀河鉄道の夜』を見に行ってきました。見た、というよりは体感した、という方がいいかもしれない。映像と詩、朗読と音楽から成る、とても不思議な空間でした。テキストから磁場が生まれるんですよ。それがとっても刺激的で、まだ頭の中でイメージがぐるぐる駆け巡っています。出演は、古川日出男氏、柴田元幸氏、管啓次郎氏、という、御三方。そこにミュージシャンとして小島ケイタニーラブ氏。この組み合わせだけでも、文学オタクとしては興奮してしまいました。

この朗読劇の芯にあるのは、3.11の大震災です。まだあれから2年と少ししか経ってないんですよね・・・。でも、もう皆いろんなことを忘れかけてる。核を扱う実験現場でさえも、危機意識が薄れて弛緩してることに、びっくりします。株価が上昇したら、もうそれだけでええわ的なこの浮かれ具合に、どうも私は馴染めない。そんなに簡単に忘れてええのん?と言う声は、ますます大きくなる経済プロパガンダに消えてしまいそうです。それが怖いし、不安な気持ちがいつでもあるんです。大阪に住む私でさえそうなのだから、実際に被災された方々は、どんな想いをされていることだろうと思う。どんどん取り残されてしまうような気持ちをされているのではと、いろんなニュースを見るたびに思うのです。だから、今日のように、文学の第一線におられる方々が掲げる、あの日を照らし続けようとする灯りに、心がほっとしました。痛みと悲しみを共に、それぞれの風景の中に共有していこうとすること。管氏の自作の詩に佇んでいた少女の瞳に映っていた光と波の記憶。柴田氏が朗読された小説の、誰もが忘れてしまった妹の記憶。強烈に胸に焼き付いています。古川日出男氏の脚本による『銀河鉄道の夜』も、とても熱かった。宮沢賢治が走らせた銀河鉄道に、『今』が繋がって―遠い果てまで一緒に行って帰ってきたような気がしました。出演者の方々の祈りと強い想いが、確かな磁場を作って共鳴していました。それを生で体験できて、とても幸せな夜でした。

古川日出男さんが、あんなに熱い方だったとは。しかも、はにかんだ笑顔がとってもキュートで、魅力的だった。柴田元幸さんが想像していたよりとても若々しくて少年のようなのにも驚いた。朗読されていた小説があまりに印象深かったのでお尋ねしたら、さらさらと原典を書いてくださった。この手帖は家宝じゃ(笑)管氏の声が、まるで声優さんのように深くて魅力的なのにも驚いてしまった。少しだけれど、お話も出来て、文学オタクにはこたえられない夜でした。また、関西で公演してくださらないかなあ。絶対行きます。

by ERI

 

【映画】 ビル・カニンガム&ニューヨーク

タイムズの人気ファッションコラムニスト、などという肩書きを聞くと、そりゃもうキメキメでエキセントリックなファッション通で、という人物像を想像するのだけれど。このドキュメンタリーの主人公であるビル・カニンガムは、まるで生真面目な郵便局員、といった感じの品の良いおじいちゃんなのだった。ああ、この人はとても誠実で信用できる人なんだろうなあと、その顔を見ているだけでわかってしまう。彼のトレードマークは清掃員が着る青い上っ張り。そのスタイルで、彼はニューヨークの街を自転車で疾走して、ストリート・スナップを撮る。この映画は、彼の日常を、淡々と追いかけたものなのだけれど、そのピシッと筋の通った生き方のダンディズムに魅せられてしまった。私はダンディズムを持つ男性に弱いのである。「あまちゃん」のアキちゃんのように、キラキラの瞳で(?)「かっけ~~!」と心の中で連発してしまった。

彼は有名人には興味はないし、自分の衣食住にも興味がない。恋人も作らなかったし、家族もいない。そんな暇がないほど彼は自分の仕事に没頭し、ひたすら街に出て写真を撮る。まるで求道者のような生活なのだけれど、画面に映る彼はいつもひたすら楽しそうなんである。もう、ほんとに楽しすぎて、ほかのことをする暇が無かったんだろうなあと思う。だから、お金とも無縁。「金をもらわなければ口出しされない」というのも彼の哲学。どんな派手なパーティに出ても、水の一杯だって飲まない。「美を追い求める者は、必ず美を見出す」。これは、彼がフランスの国家功労賞を貰ったときの言葉だ。かっけ~!!彼は、果てしないファッションという海の中から、煌めく真珠を見出すアーティストなんだろうと思う。「美しさ」は、誰かが発見して初めて「美」になる。そして、ファッションの美しさというのは、それを着る人がいて表現されるもの。彼は、無料で着飾った有名人には興味はないらしい。自分の生活の中で、何を選んで何を捨てるか。自分の生き方を決めることは、「何が美しいか」を自分で決める選択だと思う。彼は、その美意識のアンテナがピリピリと立っている人のファッションに惹かれているようだ。思うに、そのアンテナが立っている人というのは、選んで選んで・・つまり、たくさんのものを同じく捨てている人なんじゃないかしらん。その孤独やストイックさ、「誰かとおなじ格好が出来ない」不器用さも含めて、きっと彼はファッションを、ファッションを纏う人々を愛しているのだと思う。だから彼は決して女性たちをけなさない。かって働いていた雑誌が、彼の写真を使って、街の女性たちの着こなしを揶揄するような記事を作ったとき、彼は激怒して即座にやめてしまった。そして、写真に映った女性たちを心配していたらしい。そんなところも、素敵だ。信仰について聞かれたときや、パーティからパーティに移動する夜の風景の背中に、「独り」が滲むんだけれど、幾つになっても凛と背筋を伸ばして一人でいるその潔さも、またカッコよかった。ラストの、同僚たちがしくんだバースデイのサプライズパーティに思わずうるうるしてしまった。ビルの生き方から、たくさんの喜びを貰える、そんな映画だった。

ニューヨークの街を歩く、胸がすくような個性的なファッションの人たちは、ほんとにカッコよかった。この映画を見たあと、梅田の街を歩きながら「ビルなら誰を撮るかなあ」と思いつつ人間ウオッチングしてしまった(笑)若い女性たちは、ほんとにおしゃれで可愛いけど、皆良く似てる。強烈な大阪のおばさまたちのほうが、ビルのお眼鏡に叶うかも。今週のNYタイムズのビルの頁を見ると、レースがいっぱい!この夏は大好きなレースの服を買おうっと。息子に「また、ひらひらやん」と言われてもかまへんわあ。

by ERI

[映画】ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの

この映画を楽しみにしていたのに、背中痛に阻まれて、なかなか電車にも乗れず・・・でも、今日は絶対!と勢いこんで出かけたものの、寒いわ、梅田のホームで失礼な男にむこうずねを蹴られるわ、グランフロントのビル風が物凄いわ、地下道が臭いわ(文句多すぎ)で少々へこみながらガーデンシネマにたどり着いたのです。でもでも。この映画を見て、季節外れの寒気に凍えた気持ちがすっかり持ち直して暖かくなりました。

この映画は、ハーバート・ヴォーゲルとドロシー・ヴォーゲルという夫婦のアートコレクターのドキュメンタリーです。ハーバートは郵便局員、ドロシーは図書館司書。特にお金持ちでもない二人は、大の美術好きで、お給料で買える現代アートを40年間1DKのアパートに集め続けました。その数およそ4000点。彼らはコレクションをワシントンのナショナル・ギャラリーに寄贈することにします。でも、ナショナルギャラリーだけでは、彼らのコレクションを展示しきれない。そこで、50×50プロジェクト、全米の美術館に50作品ずつコレクションを寄贈するというプロジェクトが始まったのです。この映画は、その様子と、各美術館を巡るハーブとドロシーの姿を追ったドキュメンタリーです。

このお二人が、とってもキュートなんですよ。彼らがアートを集めたのは、お金のためじゃありません。ただ「好きだから」。1DKのアパートは、もう壮観と言っていいほどアート、アート、アート・・・その間に猫と水槽。それだけしかない。ある美術館は、その部屋を再現してコレクションを展示していました。わかるなあ。作品と資料と猫に埋もれたその部屋は、二人で築いたど迫力の芸術作品そのものです。「コレクションの根底にあるのは、アートに全力を注ぐという行為」(by リチャード・タトル)であり、芸術に捧げた愛の証なんですもんね。僭越ながら・・・その徹底したアート馬鹿っぷりといい、猫好きといい、(アートと文芸というジャンルは違えども)芸術にとり憑かれた(笑)人生を送った先輩として、その生き方に心から共感してしまいました。

彼らのコレクション魂。よーくわかります。私も、読み切れないほど家に本があっても、とにかく本を買ってしまう。好きな本を手に入れるのは、多次元の宇宙を手に入れるようなものです。そこから広がる新しい世界を自分の本だなに並べる楽しさ。別に誰に褒めてもらわなくても、それが何にも利益を産まなくてもよいのです。コレクションし、その作品に対する愛情を語っていたいのです。私だって、なんでこんなレビューを日々書いているのかと言われれば、ほんとに、ただ「好き」だから。本や映画を愛していて、その話をしていたいからなのです。私が書いたレビューは、ここに越してくる前の「おいしい本箱Diary」に2000本ほど(多分。ちゃんと数えたことがない・爆)、まだこちらは100本に満たないので、彼らの数にはまだまだ及びませんが、多分その根底にある気持ちは一緒なんやろなあと思うのです。ハーブはたくさんの芸術家と親交があり、常に芸術の話ばかりしていたらしい。顔を合わせれば95%アートの話。はい、その通り(笑)。私も、本を愛しているお仲間さんにお会いすると、ひたすら本の話で終わります。そこも一緒。

芸術というものは、発信する人と、受け取る人と、二種類の人間があって成り立ちます。彼らは徹底的に受け取ることで、アートを支え、作家たちを応援してきた。彼らに愛され、評価されることで支えられたアーティストたちが、この映画には何人も登場していました。二人が買い続けてきたのは、既に評価の定まっている、たとえばサザビーズでオークションにかけられるような作家の作品ではなく、現在進行形で「今」を歩いている作家たちだった。二人は、彼らと現代アートの最先端を作っていったんですよね。それは、ハーブとドロシーが、お金や名声ではなく、芸術を生み出し、発信する作家たちの魂に最大の愛と敬意をささげていた証です。普通の暮らしをしていた二人が、こつこつと、ひたすらにその愛情を積み上げていった結果として、非凡な一大コレクションを成し遂げた、というところに、たまらないカタルシスを感じます。私も、こつこつと、書き続けよう。お二人のような偉業は無理だろうけれど、私もハーブとドロシーがアートを愛するように本を愛してるから。猫好きも同じだし(笑)―と、行きに凹んだ気持ちがすっかり膨らんで帰ってきました。寄付を募って資金を集め、苦労してこの映画を作られたのは、日本の佐々木芽生さんという監督さんです。それも、とても嬉しくて誇らしかった。どうせなら、こんな人生を送りたい。ほんとに素敵な映画でした。アート好きな方、必見です。

岡田淳さんの「夜の小学校で」原画展と“ひつじ書房”

春らしい穏やかなお天気のもと、神戸まで足を伸ばして岡田淳さんの作品展に行ってきました。JRの摂津本山駅前の画廊「しあわせなふくろう」さんで、『夜の小学校で』の原画展が行われていたのです。

原画はとても素敵でした。やっぱり印刷されたものよりも色がとても鮮やかに美しく、絵から優しさや温かさが溢れてくるようでした。ほかにも素敵な絵がいっぱい出品されていて、そちらは販売されてもいたのですが、何とほとんどが売約済み。わかるなあ・・・だって、岡田さんの絵って、見ていると、何だか胸にぽっと明るいものが宿るようなのです。落ち込んだ時や、心がすさんでやさぐれた時に、あたたかい光を投げかけてくれるような。「しあわせなふくろう」さんの中には、そんな岡田さんのパワーが満ち溢れていました。小さな画廊は、もういっぱいの人。今日は岡田さんご自身も来られていて、本にサインもして頂けるということで、小学生たちがたくさん来てました。皆、手に手に岡田さんの本を持って、とっても嬉しそう。岡田さんは一人ひとりとお話しながら、ゆっくりサインとイラストを描いてあげておられました。もう、子どもたちも岡田さんも幸せそうで、いつまでも見ていたい光景でした。一人の女の子なんか、岡田さんの大ファンで、ノートに書いた自分の物語も岡田さんに読んでもらおうと持ってきてて。一生懸命な顔して岡田さんが読むのを見てました。一生の思い出になるよなあ、もしかして、将来作家さんになって、この日のことをエッセイに書いたりして・・・なんて思うのも幸せでした。もちろん私もkikoさんもサインして貰いました。私がサインしてもらったのは『図工準備室の窓から』です。

その「しあわせなふくろう」さんの数軒横に、児童書の専門店「ひつじ書房」さんがあります。ここは、kikoさんの馴染みの本屋さん。児童書の専門店として有名です。以前からkikoさんに聞いて、ぜひ行ってみたかったので、今日は心おきなく埋没(笑)kikoさんと私をこんな本屋さんにほりこんだら、もう、何時間でもいます(笑)岡田淳さんを偕成社に紹介して、作家さんになるきっかけを作られたのは、ここの店主さんです。児童書に深い造詣と理解をお持ちの方なのです。もちろん品ぞろえも充実。大好きな本、気になる本がいっぱい。選書がとても素敵なんですよね。端から端まで欲しくなる。絵本から専門書まで、何を聞いてもいろんなお話をしてくださるので、嬉しくなってあれこれとおしゃべりしているうちに、数時間も経ってしまったという・・・。本を、児童書を、とても愛してらっしゃる。その愛情がたっぷり詰まった本屋さんでした。アイザック・B・シンガーの『ショーシャ』(吉夏社)と、マーガレット・ワイズ・ブラウン&バーバラ・クーニーという大好きなコンビの絵本『どこへいってた?』(童話館)を購入。ここは、また通ってしまうと思います。

たっぷり本を見たあとで、kikoさんのお友達の雑貨屋さんでカレー皿を衝動買いし、「tea room mahisa」で、美味しいスイーツとミルクシナモンティーを満喫し、帰りの電車の中で岡田さんの『図工準備室の窓から』を読んで、電車内で爆笑したくなるのを必死でこらえつつ帰宅するという、至福の一日でした。楽しかった~!

※「しあわせなふくろう」での原画展は、3月26日(火曜日)まで。最終日の26日は、1時頃から岡田さんご自身が来店されます。店内で本の販売あり。お近くの方は、ぜひ!

 

 

 

 

映画 『故郷よ Land of oblivion』 ミハル・ボガニム監督 

先週の木曜日に、この映画を見てきました。チェルノブイリの原発事故によって故郷を失った人たちの物語です。舞台は、チェルノブイリからわずか3kmの町・プリピャチ。冒頭には、事故寸前ののどかな町の様子が描かれます。きらめく川の流れが幸せな恋人たちを運び、緑豊かな自然の中で人々が笑う。父と息子がリンゴの木を植え、牛がゆっくりと歩いていく・・・光が溢れて穏やかで、見ているだけで涙がこぼれそうなほど綺麗な、町というよりは村の風景です。ボートに乗っているカップルの女性は、この物語の主人公の一人、アーニャ。彼女の結婚式を明日に控えた春の夜に、原発は事故を起こしてしまうのです。アーニャを、『薬指の標本』で見たことのある、オルガ・キュリレンコが演じているのですが、監督は当初彼女が美人すぎるのでこの映画での起用をためらっていたらしいのです。でも、この冒頭の、ボッティチェリが描く春の女神そのもののような彼女の輝きは、あの風景にとても似合っていました。明日結婚しようとしていた彼女の中に満ち溢れていたのは、これから生まれてくるだろう子どもも含めての、未来へのエネルギーであり、豊穣の予感だったのです。そして、その輝きが美しければ美しいほど、失われたものの大きさと取り返しのつかなさが色濃く胸に落ちます。この映画にどうしても出たかったというキュリレンコの思いが伝わってくる演技でした。

映画は淡々と事故当日の人々を追っていきます。まったく情報がなく、何が起こったのか誰も知らずにいる人たちの上を、放射能を含んだ雨が何度も何度も通り過ぎていきます。結婚式の真っ白なケーキを黒い雨が汚し、子どもたちはその雨の中で遊んでいるんです。映画の中の人々に向かって「逃げて」と思わず心の中で叫んでしまう。二度と帰れないと知らないまま強制避難させられてしまう人たち。耕してきた土地も牛も奪われてしまった農家のお年寄りの顔。いきなり愛する人を失って茫然とするアーニャ。3.11と結びついていく光景です。この映画が撮影されたのは、3.11の前なんですが、見事に符号にようにすべてが重なっていくのが、怖いようでした。こんなに同じことが起きていたのに、私たちは何も学ばなかった。対岸の火事だと思っていた。そのことを痛感しました。前半の、事故当時の混乱の様子を見ながら、思わず全身に力が入り、こわばってしまう。その臨場感は半端ないものでした。

10年後、アーニャはプリピャチの町で、「チェルノブイリ・ツアー」のガイドとして働き続けます。この映画は、初めて立入制限区域で撮影された映画で、誰もいなくなってしまった町の風景が延々と続きます。後半は、アーニャと、リンゴの木を川岸に植えた少年・ヴァレリーとその父親である技師のアレクセイの10年後が描かれます。3人が3人とも、故郷と大切な人を失った喪失感の中で暮らしている。アレクセイは、事故のあと精神を病んだまま、ずっとプリピャチ行きの列車を探して放浪します。もう、プリピャチという名前の駅はこの世には存在しないのに・・・。彼の息子のヴァレリーは、いなくなった父の痕跡を求めてプリピャチに潜入します。でも、そこには何も残ってはいなかった。アーニャは恋人が出来ても、どうしても新しい生活に踏み出すことが出来ない。その彼らの物語も胸に染みましたが、何より説得力があったのは、プリピャチの空っぽの風景でした。暮らしも笑い声も失われたその風景は、今、日本のあの場所にも広がっている、そう思わずにはいられない。チェルノブイリの事故の際に、アーニャの夫のように事故処理などのために亡くなってしまった方は4千人にも及びます。しかも、石棺はすぐに老朽化し始めて常に補強しなくてはいけない。その作業は、これから数千年も続くのです。そして、立入制限区域は、私たちには永遠と思える時間が経っても人が住めるようにはならない。永遠に空っぽのままである風景が、ずっと乾いた涙を流し続けているように見えました。町も風景も生き物なのだと。その命を奪ってしまうことの残酷さを町自身が物語る、そんな映画でした。

 

 

 

 

 

 

鳥越信先生と国際児童文学館

鳥越信先生が亡くなられた。ご冥福を心からお祈り申し上げたいと思う。晩年になって、心血を注がれた、万博公園の中にあった国際児童文学館があのような形でつぶされてしまったことで、どんな思いをされたかと想像すると、心が痛んで仕方ない。

文化や芸術というものは、成長し、実りをもたらすのに長い時間がかかる。しかし、今はとにかく費用対効果、短いスパンで目に見える・・つまり、お金となって返ってくることは大切にされるが、目に見えないもの、数値化できないものに関してはとにかく切り捨てられることが多い。まるで役立たずの、金食い虫と言わんばかりである。特に児童文学という地味な世間でスポットライトの当たらない分野は、興味のない人にとっては無駄にしか思えないものなのだろう。大阪は一番文化や芸術に縁のない、興味のない人を長に据えてしまった。それゆえに、鳥越先生が膨大な資料を寄付された、児童文学研究の礎となるべき場所を失ってしまったのだ。そして、私の卒業した大阪女子大学も大阪府立大学に統合されてしまい、今や文学部は影も形もない。大阪市立大学とも統合されるらしいが、この流れでは文系の学部は大きく減らされ、何を勉強するのかわからない名前の学部ばかりになってしまいそうな流れだなと思う。

しかし、これでいいのだろうか。文学や哲学というのは、すべての学問を貫く背骨のようなものだと思うのは、私だけだろうか。私たちは何処からやってきて、どこに行くのか。幸せとはなにか。生きるということはどういうことか。生きる意味とはなにか。人間の存在とは如何なるものであるのか。答えの無い問いを、さぐり続けて私たちは生きている。科学や技術も、その問いから離れて発展してきたわけではない。また、複雑化し、専門化するに従って、ますます根源的なその問いは大切なものになると思う。フクシマでの手痛い教訓は、私たちに科学技術を不完全な人間という存在が操ることの怖さを教えてくれたではないか。その人間について、とことん考え抜く学問が、大学のどこにもない。これほど不思議なことは、あるだろうか。こんな風に思うのは、私が古い人間だからだろうか?
そして、子どもの文学は、未来を作っていく子どもの心を育むもの。子どもが生まれて初めて出会う、新しい世界を開く目であり、耳であり、やわらかい心に播かれる種なのだ。深く根を下ろし、血肉となる、目に見えない大切なもの。星の王子さまが言うように、「肝心なことは眼に見えない」。見えないものに触れる一瞬が、文学だ。このとりとめのない不安だらけの世界に自分の心を迎え入れてくれる場所があることを知り、共感し、他者と心を分け合うことを知る。想像すること、この体だけに囚われぬ心の自由を持つこと。その心のありようの上に、よりよく生きようとする向日性が生まれるのではないのだろうか。その児童文学について、常に研究し、資料を蓄え、発信し続ける機関があるということは、とても大切なことなのだ。議論され、語られ、活性化することなしには、学問は命を失ってしまうから。児童文学の様々な作品が多角的に取り上げられ、議論され、評価されることが、新しい児童文学へと繋がっていく糧になるはず。そこをないがしろにして、なんの教育改革だと私は思う。

鳥越先生が亡くなられたことを知り、常日頃思っていることが何やら噴出してしまった。こんな偉そうなことを語る資格は、何の肩書きも持たない私にはないのかもしれないけれど。何の肩書きも持たぬ私だから、言えることもあるかもしれないとも思ったりする。積み上げるのに何十年かかっても、つぶすのは一瞬だ。でも、つぶしてしまったものは、もう取り返しがつかなくなる。私たちは、もう少し長い目で、広い視野で、文化や芸術を考えていく必要があるのではないだろうか。心の財産を食いつぶしてしまうところに、真の発展はないと思う。

 

映画 100万回生きたねこ

私は、否定的なことをネットに乗せるのは好きじゃない。せっかく語るのなら、好きなもの、自分が感動したことについて書きたいと思うから。でもなあ・・・今日は辛口です。何故かというと、佐野さんファンとして、とても残念だから。佐野さんという稀有な存在をドキュメンタリーにするのに、あれでは残念すぎて仕方ないと思うのです。

『100万回生きたねこ』を今日kikoさんと見てきた。大好きな佐野さんのドキュメンタリーということで、期待は大きかった。佐野さんはとても大きな人で、ありのままで、何もかもを丸ごと見つめる人。時々、自分が嘘っぽくて空っぽになってると思うと、私は佐野さんの本を読む。すると、内臓がちゃんと自分の中に帰ってきてくれる気がするのである。佐野さんの体はいなくなってしまったけれど、佐野さんとはいつも本を通してしか繋がっていなかったせいもあって、私にとっては永遠の存在だ。でもでも、その最後の日々に、映像を通して触れることができるかもしれないと思うと、私はこの映画がとても楽しみだった。

しかし映画の内容は、期待していたものとは全く違った。まず残念だったのは、佐野さんと、ほかの登場人物たちが、全く有機的な繋がりを持たなかったという点だ。ほんの一瞬佐野さんの肉声が流れただけで、そのあとは延々と「それぞれの生きづらさと向き合う読者たち」が絵本を読み、自らの生きづらさを語る映像が続くのだが、私には、彼女だちの生きづらさと佐野さんの絵本や生き方がどう関わりを持つのか、さっぱりわからなかった。それもそのはず・・・映画に参加した女性たちは、この監督さんの前作の映画を見に来た方たちなのである。佐野さんとも、「100万回生きたねこ」とも、なんの関わりもない。だから、単に自分語りに終わってしまうのである。しかも、その苦しみの描き方というか、映像の演出が、これでもかこれでもかと過剰すぎて、かえって彼女たちの真実が卑小化されてしまってこちらにまっすぐ伝わってこない。「人の苦しみってこんなもんでしょ」という監督さんの思い込みの中に、佐野さんも読者の人たちもすべてを押し込んでしまったようなそんな印象だった。これでは、佐野さんに対しても読者の方たちに対しても失礼ではないのかしらと思う。

 

そして、何よりも残念だったのは、佐野さんという大きな存在に対して、全く切り込んでいないこと。佐野さんという天衣無縫な人を前にしてどうしていいのかわからない、というのはわかる。簡単な物差しでは測れない人だし。だからこそ、佐野さんを自分の理解できる場所に無理やりあてはめるのではなく、「わからない」ということをまっすぐ見つめてぶつかっていくべきだったと思う。簡単な理屈なんかに人間を押し込めては、大きなものが抜け落ちる。映画では、お顔を撮影するのは佐野さん自身が拒否されたということで、肉声だけが流れた。その声の、なんと魅力的なこと。一度も聞いたことがないにも関わらず、「ああ、佐野さんだ!」とすとん、と胸に落ちてくるほど説得力がある。もっと聞かせてよ!と私は歯ぎしりしそうだった。「私ね、もうすぐ死ぬのよ」なんて、あの声で言える人は、そうそういない。佐野さんへのインタビューは、撮影時間にして20時間もあるらしい。もったいない。心底もったいない。それをしっかり編集して、佐野さんのアトリエや自宅の風景とともに見せてくれるだけで十分だったんじゃないか。佐野さんは、佐野さんだ。いつ、どこにいても、死の間際にいても、大きな樹がただそこにあるように100%佐野さんで、私はそんな佐野さんにずっと触れていたかった。猫のように、すりすりしたかった。佐野さんのインタビューだけで、もう一つDVDを作ってくれはらへんかな。アトリエにあった、原画や未公開の絵を、もっと見たかったな。何の小細工もいらない。ただ、そこにいる佐野さんを感じたかった。先日見た『天のしずく』は、監督さんがまったく表に出ずに辰巳さんという「人」を丁寧に見つめ、そこから始まる広がりを見事にとらえていた。ドキュメンタリーは、そうあって欲しい。

残念のあまり、筆が進んでしまいました(汗)でも、監督さんが佐野さんに会いにいかなければ、佐野さんの肉声を聞ける機会はなかったんですよね。うん。そこは、素直に感謝です。もったいないけどね。ほんまに、もったいないけどね・・・(何回いうねん!)

 

映画:『最初の人間』ジャンニ・アメリオ監督

あけましておめでとうございます。皆様、良いお正月をお過ごしでしょうか。私、なんと元旦からパソコンが壊れるというアクシデントに見舞われました。何をやっても立ちあがらない。とうとうリカバリまでしましたが、やっぱり立ち上がらない。仕方なく、本日修理入院となりました。正月休みということもあって、いつ治るかわからないとのこと。がっくりです。従って、しばらくは家族のiPadを使わせてもらうことにしたのですが、これがまあ、慣れないので非常に使いにくい。文章もそこはかとなく電報みたいでぎこちない。読みにくい箇所などございましたら、どうか教えてくださいませ。お願いします。

今日、パソコンを修理に持っていくついでに、息子と映画を見てきました。ジャンニ・アメリオ監督の『最初の人間』です。カミュの自伝的な遺作を映画化した作品で、静かな語り口の中にたくさんの問いかけのある映画でした。祖国アルジェリアに帰郷する有名な作家のコルムリ。独立運動に揺れる祖国のために投げかける彼の言葉は、その時は一部の人にしか届かなかった。映画の中で、恩師に彼が、自分の政治的な立ち位置の苦しみを伝えるシーンがあります。その時、恩師は彼に「小説を」書きなさいという。小説の中にこそ真実がある」と。

この映画の舞台となっているのが50年ほど前。民族や領土をめぐる問題はネットの普及も手伝って、より複雑になっているようにも思います。また、政治的に威勢のいい言葉が、年末には日本でもたくさん飛び交いました。その一方で、静かに核廃絶を訴えて座り込みを続ける方たちがいるのも事実です。今、多数の人に支持されるのは、威勢のいい言葉なのかもしれない。でも、カミュが自らの軸足を非暴力に置き続けたこと。その根底にある母への愛情や、祖国への思いが掘り下げられたこの作品を見て、最後に人の心に残っていくのは、やはりここに、非暴力に軸足を置く人間の言葉なのだと思いました。小説、物語というものはマイノリティな存在だと思います。世界の流れを変えたり、主流になることは決してないのかもしれません。でもカミュのような小説家の物語が流れる時の中で生き残っていてくれることは、とても大切なことであり、もしかしたらぎりぎりの所で私たちが踏みとどまれる最後の力になり得るのでは・・・そんなことを思った年頭でした。

少年時代のコルムリを演じた少年が、聡明な繊細さと芯の強さを見せてとても凛々しかった。彼の魅力もあって、回想の少年時代の映像がとても詩情に溢れていて素敵でした。そして主人公のコムルリのジャック・ガンブランが個人的にとても好みでした。手の表情が良かったなあ。静かに座っているだけでコムルリの、カミュの背負うものの重みを感じさせるんですよ。パソコンが壊れてしまったのは残念ですが、お正月からいい映画を見て、今年もこつこつやっていこうとおもえたのはとても良かったと思います。今年もどうかよろしくお願いいたします。