光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島  朽木祥 講談社

「美」はいつも心に新しい感動をくれる。美しさは人の心の扉を開いて、そっと奥底に滑り込む。夕焼けが、樹々や海の色が人の心にいつも何かを語りかけるように、「美しい」ということは私たちの心を解き放つのだ。ヒロシマの物語、というと「怖い」「恐ろしい」という拒否反応が特に子どもたちには生まれがちだが、この『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』は、ヒロシマの記憶を残された人たちの心と共に伝えながら、しみじみと美しい。この作品は、児童文学というジャンルにおいて、「ヒロシマを美を以て語る」という難しいことをやってのけたのではないかと、読み終えてまず思ったことだった。卓越した文章力がある朽木さんだから出来たこの物語は、灯籠の光とともに、原爆投下前の廣島、あの日のヒロシマ、そして現在の広島を繋いで確かなメッセージを刻み、読み手の心に色鮮やかに流れ込んでくる。

舞台は、あの日から25年後の広島。犠牲者を悼む色とりどりの灯籠流しのシーンから始まる。12歳の希未は、母が何も書かれていない白い灯籠を流すことに初めて気がつく。「あれは誰の灯籠なんだろう」と思った希未に、一人の老婦人が声をかける。「あなたは、おいくつ?」どうやら、老婦人は誰かの面影を希未に見つけたようなのだ。その老婦人のことが気になっていた夜、希未は仏壇の部屋で声を殺して泣く自分の母を見る。「もはや戦後ではないと言われ始めたころになっても、人びとは変わらず誰かを待ち続け、探していたのである」これは、朽木さんが書かれた「過ぎたれど去らぬ日々」(※1)という文章の一節だが、25年が経っても希未の周りにいる人々は、それぞれ亡くなった人の面影を心に「うつしえ」として刻んだままなのだ。希未は、ひょんなことから自分の通う中学校の美術教師である吉岡先生にも、忘れられない人がいることを知る。そして、その吉岡先生の入院をきっかけに、希未たち美術部は「あのころの廣島とヒロシマ」というテーマで文化祭に向けて作品を作ることを決め、自分たちの身近な人たちのかっての「廣島」と、あの日の記憶 「ヒロシマ」を聞くことにする。そのための打ち合わせのために若い希未や俊が話し合っている言葉の一つに、私ははっとした。

「よう知っとると思うとることでも、ほんまは知らんことが多いよな」
「よう知っとると思うとる人のこともね・・・・・ 」

この夏にNHKが放送した『ヒバクシャからの手紙』という番組を見たのだが、68年経った今でも、自分の娘や息子たちに被爆体験を語れない人たちがたくさんおられる。親しい肉親相手だからこそ、語れない人も多い。この「語れない」というところに、何が込められているのか。その言葉にならぬ思いを、朽木さんはこの作品の中で、丁寧に選び抜かれた言葉で綴られているように思う。この本の献辞は【世界中の「小山ひとみさん」のために】と綴られている。小山ひとみさんは、戦死された息子さんのことを歌った短歌をたくさん新聞に投稿された実在の方で、この物語にも何首か紹介されている。その短歌には、夫も子どもにも先立たれた小山さんの、極北に一人佇むような日々が凝縮されているようだ。先日の講演会で聞いたところによると、朽木さんはこの小山さんの短歌をリアルタイムで読んでおられたらしい。私は母親だから、やはり、息子を失った母の辛さに共鳴してしまう。そのしんしんと伝わってくる思いが、作品中に挿入される一人一人の記憶の物語と深く響き合って、まるで昨日自分の身におこったことのように身に染みた。吉岡先生の、耕造の祖父母の、須藤さんの、そして、希未の母が流す灯籠に託された思い。「知っていると思うとる人」が心の奥深くにしまい込んでいた記憶、顔の見える身近な人たちの見えなかった苦しみに触れることは、希未たち若者の心に新しい目を開いていく。人を成長させるのは、誰かの苦しみや痛みを自分自身のものにする力、「共感共苦」(Compassion)(※2)の力なのだ。お見舞い帰りのバスの中で吉岡先生の気持ちに気がついて大泣きしてしまった希未の涙は、今まで気づかなかった他人の心に深く共感したからこそ生まれてくるものであり、その共感は、この混沌とした世の中でいったい何が真実なのかを見抜く鍵でもあるのだと思う。

そう、この「よう知っとると思うとることでも、ほんまは知らんことが多いよな」という一言には、私たち人間が常に意識して考えていかねばならない深いものが隠されている。 1996年にノーベル賞を受賞したポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカは、言う。自分に対して「わたしは知らない」ということが、自分の選び取った仕事に対する不断のインスピレーションを生むものだと。そして、反対に「知っている」と思うことの危険性についてこう述べている。「どんな知識も、自分のなかから新たな疑問を生み出さなければ、すぐに死んだものになり、生命を保つのに好都合な温度を失ってしまいます。最近の、そして現代の歴史を見ればよくわかるように、極端な場合にはそういった知識は社会にとって危険なものにさえなり得るのです。」(※3)私たちはヒロシマを知っていると、記憶していると思っていた。少なくとも、私はそんな風に思い込んでいた。ところが、だ。真の記憶として心に刻まずにいた核の恐ろしさは、いつの間にか「知っている」と思う傲慢さの陰で忘れられて、日本は名だたる原発依存の国になっていた。そのことが、3.11のフクシマに繋がっているのだと私は思う。そんな私たちに、この物語は静かに語りかける。「あなたは知っていますか?」と。真の意味で、「知ろうとしていますか?」と。この、固定概念や思い込みを解き放ち、新しい目で、新鮮な心で物事の本質を見極めようとする、それは物語の力であり、芸術の力なのだ。

しかし、この『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』でも語られているように、美術や音楽、芸術は、国が危険な方に向かおうとするときに一番に弾圧されてしまう。「戦争が始まって真っ先に無用とされた科目は美術や音楽だったって。あと本もたくさん規制されたって」というのは事実だ。なんだか、その萌芽が今、あちこちに芽生えているような気がするのは私だけなんだろうか。(余談だけれど・・。「役にたたない」というお題目のもとに、文学や哲学さえも大学の学部から無くなっていくことが、私には何か恐ろしいことの始まりのように思えてならない。)希未や俊は、絵や彫刻を制作し、自由に「あのころの廣島とヒロシマ」を表現することで新しい心の目を開いていく。そして、ヒロシマを出発点として、その眼差しはもっと広がっていくのである。子どもを、若者を自分たちの都合の良いように使いたがる大人は、まずそういう自由な心の目をふさごうとする。吉岡先生からの手紙の中で述べられている「加害者になるな。犠牲者になるな。そしてなによりも傍観者になるな」という言葉は、心の自由を奪われない未来に向けての、これからを生きる子どもたちへの大切なメッセージだ。そして何より私がいいなと思うのは、この物語の中で、そのメッセージが「自分たちの出来ること」と結びついていることだと思う。大きな暴力や社会的な問題に対するとき、人は自分の小ささと非力を感じて、無力感に襲われてしまう。自分に出来ることなど、何もないと思ってしまいがちだ。私もずっとそう思っていた。しかし、吉岡先生が手紙の中で希未たちに伝えているように、「この世界は小さな物語が集まってできている。それぞれのささやかな日常が、小さいと思える生活が、世界を形作っている」のだ。そこから離れたところに、人の幸福はない。だからこそ、私たちは自分たちの小さな人生の中で何度も大切な記憶を心に刻みつける必要があるのだ。小さいからこそ出来ることがある。心に小さな灯籠流しの光を刻むことが、まことしやかに語られる大きな嘘を見抜く礎になるはずなのだ。希未や俊や耕造が、小さな「自分に出来ること」を精一杯やり遂げたことが、彼らの身近にいた人たちに、どんなに希望を与えたか、この物語の最後に原爆ドームを照らした色とりどりの美しい輝きを、どうか味わって欲しい。

ヒロシマは、過ぎた過去のことではなく、これから世界中どこにでも起こりえることでもあるし、この世界のどこかで、今、起こっていることでもある。ヒロシマを深く記憶することは、過去と現在と未来を繋ぐ視点を持つことではないか。私は最近ようやく、そんな風に考えるようになった。この物語のサブタイトル『廣島 ヒロシマ 広島』が意味するところも、そこにあるように思う。この物語は、これまでヒロシマを知っていたつもりであった私のような大人にも、これからヒロシマを知る子どもにも、非常に大切なことを丁寧に伝えてくれる物語だと思う。原爆についての基本的な知識もきっちりと書かれている。たくさんの人に読んで貰いたいし、『八月の光』(偕成社)の時にも思ったのだが、ぜひ翻訳されて海外の人にも読んで頂きたい。

2013年10月11日発行

講談社

 

(※1)「過ぎたれど去らぬ日々」朽木祥 子どもの本2012年9月号 日本児童図書出版協会

(※2)「「記憶」から去らない姿」朽木祥 子どもと読書 2013年7・8月号 親子読書地域文庫全国連絡会

(※3)「終わりと始まり」ヴィスワヴァ・シンボルスカ 沼野光義訳 未知谷

朽木祥講演会と池袋ジュンク堂でのブックフェア

久しぶりの更新です。何と一ヶ月近く放置してました・・。今日からまたぼちぼちと更新していきます。実はその間、堅い文章を一生懸命書いていたので、自分のブログにどんな感じで書いていいのか軽く戸惑い中(笑)

更新はさぼっておりましたが、その間にも文学オタクはますます昂進しておりまして、この週末は東京のオリンピックセンターで開かれた、親地連(親子読書地域文庫連絡協議会)の全国大会に行ってまいりました。一番のお目当ては朽木祥さんの講演会『物語の力』ですが、夜の交流会も次の日の分科会も、非常に充実した内容で有意義な時間でした。はるばる行って、本当によかった。まず、朽木祥さんの講演会のご報告と感想を・・・。

朽木祥さんの講演会のタイトルは「物語の力」。去年上梓された『八月の光』(偕成社)と、刊行されたばかりの『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』(講談社)を中心に、「ヒロシマをどう伝えるか」というお話でした。その鍵は“Compassion”(共感共苦)だと。この、人の苦しみを他人事にせず、自分の痛みとして記憶する、という営みをいろんな手法で積み重ねてらっしゃる朽木さんのお仕事に、私は深く共感するところがあります。『彼岸花はきつねのかんざし』(学研)はきつねと少女が心通わせるファンタジーの手法で。そして、『八月の光』は精緻なリアリズムの手法で。その「物語の力」で、忘れっぽい私たちが見失いかけている大切なことを問いかけてくださるように思うのです。朽木さんも講演の中でおっしゃっておられましたが、私たちが(少なくとも日本人の大部分が)ヒロシマを忘れてしまっていたことは、そのままフクシマと繋がっているように思うんですよ。だからこそ、今、またヒロシマを深く記憶する必要があるんですよね。でもでも・・・そんな風に思う人間は、少数派なのかと、憲法改正やオリンピック招致の際の原発に対する発言、『はだしのゲン』に対する圧力なんかを見るたびに苦しい思いに駆られてました。でも、朽木さんのお話を聞いて、やっぱりここで、子どもたちにしっかり過去のことを伝えていかなきゃいけないんだと思いました。「声高にではなく、静かな声であきらめず、しぶとく語ること」と朽木さんはおっしゃった。「静かな共感を呼ぶ物語を書きたい」と。

世間を暗い方向に引きずっていこうとするプロパガンダは大声でがなり立てることで、聞き手を思考停止に陥らせます。人は、暴力や破壊に惹かれていく一面を持ち合わせていて、私の中にも、そういう衝動は確かにある。でも、心に静かな声で語りかける愛しい物語の主人公たちが住んでいたら。きっと、そんな衝動に優しい手を当てて引き留めてくれると思うんですよね。朽木さんの物語には、そんな優しさと力があります。新刊の『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』もヒロシマがテーマで、そのお話もたくさんしてくださいました。ネタばれになるので詳しくは書きませんが、「芸術の力」と「失われた声を聞くこと」という二つが重要なモチーフになっているとのこと。「被害者、加害者という次元ではなく、この人類が経験した未曾有の事件を、人類共通の問題として記憶し、伝えたい」と語っておられたことを、しっかり覚えておきたいと思います。

こうして書くと、ひたすら堅い重い講演会かという感じですが、所々でユーモアも交えながら、ぎゅっと中身の詰まった一時間半でした。最後にファンタジーの物語に触れて、「ファンタジーを読むことで心が育ってくる。幸福な約束をちゃんと果たして終われることが児童文学のすばらしいところ。この世の楽しさも味わってもらいたいし、自由な心と深い知性を育てて欲しい」と述べておられたことに、深く頷きました。『光のうつしえ』と『花びら姫とねこ魔女』にもサインをして頂いたし。大満足でした。私ももっと勉強しなくちゃなあと、教養の塊のようなあれこれをお聞きして思ったことでした。

朽木祥さんの新刊『光のうつしえ』(講談社)と『花びら姫とねこ魔女』(小学館)については、また改めて長々と書きます。(笑)

池袋のジュンク堂で、新刊発売に合わせて朽木祥ブックフェアが開催されています。私も行ってきましたが、とっても可愛くコーナーが作ってありました。可愛いミニ冊子もありました。これは数量限定でいつ無くなるかわかりませんが、貰えます。 初日に行けてラッキーだったなあ。10月いっぱい開催の予定だそうです。

親地連のことも書きたかったのに、時間ぎれ。また明日・・・。

by ERI

八島ヶ原湿原 8月のフルムーンミーティング 月の雫

八島ヶ原湿原は、霧ヶ峰の北西部にあります。ここのフルムーンミーティングのHPを見つけたのは、本当に偶然だったのですが。「これは、是非行かねば!」と野生の勘が働いた自分を褒めてやりたいほど素晴らしい経験になりました。

この日は朝から曇りがちのお天気で、予報では夜は雨だったんです。集合の7時30分の時点では、空は分厚い雲に覆われていました。しかし、案内して下さるビジターセンターのスタッフの方によると、満月の夜は曇っていても懐中電灯がいらないくらい明るいとか。半信半疑で出発しましたが、何にも人工的な灯りのない湿原に目が慣れてくると、すべてが仄明るく浮かび上がって見えてくるのがわかります。湿原には人間が勝手に踏み込まないために木道が作ってあるのですが、それがくっきりと見えてきます。木のシルエット。前を歩く人の靴。池の水が月を反射して白く見える。様々な白と黒のコントラストの中を歩いていると、自分が徐々に夜行性の動物になったように感覚が研ぎ澄まされていくのがわかります。

フルムーンミーティングは静寂が御馳走です。ガイドの方も必要最小限の話声だけで、なおかつあちこちでただ静かに佇む時間を設けてくださいます。湿原の真ん中で、木道を枕に寝そべると、雲の切れ間から夏の大三角の星々が煌めいていました。風の音が聞こえ、遠くの空には雷が時折光っています。たくさんの虫の声・・・。夜の湿原という非日常の中に自分がいるということが不思議で、でもこの上なく安らかな気持ちなのです。またしばらく歩いたあと、木道の途中で設けてあるベンチで、小さな小さな灯りを点けてお茶会。熱いハーブティーとクッキーを頂きました。なんだか絵本の中に迷い込んだ気持ち。ノルシュテインの『きりのなかのはりねずみ』くんがこぐまくんとしたお茶会は、こんな感じだったのかも。そう思った途端、雲が切れて満月が顔を出しました。

その月の、何と眩しかったこと!闇に慣れた目には、まさに銀の雫が降り注ぐような明るさでした。木道に、月の影がくっきりと落ちます。木の葉の間からきらきらと光がこぼれて溢れます。その光を全身に浴びる至福。月明かりに包まれることが、こんなにも幸せなことだなんて、初めて知りました。思い出したのは、月灯りを浴びて霊力を蓄える河童の八寸。朽木祥さんの『かたはれ』に出てくる愛しい小さな河童です。(『かはたれ』には鎌倉の美しい風景がたくさん出てくるのです。満月の夜に浅沼を旅立つシーンも忘れ難いです。ぜひ読んで頂きたい)銀の雫、というほどの月明かりを体感できた喜びに魂が震えるような時間でした。

そして、夢のような二時間ばかりが過ぎ、出発点の広場に戻ってきた私たちが月に別れを告げて、ビジターセンターへのトンネルをくぐろうとした瞬間、煌々と輝いていた月は、再び厚い雲の中に隠れてしまいました。まるで私たちとタイミングを合わせてくれたように現れて、姿を隠したフルムーンの役者ぶりにすっかりやられた夜でした。

この月は、宿に帰ってから深夜に窓から撮影したもの。フルムーンツアー中は撮影禁止です。

翌日、今度は夜明け前から起き出して、早朝の八島ヶ原湿原に向かいました。

これは朝日を浴びる八島ヶ池。夜明けの湿原は、神々しいほど美しかった・・・。

 

これがお茶会をした場所です。花たちも、とても可憐でした。

 一緒にツアーに参加した親子さんは、年に何度もこの湿原を訪れているらしいです。気持ちがわかります。今度は春の初めか秋に訪れてみたい。一日中ここを散歩していたいくらい美しいところでした。

・・・と、浮世離れした想い出に浸っていたら、どこやらの教育委員会が『はだしのゲン』に閲覧制限をかけたという話が聞こえてきました。非常にきな臭い話です。残酷な表現があるから、ということらしいですが。戦争というものが如何に残酷で、このような美しい風景をいとも簡単に踏みにじるものなのか、ということを教えるのが教育というものでしょう。闇を見つめる目を培うことなしに、美しいものを感じる心は育たない。人というものは、どんなに美しくにも、残酷にもなれる生き物なのです。その現実を歴史を通じてしっかり見つめることの大切さを、私たちは何度も思い知らされてきたのではなかったのか。教育に携わる人間がしっかりとした理念を持っていれば、一部の的外れの抗議に対して毅然とした態度をとることが出来るはずなのに。民族や国という縛りは、時に本質的なことを見誤らせます。『はだしのゲン』は人間が行う最大の暴力にさらされたときの記憶を子どもたちに伝えようとした真摯な営みであったと思うのです。

―と、すっかり話がそれてしまいました(汗)私が願うのは、こういう美しい風景が踏みにじられないこと。美しさを感じる心が殺されるような時代にならないこと。今も、あの湿原では霧と月が静かな時を刻んでいる。そう思うだけで幸せになれます。また、いつか行けますように。

 

 

 

カヤックとフルムーンミーティングの旅 

三日間ほど酷暑の大阪を抜け出して、一足早く高原の秋を感じてきました。友人は東京から。私は大阪から。長野で落ち合っての旅です。大学時代はあまり・・というか、全くアクティブではなかった私たちでしたが、今回の旅はカヤックを体験し、満月の夜の湿原を歩くというやる気満々な企画。そんなやる気が幸運の女神を引き寄せたのかとても素晴らしい旅になりました。まず、生まれて初めてレンタカーなるものを借りて運転したのが、我ながらすごい!(自慢するようなことやないですけど。しかも、このレンタカーがあまりにも走らなくて笑えましたけど)

梨木香歩さんの『水辺にて―on the water/off the water 』を読んでから、ずっとカヤックに憧れてました。あちこちを旅しながら、ここぞという場所を見つけてカヤックを組み立てて浮かべ、水の中に滑りこむ。まさに「自由」の体現ですよね。そして、自由を体現するということは、自分という存在と向き合うことでもあります。『たのしい川べ』『ハヤ号セイ川をいく』『ツバメ号とアマゾン号』『風の靴』等々、川辺の遊びは児童文学と切っても切れない関係なのも、そんなところに一因があるのかも。・・・と、段々話はそれていきますが(笑)そんな心にずっともっていた憧れが、友人の「カヤック乗ってみたくない?」という言葉で炸裂した次第です。憧れは遠く遠く流氷の海をゆく星野道夫さんにまで炸裂しましたが、ま、憧れは置いといて(笑)千里の道も一歩から、ということで白樺湖でのカヤック初心者体験コースに参加してきました。

梨木さんにとってはカヤックは孤独の記号、変動する境界。私たちの理想も、そこにあるんですが(大きく出すぎやろ!)最初は小学生に混じって、カルガモのひなのように、インストラクターのお兄さんについていくのが精一杯でありました。カヤックって、乗ってみると予想以上に水に近いんです。最初は恐怖感がありましたね。こんなに怖いものに、たった一人で乗る梨木さん。凄い・・・。改めて尊敬。でも、四苦八苦しているうちに、ふとカヤックが身体に馴染む瞬間があり、自分の身体感覚で乗ればいいのだと気が付きました。車みたいなもんですね。そこからはもう、とっても楽しくてずーっと水の上に浮かんでいてもいいくらいでした。自分の手で方向もスピードも全てが決められる楽しさ。浮かんでいると風に流されていくのもいい。アメンボのように、風景の中に溶け込んでしまうような気がしました。

そのあと、車山にリフト一本分をゆっくり上りながら散策。私たちはほんとに寄り道が多い。花を見つけてじーっと見つめて写真。登りながら刻々と変わっていく風景にいちいち立ち止まってあれこれ言いながら写真。蝶を見つけて(以下同文)鳥を見つけて(以下同文)。友人とは、何かを見て心に刻むタイミングが一緒なので、そこがとっても嬉しいんですよね。人のペースにいらいらすることもなく、急かされるような気がして悲しくなることもない。結果、売店のお姉さんが「30分くらいで」と言った道のりを、2時間かけて歩くことに。山頂に着いたら、リフトでやってきたハイヒールのお姉さまや、可愛いミニスカートの女子たちがいっぱいでした(笑)何より車山は涼しかった!


この日のミッションはまだまだ続きます。車で移動して今度は八島ヶ原湿原のフルムーンミーティングに向かいます。その前に宿泊予定の「鷲ヶ峰ひゅって」に到着したのですが・・。このお宿が、ほんとに素敵なところで、もうほんとに生きてて良かった、という気持ちになりました。大袈裟ですかねえ。でも、友人とずっと一緒に旅行したくて、でもお互い色んな事情があって実現できない年月が続いて。ほんの二泊三日ほどのささやかな旅でも、私たちにとっては大きな一歩だったのです。今、共にいて、この時間を過ごしている。そのことが奇跡のように思えて、夕暮れのお庭で雲の切れ間から降り注ぐ光の梯子を見ながらおもわずうるうるしてしまいました。

 これが宿の入り口。この門の両脇に、可愛い小人さんがいて出迎えてくれます。

 

この宿のすぐ横の林にはどうやら鶯が住みついているようで、滞在している間中、とても素敵な歌声を聴かせてくれました。ほんと、一週間くらい―いや、ひと夏ずっとここにいて、本を読んで散歩できたらこんなに幸せなことはないでしょうね。お料理も本格フレンチで最高でした。たくさん置いてある本も、好きな本ばかりで胸がきゅっとしましたし。あちこちに置いてある小さなものの全てに愛情がこもっている。そんなお宿でした。今思い出しても、温かい気持ちになります。

長くなりました。ひとまずこれでアップして、フルムーンミーティングのお話は明日。

あたしがおうちに帰る旅 ニコラ・デイビス 代田亜香子訳 小学館

ここ数日の暑さといったら。命の危険を感じるほど暑いですよね。その中で、我が家は築26年のお風呂とリビングの改装工事が今日まで入っておりまして、非常に疲れました。工事というのは、たくさんの人が出入りします。常に自宅開け放し状態。その気疲れと、壁をドリルではつっていく恐ろしい音、古い痛んだコンクリの匂いと想像以上にダメージをくらったわけですが、特にかわいそうだったのが猫たちで、ストレスで便秘になってしまいました。終わった途端に立派なのが出て一安心でしたが。どうも、人も猫も、思ったよりも「家」というものに守られているんだなあと実感した一週間でした。猫たち、今爆睡してます。

この物語は、そんな安心できる「家」を持たない少女のお話です。彼女は「イヌ」と呼ばれて怖いおじさんにこき使われてペットショップで暮らしています。いや、「暮らしている」わけじゃありません。だって、人間扱いされていないんですから。そんなイヌの唯一の友達は、ハナグマのエズミ。そんな彼女のところに、カルロスという一羽の大きなコンゴウインコがやってきます。来たときはボロボロだったカルロスですが、イヌに助けられて店の人気者になります。そしてイヌとエズミを連れておじさんのところから抜け出し、「おうち」を目指すのです。

イヌは店に連れてこられる前の記憶がありません。言葉も一言もしゃべらないまま暮らしています。この母語と記憶を失くしてしまうということは、普通ならあり得ません。しかし、『四つの小さなパン切れ』という本を書いたマグダ・オランデール=ラフォンは、アウシュビッツの強制収容所での体験のせいで、母語であるハンガリー語と幼い頃の記憶を失くしてしまったそうです。そこを読んで、私ははっとイヌもそうなんじゃないかと思ったんです。どうやら彼女は誘拐されてきたらしい。子どもを誘拐したり、人身売買したりして強制労働させる、という非人道的なことが、今、この世界で実際に行われている。作者のニコラ・デイビスさんは、そんな子たちのことを取材してこの本を書いたらしい。イヌは、人間としての尊厳もぬくもりもすべてを踏みにじられて生きている。だから、「言葉」も失っているのです。だからこのイヌとエズミ、カルロスの三人(あえて三人と書きますが)の旅は、自分の居場所を取り戻す旅、そしてイヌにとっては自分の言葉を取り戻す旅です。

こういう社会的な問題をテーマにした児童文学、というのは難しいものだと思います。そのテーマをいかに自分のものとして、感じさせるか。そこが非常に難しい。教科書のように「考えてみましょう」と言われたりするのに、子どもたちは飽き飽きしているだろうし。自分とは関係ない、と思われてしまったらアウトでしょう。その点、この物語は、とっても生き生きと物語が動いていきます。読みだしたら止まらないくらい、三人の冒険の続きが読みたくてたまらなくなるのです。いつも傍にいてくれるエズミと、信じられないくらい頭の良いカルロスの組み合わせがいいんですよねえ。窮地に追い込まれたときのカルロスが放つ言葉が、相手をやっつけてしまうところなんか、もう、ほんとに胸がすっとします。ほんとにカルロスはまるで中世の騎士のようにイヌを守るんですよ。カッコいいんです。惚れちゃいます。

動物、冒険、そして友情。ハラハラドキドキの冒険の後、カルロスは「言葉」のいらない自分の世界に帰っていきます。このシーンの美しさ、切なさは忘れられません。そして、最後にたどりついた場所で、イヌはやっと自分の「言葉」を取り戻します。そのとき、イヌと呼ばれていた女の子が、本当はなんという名前だったかが初めてわかるのです。やっと彼女はひとりの人間に帰ることが出来たのです。ああ、良かった・・と思いながら、そのとき改めて、彼女が抱えていた痛みと、生きていこうとする強さが自分の胸の中に溢れてくるのを感じるのです。

想定も挿絵もとても神経が使われています。そして、代田さんの翻訳もとても読みやすくて言葉が美しいのです。イヌと呼ばれた少女を、まるで抱きしめるようかのような本の作りに感動しました。こういうところからも、子どもたちにさりげなく伝えたいものが感じられます。夏休みにおすすめの一冊。ああ、面白かった、と読むだけでいい。きっと、この少女と、エズミとカルロスと友達になれるから。それが大切なんだと思います。私にとっても、忘れられない一冊になりました。

2013年3月刊行

小学館

 

【映画】ひろしま 石内都・遺されたものたち Things Left Behind

ガーデンシネマで公開中の映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち Things Left Behind』を見に行ってきました。これは石内都さんという写真家がカナダのバンクーバーで開いたヒロシマの被爆をテーマにした個展のドキュメンタリーです。8月16日までの限定上映なので、見損ねないようにと思っていました。見れて良かった・・・。

とても静かな静かな映画でした。石内さんが撮影されたのは、広島の平和記念資料館に保存されている被爆者たちの遺品です。どれもささやかな生活の中で大切に使われていたものたちです。ジョーゼットのワンピース。花柄の可愛いブラウス。可愛いボタンのついた子どものお洋服。ハートのついた指輪。どれもとてもおしゃれで可愛いものばかりなのです。学芸員さんがおっしゃるには、戦時中だから表だって美しいものを身につけるわけにはいかなかったけれど、皆もんぺの下に、思いのこもった洋服や下着を身につけていたらしいとのこと。私は思わず、朽木祥さんの『八月の光』の中に出てくる人たちを思い出していました。『雛の顔』の美しいものが大好きだった真知子さん。着物の仕立てものをしていた母と娘。小菊模様の鼻緒の下駄を履いていた娘さん。皆、美しいものや可愛いものが大好きで、ひっそりとでも身につけて心を慰めていた、生きて笑っていた人たち。石内さんの写真からは、それらの遺品たちがつく吐息やつぶやきと一緒に、彼女たちの生活が浮かんでくるようでした。

展示されていたカナダの人類学博物館は、トーテムポールのために作られたような施設で、まるで荘厳な神殿のようなのです。ファーストネーションズ(先住民族)たちの魂がそこに刻まれています。その会場に展示された石内さんの写真は、古から生き続ける魂たちと響き合うようにほのかな輝きを帯びてとても美しいのです。私にはその美しさがとても印象的でした。爆風にちぎれ、体液の染みがつき、焼け焦げているお洋服は、その中に息づいていた温かい体の記憶を持ち続けているようなのです。柔らかいジョーゼットの肌触りを楽しんでいた21歳の娘さんの白い肌が透けて見えるような錯覚さえ覚えます。きっと輝くような裸身だったでしょう。美しいものを愛して、どんな状況にあっても、皆生きることを楽しんでいた。その記憶が、石内さんの眼差しに結晶し、その美を通じて「今」の私たちと結びついて繋がっていくのを感じました。見知らぬどこかの誰かではなく。彼女たちは68年前の私であり、今生きている少年少女たちであり、もしかして未来に生きている幼子たちなのだということが、その美しさをともに胸に刻まれます。

映画の中で石内さんが語られていましたが・・・。ヒロシマから、私たち日本人の大多数は何も学んでいないように思われます。そのことがフクシマに繋がり、今なお大勢の人たちが苦しんでいる。先日BSのドキュメンタリーで見たのですが、イラク戦争で使われた劣化ウラン弾で、ファルージャではたくさんの奇形の子どもたちが生まれているそうです。劣化ウラン弾というのは、核廃棄物から出来ていて、核分裂はしないけれども放射能を出し続けます。半減期は45億年。45億年・・・。気の遠くなるほどの時間、ずっとその土地を汚染し続けるのです。これは、まさに核兵器そのものなのだと、非常にショックを受けました。広島で核兵器が使われてから68年経ちましたが、その記憶は世界的には全く共有されていないのです。そして、そのツケは、イラクの子どもたちや、これから先に生きる子どもたちに回ってきます。50近くになって、やっとこんなことに気付いた自分も自分だと思うのですが・・・だからこそ、広島は、何度も何度も語られなければならないのです。記憶を深く分かち合うこと。その努力を惜しまない営みに、深く共感する映画でした。

印象的なことをもう一つ。映画の中で、一人の韓国の青年が、美しい着物を見て「日韓併合を思い出す」と語っていました。そう、私たち日本人は、侵略の歴史も持っているのです。被害者であると同時に、加害者でもある。その視点が描かれているのも、大切なことだと思ったのです。私たちは社会的なシステムの中で生きている。その軋轢の中で戦争が起こり、恐ろしい暴力が生まれる。どうも、私たちはそんな風に出来ている生き物らしい。暴力の種は、美しいものを愛してささやかに生きている人間の胸の中にやはり同じように潜んでいるのです。民族の違いや、肌の色や、宗教の違いなど関係ない。いろんな戦争やホロコーストや、公害の資料を読みこむうちに、私はそう思うようになりました。もちろん、私の胸の中にも同じものがある。だからこそ―痛みの記憶は、生身の体と心が受けた「ひとり」に即して語られることが大切だと思うのです。イデオロギーや大義名分の前に立ちはだかるのは、根源的な痛みを共有していくことしかないのではないのか。常に自分の心を見つめて静かに「ひとり」の物語を呼び起こしていくこと。このところ、ずっと考えていることに光をあててくれるような映画でもありました。長々書いているうちに、日付が変わって今日は8月6日です。また暑い一日になりそうです。先日訪れた広島を思い出しながら、過ごそうと思います。

 

聖痕 筒井康隆 新潮社

筒井康隆に出会ったのは中学生のときだったろうか。あれからウン十年・・・彼は全く枯れることもなく、ますます豊饒に過激に爆弾を投げてくる。何度も書いたけど、やっぱりこの一言を言わせてもらおう。筒井康隆は天才だ!!

彼は一時フロイトにえらく傾倒したらしいし、作品にも色濃くそれが現れ、欲望というのは彼の大きなテーマの一つでもあった。そして今度はそれを逆手にとって大逆転をかましたような作品で、度肝を抜かれてしまった。これは、ほんとに筒井康隆にしか書けない小説だ。主人公の貴夫は絶世の美貌を持って生まれてきたが故に、5歳のときに変質者に性器を切り取られるという恐ろしい目にあってしまう。うわわ、こんな酷いことがこの世にあってよいものか。メラメラと義憤にかられた冒頭で、思えばすっかり主人公の貴夫に私も魅入られてしまったらしい。しかもそこから、この小説はどんどん逆転ホームランを打ってくる。人は性に振り回される存在だが、彼にはその根源たる性欲がない。しかも、類まれな美しさを持ち、裕福な家に生まれ、知性にも優れた彼は、すべてのコンプレックスからも自由なのである。その人生の煌びやかで自由なこと。彼は美しい女性に囲まれて「食」を追求した人生を送っていく。米光一成氏が文春の書評で「現代版源氏物語絵巻」とおっしゃっていたが、ほんとに清々しいくらいのモテっぷり。しかし、私はこの小説は、喪失した場所から語られる物語という意味で、どちらかというと「平家物語」に近いんじゃないかと思う。

貴夫の恐ろしい体験には遠く及ばないが、実は私も先日、右手の人差し指をざっくりと切ってしまった。2針ほど縫っただけで済んだので大した怪我ではないのだが、それでも家事は出来ないし、顔を洗うのもやたらに不便だ。何をするのも普段の二倍以上の時間がかかる。そうして片手の自由を一時的にだが失って見えてくるのは、我が家のいびつさなのだ。主婦という名のもとに、何もかもをこの右手がしていることの不自然さ。いや、笑い話ではなく、これは誠に困ったことだ。この脆さを作っているのは、メンドクサイことはやりたくないという夫の我儘とメンドクサイから何もかもやってしまう私の片意地の張り方の両方で、誠にどうしようもない。どうしようもない、ということがまざまざと見える。この何かを失った所から見えてくるものというのは、良くも悪くも確かに真実なんだと思う。

この物語は、日本が高度経済成長からバブルに向かい、浮かれ騒ぎに狂乱した時代を経て、二年前の3.11の震災までを貴夫の生涯とともに描きだす。日本人が海外でブランドものや土地を買い漁ったり、土地の値段を釣り上げて気が狂ったようにお金を使ったりした時代。その真ん中にいて、ただ静かに「食」という美だけを求めて、その他の欲望から一切無関係な貴夫は、たった一人視点が違う。それは、彼が「失ったもの」であるからなのだ。貴夫という静かな「聖心地」の存在が映しだす過去は、筒井氏が縦横無尽に繰り出す古語混じりのSF擬古文(?)の文体と相まって、きらきらしくも華やかに、人間の欲望を浮かべて輝いて流れていく。まさに「 おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ」である。滅んでゆく平家を語るのは、光を失った琵琶法師。そして、現代の滅びは、欲望を失った貴夫の視点から語られ、資本主義というリビドーが終末期に達したことを暗示する。最後に金杉君という文芸評論家(彼は筒井氏自身を思わせる・・・)が終末論を語るのだが、いやもう、ここは全部引用したいほど、今という時代の不安の正鵠を射ていると思う。「この大震災がまさに終末への折り返し地点」であり、これから私たちはリビドーを捨てて「静かな滅び」に向かうべきなのだ、と力説するのである。

小説家は時代を映す。彼らは、目に見えないものを見、耳に聞こえない音を聞こうとする人たちだから。最近、昔に読んだ漱石の文明論が気になっていて、読み返そうと思っている。どこまでも拡大を続けようとして踊り続ける私たちの姿を、漱石は既に明治時代に予言していたんだなと、最近痛いほど思うのである。筒井康隆は、時代を何周も先に走ってきた人。その彼が提示してきた終末論が、やたらに身に沁む読書だった。偉い政治家の人たちは、きっと読まないだろうけどね・・・。

2013年5月刊行

新潮社

 

泣き童子(なきわらし) 三島屋変調百物語 参之続 宮部みゆき 文藝春秋

宮部さんの物語は、読みだしたらやめられなくなります。昨日は夏休みに入って初めての週末。選挙も重なり図書館の人出も最高潮で、くたくたに疲れて。ところが、寝る前にちょっと、と思って読み始めたら、やめられない。とうとう深夜の丑三つ時まで読みふけってしまいました。

このシリーズも3巻目になりました。人の抱える暗闇と不思議を描くこの物語はますます深く、恐ろしく道なき道に分け入っていくようです。物語は、時代を映します。特に宮部さんのように人の心の闇を特に追い続ける人は、特に敏感に「今」の私たちの闇を感じとるでしょう。先日読んだ『ソロモンの偽証』も、その闇に真正面から向き合う物語で読み応えがありました。けれど、この三島屋のシリーズは時代物なだけに、その闇がすとん、と胸に落ちてくるように思います。江戸時代という、私たちの根っこに繋がる場所のあちこちに棲息している闇が見事に今と呼応する、その闇の色がより濃くなっていることに、私は肌が粟立つ想いがしました。そう思って、それぞれの短編が書かれた時期を見ると、2篇目の『くりから御殿』が書かれたのが、2011年7月。震災からあとに書かれた物語たちでした。ああ・・そうなのか、とこの物語たちに対する共感の想いが深くなりました。

『くりから御殿』は、幼い頃に鉄砲水で故郷を失い、みなし子になってしまった男の話。両親も、親族も、中の良かった友達や従妹たちもすべて失ってしまった長坊の寂しさ、辛さが身に沁みます。40年経っても、その辛さ、「置いてけぼり」になってしまった心の傷は癒えることはなくて、ずっと、ずっと心の奥底で血を流している。大人になっても、幼い長坊は、ずっと「くりから御殿」で失った人を探し続けていたんですよね。宮部さんの描く生き残ってしまったものの苦しみは切なく胸を打ちます。生き残ってしまった、という罪悪感。その苦しみは、朽木祥さんの『八月の光』にも大きなテーマとして掲げられていましたし、V・A・フランクルは、『夜と霧』で「最もよき人々は帰ってこなかった」と書きました。そして、今も何万人もの人たちがその苦しみを背負っているのです。その彼に、なんとか寄り添おうとする女房の姿に、宮部さんの切なる願いがこもっているようでした。

そして、非常に恐ろしかったのが「泣き童子」。漱石の『夢十夜』の第三夜、石地蔵のように重たい子をおぶって歩く男の話を連想させる物語です。全くしゃべらない三つの幼子が、特定の人を見ただけで身も背もないほど泣き叫ぶ。その子は、人の罪に感応するのです。人を殺めた自分の娘は、自分の罪を泣き叫ばれるのが怖くてその幼子を殺してしまった。そのことを知りながら、父も見て見ぬふりをした。しかし、長い月日が経ってその娘が産んだ子は、またもやしゃべらぬ子。見て見ぬふりをした罪は、もっと大きな厄災になって帰ってくる。私は、この物語が他人事だとは思えないのです。私も、過去にたくさんの見て見ぬふりしたことがある。そして、今もそうです。昨日参院選があって、自民党が圧勝しました。私は、彼らの原発推進が恐ろしくて仕方がないのです。今を快適に暮らすために、未来を生きる子どもたちに原発のゴミを置いていく傲慢さが怖い。故郷を失った人たちが何万人もいることを忘れたような顔をして、「美しい日本」などと何故言えるのだろう。私たちは大きな罪を犯しているんじゃなかろうか。そんな気がして仕方がない。未来の子どもたちに、その罪を糾弾されたとき、私たちはなんと答えればいいんだろう。「―じじい、おれがこわいか」という泣き童子の問いかけが、私には震えるように恐ろしい。でも、そんな風に思う人間は、マイノリティに過ぎないんだと痛感してしまう選挙でした。「死んで白い腹を見せ、ぷかぷか浮きながら腐ってゆく鯉の眼」を持つ老人のように、その罪が自分に帰ってくるならまだ良いけれど。未来の子どもたちに背負わせるのは間違っている。「小雪舞う日の怪談語り」の、橋の上から異界にいってしまった女性のように、母親なら自分の命よりも子の行く末を願うもの。その人としての道を選ばなくなった私たちは、いつか「まぐる笛」に出てくる化け物のように、己を喰い果てていく道を選んでいはしまいか。宮部さんの冴えに冴えた筆が描く恐怖が、まざまざと胸に突き刺さる選挙の夜でした。

分別ざかりの大人たち
ゆめ 思うな
われわれの手にあまることどもは
孫子の代がきりひらいてくれるだろうなどと

いま解決できなかったことは くりかえされる
より悪質に より深く 広く
これは厳たる法則のようだ (くりかえしのうた)

これは、ツイッターで流れていた、茨木のり子さんの詩の一節。江戸時代に培われた日本人としての財産を食いつぶすように私たちは生きている。私たちが次の世代に残すものは、ゆめゆめ厄災や負の遺産であってはならないのだと。冒頭の「魂取が池」は、「この世のあちこちにあるに違いない、だけどわたしたちには知りようのない、けっして近づいてはいけない場所」に自分の欲望や浅知恵で踏み込んでしっぺ返しをくらう話です。私たちは、自分も含めて大きな闇を抱える存在です。そのことを忘れてはならないんだと。宮部さんの物語を読むたびに思います。読んでいる間は面白くて面白くて夢中になるんですが。読後にその重みがずしっとくるのがさすがの出来栄え。九十九まで続ける予定らしいので、こちらも長生きしてずっと読みたいシリーズでした。

2013年6月刊行

文藝春秋

わたしは倒れて血を流す イェニー・ヤーゲルフェルト ヘレンハルメ美穂訳 岩波書店

とっても痛い物語です。冒頭の自分の親指の先を切り落としてしまうシーンのリアルさに、正直びっくりしました。実は私も自分の親指の先を、ほんのぽっちりですが切り落としたことがあって、その記憶も相まって頭がくらりと・・・。うーん、痛い!でも、本当に痛いのはその指先よりも、心なんですよね。脈打つ痛みは、強く肉体を意識させます。自分の体に血が巡っていることを強烈に感じさせるという意味で、痛みは自分が生きている証でもあります。特に女は痛みと共に生きているようなもの。その身体性と心が呼応して強く脈打つ、少女の感性が鋭く描かれています。鍵は存在不安。そして、「自分」は何なのか、という大きな問いかけもこの物語の底に流れているように思います。そして、母と娘の葛藤と繋がりも。だからこそ、エキセントリックな主人公・マヤの中に潜む弱さと強さに、心が共に揺れるのです。

主人公のマヤは、美術の授業で電動ノコギリを使っているときに、誤って自分の親指の先を少し切り落としてしまう。その出来ごとにショックを受けたマヤは、離れて暮らしている母に連絡するが、返事がない。その翌日、離婚後の取り決めに従って母を訪ねたマヤだが、母は駅に迎えに来ず、家にもいないのだ。途方にくれたまま、マヤは母のいない家で一人で過ごすはめになってしまう。この母の不在は、ショッキングな事件にショックを受けているマヤをますます不安にさせてしまう。大学の心理学の教授である母は、「ママ」と呼んで無防備に甘えられるような人ではなく、「なにからなにまで、分析して、計画して、話しあわなきゃならない」性格の持ち主。肉体的な接触が苦手で、子どもをあやす、ということも出来ない。非常に知的でありながら、目の前にいるマヤの気持ちを考えることができない人なのだ。心理学の教授のくせに、普通に人と会話することは苦手な母。でも、幼いマヤが限りなく投げかける「なぜ?」という問いかけに、すべて答えようとする母。マヤは、そんな母に愛憎半ばする複雑な気持ちを抱えている。

痛みを抱えて母の愛情が欲しかったときに突き付けられた母の不在に、マヤが抱えている存在不安が間欠泉のように噴出してマヤを翻弄します。ネタばれになるのではっきりとは書きませんが、マヤの母親は、ある心理的な症候群の持ち主なんですね。彼女のマヤに対するときのベクトルの違い、ボタンを掛け違えるようなすれ違いは、そこに原因がありそうです。ただ、この物語は、母と娘の葛藤を、それだけに帰納させるものではありません。マヤは、自分の前から姿を消してしまった母のヤナについて、とことん考え抜き、その行方を追います。この、まっすぐ母に相対することは、マナの心から血を流させますが、同時に母が「母」という役割をもつ前に、「ヤナ」という一人の人間であることを感じさせるのです。初めて知る母の苦しみ。コミュニケーションをとることが難しい母の孤独。不在であるからこそ初めて見える母の姿は、マヤを打ちのめしますが、子ども時代を経て新しい関係を母と築くための、産みの苦しみでもあるのだと思います。

母と娘というのは、切っても切れない絆で結ばれる厄介な存在です。このマヤのような愛情の欠落感や存在不安は、決して特別なことではなく、誰もが心に抱えている痛みではないでしょうか。マヤの娘としての痛みは、私にも覚えがあります。そして、同時に母でもある私は、マヤの母としての苦しみもやはり身に沁みます。そして、自分が症候群という類型の中にいることを知ったときの、自分がいなくなってしまうような苦しさもわかるような気がするのです。身内に心の病をもつものを抱える人なら、これは誰しもが思うことだと思うのですが―こうですよ、と言われる症状を医師にあれこれ説明されても、どれだけその関係の本を読んでも、何やらつるつるの壁を目の前にしているような気がしてしまうことがあります。上手く言葉にするのは難しいのですが。たった一つしかない心の発する声が届く前に消えてしまうような、目の前で扉を閉められるような疎外感があるんですよね。簡単に片づけられてしまうことへの、不安かもしれません。(反対に病名がつくことで安心する気持ちもあったりするのが、これまた複雑なんですが)マヤの母であるヤナが、自分のアイデンティティとして自覚していたことが、実は症候群のせいだったかもしれないと思ったときの存在不安も、私にはひしひしと伝わってきたのです。だからこそ、そんなお互いの中にある不安を、たった一人のよるべない人間同士として見つめ合う二人の姿に心が震えました。その上で結びあう、これまでとは違う母と娘の絆が生まれるラストも、良かった。

「あなたに助けてほしいと思っています。理解できるように助けてほしい。ひとりでは無理だから。」

このヤナの声を、マヤは確かに聞いたのです。そのことが、爽やかな風のように心を吹き抜けていきます。ここから、二人は「自分は何なのか」という問いかけ、つまり人生そのものに新しい一歩を踏み出すのです。この物語には、ほかにも色んな人間同士の繋がりが出てきます。親友であるエンゾ。恋人になるジャスティン・ケース。(このジャスティンは、偶然なんだと思うんですが、メグ・ローゾフの『ジャスト イン ケース 終わりのはじまりできみを想う』(理論社)の主人公を連想させます)  年上の姉ごのようなセーラ。彼らが、ハリネズミのようなマヤをそっと包む気配もいい感じ。まあ、これはブラックなケレン味たっぷりなこの物語の中での安定剤なのかもしれませんが(笑)スプラッタな出だしで投げ出さず、最後まで読んでほしい。これも、岩波のSTAMP BOOKS のシリーズ。こんな風に好き嫌いがはっきり別れるだろう作品を持ってくる岩波の気風の良さに脱帽です。

2013年5月刊行

岩波書店

 

ゲンタ! 風野潮 ほるぷ出版

嬉しい『ビート・キッズ』シリーズの新刊です。なんと、ビート・キッズのヴォーカルのゲンタが、小学生の見知らぬゲンタと入れ替わってしまう物語。キレのいいテンポで、読後感も爽快。しばし暑さを忘れて読みふけりました。

小学校5年生のゲンタは、林間学校で行ったキャンプ場で高いところから落ちて気を失う。同じころ、キャンプ場の近くの高原でライブをしていたビート・キッズのヴォーカル、ゲンタもステージからジャンプしてそのまま意識を失ってしまう。そして、気がついたときには、二人は入れ替わっていた!というお話です。

大阪弁バリバリで、いらん笑いを取りにいっては滑る25歳の子どものようなゲンタと、少々ひねくれていて、こまっしゃくれた小学生のゲンタ。その二人が入れ替わって、右往左往しながらもとに戻ろうと悪戦苦闘。そのゲンタをサポートする25歳と11歳のサトシ、というなんとも憎い構成になっています。表のゲンタと裏のゲンタ―というと、どっちが表やねん、ということになるんで紛らわしいんですが。この二人、性格は違うんですが、どことなく「今」の自分に行き詰まり感があるんです。25歳のゲンタは、自分の家庭の事情が原因で、ライバルだったバンドに差をつけられてしまったのが面白くない。一方、11歳のゲンタは、母親が離婚するといって家を出ていったのを止められなかった自分が悔しくて仕方ない。もやっとしていた二人の心が入れ替わって別の体に放り込まれたときに、その体で体感することが、ビンビンとハートをゆさぶっていくのがとっても新鮮で楽しいんです。まさに、心のビートが伝わってきます。そして、大阪弁の飛び交うノリの中に、たまらん胸キュンが不意に現れるのに、私のような大阪もんは、特にやられてしまいます。

ツボは、25歳のゲンタのダメダメっぷり(笑)自分の携帯の番号ぐらい覚えときいや、とか。なんで11歳のサトシに全部おまかせやねん、とか。ものすごツッコミました(笑)いやもう、ほんまに「あかんやん」なゲンタなんですが、こういうアホで憎めんキャラを書かせたら、風野さんはほんまに上手いです。でも、その25歳のゲンタの刻むビートと音楽が、11歳のゲンタと彼を「歌う喜び」で繋いでいくんです。11歳のハートのゲンタが、たくさんのオーディエンスの前で25歳の体で歌う。そして、25歳のハートのゲンタが、サトシだけしかいない道端で、11歳の体で歌う。その時に訪れる至福の、無垢な喜びの手触りがまっすぐ胸に落ちてきます。

「歌うことは、喜びなのだ。声を出すことは―言葉を、心を伝えることは、喜びだったんだ。それを相手に伝えることも大事だけど、自分に伝えることはもっと大事だったんだ。」

この生きる喜びが、ビートになって心に伝わってくる。音楽の喜びって、今、ここにいる喜びに直結するんですよね。それを物語で伝えてしまう風野さんの言葉たちが気持ちよくて、ここ数日いろんなことで凹んでいた心に風穴があきました。子どもも大人も、先を見て歩くことばかりです。役に立つ大人にならなきゃいかんとか。どんなスキルを身につけるかで将来が変わってくるとか。そして、いざこの年齢になってみると、先に待っていることって、そんなに好いとは思えないあれこればかり。おいおい、ってそれこそツッコミたくなってしまう。そう思うと、私たちは限りなく「今」を失っているのかもしれないのです。音楽は、そんな私たちを「今」に結びつける営み。その輝かしい瞬間が、この物語には煌めいています。

そして、もうひとつ嬉しかったのは、最後に出てくるライブ会場が、万博のもみじ川広場だったこと。うふふ。地元です。夏のもみじ川というと、FM802のライブかなあ、なんて思うのも楽しい。自分のよーく知ってる場所が出てくると臨場感たっぷりで萌えます。久々にライブ行きたいなあ~と、音楽好きの血が騒いだ一冊でした。

2013年6月刊行

ほるぷ出版

by ERI

 

 

家と庭と犬とねこ 石井桃子 河出書房新社

石井桃子さんの書かれる文章が好きです。時折、いろんなテーマで絵本を探したりすることがあるのですが、そんな時でもふと引き込まれるのは、石井さんのテキストのものが多い。文章が伸びやかで暖かく、しかも凛としているんですよね。『たのしい川べ』や『くまのプーさん』、ブルーナのうさこちゃんのシリーズ(あのうさこちゃんのおしゃまな物言いが大好きで、どれだけ子どもたちに読んできかせたことか!)。『おやすみなさいのほん』・・・石井さんの本に触れずに大人になるのが難しいほど、たくさんの子どもの本に関わってこられた石井さん。戦前、戦後を通して、まさに日本の児童文学の基礎を作ってこられた方の一人でしょう。偉大な、という言葉が相応しい方なのです。でも、この本に溢れているのは、地に足をつけてひたすら自分の足で歩いてこられた女性のひたむきさです。迷いも苦しみもありながら、誠実に力いっぱい生きてこられた石井さんの息吹が、このエッセイたちから感じられるようで、私はそこに心打たれてしまいました。

実は、この本は二度読みました。石井さんの膨大なお仕事量や、かつら文庫での活動は知っていたのですが、宮城で一時期農業をしてらしたことは知らなかった。このエッセイを読んで、少々意外に思った私は、買い込んでそのままになっていた「新潮(2013年1・2月号)」の『石井桃子と戦争』を一気に読みました。これは、尾崎真理子さんという方が、晩年の石井桃子さんご本人から聞いたことと資料を突き合わせて、戦前から戦時中、戦後すぐにかけての石井桃子さんのことを詳細に書かれたものです。これを読んで、石井さんがどれだけ日本の児童文学の中心におられたのかを知って、改めて圧倒されました。この論文は、何しろ戦争というものが大きく児童文学にのしかかっていた時代のことでもあり、これから単行本として詳しい資料が付随されて検証されていく性質のものだと思います。でも、犬養家との縁や、石井さんが関わった作家や学者さんたちの名前を見ただけでも、まさに歩く近代文学史そのもの。戦前から、今につながる児童文学の礎を築いてこられた方なんだと。戦前に東京にあったブルジョア階級の若者たちの集まりなどにも参加して、びっくりするほど多彩なお仕事と人間関係に、気おされて頭がくらくらする想いでした。

でも、この『家と庭と犬とねこ』の石井桃子さんは、真黒になって労働し、何年も自分の作ったお洋服を着て、旅に出ても残してきた猫のことがひたすら気になったりする、とても慎ましやかな方なんです。「新潮」には、私が疑問に思った、なぜ石井さんが宮城で農業を始められたのかということについての、野崎さんなりの推測が書かれていました。それは戦時中に石井さんが関わった子ども向けの戦争推進作品との関連から、石井さんの贖罪の気持ちがあっての行動だったのではないかという推論でした。私にはその真偽はわかりません。でも、とにかく、石井さんがどのような気持ちで戦争の間を過ごされ、終戦を迎えられたのかを想い、暗然たる気持ちになったことは確かです。そんなことを考えつつ、思いつつ、もう一度私はこの本に帰ってきて、一からこの本を読みなおしました。そして改めて思ったことは、石井桃子さんという方の心の波長に、私はとても惹かれるんだという、誠に単純な一点でした。どんなに偉い方でも、物語やエッセイを通じて心の友達になれる、その幸せったらありません。集団就職で出てきた若い人たちに何度も会いにいく石井さん。ひなまつりのお道具を大切に大切にしまっておく石井さん。縁があってやってきた傷を負った猫を、最初はこわごわながら、そのうち親友のように大切に介抱した石井さん。このエッセイにあふれる、ひとりの人間としての石井さんが、私はとても好きなんです。静かに自分を深く見つめながら生きてらっしゃる、いい意味での不器用さと一徹さに、心が寄り添います。

「・・・目のまえにたくさんあるものは、人間はだいじにしなくなりがちだ。そこで、このごろは、本もなるで消耗品のようなありさまになってしまった」

「人間には、まだわからない科学的な法則―たとえば、体質とか、気質とかで、ぴったり理解しあえる人間とか、物の考えかた、感じかたがあるような気がする。・・・この自分の波長を、ほかの人のなかに見出すことが、人生の幸福の一つなんではないかしらと、私はよく考える。」

「人生をゆっくり歩けば、ひとりや二人は、きっとこんなにわかりあえる友だちや作家にぶつかるのではないかと思う」

共感すること。出会う人や、本との一期一会を大切に思うこと。石井さんの言葉のひとつひとつに、ああ、その通りだとしみじみ思う。そして、そんな風に出会いを大切にするのは、石井さんがいつも「ひとりでいること」をとても大切にしてらしたことと深い関わりがあるように思います。誰にも流されずに、ただ自分で在り続けること。日本の児童文学の中心にいて、どんなに華やかなお仕事をされても。どんなにたくさんの人たちに囲まれても。時代や風潮に流されず、ずっと「石井桃子」であり続けた石井さんのスタンスが、たくさんの、いつまでも輝き続ける作品を生み出された根本にあるのではないか。もしかしたら、そこには戦争を体験されたことも関わりがあるのかもしれない―とも思ったりします。物語という、たったひとりの心に寄り添うものは、戦争という大義名分の塊とは対極にあります。時代という大きな流れの中にあっても、たったひとりの自分の足で立ち続けること。それだけが、雪崩を打って間違った方向に進んでいこうとする暴力を押しとどめることが出来る。例えば、子どもの頃からの友達であるプーさんや、うさこちゃんがいる国と、戦争をしたいと思う人はいないでしょう。「ひとりの力」を静かに育む物語の力を、石井さんは強く信じてらしたのではないか。このエッセイを読んで、改めてそう思ったことでした。次は、『幻の朱い実』を読もう。そう思っています。

2013年5月刊行

河出書房新社

 

発電所のねむるまち マイケル・モーバーゴ ピーター・ベイリー絵 杉田七重訳 あかね書房

何度も何度も繰り返し語られねばならないことがある。例えば、児童文学の大きなテーマの一つである戦争。ヒロシマ、ホロコースト、強制収容所・・・これまで、幾多の物語が様々な苦しみの中の「たったひとり」の物語を紡いできた。時々、「何度も使い古されたテーマで物語を書くのは、進歩がないのでは」などと言う人もいるが、それは誠に間抜けな楽観主義である。私たち人間は間違いを犯す動物なのである。間違えまいとして考えに考えた挙句、大きな落とし穴に落ちたりすることもある。間違える動物である私たちが出来ることと言えば、何度も何度も、間違えた記憶を反芻し、なぜ間違えたのか、これから間違えないためにはどうしたらよいのかを、真剣に考え続けることくらいしかないと思うのだ。そして、その記憶は、たったひとりの心に寄り添うものでなくてはならない。私たちは、他人の苦痛に鈍感だ。特に、顔の見えない人たちの苦痛は、無かったものとして葬り去ることが出来る。だからこそ、「ひとり」の、名前と顔を持つ人間の心を描き切ることでしか、私たちはその苦しみを共有できないのだと思う。だから、物語は、何度も何度も書かれねばならない。『八月の光』の後書きで、朽木祥さんが、おっしゃっていた言葉。「二十万の死があれば二十万の物語があり、残された人びとにはそれ以上の物語がある」のだから。

原発の問題もそうである。チェルノブイリに、3.11の震災でのフクシマと、短期間に私たちは大きな事故を繰り返した。あれからたった2年と少ししか経たないのに、もはやマスコミも政治家も、原発の問題を論点にしなくなっている。むしろ論点にすることがタブー視されるような空気までも漂っている。今議論を尽くさずして、いつ尽くすのだろうと思うのだけれど。前置きがとても長くなってしまったけれど、この『発電所がねむるまち』は、原発で失ってしまったものを描く物語だ。表紙に描かれているような、生きる喜びがいっぱいに漲っている美しい湿原が、死の土地に変わってしまう物語だ。

この表紙でロバに乗って走っている少年が、主人公のマイケル。物語は、大人になったマイケルが、生まれ育った海辺の町を訪ねるところから始まる。少年の頃、その町には大きな湿原があった。ひょんなことから、マイケルは、そこに鉄道客車を置いて暮らしているぺティグルーさんと友達になる。ペティグルーさんは夫が事故で死んでしまったあと、一人で湿原で暮らしている。ロバと三匹の犬と、ミツバチと畑仕事、そしてたくさんの本と暮らしているペティグルーさんの客車の、なんて居心地よさそうなこと。いつぞや、ドキュメンタリーでトーベ・ヤンソンが夏の間暮らしていた島の家を見たことがある。小さい、まさに小屋のような家なのだけれど、その小ささが魅力的だった。生きていくのにこれだけあれば十分、という取捨選択を間違いなく選び取る知性と果断さ、そしてユーモアが溢れているような家。さすが、ととても惹きつけられたのだが、このペティグルーさんの鉄道客車の家も、そこに匹敵するほど魅力的だ。もう、ぜひ、そこはこの本を見て頂きたいと思う。ペティグルーさんは、湿原の中で、賢い動物のように過不足なく生きている。その人となりが伝わってくる。

マイケルと彼の母は、ペティグルーさんと友達になり、そこでとても幸せな時間を過ごす。広大な湿原と走る動物たち。降るような星空。幸せな日々―。ところが、ある日、その湿原に原発計画が持ち上がる。初めは反対していた人たちも、段々原発賛成にまわりはじめ、とうとうペティグルーさんは湿原から追い出されてしまうのだ。そんな犠牲の上に作った原発だったのに―久しぶりに帰ってきたマイケルが見たものは、使い古されてただのコンクリートの塊になってしまった原発と、かっての輝きをすべて失ってしまった故郷の姿だった。

「だからお願いです。もういちど考えてください。機械は完璧ではありません。科学も完璧ではありません。まちがいは簡単に起きる。事故は起きるのです。」

私もそう思う。どんなに安全基準を徹底しようとも、間違いは簡単に起きる。だって、その機械を管理しているのは人間なのだもの。自分の手で客車を燃やし、うつむくペティグルーさんの姿に、フクシマの事故で故郷を失ってしまった何万人もの人たちの姿が重なる。よしんば事故が起こらなくても、原発は廃炉にするのにも非常な手間と時間がかかる。そして、その後、また更地にしてしまえるわけでもない。放射能の半減期は人間の寿命など吹き飛んでしまうくらいに長いのだから。例えばコンクリートの石棺で覆い、何百年どころか何千年、何万年もの時を待たねばならない。しかも、コンクリートは劣化する。チェルノブイリのように、何十年ごとにより大きな石棺を作り続けねば放射能は隙間から洩れる。しかも、使用済みの核燃料をどうするかという問題もある。すべてが棚上げなのである。そこまで考えると、果たして原発は安い電力を産む、などと脳天気なことを言ってよいのだろうかと思う。今だけのコストパフォーマンス(この言葉は大嫌いだけれども)と引き換えにするものは大きすぎないか。この物語を読んで、ますますそう思ってしまった。この物語は、本当に「今」読まれるべき物語だと痛切に思う。

2012年11月発行

あかね書房

by ERI

 

白い人びと ほか短編とエッセー フランシス・バーネット 中村妙子訳 みすず書房

表題になっている『白い人びと』は、8年前に、文芸社から『白い人たち』として翻訳出版されているのを読んだことがある。そのときにも、非常に幻想の気配が強い作品だと面白く読んでいたのだが、今回再び読んで、ますます魅了されてしまった。この8年の間に、私もますます〈あちら〉よりになっているのかもしれない。

この物語の魅力は、スコットランドの茫々たる荒野にある。人間の主人公はイゾベルなのだが、彼女の役割は、人里離れた荒野と一体化し、その魅力をあまねく味わいつくすことにあるような気さえする。その年頃の少女の一般的な楽しみとはかけ離れた、荒野から生まれた精霊のような少女なのだ。イゾベルは、人里離れた厳めしい城に住んでいる。彼女が生まれたときに両親は死んでしまった。それからずっと親族の大人二人と住んでいるのだが、彼女の住んでいるそこは、まことに浮世離れしたところなのである。霧がヒースやエニシダの間に満ち、様々に形を変える荒野に囲まれた城。そして、幼くとも一族の長であるイゾベルには、専用の笛吹きがいたりする。バーネットの荒野の描写は冴えに冴えて、まさにこの世のものならぬ気配を湛えている。ここではない、どこか。あちらとこちらの狭間にあって、もやもやと二つが混じり合う場所。例えば、マイケル・ケンナの写真集や、内田百閒の『冥途』とかにもつながる〈あちら〉だ。ただ、面白いのは、イゾベルがあまりにも自然に、その〈あちら〉側にいることなのだ。さっきイゾベルが生まれたときに両親が死んでしまったと書いたが、正しくはイゾベルは仮死状態になった母親から生まれてくるのだ。彼女は、誕生のときから深く「死」に結びついた存在なのである。

イゾベルは、幼いある日、荒野で白い人たちに出会う。それは、まさに闘いの場から帰ってきたばかりの人々で、その中にいた幼い「小さな褐色のエルスペス」とイゾベルは友達になり、一緒に遊んだりするのである。しかし、その小さな友人が見えるのは、実はイゾベルだけなのだ。しかし、彼女にとっては、あまりに自然に彼らがそこにいるものだから、イゾベルは彼らがこの世のものならぬ人たちだとは気付かない。あらゆる場所で、イゾベルのすぐ近くに佇む白い人たちに、彼女は全く畏れを抱くことがない。人里離れた場所で、荒野と書庫を相手に暮らしているイゾベル。生身の人間よりも「白い人」に近しい彼女が、荒野と書物に非常に高い親和性をもっているということが、私にはとてもしっくりくる。

彼女は白い霧の向こうに耳を澄ます感受性を持つ人であり、古い書物に埋没することを喜びとする人。それは、根をたどれば同じことなのだと思うのだ。自然の声を聞くことと、書物の中の人間の営みに心を浸すことは、同じ波長の中にある。土地には、土地の声がある。優れた感性を持つ人たちは、その土地の声を聞く。例えば先日買った梨木香歩さんの『鳥と雲と薬草袋』などを読んでいると、ひとつの場所から、一つの地名から、梨木さんがどれほどの声を聞き取っているのかに、心がしんとする。いつまでもその頁にいたくなる。だから、全く読み進まないのだけれど。いしいしんじさんの本を読んでいても同じことを思う。いしいさんにとってどこに暮らすかは、彼の精神と深く結びつくテーマなのだ。そして、例外なく梨木さんもいしいさんも、〈あちら〉と〈こちら〉を超える、書物の人でもあるのだ。一族の族長であるイゾベルの血の中には、そこでずっと暮らし、一族の歴史を積み上げてきた時間が理屈ではなく堆積している。そして、書物に心を浸すということも、今、目の前にいない人たちの声を聞く営みだ。例えば、私が『小公女』の主人公、セーラ・クルーに対して抱く想いは、見知らぬどこかの誰かに対するものではない。セーラは、どこにいるよりも彼女のそばにいることが安らぎだった幼い頃からの私の親友なのだ。イゾベルにとっての「小さい褐色のエルスペス」への想いは、私にとってのセーラのようなものなのだろう。実際に、長じて後、イゾベルは書物の中に「小さい褐色のエルスペス」を見つけることになる。

そう思うと、この物語の中の「白い人」も、私たちが想像する幽霊とは、どこか違う存在のようなのだ。彼らはごく当たり前に生者のそばに佇んでいる。そして、ひたすらな愛情を寄り添う人や、自分の音楽に捧げているのだ。荒野を笛吹きのファーガスが意気揚々とやってくるシーンなどは、まさに喜びに溢れている。つまり、彼らは夢のような儚さを湛えてはいるけれども、「死」の昏さに囚われたものではなく、どこか憧れに繋がるような仄かな光を湛えた存在なのだ。その憧れは、後半、ヘクターとミセス・マクネアンという美しい親子と出会うことによって、ますます深まっていくことになる。このバーネットが生み出した物語世界では、自然も、過去に生きていた人たちも、「今」を生きるイゾベルも、すべてが等価に、存在している。私はそこに魅了されてしまうのだ。死も、生も、土地も、自然も、すべての則を超えてこの物語の中でひそやかな美しい会話を交わしている。その声をバーネットの言葉を通して聞くのは、〈あちら〉の気配がする物語に惹かれがちである私にとっては至福の時間であった。

実は、この作品の献辞は、十五歳で夭折してしまった息子のライオネルに捧げられている。この作品の後半、死は恍惚感を伴うほどの甘美さで、荒野の美しさと重ねられていく。それは、もしかしたら、生き残ってしまったバーネットが、その時強烈に息子が囚われた「死」に惹かれていたからかもしれない。実際読んでいても、あまりにも死が近しく甘美に語られるので、面喰ってしまうところもある。でも、だからこそ、この物語はバーネットにとって書かねばならないものだったのかもしれない。柳田邦夫さんがご子息を亡くされたとき、「書く」ということが一番自分の救いになったとおっしゃっていた。想像にすぎないが、やはり「書く人」であったバーネットもそうだったのかもしれないとも思う。この本には、『秘密の花園』のコマドリを思わせるエッセイ、「わたしのコマドリくん」や、バーネットが幼い息子たちに話して聞かせたような、「気位の高い麦粒の話」、庭に対する愛情を書いたエッセイの「庭にて」も収められている。エッセイは、大好きな『秘密の花園』に繋がるモチーフについて書いたもので、とても興味深かった。バーネットが愛したものたちが、この本にはいっぱい詰まっている。バーネットの作品に深い思い入れがある私にとっては、まことに堪えられない一冊だった。

余談だけれど、この八月に、友人と夏の旅行に行く予定を立てている。そこで、満月の夜に湿原を歩くという体験をしてみようと思っているのだ。イゾベルが月夜の荒野で体験した幽体離脱のような体験が出来るかも―というのは、無理だけれど。この物語を読みながら、ワクワクしてしまった。私にも、遥かな自然の声が聞こえますように。

2013年4月発行

by ERI

 

グーテンベルクのふしぎな機械 ジェイムズ・ランフォード 千葉茂樹訳 あすなろ書房

もし、私の人生に本が無かったら。想像することも出来ないほど真っ暗闇の人生だっただろうと思います。どういう遺伝子のいたずらなのか、物心ついてからずーっと活字中毒なんですよねえ。3つぐらいのときに、あいうえお磁石で文字を覚えたんです。「言葉」と「文字」が頭の中で結びついた瞬間、自分の中でぱちん、と音がして、もやもやしていたもどかしいものが、するん、とほどけていった。なーんて気持ちいい!と思った快感は忘れられません。それからずっと、私にとって文字は、活字は快楽なのです。その活字を発明してくれたグーテンベルクは、まさに恩人というか、心の御先祖さまというか、日々感謝を捧げても捧げ足りない人であることに間違いはありません。―前置きが長くなりましたが、この絵本は、グーテンベルクが発明した印刷技術を、手順を追って絵にしてある本なのです。紙と皮、真黒なインクと金や緋色やラピスラズリの青で飾られた美しいグーテンベルクの本が、どうやって作られたか。それは、グーテンベルクだけではなく、当時のすべての知恵と、気が遠くなるほど根気のいる作業の上に生まれたものだったのだと、この本を読んで思ったことでした。

頁の見開き左側に、「紙」「インク」「革」「金箔」などが項目ごとに語られ、一冊の本になっていくまでが順を追って解説されます。右側にはそれらの挿絵。唐草模様の装飾に、忠実に当時の風俗を再現した絵が見事です。凝りに凝った造りです。紙をすく人、革をなめす人、真黒になってインクを作る人、大きな木の機械を作る人―名前も残っていない、当時の職人や下働きの人たちが、ここにはとても丁寧に書きこまれています。ただ黙々と働いた、たくさんの人たちの努力があって、やっと一冊の本が出来る。そのことに対する尊敬と感謝がこの本から溢れています。

私にとって「読む」ことは、考えることと同義です。その訓練を長年紙の本で積み上げてきた結果として、私は読むことを紙の活字本から切り離すことが難しい。後書きで訳された千葉茂樹さんがおっしゃるように、印刷技術はここ数十年で恐ろしく進化を遂げて、グーテンベルクのような活字を使った印刷は無くなってしまいました。昔は―なんて話をすると、息子たちに過去の遺物を見るような眼をされるのですが(笑)―出版社ごとに活字が違って、本を開くとまず、どこの出版社かわかったものでした。活字と活字の間の微妙な空き具合や、紙の色の違い。組まれた活字から立ち上る気配のようなものを感じることも、読書の一部に組み込まれている世代です。ところが、「書く」ことになると、今度はパソコンに向かってキーボードを叩かないとダメなんですね、これが。原稿用紙に万年筆なんて、畏れ多くて何も書けない(笑)人間のこの順応性の高さと、一旦何かを自分の標準にしてしまったあとの融通のきかなさは、果てない世代格差を生むんですね、きっと。生まれたときから携帯端末が身近にあるような今の子どもたちは、情報ツールに対する意識も根本的に違うでしょう。印刷技術が発明されたことによって、母国語という概念が生まれ、中産階級が形成された。文学や哲学、科学技術を同時代の共有財産として分け合うことで、市民意識や民主主義が生まれていった。では、これから、私たちはこのインターネットの情報網を土台にして、何を生み出していくのだろう。ほんとに、これから何もかも変っていくのかもしれない。そうとも思います。

今、携帯端末に決して出来ないことは、この本に込められている「美」でしょう。装丁と印刷の美しさ。細部へのこまやかな心遣い。でも、それだっていつの日か、携帯端末が乗り越える時代が来るのかもしれません。でも、何があっても、どんな形態になろうとも、本がひとりひとりの心の扉を開くものであること、知る権利と自由を保障するものであること、国境も人種の違いも、性別も年齢も、時代も地理的な距離も、何もかもを超えて、ひとりの人間同士を繋ぐものであることは変わらないと思っています。数ある人間の中からたったひとりの人と友達になるように、本を愛する。その感謝と愛情を、この本と分け合えるのは、とても幸せな体験でした。グーテンベルクが発明してくれたのは、本によって魂の自由を得る幸せなのかもしれません。そのことを大切に、心から大切にしたいと思う一冊でした。

2013年4月発行

あすなろ書房

by ERI

 

いのちあふれる海へ 海洋学者シルビア・アール クレア A・ニヴォラ おびかゆうこ訳 福音館書店

タイトルの通り、それはそれは色鮮やかな海の生き物たちが溢れる本です。有名な海洋学者であるシルビア・アールの伝記絵本なのですが、絵が本当に素晴らしくて、いつまでも見ていたくなります。シルビア・アールは、12歳のときに移り住んだフロリダの海の生き物に魅せられ、海洋学者になりました。この本は、シルビアが海で出会ってきた生き物の姿に焦点をあてて描き出しています。生きていることは、こんなに美しいんだと感じさせる絵です。だからこそ、シルビア・アールの海に対する愛情が溢れるように伝わってくるのです。海の大切さ、そこに生きる命の美しさを目で体感することで、読み手がその愛情を共に感じることが出来る。どんな理屈よりも、心に訴える本の作り方だと思います。

いやもう、何度も言いますが、絵の力が半端ないのです。クジラが縦横無尽に泳ぎ回る絵だけでも、いつまでも見ていられそうなほど見事なんですよ。クジラというと、大きく悠々と泳ぎまわるイメージしかなかったんですが。こんな風にお茶目に泳ぎまわる生き物だったんですね。そして、海底に輝く星のような命のきらめき。エンゼル・フイッシュと一緒に泳ぐシルビアの眼差しの優しいこと。この本には、たくさんの美しいものがいっぱいに詰まっています。それだけに、後書きで作者のクレアさんが書いておられる海に対する環境破壊のあれこれが胸に刺さります。私たちの命は、多様性を基本にしたありとあらゆる存在に支えられているはず。しかし、どうも私たち人間は、競争や成長と称して、その多様性を潰していくほうに走っているような気がしてなりません。「地球の青い心臓」は、次世代の子どもたちのもの。原発の問題も含めて、未来にツケを残さないのが良識ある大人の取る態度だと思うのですが・・・。子どもにも、そしてたくさんの大人の人たちにも読んで欲しい本だと思います。

2013年4月刊行

福音館書店