[映画]もうひとりの息子 ロレーヌ・レヴィ監督

ある日いきなり、自分の子どもが「あなたの実子ではない」と告げられたら。 是枝監督もこの赤ちゃんの取り違えをテーマにして映画を撮っていましたが、この「もうひとりの息子」の設定はもっと過酷です。何しろ、赤ん坊は片方はイスラエル、片方はパレスチナという反目しあう国の間で取り違えられてしまったのだから。この映画は、思いもよらない状況に放り込まれてしまった二組の親子を描いた物語です。

イスラエルとヨルダン川西岸地区のパレスチナというと、かってのベルリンの壁よりも超えがたい壁が幾重にも重なっているように思います。現実として、そこには鉄条網が張り巡らされた分離壁がそびえ立っていて、映画の中で何度もクローズアップされて映し出されます。恥ずかしながら、私自身初めてこの映画でその分離壁を見たのですが、まるで「国」や「宗教」という大きな枠組みの超えがたさの象徴のように延々と、全く向こう側が見えないほどに高くそびえ立っているのに圧倒されました。しかし、この映画は、その何とも如何しがたい壁を超えようとする物語なのです。

この映画は、二組の親子がいきなり我が子の出生の秘密を告げられるところから始まるのです、その受け止め方が母親と父親では全く違うのが印象的です。同じ部屋に集められ、初めてお互いの顔合わせをしたとき、父親同士はまるで縄張りで出会った犬のように牙を剥きあうのだけれど、母親はただ見つめ合っただけで、お互いの胸にある辛さと苦しみを認め合うのです。ひたすら抱いて、ご飯を食べさせて、病気のときは胸もつぶれんばかりに心配して看病して。たとえ宗教がなんであろうと、どんな言語を話そうと、その母としての営みや赤ん坊を一人前にするときの苦労や喜びのあり方は同じなんですよね。お互いの瞳の中に苦しみを認めあったとき、苦しみがその愛情から生まれているものだということが理屈ではなく伝わってしまう。その共感が、同じように自分の胸にも伝わってくるのがわかりました。

2011年にノーベル平和賞を貰ったリーマ・ボウイーさんの自伝を読んだとき、男たちがいつまで経っても出来なかった停戦を、女たちが短期間に実現させてしまったことが書かれていたのを思い出します。イスラエル人として生きてきたヨセフは、ユダヤ教のラビにユダヤ人としての自分を否定されてしまう。そして、パレスチナ人として生きてきたヤシンは、分身のように仲が良かった兄に、いきなり敵視されてしまう。お互いのアイデンティティが揺らぐ日々の中で、ただひたすら手を差し伸べる母親がいるということが、二人の息子を支えていくんですね。そして、若者の心にお互いに対する共感と、一歩を踏み出そうとする勇気が芽生えます。

国家とか宗教とか。絶対に超え難いと思うものを、ただ一人の人間として向き合ったもの同士だけが超えていく。基本はここだな、と。人間は時代や国家との関わりから絶対的に逃げられない存在です。でも、物語は「個」を徹底的に描ききることでその縛りを唯一超えられるのではないのか。そこに、おとぎ話ではない希望が見いだせないか。脚本だけに3年かけ、国籍を超えて様々な国のスタッフとキャストをそろえてこの映画を撮影した監督の心にある願いが、非常に胸を打つ映画でした。

図書館に児童室ができた日 アン・キャロル・ムーアのものがたり ジャン・ピンポロー文・デビー・アトウェル絵 張替惠子訳 徳間書店

今では、児童サービスは図書館の基本中の基本です。でも、図書館に児童サービスが出来たのは、公共図書館という概念が成立し、「子ども」が教育を受ける権利を有するものであると認識されてからのことであり、それは近代史で言えばつい最近のことなのです。誰もが性別や年齢に関係なく、平等に教育を受け、知識を得て自分の意見を持つことができる。それは民主主義の基本であり、図書館はそのために必要不可欠な、国民の「知る権利」を保障するためのもの。でも、その権利は長い間に渡っての、先人たちの地道な努力の上に成り立っているもの。初めて司書の勉強をして図書館の成立史に触れたとき、非常に感動したのを覚えています。この絵本は、世界で初めて、図書館に児童室を作ったアン・キャロル・ムーアの物語です。

アンが子どもの頃は、図書館で子どもが本を借りる、ということさえ出来ませんでした。特に女の子が勉強をする、ということも許されなかった時代です。その中で、アンは自分の力で道を切り開き、他の先駆者たちと協力して、公共図書館における児童サービスの基礎を築いた人なのです。アン・キャロル・ムーアはとても活動的で世話好きのきさくな女性だったようです。日本の児童文学にとても大きな役割を果たされた石井桃子さんが、アメリカに留学したときにアン・キャロル・ムーアに出会ったときのことを「児童文学の旅」(岩波書店1981年刊)に書いてらっしゃいます。(余談ですが、この本は石井さんがサトクリフやファージョンのもとを訪問したときの話も収録されていて、非常におもしろい。外国児童文学がお好きな人はぜひご一読を)アンは日本からきた石井さんをとても大切にして、あちこちに紹介し、自分でもニューヨーク中を案内してまわったとのこと。その頃、アンはアメリカ図書館界の大御所でしたが、いたずらっ子のように瞳をきらきらさせて、石井さんを血の繋がった姪っ子のように可愛がったのでした。その石井さんは、帰国後「かつら文庫」(現在の東京子ども図書館)という私設の文庫を開きました。石井さんがどれだけ日本の子どもたちのために力を尽くされたかは私などが書かなくても非常に有名なことですが、その精神の真ん中に、アメリカでアン・キャロル・ムーアのような女性たちと出会ったことがあったのではないかと思います。この絵本では、アンの人生がわかりやすく描かれていますが、子どもたちにとって「図書館の児童室」というものがはじめからあったものではない、ということを、ぜひこの本を通じて知って欲しいなと思います。

思えば、私自身、子どもの頃に図書館で本を借りたことはほとんどありませんでした。市で唯一の図書館は、子どもの足では行くのが難しい山の上にあり、ある日同学年の子が自転車で勢いよく山を下った際に事故を起こして命を落としてしまったこともありました。苦労して行ったところで、そこにはあまり魅力的な子どもの本も無かったんですよね。だから、今私が働いているような図書館の児童室があったら、幼い頃の私はどんなに嬉しかっただろうかと思います。でも―これは日々の実感なのですが、子どもたちがふらっと自分のために図書館にやってくることは減っているように思うのです。教育熱心な両親に連れられてやってくる子どもたちはいるんですが。これは、これからの児童サービスをどうしていくのかという自分たちの課題なのですが、その一つのヒントが、この本にあると思ったんですよ。こつこつと子どもたちに本の紹介をしたり、児童室での楽しい催しを企画すること。常に書架を魅力的にしておくこと。司書が常に児童室にいて、子どもたちと関わり、彼らと話をすること。基本中の基本ですが、やはりそこなんだよな、と思います。どれだけ情熱を持って子どもと本に関わっていくか、どれだけ魅力的なライブラリアンになれるか、というところなんですよね。

児童室があって、子どもたちが自由に自分の好きな本を借りることができる。それは当たり前のことではありません。日本だって戦後になって、たくさんの努力の上にやっと実現したことです。世界に目を向けてみれば、女の子が学習する権利を唱えて殺されかけたマララさんや、児童労働の悲惨さを訴えて殺されてしまったイクバルのように、宗教や貧困などの理由で子どもたちの権利は簡単に左右されてしまうのです。それが日本の子どもたちと関係のないことだとは、私には思えません、図書館の根幹には平和があり、思想と良心の自由があり、それは憲法と同じく「不断の努力」によってしか維持されない。そのことを、大人も―特に図書館で働く人間は肝に命じなければならないし、子どもたちにもよく知って欲しいと思うのです。この本は、ライブラリアンにとって、大切な一冊だと思います。訳された張替惠子さんの後書きも必読です。

2013年8月刊行
徳間書店

おいでフレック、ぼくのところに エヴァ・イボットソン 三辺律子訳 偕成社

たくさんの物に囲まれて何不自由なく暮らしていても、心が空っぽなハルという少年がいます。彼は犬が欲しいと両親にお願いしますが、贅沢な家が汚れるのが嫌いな母親はそれを許しません。でも、どうしてもと願うハルに、両親は彼にレンタルであることを隠して犬を与えます。ところが、そのフレックという犬は、少年にとってはたった一匹の運命の犬だったのです。しかし、両親は残酷にもだまし討ちのようにして、二人を引き離します。とことん家族に絶望したハルは、自分の手でフレックを取り戻し、彼を理解してくれる祖父母のところに旅することを決意します。この物語は、自分で生き方を決めるために一歩を踏み出す犬と少年のお話です。

子どもって、ハルのように家出したい、と思う気持ちを願望のように持っているものではないかと思うのです。この物語で、ハルの両親、特に母親はとても愚かな面を強調して描かれています。新しもの好きで、お金持ちで、息子にたくさんのモノを与えるけれど、彼が何を望んでいるのかは考えたことがない。それなのに、「こんなにあの子のために色々しているのに」と思ったりする。確かに嫌な人たちなのですが、うーん、親ってこういう愚かなところ、ありますよね。こんなに極端ではないにしろ、自分の価値観が先走って、子どもの心を置き去りにしてしまうことはよくある話です。自分の子育てを振り返っても、あったなあと今更ですが思います。親子であっても―いや、時に親子だからこそ、お互いが違う人間であるということをちゃんと認識して認め合うことは至難の業です。多かれ少なかれそういう親子のしんどさは、誰でも抱えている普遍的な問題でもありますし、また、「自分は親とは違う」と思うことは、思春期の入り口に立つ子どもたちが初めて出会う人生の課題でもあるでしょう。それだけに、この物語に丹念に綴られているハルの絶望と怒り、フレックを愛する気持ちは、子どもの心を捉えて放さないのではないかと思うのです。

ハルはフレックと、おてがるペット社に閉じ込めれられていた4匹の犬たち、そしてピッパという少女と共に、自分の居場所を求めて旅に出ます。セントバーナードのオットー、プードルのフランシーヌ、コリーのハニー、ペキニーズのリー・チーとしっかり者のピッパという個性豊かな彼らが転々としていく旅は、ハルの両親が雇った探偵たちからも追われる、なかなか苦労の多い旅です。でも、ブレーメンの音楽隊のように、みんなで困難を乗り越えていく痛快さがあって、一瞬たりとも目が離せません。印象的なのは、この旅の中で、4匹の犬たちがそれぞれ自分の居場所を見つけていくこと。そして、その居場所は、自分が、誰かを笑顔にするために生きられる場所だということです。何を心の羅針盤として生きていくのか。これは、いつの時代にも難しい課題ではありますが、これからを生きる子どもたちには、私たちの世代とはまた違う大変さがあると思います。グローバル、と言えば聞こえはいいですが、これから企業が国家を超えて流動的に変化していくことが加速してくるでしょう。誰も時代の波の中で生きていかざるを得ないわけで、その中で自分の居場所をどこに見つけ、何を喜びとして生きていくかは、非常に見えにくいものになるだろうと思います。イボットソンが、この物語の中で、愚かさと美しさとして描き分ける人間と犬の姿は、彼女が子どもたちに送る一つの提案であると思います。ハルとフレックを結びつける、自分が誰かの喜びであることの幸せ。その喜びをを心ゆくまで感じることが、自分の人生の扉をあける力になる。ハルは、フレックと生きたいと強く願ったことで、自分と周りを変えたのです。

この物語はイボットソンの遺作だそうです。物語と子どもたちへの愛情がいっぱいに詰まったこの作品は、私をとても幸せにしてくれました。うちには猫は2匹いるけれど、犬はいません。息子たちに犬を飼ってやれば良かったと今更ながらに思います。動物には、幸せにまっすぐに向かおうとする力があります。優れた子どもの物語にも同じ力があって、私はそこに惹かれるんだなと改めて思うことが出来ました。また、この物語の中に出てくる、動物虐待すれすれのおてがるペット社のように、動物の命を軽んじてお金もうけをする人たちは、実際にたくさんいます。無理な繁殖を繰り返して、さんざん子どもを生ませた挙げ句に捨てたり、処分しようとしたり。狭い場所に病気になるのも構わず詰め込んだり。人間ならまさに犯罪そのものなのに、動物たちにはなかなか救いの手がさしのべられません。そして、犬猫を収容するセンターには、常に売れ筋の純血腫たちが持ち込まれます。この物語は動物も心と体温を持ったかけがえのない存在であることを教えてくれる。個性豊かな犬たちの名前と顔が、子どもたちの心に自分の心の友として刻まれること。これもまた、イボットソンの残した宝物ではないかと思います。動物は、特に犬や猫は、人間の一番の友達です。そして、いつも笑い会える友達こそ、人生の宝物ですもんね。

2013年9月

偕成社

花びら姫とねこ魔女 朽木祥作 こみねゆら絵 小学館

もう5年ほど前になるんですが、当時はまだ外に遊びに出していたうちの猫が、数日の間行方不明になったことがあります。いつもなら名前を呼べば帰ってくる子が夜になっても帰らない。さあ、そこから私がどんなにうろたえたか、苦悩の数日間を過ごしたかは、興味のある方は当時の日記をお読み頂くとして-靴下を何足も履き破ってしまうほど愛猫を探し歩きながら、ずっと考えていたことは、「なぜ、ぴいすけじゃなきゃダメなんだろう」ということでした。早朝や夜に猫のいそうな場所を探しながら歩いていると、飼い猫やら野良さんやら、たくさんの猫に出会います。その度に「うちの子じゃない」とがっくりし、狂おしいまでに自分の猫をこの手で抱きたいと思った、あの渇望。猫はこんなにたくさんいるのに、どうして私はあの子でないとダメなんだろうと、よその猫を見るたびに苦しいほどに思ったあの気持ちを、この絵本を読んで久しぶりに胸をつかまれるほど思い出してしまいました。

花びら姫は、五月のばらよりも綺麗なお姫様。自分の美しさをよーく知っているお姫様は、「とくべつ」なものだけを求めて、家来たちに集めさせておりました。ところが、ある日妖精たちのパンケーキをつまみ食いしてしまったせいで、花びら姫は恐ろしい呪いをかけられてしまい、凍える寒さの北の森にある石の館に、ムカデやカエルと住むことになってしまいます。その呪いを解くには、「とくべつ」な猫が必要。そこで、呪いのかかった花びら姫、つまりねこ魔女は、そこら中から猫を探してさらってきますが、手当たり次第に集めたどの猫も、「とくべつ」ではないのです。その彼女に「とくべつ」を教えたのは、誰だったのか。「とくべつ」って何なのか。それが、この絵本のテーマになっています。

花びら姫は、誰も愛したことがなかったんですよね。愛したのは自分だけ。だから「とくべつ」がわからない。彼女が閉じ込められた北の森の館は、本当は誰も愛さなかった彼女の心の中だったのかもしれません。その彼女の凍てついた心を溶かしたのは、どこにでもある、でも、たった一つしかないもの。それは、私が、どうしてもぴいすけを抱きしめたいと思った気持ち。初めて抱き上げたときの柔らかさに感じた愛しさから始まって、毎日交わす眼差しや、寄り添う体温の中に育てているものに違いありません。私は、お散歩してるワンちゃんと飼い主さんを見るのがとっても好きですが、それはお互いを「とくべつ」と思っている気持ちを感じるからなんだと思います。あと、猫を猫可愛がりしている、もしくは猫に下僕のようにお仕えしている(笑)ベタ甘の猫ブログを見るのも、とっても好きなんですよね。猫という生き物は、人間に愛されれば愛されるほど猫らしく、「うふふ。私ってとくべつ」と輝いているように思います。猫が大好きでご自分も猫さんと暮らしておられる朽木さんとこみねさんは、そこがとてもよくわかってらっしゃる。ありふれているけれど、かけがえのないもの。日常の中にごく当たり前にあるけれど、本当はふたつとない大切なもの。この絵本は、そんな自分のそばにある「とくべつ」を教えてくれる。読み終わったあと、思わず自分のそばにいる可愛い子を抱きしめたくなる。自分の愛するものが、きらきらと輝いてみえる。そんな絵本です。

実は、この絵本に描かれている猫さんたちは、みーんな誰かの「とくべつ」なのです。ツイッターで、この絵本のために愛猫の写真を募集があったんです。2月ぐらいだったかな?もちろん、私もちゃんとうちの猫さんふたり、ぴいすけとくうちゃんの写真を送りました。こみねさんは、その全部の猫さんたちを、丁寧に丁寧に、一匹一匹この絵本に書き込んでくださったのです。なんと、全部で80枚以上の原画をお描きになったとか。うちの子たちも、ちゃーんとおります。「うちの子、わかるかなあ」と思っていたのが申し訳ないくらいに、一目見て「あっ、これ、うちの子!」とわかりました。それだけ、ほんとに愛情込めて書いてくださったんだと、もう感涙で、それからどれだけ人に自慢しまくっていることか(笑)自慢用の一冊を用意して、持ち回っています。きっと、私のように自慢しまくっている飼い主さんたちが、日本中にいますね。今、ざっと数えただけでも100匹近くの猫さんがこの絵本におりましたよ。凄い!だから、この絵本にはたくさんの、でも、たった一つしかない「とくべつ」が詰まっています。こみねさんの筆は、その愛情を感じ、朽木さんの描き出す心の物語に感応して、冴え渡っているようです。もう、隅々まで美しい。どの頁を見ても見飽きない。見れば見るほど引き込まれます。朽木さんの繊細な文章とこみねさんの絵の素敵なマッチング。「細部に神が宿る」とはこのことかと思いますね、ほんとに。

私はきっと、一生この絵本をそばにおいて、誰かれ構わず自慢しまくることでしょう。「また、はじまったで、ばあちゃんの自慢話」「何回聞かされたかわからんな、もう耳タコや」「もうしゃあないな、あれがたった一つの自慢なんやから、聞いたれや」と言われることでしょう。もし、将来孫なんかが出来たら、きっと嫌というほど読み聞かせてしまうに違いない。入手してから、枕元に置いて毎日眺めております。大好きな朽木さんのテキストで、大好きなこみねさんの絵の本に、うちの猫たちがいるなんて、これほど幸せなことはありません。この本は、私の「とくべつ」な一冊です。

2013年10月刊行

小学館

 

 

 

光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島  朽木祥 講談社

「美」はいつも心に新しい感動をくれる。美しさは人の心の扉を開いて、そっと奥底に滑り込む。夕焼けが、樹々や海の色が人の心にいつも何かを語りかけるように、「美しい」ということは私たちの心を解き放つのだ。ヒロシマの物語、というと「怖い」「恐ろしい」という拒否反応が特に子どもたちには生まれがちだが、この『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』は、ヒロシマの記憶を残された人たちの心と共に伝えながら、しみじみと美しい。この作品は、児童文学というジャンルにおいて、「ヒロシマを美を以て語る」という難しいことをやってのけたのではないかと、読み終えてまず思ったことだった。卓越した文章力がある朽木さんだから出来たこの物語は、灯籠の光とともに、原爆投下前の廣島、あの日のヒロシマ、そして現在の広島を繋いで確かなメッセージを刻み、読み手の心に色鮮やかに流れ込んでくる。

舞台は、あの日から25年後の広島。犠牲者を悼む色とりどりの灯籠流しのシーンから始まる。12歳の希未は、母が何も書かれていない白い灯籠を流すことに初めて気がつく。「あれは誰の灯籠なんだろう」と思った希未に、一人の老婦人が声をかける。「あなたは、おいくつ?」どうやら、老婦人は誰かの面影を希未に見つけたようなのだ。その老婦人のことが気になっていた夜、希未は仏壇の部屋で声を殺して泣く自分の母を見る。「もはや戦後ではないと言われ始めたころになっても、人びとは変わらず誰かを待ち続け、探していたのである」これは、朽木さんが書かれた「過ぎたれど去らぬ日々」(※1)という文章の一節だが、25年が経っても希未の周りにいる人々は、それぞれ亡くなった人の面影を心に「うつしえ」として刻んだままなのだ。希未は、ひょんなことから自分の通う中学校の美術教師である吉岡先生にも、忘れられない人がいることを知る。そして、その吉岡先生の入院をきっかけに、希未たち美術部は「あのころの廣島とヒロシマ」というテーマで文化祭に向けて作品を作ることを決め、自分たちの身近な人たちのかっての「廣島」と、あの日の記憶 「ヒロシマ」を聞くことにする。そのための打ち合わせのために若い希未や俊が話し合っている言葉の一つに、私ははっとした。

「よう知っとると思うとることでも、ほんまは知らんことが多いよな」
「よう知っとると思うとる人のこともね・・・・・ 」

この夏にNHKが放送した『ヒバクシャからの手紙』という番組を見たのだが、68年経った今でも、自分の娘や息子たちに被爆体験を語れない人たちがたくさんおられる。親しい肉親相手だからこそ、語れない人も多い。この「語れない」というところに、何が込められているのか。その言葉にならぬ思いを、朽木さんはこの作品の中で、丁寧に選び抜かれた言葉で綴られているように思う。この本の献辞は【世界中の「小山ひとみさん」のために】と綴られている。小山ひとみさんは、戦死された息子さんのことを歌った短歌をたくさん新聞に投稿された実在の方で、この物語にも何首か紹介されている。その短歌には、夫も子どもにも先立たれた小山さんの、極北に一人佇むような日々が凝縮されているようだ。先日の講演会で聞いたところによると、朽木さんはこの小山さんの短歌をリアルタイムで読んでおられたらしい。私は母親だから、やはり、息子を失った母の辛さに共鳴してしまう。そのしんしんと伝わってくる思いが、作品中に挿入される一人一人の記憶の物語と深く響き合って、まるで昨日自分の身におこったことのように身に染みた。吉岡先生の、耕造の祖父母の、須藤さんの、そして、希未の母が流す灯籠に託された思い。「知っていると思うとる人」が心の奥深くにしまい込んでいた記憶、顔の見える身近な人たちの見えなかった苦しみに触れることは、希未たち若者の心に新しい目を開いていく。人を成長させるのは、誰かの苦しみや痛みを自分自身のものにする力、「共感共苦」(Compassion)(※2)の力なのだ。お見舞い帰りのバスの中で吉岡先生の気持ちに気がついて大泣きしてしまった希未の涙は、今まで気づかなかった他人の心に深く共感したからこそ生まれてくるものであり、その共感は、この混沌とした世の中でいったい何が真実なのかを見抜く鍵でもあるのだと思う。

そう、この「よう知っとると思うとることでも、ほんまは知らんことが多いよな」という一言には、私たち人間が常に意識して考えていかねばならない深いものが隠されている。 1996年にノーベル賞を受賞したポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカは、言う。自分に対して「わたしは知らない」ということが、自分の選び取った仕事に対する不断のインスピレーションを生むものだと。そして、反対に「知っている」と思うことの危険性についてこう述べている。「どんな知識も、自分のなかから新たな疑問を生み出さなければ、すぐに死んだものになり、生命を保つのに好都合な温度を失ってしまいます。最近の、そして現代の歴史を見ればよくわかるように、極端な場合にはそういった知識は社会にとって危険なものにさえなり得るのです。」(※3)私たちはヒロシマを知っていると、記憶していると思っていた。少なくとも、私はそんな風に思い込んでいた。ところが、だ。真の記憶として心に刻まずにいた核の恐ろしさは、いつの間にか「知っている」と思う傲慢さの陰で忘れられて、日本は名だたる原発依存の国になっていた。そのことが、3.11のフクシマに繋がっているのだと私は思う。そんな私たちに、この物語は静かに語りかける。「あなたは知っていますか?」と。真の意味で、「知ろうとしていますか?」と。この、固定概念や思い込みを解き放ち、新しい目で、新鮮な心で物事の本質を見極めようとする、それは物語の力であり、芸術の力なのだ。

しかし、この『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』でも語られているように、美術や音楽、芸術は、国が危険な方に向かおうとするときに一番に弾圧されてしまう。「戦争が始まって真っ先に無用とされた科目は美術や音楽だったって。あと本もたくさん規制されたって」というのは事実だ。なんだか、その萌芽が今、あちこちに芽生えているような気がするのは私だけなんだろうか。(余談だけれど・・。「役にたたない」というお題目のもとに、文学や哲学さえも大学の学部から無くなっていくことが、私には何か恐ろしいことの始まりのように思えてならない。)希未や俊は、絵や彫刻を制作し、自由に「あのころの廣島とヒロシマ」を表現することで新しい心の目を開いていく。そして、ヒロシマを出発点として、その眼差しはもっと広がっていくのである。子どもを、若者を自分たちの都合の良いように使いたがる大人は、まずそういう自由な心の目をふさごうとする。吉岡先生からの手紙の中で述べられている「加害者になるな。犠牲者になるな。そしてなによりも傍観者になるな」という言葉は、心の自由を奪われない未来に向けての、これからを生きる子どもたちへの大切なメッセージだ。そして何より私がいいなと思うのは、この物語の中で、そのメッセージが「自分たちの出来ること」と結びついていることだと思う。大きな暴力や社会的な問題に対するとき、人は自分の小ささと非力を感じて、無力感に襲われてしまう。自分に出来ることなど、何もないと思ってしまいがちだ。私もずっとそう思っていた。しかし、吉岡先生が手紙の中で希未たちに伝えているように、「この世界は小さな物語が集まってできている。それぞれのささやかな日常が、小さいと思える生活が、世界を形作っている」のだ。そこから離れたところに、人の幸福はない。だからこそ、私たちは自分たちの小さな人生の中で何度も大切な記憶を心に刻みつける必要があるのだ。小さいからこそ出来ることがある。心に小さな灯籠流しの光を刻むことが、まことしやかに語られる大きな嘘を見抜く礎になるはずなのだ。希未や俊や耕造が、小さな「自分に出来ること」を精一杯やり遂げたことが、彼らの身近にいた人たちに、どんなに希望を与えたか、この物語の最後に原爆ドームを照らした色とりどりの美しい輝きを、どうか味わって欲しい。

ヒロシマは、過ぎた過去のことではなく、これから世界中どこにでも起こりえることでもあるし、この世界のどこかで、今、起こっていることでもある。ヒロシマを深く記憶することは、過去と現在と未来を繋ぐ視点を持つことではないか。私は最近ようやく、そんな風に考えるようになった。この物語のサブタイトル『廣島 ヒロシマ 広島』が意味するところも、そこにあるように思う。この物語は、これまでヒロシマを知っていたつもりであった私のような大人にも、これからヒロシマを知る子どもにも、非常に大切なことを丁寧に伝えてくれる物語だと思う。原爆についての基本的な知識もきっちりと書かれている。たくさんの人に読んで貰いたいし、『八月の光』(偕成社)の時にも思ったのだが、ぜひ翻訳されて海外の人にも読んで頂きたい。

2013年10月11日発行

講談社

 

(※1)「過ぎたれど去らぬ日々」朽木祥 子どもの本2012年9月号 日本児童図書出版協会

(※2)「「記憶」から去らない姿」朽木祥 子どもと読書 2013年7・8月号 親子読書地域文庫全国連絡会

(※3)「終わりと始まり」ヴィスワヴァ・シンボルスカ 沼野光義訳 未知谷

朽木祥講演会と池袋ジュンク堂でのブックフェア

久しぶりの更新です。何と一ヶ月近く放置してました・・。今日からまたぼちぼちと更新していきます。実はその間、堅い文章を一生懸命書いていたので、自分のブログにどんな感じで書いていいのか軽く戸惑い中(笑)

更新はさぼっておりましたが、その間にも文学オタクはますます昂進しておりまして、この週末は東京のオリンピックセンターで開かれた、親地連(親子読書地域文庫連絡協議会)の全国大会に行ってまいりました。一番のお目当ては朽木祥さんの講演会『物語の力』ですが、夜の交流会も次の日の分科会も、非常に充実した内容で有意義な時間でした。はるばる行って、本当によかった。まず、朽木祥さんの講演会のご報告と感想を・・・。

朽木祥さんの講演会のタイトルは「物語の力」。去年上梓された『八月の光』(偕成社)と、刊行されたばかりの『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』(講談社)を中心に、「ヒロシマをどう伝えるか」というお話でした。その鍵は“Compassion”(共感共苦)だと。この、人の苦しみを他人事にせず、自分の痛みとして記憶する、という営みをいろんな手法で積み重ねてらっしゃる朽木さんのお仕事に、私は深く共感するところがあります。『彼岸花はきつねのかんざし』(学研)はきつねと少女が心通わせるファンタジーの手法で。そして、『八月の光』は精緻なリアリズムの手法で。その「物語の力」で、忘れっぽい私たちが見失いかけている大切なことを問いかけてくださるように思うのです。朽木さんも講演の中でおっしゃっておられましたが、私たちが(少なくとも日本人の大部分が)ヒロシマを忘れてしまっていたことは、そのままフクシマと繋がっているように思うんですよ。だからこそ、今、またヒロシマを深く記憶する必要があるんですよね。でもでも・・・そんな風に思う人間は、少数派なのかと、憲法改正やオリンピック招致の際の原発に対する発言、『はだしのゲン』に対する圧力なんかを見るたびに苦しい思いに駆られてました。でも、朽木さんのお話を聞いて、やっぱりここで、子どもたちにしっかり過去のことを伝えていかなきゃいけないんだと思いました。「声高にではなく、静かな声であきらめず、しぶとく語ること」と朽木さんはおっしゃった。「静かな共感を呼ぶ物語を書きたい」と。

世間を暗い方向に引きずっていこうとするプロパガンダは大声でがなり立てることで、聞き手を思考停止に陥らせます。人は、暴力や破壊に惹かれていく一面を持ち合わせていて、私の中にも、そういう衝動は確かにある。でも、心に静かな声で語りかける愛しい物語の主人公たちが住んでいたら。きっと、そんな衝動に優しい手を当てて引き留めてくれると思うんですよね。朽木さんの物語には、そんな優しさと力があります。新刊の『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』もヒロシマがテーマで、そのお話もたくさんしてくださいました。ネタばれになるので詳しくは書きませんが、「芸術の力」と「失われた声を聞くこと」という二つが重要なモチーフになっているとのこと。「被害者、加害者という次元ではなく、この人類が経験した未曾有の事件を、人類共通の問題として記憶し、伝えたい」と語っておられたことを、しっかり覚えておきたいと思います。

こうして書くと、ひたすら堅い重い講演会かという感じですが、所々でユーモアも交えながら、ぎゅっと中身の詰まった一時間半でした。最後にファンタジーの物語に触れて、「ファンタジーを読むことで心が育ってくる。幸福な約束をちゃんと果たして終われることが児童文学のすばらしいところ。この世の楽しさも味わってもらいたいし、自由な心と深い知性を育てて欲しい」と述べておられたことに、深く頷きました。『光のうつしえ』と『花びら姫とねこ魔女』にもサインをして頂いたし。大満足でした。私ももっと勉強しなくちゃなあと、教養の塊のようなあれこれをお聞きして思ったことでした。

朽木祥さんの新刊『光のうつしえ』(講談社)と『花びら姫とねこ魔女』(小学館)については、また改めて長々と書きます。(笑)

池袋のジュンク堂で、新刊発売に合わせて朽木祥ブックフェアが開催されています。私も行ってきましたが、とっても可愛くコーナーが作ってありました。可愛いミニ冊子もありました。これは数量限定でいつ無くなるかわかりませんが、貰えます。 初日に行けてラッキーだったなあ。10月いっぱい開催の予定だそうです。

親地連のことも書きたかったのに、時間ぎれ。また明日・・・。

by ERI

八島ヶ原湿原 8月のフルムーンミーティング 月の雫

八島ヶ原湿原は、霧ヶ峰の北西部にあります。ここのフルムーンミーティングのHPを見つけたのは、本当に偶然だったのですが。「これは、是非行かねば!」と野生の勘が働いた自分を褒めてやりたいほど素晴らしい経験になりました。

この日は朝から曇りがちのお天気で、予報では夜は雨だったんです。集合の7時30分の時点では、空は分厚い雲に覆われていました。しかし、案内して下さるビジターセンターのスタッフの方によると、満月の夜は曇っていても懐中電灯がいらないくらい明るいとか。半信半疑で出発しましたが、何にも人工的な灯りのない湿原に目が慣れてくると、すべてが仄明るく浮かび上がって見えてくるのがわかります。湿原には人間が勝手に踏み込まないために木道が作ってあるのですが、それがくっきりと見えてきます。木のシルエット。前を歩く人の靴。池の水が月を反射して白く見える。様々な白と黒のコントラストの中を歩いていると、自分が徐々に夜行性の動物になったように感覚が研ぎ澄まされていくのがわかります。

フルムーンミーティングは静寂が御馳走です。ガイドの方も必要最小限の話声だけで、なおかつあちこちでただ静かに佇む時間を設けてくださいます。湿原の真ん中で、木道を枕に寝そべると、雲の切れ間から夏の大三角の星々が煌めいていました。風の音が聞こえ、遠くの空には雷が時折光っています。たくさんの虫の声・・・。夜の湿原という非日常の中に自分がいるということが不思議で、でもこの上なく安らかな気持ちなのです。またしばらく歩いたあと、木道の途中で設けてあるベンチで、小さな小さな灯りを点けてお茶会。熱いハーブティーとクッキーを頂きました。なんだか絵本の中に迷い込んだ気持ち。ノルシュテインの『きりのなかのはりねずみ』くんがこぐまくんとしたお茶会は、こんな感じだったのかも。そう思った途端、雲が切れて満月が顔を出しました。

その月の、何と眩しかったこと!闇に慣れた目には、まさに銀の雫が降り注ぐような明るさでした。木道に、月の影がくっきりと落ちます。木の葉の間からきらきらと光がこぼれて溢れます。その光を全身に浴びる至福。月明かりに包まれることが、こんなにも幸せなことだなんて、初めて知りました。思い出したのは、月灯りを浴びて霊力を蓄える河童の八寸。朽木祥さんの『かたはれ』に出てくる愛しい小さな河童です。(『かはたれ』には鎌倉の美しい風景がたくさん出てくるのです。満月の夜に浅沼を旅立つシーンも忘れ難いです。ぜひ読んで頂きたい)銀の雫、というほどの月明かりを体感できた喜びに魂が震えるような時間でした。

そして、夢のような二時間ばかりが過ぎ、出発点の広場に戻ってきた私たちが月に別れを告げて、ビジターセンターへのトンネルをくぐろうとした瞬間、煌々と輝いていた月は、再び厚い雲の中に隠れてしまいました。まるで私たちとタイミングを合わせてくれたように現れて、姿を隠したフルムーンの役者ぶりにすっかりやられた夜でした。

この月は、宿に帰ってから深夜に窓から撮影したもの。フルムーンツアー中は撮影禁止です。

翌日、今度は夜明け前から起き出して、早朝の八島ヶ原湿原に向かいました。

これは朝日を浴びる八島ヶ池。夜明けの湿原は、神々しいほど美しかった・・・。

 

これがお茶会をした場所です。花たちも、とても可憐でした。

 一緒にツアーに参加した親子さんは、年に何度もこの湿原を訪れているらしいです。気持ちがわかります。今度は春の初めか秋に訪れてみたい。一日中ここを散歩していたいくらい美しいところでした。

・・・と、浮世離れした想い出に浸っていたら、どこやらの教育委員会が『はだしのゲン』に閲覧制限をかけたという話が聞こえてきました。非常にきな臭い話です。残酷な表現があるから、ということらしいですが。戦争というものが如何に残酷で、このような美しい風景をいとも簡単に踏みにじるものなのか、ということを教えるのが教育というものでしょう。闇を見つめる目を培うことなしに、美しいものを感じる心は育たない。人というものは、どんなに美しくにも、残酷にもなれる生き物なのです。その現実を歴史を通じてしっかり見つめることの大切さを、私たちは何度も思い知らされてきたのではなかったのか。教育に携わる人間がしっかりとした理念を持っていれば、一部の的外れの抗議に対して毅然とした態度をとることが出来るはずなのに。民族や国という縛りは、時に本質的なことを見誤らせます。『はだしのゲン』は人間が行う最大の暴力にさらされたときの記憶を子どもたちに伝えようとした真摯な営みであったと思うのです。

―と、すっかり話がそれてしまいました(汗)私が願うのは、こういう美しい風景が踏みにじられないこと。美しさを感じる心が殺されるような時代にならないこと。今も、あの湿原では霧と月が静かな時を刻んでいる。そう思うだけで幸せになれます。また、いつか行けますように。

 

 

 

カヤックとフルムーンミーティングの旅 

三日間ほど酷暑の大阪を抜け出して、一足早く高原の秋を感じてきました。友人は東京から。私は大阪から。長野で落ち合っての旅です。大学時代はあまり・・というか、全くアクティブではなかった私たちでしたが、今回の旅はカヤックを体験し、満月の夜の湿原を歩くというやる気満々な企画。そんなやる気が幸運の女神を引き寄せたのかとても素晴らしい旅になりました。まず、生まれて初めてレンタカーなるものを借りて運転したのが、我ながらすごい!(自慢するようなことやないですけど。しかも、このレンタカーがあまりにも走らなくて笑えましたけど)

梨木香歩さんの『水辺にて―on the water/off the water 』を読んでから、ずっとカヤックに憧れてました。あちこちを旅しながら、ここぞという場所を見つけてカヤックを組み立てて浮かべ、水の中に滑りこむ。まさに「自由」の体現ですよね。そして、自由を体現するということは、自分という存在と向き合うことでもあります。『たのしい川べ』『ハヤ号セイ川をいく』『ツバメ号とアマゾン号』『風の靴』等々、川辺の遊びは児童文学と切っても切れない関係なのも、そんなところに一因があるのかも。・・・と、段々話はそれていきますが(笑)そんな心にずっともっていた憧れが、友人の「カヤック乗ってみたくない?」という言葉で炸裂した次第です。憧れは遠く遠く流氷の海をゆく星野道夫さんにまで炸裂しましたが、ま、憧れは置いといて(笑)千里の道も一歩から、ということで白樺湖でのカヤック初心者体験コースに参加してきました。

梨木さんにとってはカヤックは孤独の記号、変動する境界。私たちの理想も、そこにあるんですが(大きく出すぎやろ!)最初は小学生に混じって、カルガモのひなのように、インストラクターのお兄さんについていくのが精一杯でありました。カヤックって、乗ってみると予想以上に水に近いんです。最初は恐怖感がありましたね。こんなに怖いものに、たった一人で乗る梨木さん。凄い・・・。改めて尊敬。でも、四苦八苦しているうちに、ふとカヤックが身体に馴染む瞬間があり、自分の身体感覚で乗ればいいのだと気が付きました。車みたいなもんですね。そこからはもう、とっても楽しくてずーっと水の上に浮かんでいてもいいくらいでした。自分の手で方向もスピードも全てが決められる楽しさ。浮かんでいると風に流されていくのもいい。アメンボのように、風景の中に溶け込んでしまうような気がしました。

そのあと、車山にリフト一本分をゆっくり上りながら散策。私たちはほんとに寄り道が多い。花を見つけてじーっと見つめて写真。登りながら刻々と変わっていく風景にいちいち立ち止まってあれこれ言いながら写真。蝶を見つけて(以下同文)鳥を見つけて(以下同文)。友人とは、何かを見て心に刻むタイミングが一緒なので、そこがとっても嬉しいんですよね。人のペースにいらいらすることもなく、急かされるような気がして悲しくなることもない。結果、売店のお姉さんが「30分くらいで」と言った道のりを、2時間かけて歩くことに。山頂に着いたら、リフトでやってきたハイヒールのお姉さまや、可愛いミニスカートの女子たちがいっぱいでした(笑)何より車山は涼しかった!


この日のミッションはまだまだ続きます。車で移動して今度は八島ヶ原湿原のフルムーンミーティングに向かいます。その前に宿泊予定の「鷲ヶ峰ひゅって」に到着したのですが・・。このお宿が、ほんとに素敵なところで、もうほんとに生きてて良かった、という気持ちになりました。大袈裟ですかねえ。でも、友人とずっと一緒に旅行したくて、でもお互い色んな事情があって実現できない年月が続いて。ほんの二泊三日ほどのささやかな旅でも、私たちにとっては大きな一歩だったのです。今、共にいて、この時間を過ごしている。そのことが奇跡のように思えて、夕暮れのお庭で雲の切れ間から降り注ぐ光の梯子を見ながらおもわずうるうるしてしまいました。

 これが宿の入り口。この門の両脇に、可愛い小人さんがいて出迎えてくれます。

 

この宿のすぐ横の林にはどうやら鶯が住みついているようで、滞在している間中、とても素敵な歌声を聴かせてくれました。ほんと、一週間くらい―いや、ひと夏ずっとここにいて、本を読んで散歩できたらこんなに幸せなことはないでしょうね。お料理も本格フレンチで最高でした。たくさん置いてある本も、好きな本ばかりで胸がきゅっとしましたし。あちこちに置いてある小さなものの全てに愛情がこもっている。そんなお宿でした。今思い出しても、温かい気持ちになります。

長くなりました。ひとまずこれでアップして、フルムーンミーティングのお話は明日。

あたしがおうちに帰る旅 ニコラ・デイビス 代田亜香子訳 小学館

ここ数日の暑さといったら。命の危険を感じるほど暑いですよね。その中で、我が家は築26年のお風呂とリビングの改装工事が今日まで入っておりまして、非常に疲れました。工事というのは、たくさんの人が出入りします。常に自宅開け放し状態。その気疲れと、壁をドリルではつっていく恐ろしい音、古い痛んだコンクリの匂いと想像以上にダメージをくらったわけですが、特にかわいそうだったのが猫たちで、ストレスで便秘になってしまいました。終わった途端に立派なのが出て一安心でしたが。どうも、人も猫も、思ったよりも「家」というものに守られているんだなあと実感した一週間でした。猫たち、今爆睡してます。

この物語は、そんな安心できる「家」を持たない少女のお話です。彼女は「イヌ」と呼ばれて怖いおじさんにこき使われてペットショップで暮らしています。いや、「暮らしている」わけじゃありません。だって、人間扱いされていないんですから。そんなイヌの唯一の友達は、ハナグマのエズミ。そんな彼女のところに、カルロスという一羽の大きなコンゴウインコがやってきます。来たときはボロボロだったカルロスですが、イヌに助けられて店の人気者になります。そしてイヌとエズミを連れておじさんのところから抜け出し、「おうち」を目指すのです。

イヌは店に連れてこられる前の記憶がありません。言葉も一言もしゃべらないまま暮らしています。この母語と記憶を失くしてしまうということは、普通ならあり得ません。しかし、『四つの小さなパン切れ』という本を書いたマグダ・オランデール=ラフォンは、アウシュビッツの強制収容所での体験のせいで、母語であるハンガリー語と幼い頃の記憶を失くしてしまったそうです。そこを読んで、私ははっとイヌもそうなんじゃないかと思ったんです。どうやら彼女は誘拐されてきたらしい。子どもを誘拐したり、人身売買したりして強制労働させる、という非人道的なことが、今、この世界で実際に行われている。作者のニコラ・デイビスさんは、そんな子たちのことを取材してこの本を書いたらしい。イヌは、人間としての尊厳もぬくもりもすべてを踏みにじられて生きている。だから、「言葉」も失っているのです。だからこのイヌとエズミ、カルロスの三人(あえて三人と書きますが)の旅は、自分の居場所を取り戻す旅、そしてイヌにとっては自分の言葉を取り戻す旅です。

こういう社会的な問題をテーマにした児童文学、というのは難しいものだと思います。そのテーマをいかに自分のものとして、感じさせるか。そこが非常に難しい。教科書のように「考えてみましょう」と言われたりするのに、子どもたちは飽き飽きしているだろうし。自分とは関係ない、と思われてしまったらアウトでしょう。その点、この物語は、とっても生き生きと物語が動いていきます。読みだしたら止まらないくらい、三人の冒険の続きが読みたくてたまらなくなるのです。いつも傍にいてくれるエズミと、信じられないくらい頭の良いカルロスの組み合わせがいいんですよねえ。窮地に追い込まれたときのカルロスが放つ言葉が、相手をやっつけてしまうところなんか、もう、ほんとに胸がすっとします。ほんとにカルロスはまるで中世の騎士のようにイヌを守るんですよ。カッコいいんです。惚れちゃいます。

動物、冒険、そして友情。ハラハラドキドキの冒険の後、カルロスは「言葉」のいらない自分の世界に帰っていきます。このシーンの美しさ、切なさは忘れられません。そして、最後にたどりついた場所で、イヌはやっと自分の「言葉」を取り戻します。そのとき、イヌと呼ばれていた女の子が、本当はなんという名前だったかが初めてわかるのです。やっと彼女はひとりの人間に帰ることが出来たのです。ああ、良かった・・と思いながら、そのとき改めて、彼女が抱えていた痛みと、生きていこうとする強さが自分の胸の中に溢れてくるのを感じるのです。

想定も挿絵もとても神経が使われています。そして、代田さんの翻訳もとても読みやすくて言葉が美しいのです。イヌと呼ばれた少女を、まるで抱きしめるようかのような本の作りに感動しました。こういうところからも、子どもたちにさりげなく伝えたいものが感じられます。夏休みにおすすめの一冊。ああ、面白かった、と読むだけでいい。きっと、この少女と、エズミとカルロスと友達になれるから。それが大切なんだと思います。私にとっても、忘れられない一冊になりました。

2013年3月刊行

小学館

 

【映画】ひろしま 石内都・遺されたものたち Things Left Behind

ガーデンシネマで公開中の映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち Things Left Behind』を見に行ってきました。これは石内都さんという写真家がカナダのバンクーバーで開いたヒロシマの被爆をテーマにした個展のドキュメンタリーです。8月16日までの限定上映なので、見損ねないようにと思っていました。見れて良かった・・・。

とても静かな静かな映画でした。石内さんが撮影されたのは、広島の平和記念資料館に保存されている被爆者たちの遺品です。どれもささやかな生活の中で大切に使われていたものたちです。ジョーゼットのワンピース。花柄の可愛いブラウス。可愛いボタンのついた子どものお洋服。ハートのついた指輪。どれもとてもおしゃれで可愛いものばかりなのです。学芸員さんがおっしゃるには、戦時中だから表だって美しいものを身につけるわけにはいかなかったけれど、皆もんぺの下に、思いのこもった洋服や下着を身につけていたらしいとのこと。私は思わず、朽木祥さんの『八月の光』の中に出てくる人たちを思い出していました。『雛の顔』の美しいものが大好きだった真知子さん。着物の仕立てものをしていた母と娘。小菊模様の鼻緒の下駄を履いていた娘さん。皆、美しいものや可愛いものが大好きで、ひっそりとでも身につけて心を慰めていた、生きて笑っていた人たち。石内さんの写真からは、それらの遺品たちがつく吐息やつぶやきと一緒に、彼女たちの生活が浮かんでくるようでした。

展示されていたカナダの人類学博物館は、トーテムポールのために作られたような施設で、まるで荘厳な神殿のようなのです。ファーストネーションズ(先住民族)たちの魂がそこに刻まれています。その会場に展示された石内さんの写真は、古から生き続ける魂たちと響き合うようにほのかな輝きを帯びてとても美しいのです。私にはその美しさがとても印象的でした。爆風にちぎれ、体液の染みがつき、焼け焦げているお洋服は、その中に息づいていた温かい体の記憶を持ち続けているようなのです。柔らかいジョーゼットの肌触りを楽しんでいた21歳の娘さんの白い肌が透けて見えるような錯覚さえ覚えます。きっと輝くような裸身だったでしょう。美しいものを愛して、どんな状況にあっても、皆生きることを楽しんでいた。その記憶が、石内さんの眼差しに結晶し、その美を通じて「今」の私たちと結びついて繋がっていくのを感じました。見知らぬどこかの誰かではなく。彼女たちは68年前の私であり、今生きている少年少女たちであり、もしかして未来に生きている幼子たちなのだということが、その美しさをともに胸に刻まれます。

映画の中で石内さんが語られていましたが・・・。ヒロシマから、私たち日本人の大多数は何も学んでいないように思われます。そのことがフクシマに繋がり、今なお大勢の人たちが苦しんでいる。先日BSのドキュメンタリーで見たのですが、イラク戦争で使われた劣化ウラン弾で、ファルージャではたくさんの奇形の子どもたちが生まれているそうです。劣化ウラン弾というのは、核廃棄物から出来ていて、核分裂はしないけれども放射能を出し続けます。半減期は45億年。45億年・・・。気の遠くなるほどの時間、ずっとその土地を汚染し続けるのです。これは、まさに核兵器そのものなのだと、非常にショックを受けました。広島で核兵器が使われてから68年経ちましたが、その記憶は世界的には全く共有されていないのです。そして、そのツケは、イラクの子どもたちや、これから先に生きる子どもたちに回ってきます。50近くになって、やっとこんなことに気付いた自分も自分だと思うのですが・・・だからこそ、広島は、何度も何度も語られなければならないのです。記憶を深く分かち合うこと。その努力を惜しまない営みに、深く共感する映画でした。

印象的なことをもう一つ。映画の中で、一人の韓国の青年が、美しい着物を見て「日韓併合を思い出す」と語っていました。そう、私たち日本人は、侵略の歴史も持っているのです。被害者であると同時に、加害者でもある。その視点が描かれているのも、大切なことだと思ったのです。私たちは社会的なシステムの中で生きている。その軋轢の中で戦争が起こり、恐ろしい暴力が生まれる。どうも、私たちはそんな風に出来ている生き物らしい。暴力の種は、美しいものを愛してささやかに生きている人間の胸の中にやはり同じように潜んでいるのです。民族の違いや、肌の色や、宗教の違いなど関係ない。いろんな戦争やホロコーストや、公害の資料を読みこむうちに、私はそう思うようになりました。もちろん、私の胸の中にも同じものがある。だからこそ―痛みの記憶は、生身の体と心が受けた「ひとり」に即して語られることが大切だと思うのです。イデオロギーや大義名分の前に立ちはだかるのは、根源的な痛みを共有していくことしかないのではないのか。常に自分の心を見つめて静かに「ひとり」の物語を呼び起こしていくこと。このところ、ずっと考えていることに光をあててくれるような映画でもありました。長々書いているうちに、日付が変わって今日は8月6日です。また暑い一日になりそうです。先日訪れた広島を思い出しながら、過ごそうと思います。

 

聖痕 筒井康隆 新潮社

筒井康隆に出会ったのは中学生のときだったろうか。あれからウン十年・・・彼は全く枯れることもなく、ますます豊饒に過激に爆弾を投げてくる。何度も書いたけど、やっぱりこの一言を言わせてもらおう。筒井康隆は天才だ!!

彼は一時フロイトにえらく傾倒したらしいし、作品にも色濃くそれが現れ、欲望というのは彼の大きなテーマの一つでもあった。そして今度はそれを逆手にとって大逆転をかましたような作品で、度肝を抜かれてしまった。これは、ほんとに筒井康隆にしか書けない小説だ。主人公の貴夫は絶世の美貌を持って生まれてきたが故に、5歳のときに変質者に性器を切り取られるという恐ろしい目にあってしまう。うわわ、こんな酷いことがこの世にあってよいものか。メラメラと義憤にかられた冒頭で、思えばすっかり主人公の貴夫に私も魅入られてしまったらしい。しかもそこから、この小説はどんどん逆転ホームランを打ってくる。人は性に振り回される存在だが、彼にはその根源たる性欲がない。しかも、類まれな美しさを持ち、裕福な家に生まれ、知性にも優れた彼は、すべてのコンプレックスからも自由なのである。その人生の煌びやかで自由なこと。彼は美しい女性に囲まれて「食」を追求した人生を送っていく。米光一成氏が文春の書評で「現代版源氏物語絵巻」とおっしゃっていたが、ほんとに清々しいくらいのモテっぷり。しかし、私はこの小説は、喪失した場所から語られる物語という意味で、どちらかというと「平家物語」に近いんじゃないかと思う。

貴夫の恐ろしい体験には遠く及ばないが、実は私も先日、右手の人差し指をざっくりと切ってしまった。2針ほど縫っただけで済んだので大した怪我ではないのだが、それでも家事は出来ないし、顔を洗うのもやたらに不便だ。何をするのも普段の二倍以上の時間がかかる。そうして片手の自由を一時的にだが失って見えてくるのは、我が家のいびつさなのだ。主婦という名のもとに、何もかもをこの右手がしていることの不自然さ。いや、笑い話ではなく、これは誠に困ったことだ。この脆さを作っているのは、メンドクサイことはやりたくないという夫の我儘とメンドクサイから何もかもやってしまう私の片意地の張り方の両方で、誠にどうしようもない。どうしようもない、ということがまざまざと見える。この何かを失った所から見えてくるものというのは、良くも悪くも確かに真実なんだと思う。

この物語は、日本が高度経済成長からバブルに向かい、浮かれ騒ぎに狂乱した時代を経て、二年前の3.11の震災までを貴夫の生涯とともに描きだす。日本人が海外でブランドものや土地を買い漁ったり、土地の値段を釣り上げて気が狂ったようにお金を使ったりした時代。その真ん中にいて、ただ静かに「食」という美だけを求めて、その他の欲望から一切無関係な貴夫は、たった一人視点が違う。それは、彼が「失ったもの」であるからなのだ。貴夫という静かな「聖心地」の存在が映しだす過去は、筒井氏が縦横無尽に繰り出す古語混じりのSF擬古文(?)の文体と相まって、きらきらしくも華やかに、人間の欲望を浮かべて輝いて流れていく。まさに「 おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ」である。滅んでゆく平家を語るのは、光を失った琵琶法師。そして、現代の滅びは、欲望を失った貴夫の視点から語られ、資本主義というリビドーが終末期に達したことを暗示する。最後に金杉君という文芸評論家(彼は筒井氏自身を思わせる・・・)が終末論を語るのだが、いやもう、ここは全部引用したいほど、今という時代の不安の正鵠を射ていると思う。「この大震災がまさに終末への折り返し地点」であり、これから私たちはリビドーを捨てて「静かな滅び」に向かうべきなのだ、と力説するのである。

小説家は時代を映す。彼らは、目に見えないものを見、耳に聞こえない音を聞こうとする人たちだから。最近、昔に読んだ漱石の文明論が気になっていて、読み返そうと思っている。どこまでも拡大を続けようとして踊り続ける私たちの姿を、漱石は既に明治時代に予言していたんだなと、最近痛いほど思うのである。筒井康隆は、時代を何周も先に走ってきた人。その彼が提示してきた終末論が、やたらに身に沁む読書だった。偉い政治家の人たちは、きっと読まないだろうけどね・・・。

2013年5月刊行

新潮社

 

泣き童子(なきわらし) 三島屋変調百物語 参之続 宮部みゆき 文藝春秋

宮部さんの物語は、読みだしたらやめられなくなります。昨日は夏休みに入って初めての週末。選挙も重なり図書館の人出も最高潮で、くたくたに疲れて。ところが、寝る前にちょっと、と思って読み始めたら、やめられない。とうとう深夜の丑三つ時まで読みふけってしまいました。

このシリーズも3巻目になりました。人の抱える暗闇と不思議を描くこの物語はますます深く、恐ろしく道なき道に分け入っていくようです。物語は、時代を映します。特に宮部さんのように人の心の闇を特に追い続ける人は、特に敏感に「今」の私たちの闇を感じとるでしょう。先日読んだ『ソロモンの偽証』も、その闇に真正面から向き合う物語で読み応えがありました。けれど、この三島屋のシリーズは時代物なだけに、その闇がすとん、と胸に落ちてくるように思います。江戸時代という、私たちの根っこに繋がる場所のあちこちに棲息している闇が見事に今と呼応する、その闇の色がより濃くなっていることに、私は肌が粟立つ想いがしました。そう思って、それぞれの短編が書かれた時期を見ると、2篇目の『くりから御殿』が書かれたのが、2011年7月。震災からあとに書かれた物語たちでした。ああ・・そうなのか、とこの物語たちに対する共感の想いが深くなりました。

『くりから御殿』は、幼い頃に鉄砲水で故郷を失い、みなし子になってしまった男の話。両親も、親族も、中の良かった友達や従妹たちもすべて失ってしまった長坊の寂しさ、辛さが身に沁みます。40年経っても、その辛さ、「置いてけぼり」になってしまった心の傷は癒えることはなくて、ずっと、ずっと心の奥底で血を流している。大人になっても、幼い長坊は、ずっと「くりから御殿」で失った人を探し続けていたんですよね。宮部さんの描く生き残ってしまったものの苦しみは切なく胸を打ちます。生き残ってしまった、という罪悪感。その苦しみは、朽木祥さんの『八月の光』にも大きなテーマとして掲げられていましたし、V・A・フランクルは、『夜と霧』で「最もよき人々は帰ってこなかった」と書きました。そして、今も何万人もの人たちがその苦しみを背負っているのです。その彼に、なんとか寄り添おうとする女房の姿に、宮部さんの切なる願いがこもっているようでした。

そして、非常に恐ろしかったのが「泣き童子」。漱石の『夢十夜』の第三夜、石地蔵のように重たい子をおぶって歩く男の話を連想させる物語です。全くしゃべらない三つの幼子が、特定の人を見ただけで身も背もないほど泣き叫ぶ。その子は、人の罪に感応するのです。人を殺めた自分の娘は、自分の罪を泣き叫ばれるのが怖くてその幼子を殺してしまった。そのことを知りながら、父も見て見ぬふりをした。しかし、長い月日が経ってその娘が産んだ子は、またもやしゃべらぬ子。見て見ぬふりをした罪は、もっと大きな厄災になって帰ってくる。私は、この物語が他人事だとは思えないのです。私も、過去にたくさんの見て見ぬふりしたことがある。そして、今もそうです。昨日参院選があって、自民党が圧勝しました。私は、彼らの原発推進が恐ろしくて仕方がないのです。今を快適に暮らすために、未来を生きる子どもたちに原発のゴミを置いていく傲慢さが怖い。故郷を失った人たちが何万人もいることを忘れたような顔をして、「美しい日本」などと何故言えるのだろう。私たちは大きな罪を犯しているんじゃなかろうか。そんな気がして仕方がない。未来の子どもたちに、その罪を糾弾されたとき、私たちはなんと答えればいいんだろう。「―じじい、おれがこわいか」という泣き童子の問いかけが、私には震えるように恐ろしい。でも、そんな風に思う人間は、マイノリティに過ぎないんだと痛感してしまう選挙でした。「死んで白い腹を見せ、ぷかぷか浮きながら腐ってゆく鯉の眼」を持つ老人のように、その罪が自分に帰ってくるならまだ良いけれど。未来の子どもたちに背負わせるのは間違っている。「小雪舞う日の怪談語り」の、橋の上から異界にいってしまった女性のように、母親なら自分の命よりも子の行く末を願うもの。その人としての道を選ばなくなった私たちは、いつか「まぐる笛」に出てくる化け物のように、己を喰い果てていく道を選んでいはしまいか。宮部さんの冴えに冴えた筆が描く恐怖が、まざまざと胸に突き刺さる選挙の夜でした。

分別ざかりの大人たち
ゆめ 思うな
われわれの手にあまることどもは
孫子の代がきりひらいてくれるだろうなどと

いま解決できなかったことは くりかえされる
より悪質に より深く 広く
これは厳たる法則のようだ (くりかえしのうた)

これは、ツイッターで流れていた、茨木のり子さんの詩の一節。江戸時代に培われた日本人としての財産を食いつぶすように私たちは生きている。私たちが次の世代に残すものは、ゆめゆめ厄災や負の遺産であってはならないのだと。冒頭の「魂取が池」は、「この世のあちこちにあるに違いない、だけどわたしたちには知りようのない、けっして近づいてはいけない場所」に自分の欲望や浅知恵で踏み込んでしっぺ返しをくらう話です。私たちは、自分も含めて大きな闇を抱える存在です。そのことを忘れてはならないんだと。宮部さんの物語を読むたびに思います。読んでいる間は面白くて面白くて夢中になるんですが。読後にその重みがずしっとくるのがさすがの出来栄え。九十九まで続ける予定らしいので、こちらも長生きしてずっと読みたいシリーズでした。

2013年6月刊行

文藝春秋

わたしは倒れて血を流す イェニー・ヤーゲルフェルト ヘレンハルメ美穂訳 岩波書店

とっても痛い物語です。冒頭の自分の親指の先を切り落としてしまうシーンのリアルさに、正直びっくりしました。実は私も自分の親指の先を、ほんのぽっちりですが切り落としたことがあって、その記憶も相まって頭がくらりと・・・。うーん、痛い!でも、本当に痛いのはその指先よりも、心なんですよね。脈打つ痛みは、強く肉体を意識させます。自分の体に血が巡っていることを強烈に感じさせるという意味で、痛みは自分が生きている証でもあります。特に女は痛みと共に生きているようなもの。その身体性と心が呼応して強く脈打つ、少女の感性が鋭く描かれています。鍵は存在不安。そして、「自分」は何なのか、という大きな問いかけもこの物語の底に流れているように思います。そして、母と娘の葛藤と繋がりも。だからこそ、エキセントリックな主人公・マヤの中に潜む弱さと強さに、心が共に揺れるのです。

主人公のマヤは、美術の授業で電動ノコギリを使っているときに、誤って自分の親指の先を少し切り落としてしまう。その出来ごとにショックを受けたマヤは、離れて暮らしている母に連絡するが、返事がない。その翌日、離婚後の取り決めに従って母を訪ねたマヤだが、母は駅に迎えに来ず、家にもいないのだ。途方にくれたまま、マヤは母のいない家で一人で過ごすはめになってしまう。この母の不在は、ショッキングな事件にショックを受けているマヤをますます不安にさせてしまう。大学の心理学の教授である母は、「ママ」と呼んで無防備に甘えられるような人ではなく、「なにからなにまで、分析して、計画して、話しあわなきゃならない」性格の持ち主。肉体的な接触が苦手で、子どもをあやす、ということも出来ない。非常に知的でありながら、目の前にいるマヤの気持ちを考えることができない人なのだ。心理学の教授のくせに、普通に人と会話することは苦手な母。でも、幼いマヤが限りなく投げかける「なぜ?」という問いかけに、すべて答えようとする母。マヤは、そんな母に愛憎半ばする複雑な気持ちを抱えている。

痛みを抱えて母の愛情が欲しかったときに突き付けられた母の不在に、マヤが抱えている存在不安が間欠泉のように噴出してマヤを翻弄します。ネタばれになるのではっきりとは書きませんが、マヤの母親は、ある心理的な症候群の持ち主なんですね。彼女のマヤに対するときのベクトルの違い、ボタンを掛け違えるようなすれ違いは、そこに原因がありそうです。ただ、この物語は、母と娘の葛藤を、それだけに帰納させるものではありません。マヤは、自分の前から姿を消してしまった母のヤナについて、とことん考え抜き、その行方を追います。この、まっすぐ母に相対することは、マナの心から血を流させますが、同時に母が「母」という役割をもつ前に、「ヤナ」という一人の人間であることを感じさせるのです。初めて知る母の苦しみ。コミュニケーションをとることが難しい母の孤独。不在であるからこそ初めて見える母の姿は、マヤを打ちのめしますが、子ども時代を経て新しい関係を母と築くための、産みの苦しみでもあるのだと思います。

母と娘というのは、切っても切れない絆で結ばれる厄介な存在です。このマヤのような愛情の欠落感や存在不安は、決して特別なことではなく、誰もが心に抱えている痛みではないでしょうか。マヤの娘としての痛みは、私にも覚えがあります。そして、同時に母でもある私は、マヤの母としての苦しみもやはり身に沁みます。そして、自分が症候群という類型の中にいることを知ったときの、自分がいなくなってしまうような苦しさもわかるような気がするのです。身内に心の病をもつものを抱える人なら、これは誰しもが思うことだと思うのですが―こうですよ、と言われる症状を医師にあれこれ説明されても、どれだけその関係の本を読んでも、何やらつるつるの壁を目の前にしているような気がしてしまうことがあります。上手く言葉にするのは難しいのですが。たった一つしかない心の発する声が届く前に消えてしまうような、目の前で扉を閉められるような疎外感があるんですよね。簡単に片づけられてしまうことへの、不安かもしれません。(反対に病名がつくことで安心する気持ちもあったりするのが、これまた複雑なんですが)マヤの母であるヤナが、自分のアイデンティティとして自覚していたことが、実は症候群のせいだったかもしれないと思ったときの存在不安も、私にはひしひしと伝わってきたのです。だからこそ、そんなお互いの中にある不安を、たった一人のよるべない人間同士として見つめ合う二人の姿に心が震えました。その上で結びあう、これまでとは違う母と娘の絆が生まれるラストも、良かった。

「あなたに助けてほしいと思っています。理解できるように助けてほしい。ひとりでは無理だから。」

このヤナの声を、マヤは確かに聞いたのです。そのことが、爽やかな風のように心を吹き抜けていきます。ここから、二人は「自分は何なのか」という問いかけ、つまり人生そのものに新しい一歩を踏み出すのです。この物語には、ほかにも色んな人間同士の繋がりが出てきます。親友であるエンゾ。恋人になるジャスティン・ケース。(このジャスティンは、偶然なんだと思うんですが、メグ・ローゾフの『ジャスト イン ケース 終わりのはじまりできみを想う』(理論社)の主人公を連想させます)  年上の姉ごのようなセーラ。彼らが、ハリネズミのようなマヤをそっと包む気配もいい感じ。まあ、これはブラックなケレン味たっぷりなこの物語の中での安定剤なのかもしれませんが(笑)スプラッタな出だしで投げ出さず、最後まで読んでほしい。これも、岩波のSTAMP BOOKS のシリーズ。こんな風に好き嫌いがはっきり別れるだろう作品を持ってくる岩波の気風の良さに脱帽です。

2013年5月刊行

岩波書店

 

ゲンタ! 風野潮 ほるぷ出版

嬉しい『ビート・キッズ』シリーズの新刊です。なんと、ビート・キッズのヴォーカルのゲンタが、小学生の見知らぬゲンタと入れ替わってしまう物語。キレのいいテンポで、読後感も爽快。しばし暑さを忘れて読みふけりました。

小学校5年生のゲンタは、林間学校で行ったキャンプ場で高いところから落ちて気を失う。同じころ、キャンプ場の近くの高原でライブをしていたビート・キッズのヴォーカル、ゲンタもステージからジャンプしてそのまま意識を失ってしまう。そして、気がついたときには、二人は入れ替わっていた!というお話です。

大阪弁バリバリで、いらん笑いを取りにいっては滑る25歳の子どものようなゲンタと、少々ひねくれていて、こまっしゃくれた小学生のゲンタ。その二人が入れ替わって、右往左往しながらもとに戻ろうと悪戦苦闘。そのゲンタをサポートする25歳と11歳のサトシ、というなんとも憎い構成になっています。表のゲンタと裏のゲンタ―というと、どっちが表やねん、ということになるんで紛らわしいんですが。この二人、性格は違うんですが、どことなく「今」の自分に行き詰まり感があるんです。25歳のゲンタは、自分の家庭の事情が原因で、ライバルだったバンドに差をつけられてしまったのが面白くない。一方、11歳のゲンタは、母親が離婚するといって家を出ていったのを止められなかった自分が悔しくて仕方ない。もやっとしていた二人の心が入れ替わって別の体に放り込まれたときに、その体で体感することが、ビンビンとハートをゆさぶっていくのがとっても新鮮で楽しいんです。まさに、心のビートが伝わってきます。そして、大阪弁の飛び交うノリの中に、たまらん胸キュンが不意に現れるのに、私のような大阪もんは、特にやられてしまいます。

ツボは、25歳のゲンタのダメダメっぷり(笑)自分の携帯の番号ぐらい覚えときいや、とか。なんで11歳のサトシに全部おまかせやねん、とか。ものすごツッコミました(笑)いやもう、ほんまに「あかんやん」なゲンタなんですが、こういうアホで憎めんキャラを書かせたら、風野さんはほんまに上手いです。でも、その25歳のゲンタの刻むビートと音楽が、11歳のゲンタと彼を「歌う喜び」で繋いでいくんです。11歳のハートのゲンタが、たくさんのオーディエンスの前で25歳の体で歌う。そして、25歳のハートのゲンタが、サトシだけしかいない道端で、11歳の体で歌う。その時に訪れる至福の、無垢な喜びの手触りがまっすぐ胸に落ちてきます。

「歌うことは、喜びなのだ。声を出すことは―言葉を、心を伝えることは、喜びだったんだ。それを相手に伝えることも大事だけど、自分に伝えることはもっと大事だったんだ。」

この生きる喜びが、ビートになって心に伝わってくる。音楽の喜びって、今、ここにいる喜びに直結するんですよね。それを物語で伝えてしまう風野さんの言葉たちが気持ちよくて、ここ数日いろんなことで凹んでいた心に風穴があきました。子どもも大人も、先を見て歩くことばかりです。役に立つ大人にならなきゃいかんとか。どんなスキルを身につけるかで将来が変わってくるとか。そして、いざこの年齢になってみると、先に待っていることって、そんなに好いとは思えないあれこればかり。おいおい、ってそれこそツッコミたくなってしまう。そう思うと、私たちは限りなく「今」を失っているのかもしれないのです。音楽は、そんな私たちを「今」に結びつける営み。その輝かしい瞬間が、この物語には煌めいています。

そして、もうひとつ嬉しかったのは、最後に出てくるライブ会場が、万博のもみじ川広場だったこと。うふふ。地元です。夏のもみじ川というと、FM802のライブかなあ、なんて思うのも楽しい。自分のよーく知ってる場所が出てくると臨場感たっぷりで萌えます。久々にライブ行きたいなあ~と、音楽好きの血が騒いだ一冊でした。

2013年6月刊行

ほるぷ出版

by ERI

 

 

家と庭と犬とねこ 石井桃子 河出書房新社

石井桃子さんの書かれる文章が好きです。時折、いろんなテーマで絵本を探したりすることがあるのですが、そんな時でもふと引き込まれるのは、石井さんのテキストのものが多い。文章が伸びやかで暖かく、しかも凛としているんですよね。『たのしい川べ』や『くまのプーさん』、ブルーナのうさこちゃんのシリーズ(あのうさこちゃんのおしゃまな物言いが大好きで、どれだけ子どもたちに読んできかせたことか!)。『おやすみなさいのほん』・・・石井さんの本に触れずに大人になるのが難しいほど、たくさんの子どもの本に関わってこられた石井さん。戦前、戦後を通して、まさに日本の児童文学の基礎を作ってこられた方の一人でしょう。偉大な、という言葉が相応しい方なのです。でも、この本に溢れているのは、地に足をつけてひたすら自分の足で歩いてこられた女性のひたむきさです。迷いも苦しみもありながら、誠実に力いっぱい生きてこられた石井さんの息吹が、このエッセイたちから感じられるようで、私はそこに心打たれてしまいました。

実は、この本は二度読みました。石井さんの膨大なお仕事量や、かつら文庫での活動は知っていたのですが、宮城で一時期農業をしてらしたことは知らなかった。このエッセイを読んで、少々意外に思った私は、買い込んでそのままになっていた「新潮(2013年1・2月号)」の『石井桃子と戦争』を一気に読みました。これは、尾崎真理子さんという方が、晩年の石井桃子さんご本人から聞いたことと資料を突き合わせて、戦前から戦時中、戦後すぐにかけての石井桃子さんのことを詳細に書かれたものです。これを読んで、石井さんがどれだけ日本の児童文学の中心におられたのかを知って、改めて圧倒されました。この論文は、何しろ戦争というものが大きく児童文学にのしかかっていた時代のことでもあり、これから単行本として詳しい資料が付随されて検証されていく性質のものだと思います。でも、犬養家との縁や、石井さんが関わった作家や学者さんたちの名前を見ただけでも、まさに歩く近代文学史そのもの。戦前から、今につながる児童文学の礎を築いてこられた方なんだと。戦前に東京にあったブルジョア階級の若者たちの集まりなどにも参加して、びっくりするほど多彩なお仕事と人間関係に、気おされて頭がくらくらする想いでした。

でも、この『家と庭と犬とねこ』の石井桃子さんは、真黒になって労働し、何年も自分の作ったお洋服を着て、旅に出ても残してきた猫のことがひたすら気になったりする、とても慎ましやかな方なんです。「新潮」には、私が疑問に思った、なぜ石井さんが宮城で農業を始められたのかということについての、野崎さんなりの推測が書かれていました。それは戦時中に石井さんが関わった子ども向けの戦争推進作品との関連から、石井さんの贖罪の気持ちがあっての行動だったのではないかという推論でした。私にはその真偽はわかりません。でも、とにかく、石井さんがどのような気持ちで戦争の間を過ごされ、終戦を迎えられたのかを想い、暗然たる気持ちになったことは確かです。そんなことを考えつつ、思いつつ、もう一度私はこの本に帰ってきて、一からこの本を読みなおしました。そして改めて思ったことは、石井桃子さんという方の心の波長に、私はとても惹かれるんだという、誠に単純な一点でした。どんなに偉い方でも、物語やエッセイを通じて心の友達になれる、その幸せったらありません。集団就職で出てきた若い人たちに何度も会いにいく石井さん。ひなまつりのお道具を大切に大切にしまっておく石井さん。縁があってやってきた傷を負った猫を、最初はこわごわながら、そのうち親友のように大切に介抱した石井さん。このエッセイにあふれる、ひとりの人間としての石井さんが、私はとても好きなんです。静かに自分を深く見つめながら生きてらっしゃる、いい意味での不器用さと一徹さに、心が寄り添います。

「・・・目のまえにたくさんあるものは、人間はだいじにしなくなりがちだ。そこで、このごろは、本もなるで消耗品のようなありさまになってしまった」

「人間には、まだわからない科学的な法則―たとえば、体質とか、気質とかで、ぴったり理解しあえる人間とか、物の考えかた、感じかたがあるような気がする。・・・この自分の波長を、ほかの人のなかに見出すことが、人生の幸福の一つなんではないかしらと、私はよく考える。」

「人生をゆっくり歩けば、ひとりや二人は、きっとこんなにわかりあえる友だちや作家にぶつかるのではないかと思う」

共感すること。出会う人や、本との一期一会を大切に思うこと。石井さんの言葉のひとつひとつに、ああ、その通りだとしみじみ思う。そして、そんな風に出会いを大切にするのは、石井さんがいつも「ひとりでいること」をとても大切にしてらしたことと深い関わりがあるように思います。誰にも流されずに、ただ自分で在り続けること。日本の児童文学の中心にいて、どんなに華やかなお仕事をされても。どんなにたくさんの人たちに囲まれても。時代や風潮に流されず、ずっと「石井桃子」であり続けた石井さんのスタンスが、たくさんの、いつまでも輝き続ける作品を生み出された根本にあるのではないか。もしかしたら、そこには戦争を体験されたことも関わりがあるのかもしれない―とも思ったりします。物語という、たったひとりの心に寄り添うものは、戦争という大義名分の塊とは対極にあります。時代という大きな流れの中にあっても、たったひとりの自分の足で立ち続けること。それだけが、雪崩を打って間違った方向に進んでいこうとする暴力を押しとどめることが出来る。例えば、子どもの頃からの友達であるプーさんや、うさこちゃんがいる国と、戦争をしたいと思う人はいないでしょう。「ひとりの力」を静かに育む物語の力を、石井さんは強く信じてらしたのではないか。このエッセイを読んで、改めてそう思ったことでした。次は、『幻の朱い実』を読もう。そう思っています。

2013年5月刊行

河出書房新社