うまれてそだつ わたしたちのDNAといでん ニコラ・デイビス文 エミリー・サットン絵 越智典子訳 斎藤成也 監修 ゴブリン書房

 

国とは何だろう。国という大きな枠組みに属していないと、わたしたちが人間らしく生きることは難しい。しかし、「国」というアイデンティティは、私たちを形作る複雑な、無数の要素のたった一つにすぎないはず。好きな音楽、食べ物の好み、どんな家に住み、どんな仕事をしているのか。映画の好みや、それこそ推しのアイドルに至るまで、ひとりの人間のなかには、無数のアイデンティティがある。それなのに、たった一つ、国という帰属のために、敵と味方に分かれて殺しあわねばならぬという価値観に縛られる理不尽から、そろそろ自由になってもいいはずだ。

 

「すべての いきものが、うまれて そだつ」という文章と生き物たちの鮮やかな絵からはじまるこの絵本は、DNAという生き物の「せっけいしょ」について、わかりやすく楽しく教えてくれる。驚くほどはやく成長するもの、長い時間をかけるもの。大きく成長するもの、小さいサイズでおとなになるもの。環境にあわせてDNAの設計書がつくりかえられ、驚くほど多様な生き物たちが、この地球上に生きているという奇跡がどのようにこの青い星に満ちているのか。その理由が科学の力でわかりはじめたからこそ、なお募る不思議さと豊かさが、ぎっしりとこの絵本には描きこまれている。

 

様々な肌の色、髪、体格、服装をした人たちが100人以上いる駅を描いた頁と、動物や植物たちが300種類近く(正確に数えるのが難しいほどたくさん!)も描きこまれた頁が呼応するように配置されているのは、考え抜かれてのことだろう。様々な人種に分かれているように見えるが、私たちは「人間」という大きなひとつの種だ。肌や髪の色の違いは、多様性というDNAの生存戦略。人間のDNAという設計書は、ひとりひとり違うけれども、「わたしたちは みんな おなじ、にんげんだから。」地球上のほかの人たちとも似ていること。そして、地球上のすべての生き物の設計書も、どこか同じところがあって、「みんなが おおきな かぞく」であること。大きな命の樹に実る果実のように。

 

見かけも、生き方もこんなに違う生き物がいる地球の不思議と、それが塩基というたった4つの文字で書かれた暗号から、出来ているんだという驚きを何度も味わいたい。科学は、積み上げられた事実に裏打ちされた大切なことを教えてくれる。動物学者であるニコラ・デイビスは、科学者の視点から、命の不思議を教えてくれるが、そこには深い祈りがあると思う。どうやら、私たち人間の遺伝子には、ある条件がそろうと発動する残虐さが組み込まれている。ゾンビのように蘇る戦争を、これほど繰り返しているのだから。しかし、この血塗られた呪いを解く鍵もやはり私たちのなかにあると思いたい。ニコラ・デイビスは、その鍵のひとつを、子どもたちに手渡したいと思っているのではないだろうか。彼の書いた『せんそうがやってきた日』(レベッカ・コップ絵、長友恵子訳、鈴木出版)という絵本もぜひ読んでほしい。もう、大人たちの憎しみに子どもたちが殺されるのは、たくさんだ。

2021年4月発行

日・中・韓平和絵本 へいわって、どんなこと? 浜田桂子 童心社

今こそ確認したい「へいわ」(平和)の原則

 

お昼時に寄った焼き立てパンの店で、支払いの列に並ぶお父さんと小さな男の子。多分家族の分もなのだろう、パンを溢れんばかりにトレイに載せて「たくさん買っちゃったねえ」「ちょっと買いすぎちゃったねえ」と話していた。温かいパンを抱えた二人を迎える家族の声も想像して、幸せな気持ちになる。同時に、男の子の笑顔にウクライナの避難シェルターで「死にたくない」と泣いていた男の子の泣き顔がかぶり、心が曇る。

 

浜田桂子さんの『へいわって、どんなこと?』というこの絵本を、『戦争と児童文学』の原稿を書いている間、何度も開いて読み返した。戦争の記録を読めば読むほど、この絵本に描かれている「へいわ」(平和)の原則が、まさに原則として的を射ていると思ったからだ。この絵本は平和という抽象的な言葉が具体的にどういうものなのかを、子どもの目線で描いている。注目すべきなのは、その言葉が、すべて「せんそうを しない」「ばくだんなんか おとさない」とすべて決意表明としてはっきり言い切る形になっていることだ。

 

この絵本は「アジアの絵本作家と連帯し、一緒に平和の絵本を作る」というプロジェクトの中から生まれている。各国の絵本作家が集まる南京でのディスカッションの場に持っていくこの絵本の試作では、浜田さんは「ばくだんが ふってこないこと」と受け身の表現として描いていた。しかし、「日本の被害者意識を表している」という意見が出て、話し合いを繰り返すなかで、浜田さんは被害者意識に偏っていた自分の平和認識を見つめなおす。そして「被害認識も戦争の実相を知る上で大事だけれども、本当に戦争を拒否するためには、加害意識を持つことが必要だ」と思うようになったという。(「好書好日」https://book.asahi.com/article/13568012 より)

 これはとても大切な認識だと思う。なぜなら、戦争はまず正義の名のもとに始められるのが常道であり、国民の被害者意識に訴えることから始められるからだ。今回のプーチンによる侵略も、「我々は平和的な解決を目指してきたが、これ以上我々の主権に対する脅威を許すわけにはいかない。ドンバスで行われている残虐行為から人々を救うための派兵」という大義名分が掲げられている。ナチスドイツも、戦争を始めたときの日本も、全く同じ理屈で他国を蹂躙していった。どんな大義名分を唱えられても、どんなに被害者意識を喚起させられようとも、殺し合いである戦争は絶対にしない、武力に対して「No」と言い切ることが、この巧妙なプロパガンダに飲み込まれない意識を育てる。そう思う。テレビで日本の防衛大臣が、チャンスとばかり軍備増強を口にし、首相経験者の国会議員(自称プーチンの友達らしいが)が、あろうことか核兵器の配備まで言い出す始末だが、その発想はプーチンが陥った過ちと同じ道をたどるものでしかない。軍備増強や核配備はますます国同士の緊張を高め、攻撃される糸口になってしまうだろう。誇大妄想にとりつかれた為政者が、防衛と称していたずらに巨大化した軍事力を手にしたとき何が起こるかを、私たちは今目にしている。愚かにも同じ轍を踏めば、次世代の子どもたちに恐ろしい苦しみをもたらしてしまうはずだ。

『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』の著者スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチは、「血の時代、武器の時代、暴力の時代は去ったのです。そして私たちは、命というもののとらえ方を、今までとは違うものに切り替えるべきなのです。」(文藝2021年冬号・インタビュー(「抵抗するために『聞く』、アレクシェーヴィチの今」)と述べている。彼女はウクライナの隣国ベラルーシで弾圧を受け、国外滞在中だ。暴力で他者をねじ伏せようとするやり方は、もはや過去の遺物として葬り去らねばならない。NHKが放映したイギリス制作の「プーチン政権と闘う女性たち」というドキュメンタリーを見た。ただ選挙戦に立候補したいだけの女性たちを逮捕・監禁するなどというのは、血なまぐさいソ連・スターリン時代の再来でしかない。ロシア国内でも、プーチンのやり方に抵抗しようとして闘い、傷ついている人たちはたくさんいる。「いやなことは いやだって、ひとりでも いけんが いえる」ことを許さない体制など、ロシアの人々も、もういらないはずだ。

この絵本に書かれている「へいわ」(平和)の原則を、世界中が共有できるようになればと心から思う。「現実はそんなに甘いもんじゃないよ」「お人よしは潰されるだけ」と冷笑されても、「お花畑」と笑われても、何度も何度も言いたい。この原則を、何度も声に出して確認したい。かがり火のように世界の片隅から掲げたい。

 

「へいわって ぼくが うまれて よかったって いうこと。」

「へいわって きみが うまれて よかったって いうこと。」

 

子どもたちが、この言葉を笑顔で言える世界を作ることこそが、政治の目的であり、大人たちの責任であるということを。