イクバルと仲間たち 児童労働にたちむかった人々 スーザン・クークリン 小峰書店

橋下大阪市長(すっかり大阪はほったらかしにされてるみたいですけど)が、最低賃金制の廃止を言い出したそうで、一体何を目指しているのかと怖くなります。最低賃金制が廃止されるということは、どんなに安い賃金で働かせてもいいということ。今でも、必死に働いても食べていけない人が増えているというのに。若い人たちを安くこき使おうとする思惑がぷんぷん匂う。この本には、そんな欲得しか考えない企業論理のしわ寄せがどこに行くのかが書かれています。理不尽な暴力そのものである、児童労働。一日働いて2.6円しかもらえず、逃げ出せば連れ戻されて拷問され、埃だらけの環境で病気を患いながら働かされ、学校にもいかせてもらえない。働いても増えるのは借金ばかり・・・まるで、江戸時代の遊郭のような労働条件です。でも、実際にこの世界のどこかでは、そうして働かされる子どもたちがいる。世界中がネットワークで繋がれた大きな網の中では、誰もそんな事実と無関係ではないのです。子どもたちの作り出した商品を買うのは、先進国の人間だから。買う人間には罪はない、という考え方もあります。でも、この本を読んだら、誰もそんな考え方に違和感を覚えるのではないでしょうか。

この本は、パキスタンで絨毯を織るという児童労働に、4歳(4歳!)の頃から従事させられていたイクバルという少年の、子ども向けのドキュメントです。彼は、600ルピー(約1600円)の借金のカタに、売り飛ばされたも同然の形で働かされる人生を送りながら、BLLF(債務労働開放戦線)の集会に参加したことがきっかけで、自分と仲間たちを工場主から解放させ、開放運動の先頭に立って活動を展開した少年です。彼はアメリカに渡り、「リーボック行動する若者賞」を受賞し、たくさんの子どもたちの前で自分の経験を語る、いわゆるBLLFのシンボルともいえる存在になるのです。

この本の読みどころは、イクバルという少年の人生を軸にして、児童労働の歴史や現状、どうして子どもたちが働かされるのか、という問題を多角的に説明しているという点にあると思います。児童労働の悲惨さは、驚くべきものです。読んでいて、胸が痛くなる。でも、それだけでは「世界にはかわいそうな子がいるんだな」で、自分と無関係に終わってしまうこともあります。児童労働が貧しさと結びついていること。だからこそ、なかなか無くならないこと。児童労働だけをやめさせようとしても、新たな貧困を生んでしまうだけに終わってしまうこと。その貧しさは、世界の別の場所の豊かさと結びついていること。この本は、そこまで踏み込んでこの問題を追っていきます。地図資料や語句の解説、写真も多数添えられていてとてもわかりやすく、著者がなるべく公平な視線で冷静にこのテーマを子どもたちに伝えようとしていることがわかります。著者は、なるべく自分の目と足でたくさんの人に会い、取材をし、この本を書いています。そこに、たった12歳で殺されてしまったイクバルという少年の理不尽な人生に真摯に向き合おうとする誠実さを感じます。グローバルという言葉を安易に使うのが私は嫌いですが、世界中に張り巡らされたシステムの中にいるという事実からは逃げられません。その中で、イクバルを殺してしまった大人のように、大切なものを見失わないようにする目をどうやって獲得するのかが、これからとても大切なことだと思うのです。

 大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が、足がかりにすべきはそこだ。(「僕は、僕たちはどう生きるか」梨木香歩・理論社)

自分の違和感に意識のライトを当てるのは、自分を大切にすることでもあります。知識と思考訓練は、自分を守る砦となり得ます。そのためにも、一つのテーマから、様々な学ぶきっかけが生まれる、こんな本がもっと注目されてもいい。そう思います。

2012年9月発行

小峰書店

by ERI