『戦争と児童文学』繁内理恵 みすず書房 2021年12月10日刊行のお知らせ

この評論集は、雑誌『みすず』二〇一八年四月号から二〇二〇年六月号にかけて十二回連載したもののうち、十篇を選んで加筆・修正を加えたものです。連載は隔月で、枚数も限られていたこともあり、刊行にあたり、随分書き直しました。お手にとって頂けると幸いです。

ここ数年、戦争に関する本を多く読みました。まだまだ勉強し足りない身ではありますが、それでも読めば読むほど、戦争が「今」と深く関係していることを知りました。児童文学が描いてきた戦争。そのなかで必死にもがく子どもたちの姿は過去のものではない。その思いが、この連載と改稿を続けられた原動力のひとつであったと思います。
そして戦争と文学という果てしなく巨大なテーマに打ちひしがれる私を支えてくれたのは、児童文学に込められている愛情と光です。戦争という絶望と狂気ののなかから、作者たちが掲げてくれた灯は、未来を照らしてくれる羅針盤です。そんな児童文学の奥深さと豊かさが、少しでも伝わる本になっていればよいのですが。収録された評論は次の十篇です。

・小さきものへのまなざし 小さきものからのまなざし――越えてゆく小さな記憶  朽木祥『彼岸花はきつねのかんざし』『八月の光 失われた声に耳をすませて』

・命に線を引かない、あたたかな混沌の場所――クラップヘクのヒューマニズムの懐に抱かれて  エルス・ペルフロム『第八森の子どもたち』

・空爆と暴力と少年たち――顔の見えない戦争のはじまり  ロバート・ウェストール『〝機関銃要塞〟の少年たち』

・普通の家庭にやってきた戦争――究極の共感のかたち、共苦compassionを生きた弟  ロバート・ウェストール『弟の戦争』

・基地の町に生きる少女たち――沈黙の圧力を解除する物語の力  岩瀬成子『ピース・ヴィレッジ』

・国家と民族のはざまで生きる人々――狂気のジャングルを生き延びる少年が見た星(ムトゥ)  シンシア・カドハタ『象使いティンの戦争』

・転がり落ちていくオレンジと希望――憎しみのなかを走り抜ける少女  エリザベス・レアード『戦場のオレンジ』

・核戦争を止めた火喰い男と少年の物語――愛と怒りの炎を受け継いで  デイヴィッド・アーモンド『火を喰う者たち』

・歴史の暗闇に眠る魂への旅――戦争責任と子ども  三木卓『ほろびた国の旅』
三木卓と満州

・忘却と無関心の黙示録――壮絶な最期が語るもの  グードルン・パウゼヴァング『片手の郵便配達人』

巻末に、取り上げた作家の作品、そして戦争を描いた児童文学のブックリストを載せています。ぜひ、そちらもお手に取っていただけますように。

デイヴィッド・アーモンド講演会 「想像から生まれる力」 

今日(11月3日)大阪府立中央図書館で、来日されているデイヴィッド・アーモンド氏の講演会「想像から生まれる力―国際アンデルセン賞作家、デイヴィッド・アーモンド自身を語る」という講演会がありました。こんな機会は一生に一度かもしれないと、張り切って行ってきました。

初めて拝見したアーモンドさんは、とても気さくなあったかいオーラを放っておられる方でした。会場に気軽な感じで入ってこられて、とても熱心にいろんなお話をしてくださって・・・何だか、ますますファンになってしまいました。アーモンドさんは日本が大好きで、岩手にも行ってらしたとか。宮沢賢治の詩が好きで、とてもインスピレーションを感じられるそうです。賢治が方言を使って物語を書いているところに共感してらっしゃるようで・・講演の中でも、故郷の風景や子どもの頃のお話をいろいろしてくださいましたが、彼の言葉のひとつひとつが、そのまま作品世界を連想させるものでした。空が、土が、spiritが呼び掛けてくる・・という言葉が印象的でした。

作品が好きで読みこんでいる作家さんのお話を聞くと、当たり前かもしれませんが、共感できるところがとても多いです。「ありふれた(ordinary )」という言葉をよく私たちは使うけれども、この世界にありふれたものなど、何もないということ。存在の奇跡ということにからめて、ウイリアム・ブレイクの「THE TIGER」という詩を朗読しておられましたが、ブレイクの詩は、イギリスでもアーモンドさんの著書に影響されて読む人が多いとか。昨日レビューを書いた『ミナの物語』の主人公ミナは、(登場人物は誰でもそうだけれども)自分の一部だと。そして、「私が作品を書くのを助けてくれる部分」だともおっしゃっていました。ミナの世界に対する無垢な驚きの眼は、そのままアーモンドさんの心の眼なんですよね。・・・うん、納得。

ご自分の作品がどんな風に生まれるかという話も、創作ノートを公開してまで説明してくださって、とても興味深いものでした。子どもたちにも、同じように創作について説明されるそう。それは、本は遠いものに見えるが、皆さんにも近づきやすいものだということを伝えたいからとか。「あなたも出来ます」ということを伝えたいのだとおっしゃっていました。いやいや、それは難しいよ、と思いながら、そんなアーモンドさんの姿勢が素敵です。いろんな作品のお話もしてくださったのですが、その中でも印象的だったのを一つだけ。

『肩胛骨は翼のなごり』のスケリグ。「あの不可思議な存在を思いつかれたきっかけは何だったのですか」という質問(実はこれ、私でした)に、シュン、と降りてきたんだと。(シュン、という擬音とジェスチャー付きでした)一冊本を書き上げてポストに投函し、頭の中は空っぽで、やれやれ、ちょっと休憩しようと思って10mほど歩いたところで、いきなりあの物語を思い付いた。机に向かって書き始めたら、スケリグが、いきなり頭の中にやってきたらしいんです。「どこから来たのかわからないけど」とおっしゃってました。びっくりされたらしい(笑)あの物語は、書いている間、自分でもどうなるのかわからなかったと。あの作品をよく「巧みだ」と評されることが多いけれど、「その通りだよね」と笑ってらっしゃいました。『肩甲骨は翼のなごり』は、どうもとてもお気に入りのようです。5歳の頃に、氏の肩胛骨をお母様がさわって、「これはあなたが天使だったときの名残りよ」と言ってくれたと。そのことは忘れられないとおっしゃってました。あの物語には、そんな想い出も込められていたらしいのです。だからこそ、より特別な作品なのかもしれません。

既にイギリスでは出版されている著書を幾つか見せてくださったのですが、どれも涎が垂れるほど読みたいものばかり・・・どうか、日本でも出版されますように。これから書きたいものも、山のようにおありになるとか。嬉しいなあ。

「物語は楽観主義と希望から生まれる」「物語は崩壊に向かう力を押し戻すもの」「人間は物語を語るもの。人は人である以上、物語を語り続ける」

この言葉に、アーモンドさんの物語に対する信頼と愛情、物語を生みだすものとしての気概を強く感じました。参加できて幸せでした。アーモンドさん、ありがとうございました。そして、この機会を作って頂いた関係者の方々に、心からお礼を申し上げたいと思います。本にサインまでして頂きました~!幸せ・・・。

by ERI

 

ミナの物語 デイヴィッド・アーモンド 山田順子訳 東京創元社

大好きな『肩胛骨は翼のなごり』のミナの物語・・・もう、この惹句を読んだとたん、アマゾンでぽちっとしてしまったこの本。ひとつひとつの言葉が、優しい雨のように、木漏れ日のように心に降り落ちて、沁み込んでいくのです。生まれおちて初めて空や海を見る幼子のように新鮮な眼で全てを見つめ、言葉を紡いでいくミナ。私はミナと一緒に、この世界の不思議を見つめます。何て豊穣なミナの世界!原題は『My NAME IS MINA』。ミナが自分のノートに綴った心の記録が、この本です。

ミナは、常に考えています。ミナのお母さん曰く「自分の意見や見解を持っている子」なんです。いつも驚きを持って自分と世界を見つめている彼女にとって、毎日は冒険。思考は果てしなく展開し、心はフクロウのように翼を広げてどこまでも飛んでいこうとする。その自由さといったら!この本は、ミナのノートそのものという設定で、そこがとても楽しいのです。ぴょんぴょん跳ねるウサギのように、楽しく跳ねまわる彼女の視線。美しいもの、素敵な言葉を見つけると、一直線に走り寄って言葉にせずにはいられない。

「この刺激的で、すばらしくて、不可思議で、美しくて、息を呑むような、驚きに満ちた、ゴージャスで、いとおしい、あたしたちの世界をみつめよう!」

ミナの心を書き写すアーモンドの筆は、冴えに冴えます。月の夜。地下の坑道。お気に入りの木の上。埃だらけの隣の家(そう、マイケルが越してくるあの家です)まで、ミナにとってはこの世の不思議を内包する、存在の輝きに満ちた特別なもの。その心の軌跡を、少女の瑞々しい瞳が見つめるままに書きとっていきます。この本は、ミナの心の自由そのもの。その眼差しに心を重ねるのは、心躍る体験でした。しびれた足のように堅くなっている心に血が巡る感覚・・・ル・クレジオの『地上の見知らぬ少年』のように、この世界をはじめて眼にする新鮮な喜びに、心が躍りました。ミナと一緒にこの世界を愛せる気持ちになれるんです。まだ少女であるミナの世界は、物理的に言うとほんの狭い場所なんですが、彼女の心の旅はどこまでも広がっていく・・そう、本の世界と同じです。

でも、そんな彼女は、学校という場所では異端者です。ミナにとって学校は鳥籠。彼女の羽を縛る恐るべき場所。「標準学力テスト」とミナが折り合うはずもありません。「標準」という言葉で、たった一つの価値観で、子どもを評価しようとすることに、ミナはことごとく反発します。「上手くやる」「人に合わせる」ということが全く出来ない。心に自由の翼を持つ彼女は、現実世界では落伍者なのです。ミナは、学校にいかずに、家で母の教育を受けています。今は、それでいい。でも、いつまでもそのままではいられないことも、わかっているのです。自分の心の王国では女王であるミナも、いやいや行ったフリースクールでは、おびえ、戸惑うちっぽけな女の子。

「“成長する”ことは、すばらしくて胸がどきどきするけれど、同時に、決して簡単なことではないのだろう。こんちくしょうにむずかしいことなのだろう」

自分だけの心の世界から、誰かと共有する世界へ。しなやかな心は、別の魂と出逢いたくてうずうずする。でも、繊細すぎる感性は、傷つくことを恐れ、伸ばした手を引っ込めようとする。そんなミナの葛藤が、アーモンドならではの細心さで書き綴られます。差し出そうとする手をそっと抱き寄せるようなアーモンドの優しさは、少女や少年と呼ばれる年代を生きる子たちの心に必ず届くと思います。

この本は、マイケルと新しい物語を始める、その日までの物語。彼女が、その手で新しい扉を開く、その瞬間までを綴ります。新しい扉を開いたミナは、マイケルと、スケリグと出逢い、「不可思議な存在」がもたらす奇跡を分け合います。そう。人と出逢い、勇気を出して心を繋ぐことで、世界は広がっていく。傷つきやすい魂の苦しみを見つめながら、生きる喜びを心いっぱいで抱きしめようとするアーモンドの詩情に、心深く打たれる一冊でした。この本を読んで、再び『肩胛骨は翼のなごり』を読むと、感動がひとしお。そして、またこのミナの物語を読み・・という、循環に陥ってしまう、きっと折に触れて読み返す大切な本になりそうです。山田順子さんの繊細な訳に感謝です。

明日(もう今日になってしまったけれど)は、大阪の中央図書館で、この作品の著者デイヴィッド・アーモンドの講演会があるのです。もちろん行きます!また、お伝えできることがあったら報告しますね。

2012年10月刊行

by ERI