キミトピア 舞城王太郎 新潮社

舞城氏の言葉は、日常に切り込んでくる鋭く、扇情的な凶器のようだと思う。「言葉」というものは不完全で曖昧な道具で、私たちの生活や意識と密接に結びついている。個人個人の言語感覚のずれもある。その「個」に結びついた言語をいったん日常から引きはがし、厳密に再構築した上でもう一度「日常」という風景の中に放り込む。すると、言葉は新たな熱を帯びて「個」の中に切り込んでゆき、私たちが言葉にすることを諦めて葬り去ろうとしていた感情や奇妙なズレや暗闇を掘り起こしていく。文学というものは、多かれ少なかれ、この営みを繰り返すものだけれど、舞城氏ほど、言葉の可能性と限界を同時に感じさせてくれる人はあまりいないんじゃないか、と思ってしまうのだ。

『キミトピア』と名づけられたこの短編集は、誰でも一度は巻き込まれてしまうような、人間同士のトラブルやズレを克明に描き出す。登場人物、特に語り手は、とにかく論理的に言葉を駆使して思考し、問題の本質をえぐりだそうとする。たとえば冒頭の「やさしナリン」。夫と義妹の「他人のかわいそうに弱い」という性格が巻き起こす、お金とコンプレックスの混じった身内のゴタゴタ…もう、他人に説明するのもめんどくさいこういうゴタゴタって、誰でも一度や二度は巻き込まれたことがあるはず。ものすごく精神力を消耗するんだよなあ、こういうのって。言葉を尽くしても尽くしても、なぜか見事に核心がすれ違っていくあの隔靴掻痒というか、気持ち悪さが、こんなに見事に再現されるのが信じられないくらいなのだ。主人公の櫛子は、夫に、義妹に、ありとあらゆる言葉を駆使して彼らの「やさしナリン」の理不尽さをわからせようとする。この櫛子の言葉は、「そう!それが言いたかったの!」と、自分の過去のゴタゴタに使いたかったセリフ満載の明晰さなんですよ。このあたりの言葉の縦横無尽さは、「真夜中のブラブラ蜂」の網子の言葉たちなんかも読んでてうっとりするくらいです(笑)「好きなことやっていいよ」と言いながら、絶対にそう思ってない夫や息子の無意識の領海に、ビシビシと切り込んでいく網子の言葉たちに、すっかり惚れました。(個人的な感情が入ってるな・爆)

しかし、しかし。櫛子にしても網子にしても、言葉を交わせば交わすほど、相手との距離が離れていくんですよね。言葉たちが、見事な理論と世界観を構築していけばいくほど言葉が照らす光は、同時にくっきりと距離と、お互いの間に横たわる暗闇を暴きだすことになる。…言葉の可能性と限界とは、人間同士が分かり合おうとする可能性と限界のことだよな、とつくづく思う。キミと僕、あなたと私がいてわかり合おうとすることは、どこにもないユートピアを願うことなのかもしれない。でもでも。その言葉の限界を、人と人との果てしない距離を、舞城氏はありとあらゆる仕掛けを駆使して突き抜けようとするんですよね。流動的で、ヒステリックな「今」をガリガリと齧りながら走る、その乱舞っぷりを、私は頼もしいと思うし、エロくて素敵だとも思うし、とことんいてまえ!とも思うのである。文体の疾走感を読む楽しみだけでも、相当ポイント高いです。…なんで、舞城氏は、芥川賞を取れないんだろう。不思議だなあ。

2013年1月刊行
新潮社

長い道 宮崎かづゑ みすず書房

昨年見た辰巳芳子さんのドキュメンタリー『天のしずく』で、この本の著者である宮崎かづゑさんのことを知った。宮崎さんは、10歳のときに国立ハンセン病療養所長島愛生園に入園され、それ以後の人生をずっと園内で過ごしてこられた方だ。宮崎さんは、病で倒れたお友達のために、毎日辰巳さんのポタージュスープを作って届けた。そのお礼の手紙を辰巳さんに出したことが縁となり、辰巳さんが宮崎さんを訪ねられたのだ。映画の中での宮崎さんの言葉は、とても強く心に残った。「人間は生きているべきですねえ。私、5、6年前でしょうか、ここまで生きてこなくてはわからないことがあったと思うことがあります」その言葉に頷きあう宮崎さんと辰巳さんを見て、私は「ああ、まだまだだな」と思ったのである。清々しく完敗したと言ったら語弊があるだろうか。少々人生にお疲れ気味だなと思っていたのだが、まだまだ自分が若輩者であることを先輩方に優しく厳しく諭されたようないい気持であった。

繰り返すが、かづゑさんは10歳で園に入られた。そのとき、故郷を失ったのである。私は桜井哲夫さんという、やはりハンセン病の方の詩が好きで関連本を何冊か読んだのだが、その昔「らい」と呼ばれ、人から恐れられたハンセン病にかかって故郷を離れることは、もう二度と帰らぬことと同義であった。かづゑさんのこの本にも、近所の人たちがかづゑさんの実家と同じ井戸を使わなくなったことが、彼女に園に入る決意をさせたことが書かれている。(宮崎さんは、その人たちが遠くまで水汲みをしに行くのが辛いと思われたのだ)この本の冒頭には、幼いころを過ごした故郷のことがとても細やかに描かれている。ほぼ自給自足の農家の生活。こまごまとお漬物や味噌を作り、家族に食べさせる祖母の手。季節の行事や、田んぼの仕事。生き生きと語られるその日々の、なんと色鮮やかなことか。体の弱いかづゑさんを、家族が愛して慈しんでいたことが切ないほど伝わってくる。そして、その思い出を、かづゑさんが宝物のように大切に大切に胸の中で育んで生きてこられたことが、こちらにも温かい雫のように沁み渡るのだ。まさに、天のしずく。さっき私は「故郷を失った」と書いたが、人は本当に愛するものを失ったりはしないのかもしれないとも思う。そう思わせるほどかづゑさんの思いは深い。愛情が深い人なのだと思う。

故郷から離れ、園に入ってからの生活は、戦争とも重なって苦難の連続だ。人間関係に苦しんだり、片方の足を切断しなければならなかったり、たび重なる痛みに苦しめられたりしながら、それでもかづゑさんは結婚し、夫のために料理をし、ミシンで様々なものを手作りし、日々の暮らしに心をこめて生きていく。私は知らなかったのだが、家事仕事をすることは、手の指を失うことなのだ。病気の後遺症で抵抗力が弱くなっているので、水仕事で傷が出来ると、段々手指に血流がいかなくなるという。かづゑさんも両手の指がない。でも、その手で親友のために、非常に手間のかかる辰巳芳子さんのスープを毎日手作りして持っていく。何の理屈も欲得もない無償の行為が、何の計算もなくある。その尊さが、穏やかな海のように輝いて私たちを照らしてくれる。

トヨちゃんは、幼いころから体は病に攻めつづけられたけれど、まるでその苦しみが彼女の心をざぶざぶと洗い流していたかのように、魂に磨きがかかり、美しい光を放ち、そしてその光は歳をとるごとに輝きを増していったと私は思う―・・・

これは、かづゑさんが親友のトヨさんのことを語った文章なのだけれど、そのままかづゑさんのことを表す文章ではないかと思う。そして、この言葉からもわかるように、かづゑさんは、とてもまっすぐな力のある文章を綴られるのだ。かづゑさんは、無類の本好き。趣味などという軽いものではなく、本は親友だとおっしゃる。どんなに苦しいときも、本を読む心の自由が自分を支えてくれたと。そう、そうですよね!と、私は嬉しくなってしまった。モンテ・クリスト伯、赤毛のアンのシリーズ・・・むさぼるように本を読む幸せ。まったく違う世界に飛んでいく時のときめき。

「行きづまっているとき心が自由だったのは、本の中の地中海があったから」

物語の力って、これですよね。この心の自由は、何物にも代えがたい喜び。多分、目だってあまりご丈夫ではなかったろうけれど、本を手放せなかったかづゑさんの気持ちは、同じ本読みとしてとてもよくわかる。そして、だからこそ、私も、年齢を重ねたときに、かづゑさんのように己の人生をありのままに「よかった」と思える日がくるように。心こめて生きていかねばなあと思う・・・思いながら、今日も背中がちょっと痛いだけでへたりこんでいた、どうしようもない私ではあるけれど。「もう人間はやめようね」と、かづゑさんは親友に呼び掛ける。その言葉が感じさせる背負ってきたものの重みと、かづゑさんが与えられ、与えてきた愛情の重みの両方を、深く感じる一冊だった。この本を書くきっかけになった辰巳芳子さんとの出会いも、その愛情が手繰り寄せた縁なのだろう。そして、その愛情はまったく見知らぬ私の胸の中をも照らしてくださったのだ。辰巳芳子さんは、かづゑさんの文章のことを「あの文章を読んだ人は、命とは何かということを見出して、感じて、そのあとでほんとうの意味の解放感を味わうと思う」とおっしゃっていた。まことに、その通りだ。この一冊を世の中に届けてくださったことに、心から感謝したいと思う。

2012年7月

みすず書房

 

かえでの葉っぱ D・ムラースコーヴァー 関沢明子訳 出久根育絵 理論社

とても美しい絵本です。この何とも美しい絵本に、もっと他に素敵な表現はないかといろいろ考えたんですが、美しいものは美しいんだから、仕方ない。(開き直ってますね)金色で、片方のふちがピンクの大きなかえでの葉っぱが、ふわりと自分の樹から旅立ち、さまざまな場所に自分のその身を置く話です。ムラースコーヴァーさんのとてもシンプルなテキストと、出久根育さんの詩情に満ち溢れた絵が溶け合って、一頁一頁がとてもドラマチック。ツバメと葉っぱが一緒に空を飛んでいる頁なんて、一緒に風を感じてドキドキします。こんな風に空を飛ぶなんて、絶対に私たちは体験できない。でもね、不思議なんですけど、私はどこかにこの記憶を持っているようなんです。少年と山の上で出会うことも。虫を乗せて川を下るのも。無数の星たちを見上げて夜の空を飛んでいくのも。雪の下で、じっと春を待つのも。この絵本の舞台のチェコなんて全く知らないのに、葉っぱの出会う風景が、心がぎゅっとするほど懐かしい。散々旅をして、いっぱい命と出会って、そのあと懐かしい人に火の近くで再会して燃え尽きる。そんなことが、いつか自分にもあったと思うんです。

生まれて、死んで。輝いたり燃え尽きたり、風に吹かれて舞い上がったり、どこかに落ちてそのまま朽ち果てたり・・・きっと、私たちはそんな風に命を繋いで繰り返してきた。その流れが、自分にも、葉っぱにも、少年にも、ムラースコーヴァーさんにも、出久根さんにも、そして私にも流れている。言葉にならない原風景のような記憶が溢れるような、静かだけれどもドラマチックな時間がここにあります。ただただ、その時間に身を浸す寂しさに近いような幸せを感じました。手元に置いて、いつも眺めたい一冊。この絵を原画で見たいものです。どこかで原画展をしてくださらないかしらん・・・。

 

2012年11月刊行

理論社

 

サースキの笛がきこえる エロイーズ・マッグロウ 斎藤倫子訳 偕成社

この物語の主人公であるサースキは「とりかえ子」です。妖精が、人間の子どもをさらうかわりに、置いていった子どもが「とりかえ子」。しかも、サースキは妖精の母親と人間の父親との間に生まれた子。つまり、妖精の世界でも居場所がなくて人の世界に送られてきた子なのです。サースキは、妖精であったときの記憶を自分の心の奥底に封じ込め、なぜ自分がこんなに他の人とは違うのかということがわからぬままに苦しみ、悩みます。両親とも、村の人たちとも違う自分。「とりかえ子」という悲しい言葉の響きそのままに苦しむサースキと、彼女を育てる両親の心の痛みを感じながら・・・いつしか、彼女の悲しみと苦しみが、自分の中に潜むいつの日かの自分と響きあっていくのを感じました。

サースキは見かけもやることも、人間の子とは違っています。少しの間もじっとしていられないし、人間ならだれも恐れて近づかない荒れ地が大好き。壁を駆け上がれるほど身軽です。誰に教えてもらわずとも、バグパイプの演奏ができる。そんな彼女は村の子どもたちだけではなく、大人からも冷たいまなざしを向けられます。それは、彼女の両親だって例外ではありません。サースキがほかの子と違うということを、一番よくわかっているのは父と母。そして、サースキが「とりかえ子」であるということを一番先に感じていた祖母のベスです。その不安と戸惑いも、この物語はきちんと描き出します。なかなか分かり合えないサースキと家族の行き違いは、読んでいてとても切ない。サースキは、幼いころにすべてに戸惑い、壁に囲まれているような違和感に固まってばかりいた自分のようだし、サースキの両親は、手探りで悩みながら子育てをしていた自分の姿を見るようなのです。人がどこに、どのような親の元に生れ落ちてくるのか。それは、全く自分には意思決定権がありません。だから・・・行き違うし、誤解しあうし、全く理解しあえないこともあるし、気持ちが通じないことだってたくさんある。親子だから分かり合える、などというのは思い込みや幻想にすぎないのです。でも、その幻想に私たちはとことん振り回されます。この物語の中でも、サースキを理解し、お互いに安らぐ存在になれるのは、赤の他人であるタムという少年だけ。でも、サースキの両親は、サースキを理解できなくても、ただひたすら守ろうとします。災いをもたらすものとして村の大人全員が、サースキをつるし上げようとしても。(この集団心理の描き方は見事です)親って、ほんとはこれだけでいいのかもしれません。その気持ちさえあれば、子どもはそこから生きる力を生み出すことができる。サースキは、そんな両親に少しずつ愛情を感じ、彼らの本当の子を妖精たちから奪い返そうとするのです。その不器用な、ぎこちない愛情が生まれていく様子がなんとも愛しくて仕方ありませんでした。親子であることの苦しみと喜びが、子どもであった、親でもあった(両方とも過去形ではないけれども)私の心に、しみこんでいきました。荒れ野に広がるサースキのバグパイプの音のように。

 

そう、どこにも馴染めないサースキが奏でる音楽だからこそ、響いてくるものがある。彼女が傷だらけになりながら獲得していく感情のひとつひとつの感触が、今更のように胸の底に落ちてくるのです。自分の声が届かない悲しみ。絶望。誰かを大切に思うこと。自分を守ろうとしてくれる愛情を感じること。理解してくれる人と出会う奇跡。レコードの針が小さな溝のくぼみをたどって美しい音楽を奏でるように、サースキの心の震えは、読み手の心の中に埋もれていた柔らかい部分から大きな共振を引き起こします。それは、サースキの心を借りて、また自分自身と向き合うということでもあると思うのです。物語だけが果たすことができる役割が、ここにあります。

 

サースキは、失っていた記憶を取り戻し、自分が自分でいられる場所を探してタムと旅立ちます。悲しい結末ではありますが、私はそこに新しい希望を感じさせるすがすがしさも感じました。ここにカタルシスを感じる子どもたちもたくさんいるのではないでしょうか。生きる悲しみと喜びを見事に浮かび上がらせた物語でした。訳と装丁も、繊細さを伝えて素敵です。このタイトルに惹かれて読んだ自分の勘が、見事に当たった一冊でした。

2012年6月刊行

偕成社

 

ソロモンの偽証 第一部~第三部 宮部みゆき 新潮社

連載に9年をかけた大作。読むのも大変だったのだが、何とラスト近くになって、「もっと続きが読みたい」と思った自分に驚いた。テーマとしては、学校という閉鎖社会の中でのいじめと暴力という重くやりきれないものだ。しかし、最後まで読むと、心に光が射してくる。一巻で描かれたやり切れない場所から、この光に至るまでの過程には、なるほどこれだけの分量が必要だったのだと読み終わって納得した。

宮部さんもインタビューでおっしゃっていたが、誰が真実を知っているのかということは、途中で何となく予想がつくのである。しかし、それが物語への興味を失わせないどころか、だからこそますます読み進めたくなる。学校は部外者の立ち入りにくい密室だ。でも、その密室は大人の矛盾やこの社会の理不尽を見事に反映する。いじめ問題も、いくら行政が学校に介入し、手直しを図ろうとやっきになっても、根本的な解決にはならないような気が私はしている。効率よく弱者を切り捨てるのが当たり前という価値観が、大人の社会で大きな顔をしていることを、きっと子ども達は敏感にわかっているんだと思うから。この本は、そんな化け物に対する闘いの書なのだと思う。自分たちで設けた学校内裁判の法廷で、彼らはとことん話し合うことで、自分たちを呑み込もうとする虚無と闘うのだ。誰も真実を教えてくれないまま、うやむやにしてしまおうとする。身勝手な大人の事情を呑み込ませられることにうんざりした中学生たちを立ち上がらせた宮部さんの願いが、とても熱い物語だった。

そう、闘う相手は自分たちにつきつけられた理不尽だから、この学校内裁判では、裁判の勝ち負けではなく、真実にたどりつくことを目的にしている。それが、この法廷の肝だなあと思うのだ。ただ勝ち負けを争うなら、上げ足とりをし合うだけになってしまう。法廷という形をとり、証人と話をし、自分たちの言葉で真実を探そうとする。この、「話す」ということが、大切なんだと想う。昨日、リーマ・ボウイー氏の「祈りよ力となれ」という本を読んでいた。度重なる内戦で家族を殺され、財産を全てなくし、傷つけられ、辛酸をなめたリベリアの女性たちが立ちあがり、男たちが為し得なかった停戦を成し遂げる。その出発点は、自分の過去を語り、話し合い、共有するという営みだった。現実に学校という場所で声をあげるのは非常に大変なことだ。そのことは、自分の中学校時代を思い出しても身にしむほどわかる。こんな闘いは、物語だから出来ることと言ってしまえばそうかもしれない。この物語の中学生たちが出来すぎ、とも言えるかもしれない。(いや、実際、私はこの年齢でも、検察側も弁護側も裁判長も務まらないと思う)でも、この物語の中で積み上げられていく話し合いの中で、中学生たちが初めてお互いの心の中に踏み込んで、心を分け合っていく過程は、宝物だと思う。現実ではない物語だからこそ生まれる宝物がここにはある。その宝物を分け合うことが、微かな光となって私の心に射した。そして、この光が、少しでも現実を照らすものになって欲しいという宮部さんの祈りも、私の心に届いた。その祈りを、私も共有したいと心から思う。

ネタばれになってしまうかもしれないけれど。最後に書かれた短い後日談の中で、健一があれからの自分たちを語った一言を、今悩む子どもたちが言えるようになって欲しい。でも、それはグローバルに通用する優秀な人材(この人材という言葉は傲慢だと思う)を育てることからは生まれないと思う。Xmasの夜に死んでいった柏木くんと、弁護人をつとめた神原くんをわけたものは、優秀さや、そんなことではなくて―暮らしはささやかでも、ちゃんと心を分け合える人がいるか否かということだった。まっとうに生きていれば、人間らしい暮らしが出来る大切さ。そこを忘れてほしくない。もうすぐ始まる衆院選に出てくる政治家の方達には特にね。ちょっとため息ですね・・・。

2012年8月~10月刊行
新潮社

すみれノオト 松田瓊子コレクション 早川茉莉 河出書房新社

松田瓊子さんという方を全く存じ上げないまま、この美しい装丁に惹かれて手にとりました。そうしたら、中から宝石のように、ぎゅっと凝縮された美しいものがたくさん溢れてきたのです。松田瓊子さんという方は、昭和15年に23歳の若さで夭折されています。この本は、生前に瓊子さんが書かれたエッセイ、小説と短歌、日記と、「その人・作品について」という紹介を合わせた、愛蔵本のようなしつらえになっています。

田辺聖子さんの後書きによると、瓊子さんの作品は、戦時中に密かに少女たちに愛されていたらしいのです。戦時中の、乙女らしい楽しみも何もかも奪われてしまった中で、「地上に二度とよみがえってこないだろう楽園―美しい自然、愛と善意に満ちた人々、音楽と読書の楽しみ、敬虔な信仰・・・・・・にためいきついてあこがれた」と田辺さんはその魅力について書かれています。野村胡堂の娘に生まれ、当時としては非常に高い教育を受け、オルコットやスピリ、バーネットの作品に傾倒し・・・生きておられたら、きっと児童文学の世界で活躍されたことでしょう。でも、書くことが大好きな美しい人は、若さの真っ只中で亡くなってしまった。この本には、若い情熱のきらめきが、そのままに詰まっています。言葉というのは、不思議です。何十年もの時を超えて、彼女の若い息吹をそのままに感じることが出来る。あの時代に、高い知的環境の中にいた女性ならではの感性や理想のまっすぐな美しさに、心打たれてしまいました。

私は、戦前の教育を受けた方の文章というのがとても好きです。例えば石井桃子さんや村岡花子さん。和歌や古典に培われた床しい日本語と、英語のリズムが溶けあって、何ともいえない典雅な言葉として昇華しているように思うのです。瓊子さんの文章にもその正統とも言える品があって、そこに感受性の鋭さが加わってそれはそれは快いのです。冒頭の「初夏のリズム」というエッセイを読むだけで、彼女がどれだけ自然を愛していたかがわかります。美に対する感性の優れていた瓊子さんは、愛するものが多すぎたのかもしれません。文学に音楽。自然の美しさ。小さな子ども。家族。信仰・・・そして、病弱な体を焼きつくすような恋人への想い。日記を読むと、彼女がどれだけ一日一日に思いを込めて生きていたかがわかって、苦しくなってしまうほどです。特に婚約していた智雄さんに対する愛情のなんと激しいこと。彼女の愛情は時間による浸食も褪色も知らず、ここに焼き付けられています。

瓊子さんははかないもの、小さなもの、いたいけなものをこよなく愛していたようです。そこには同じく儚い命を生きているという切ない眼差しがあったように思います。瓊子さんの姉の淳子さんは16歳で、兄の一彦さんは21歳で結核で亡くなっています。自分も同じ病に苦しんでいた彼女にとって、次は自分という想いは常にあったでしょう。病がちの彼女は自分の小さな世界にあるものを、心込めて愛していた。その命への切ないまでの愛情が、時間も空間も超えて、心に届きます。

戦争という黒雲が日本を覆い尽くす前の時代。この時代の、東京の知的階級の家庭にしか咲かない芳しい女性の美しさは、もうこんな文学の中にしか残っていないのかもしれない。でも、瓊子さんの胸の中に在った理想のまっとうさや正義感の折り目正しさ、美を感じる心は、時代を超える普遍的な価値観だと思うのです。綺麗ごとだと言われたらそれまでかもしれない。でも、人間なんて、本質的にはそんなに変わらないはずだと思うんですよ。今の若い人たちの眼にも、この本の美しさは届くと思うのですが・・・。コナン・ドイルや江戸川乱歩が永遠に愛されるように、「赤毛のアン」や「小公女」「秘密の花園」はいつだって女の子の心を捉えます。若い人がこの本を読んでくれるといいのになと思いながら、思いがけずに出逢った本の頁を閉じました。

2012年9月発行 河出書房新社

by ERI

私は売られてきた パトリシア・マコーミック 代田亜香子訳 作品社

これは、非常に辛い本です。
毎年、たくさんの・・後書きによると、年間一万二千人近いネパールの少女たちが、インドの売春宿に売られているとのこと。それも、たった300ドル。円高であることを考慮に入れても、たった三万円くらいのお金と引き換えに、売られていく。この本は、その少女たちのことを実際に取材し、自分の目と足で確かめた著者が、一人の少女を主人公に、物語という形にまとめたもの。ですので、フィクションですが、この本に書かれていることは、事実です。今も、この世界のどこかで起こっていること。読めば読むほどに辛いです。でも、目をそらしてはいけない現実でもあります。

主人公のラクシュミーは、ネパールの山の村で生まれた女の子。荘厳な山の自然の中で、彼女は母と、義父と、兄弟たちと暮らしている。彼女が初潮を迎えた頃、村は洪水に見舞われ、働かない義父のせいもあって彼女の家は貧窮する。もともとラクシュミーに辛くあたっていた義父は、ほんのわずかなお金を引き換えに、彼女を売ってしまう。自分がどこに行くのか、何をさせられるのか、知らないままに遠くに運ばれてしまったラクシュミー。彼女を、過酷な現実が待っています。その一部始終が、押さえた筆致で、冷静に描かれています。ラクシュミーが、母を、兄弟たちをどんなに愛していたか。故郷の山々を、どんなに切なく思い出すことか・・。その思い出を散々に汚してしまうような、悲惨な出来事が、どれだけ彼女の心を、身体を引き裂くことか。私たちは、21世紀になっても、この貧困ゆえに女の子が売り飛ばされることさえ終わらせることが出来ない。その事にうなだれます。

こういう悲劇を食い止めるために、行わなければいけないことは、たくさんあると思うのだけれど、まずは教育なんだろうと思うんですよ。文字を知る。本を読む。様々な価値観があることを知る。自分の身体を大切にする権利を、誰かが奪うことが間違いだという事。例え、それが親であっても。人間を売り買いしてはいけない事。男も女も、性によって暴力を受けてはいけない事。私たちはその事を当たり前だと今は思っているけれど、つい戦前までは日本にも、この本に書かれているような現実があった。それは、そんなに昔のことではないんだから・・・。

後書きで、著者が、このような悲惨な状況から逃れた少女たちに実際に会ったことが書かれています。自分たちの置かれていた現実の問題に気づき、様々な活動をしている少女たちは、人間としての誇りと尊厳をかけて、自分たちのような少女たちが少しでも減るように頑張っているらしい。その尊厳を取り戻すのも、また知識の、教育の力だと思う。人として生まれたものが、等しくきちんとした教育が受けられる。そんな最低限のことが出来る世の中に・・なって欲しいと、まるで人ごとのように書く自分が嫌になってしまうけれど。同じ女として、この本を読んでいる間中、心と体が痛かった。

著者もきっと非常に辛い想いをした事だと思いますが、感情に流されず、悲惨な体験をした少女たちの尊厳を、きちんと尊ぶ姿勢でこの本を書いている。その事が伝わってくる文章でした。

あたしの名前はラクシュミーです。
ネパールから来ました。
わたしは十四才です。

この結びの文章がいつまでも胸に残ります。身体の中に鈍痛のように・・・。

2010年6月刊行
作品社

by ERI