チェロの木 いせひでこ 偕成社

人は―と言うと、風呂敷を広げすぎかもしれないけれど。特に子どもは、歩いていける場所に森を持つべきだとこの本を読みながら思ったことだった。命を、生と死を内包しながら深く呼吸し続ける森。古の時を受け継ぎ、そして自分の命が無くなってしまったあとにも、ずっとそこにあって静かな音楽を紡ぎ続ける場所。奥深く迷い込めば帰ってはこれないかもしれない。恐ろしい獣に出会うかもしれない。でも、だからこそ心の奥底に何かを語り掛けてくる。自分という存在が、大きな命の流れに抱かれていること。同時に、かけがえのないたった一つの存在であること。そのどちらも感じながら生きることが、今はとても難しい。私たちは、どこを切っても同じような金太郎飴のような世界に生きているから。しかし、本来私たちは森と繋がるべき存在なのだ、きっと。

この本に描かれるのは、森が生み出す命の循環だ。森で育った一本の木が、美しいチェロという楽器になり、音楽が奏でられ、人々の心に届いていく。森と人が生み出す命の饗宴にうっとりと聞き惚れてしまう。森をはぐくむのも、チェロを作るのも、音楽を奏でるのも、心を込めて修行した優しい手。そのぬくもりが伝わってくる。森の中に踊る光が、静かに降りしきる雪の重みが、切り株が、少年に語りかけた物語が、きこえてくるようだ。命を受け継ぎ、思いを込め、新しい息吹を込めて次の世代に伝えていく。人の根源的な、忘れてはならない営みが、一人の少年をそっと揺らして、豊かな人生に送り出していく。祖父から父へ、そして自分へと受け継がれていく命。自分の目で、耳で、確かにその営みを確かめて大きくなる幸せがここにある。

私も、自分の近くに本物の森を持たない。残り少ない自然も、ますます切り取られていくばかりだ。家は受け継がれるものではなくなり、代替わりすれば全てが更地になる。この間も、町内の長年丹精こめられた庭が、あっと言う間に潰されて新しい家が建った。でも、私には本がある。たくさんの人に読まれ、受け継がれてきた本たち。ずっと幼い頃から読み返している大切な本たち。そして、こうして大切なことを伝えるために生まれてくる愛しい本たち。私はその本の森を歩き続ける。そして、この森が、次の世代に、受け継がれていくために・・・少しでも私に出来ることがないか、と思い続けている。日暮れて道遠し・・・ではあるけれど。遠いなあ。(愚痴ってどうする!)

2013年3月

偕成社