[映画]ヒトラーの忘れもの LAND OF MINE マーチン・サントフリート監督

地雷という兵器には、人間の悪意がこってりと詰まっている。その悪意を、まだ幼顔の残る少年たちが一つ一つ掘り出していくのを見ていると、体中が緊張してこわばってくる。恐ろしい予感と一緒に、ドカン、という爆発音が心の奥まで突き刺さる。戦争での死を美しいなどという政治家は、絶対にこの映画を、憎しみに吹き飛ばされる少年たちを見るべきだと思う。

第二次世界大戦が終結したとき、デンマークの浜辺には150万発の地雷が埋められていた。その撤去に当たったのは、ドイツ軍の少年兵たち。手作業で一つ一つ地雷を掘り出す作業で半数近くが死亡するか重傷を負ったという。この映画は、美しい浜辺に埋められた地雷を撤去するために集められた少年たちと、彼らを監督する軍曹の物語だ。映画の冒頭は、その軍曹が自国に引き上げるドイツ兵をめちゃくちゃに殴り倒すシーンから始まる。「帰れ!ここは俺たちの国だ!さっさと出ていけ!早く!走れ!」とわめきたてる彼の顔は憎しみで真っ黒に凝り固まっている。しかし、目の前で、あどけない顔で地雷を掘り出し、手足を吹き飛ばされ、死んでいく少年たちを見ながら、少しずつ彼の顔が変わっていくのだ。一人一人と顔をあわせ、言葉を交わし、食料を調達し、面倒を見ているうちに、鬼の顔に少しずつ人間としての顔が混じってくる。手足を吹き飛ばされて「お母さん」と泣き叫ぶ少年は、「にっくきドイツ人」ではない、ただの傷ついたひとりの人間でしかないのだ。ひとりの人間の前に、ただ人間として向き合えば、そこにはどうしても通い合うものが生まれてくる。そのかけがえのなさを、この果てしない絶望の中に描いたことに、心打たれた。

つかの間、海で泳ぎ、ボール遊びに興じる彼らは、本当にどこにでもいるティーンエイジャーだ。その彼らが誰かの命を奪う少年兵として戦地に駆り出されてしまったこと。そして、誰かの命を奪うために埋めた地雷で吹き飛ばされていくこと。その残酷さが、美しい海の風景の中にくっきりと浮かび上がる。今日死ぬか、明日死ぬか、という日々の中でも、少年たちは小さな虫やネズミを捕まえて名前をつけ、愛情を傾けようとする。その切なさと、自分の犬を失って嘆き悲しむ軍曹の姿が、年齢も国の違いも超えて重なり合う。

最後に森の中に消えていく少年たちを見送る軍曹の眼差しに救いを感じたけれど、あの国境の森は、いろんなことを思い起こさせる。『サウルの息子』で、蜂起したユダヤ人たちが殺されていった森。クロード・ランズマンの『ショアー』に証言されている、恐ろしい殺戮が行われていた森。戦争は、憎しみはいつも弱いものを一番先に踏みつぶしていく。あの子たちは、無事に国境を、恐ろしい森を越えたのだろうか。人間と人間を引き裂く「国」とは何なのだろう。この映画の原題である「LAND OF MINE」と人が言うとき、少年たちと軍曹の間に生まれたような心は置き去りになってしまうのではないだろうかと思うのだ。そう考えたとき、『ヒトラーの忘れもの』というこの映画の邦題は、どうなんだろう。この厳しくも美しい映画のタイトルとして相応しいものなのかどうかと考えてしまう。焦点を曖昧にして、口当たりよくしておこうという日本的配慮は、この真摯な作品に対しても、観客にも失礼なことだ。少年を戦争に、殺戮に駆り出すことは、今も世界中で行われている。そして、地雷は今も子どもたちを吹き飛ばして殺している。ヒトラーだけの忘れ物ではない。すべての大人たちが忘れてはならないことなのだ。

 

八重ねえちゃん 朽木祥 日本児童文学 2016年7・8月号

 
戦時中に、たくさんの犬や猫たちが、殺されていったことをご存じだろうか。食糧事情が悪くなる中で、ペットを飼うことが敵対視されるようになり、軍服用の毛皮にしたり、軍用犬にしたりするためという名目で犬や猫が供出させられたのだ。役立つどころか、ただ無残に殺されてしまっただけの子たちもたくさんいたという。この物語の主人公・綾子の飼っていた老犬のトキも、役所の人に連れていかれてしまった。日向ぼっこと綾子を迎えに出てくるのが精一杯のおじいさん犬だったのに。何の罪もない動物たちを、人間を信頼しきって暮らしていた犬や猫を、なぜむごたらしく殺さねばならないのか。泣きながら「なんで連れていかれたん。なんで、なんで」と聞く綾子の問いに、大人たちは黙ってしまうか、苦々しい顔をするだけ。母には「お国のため」だから「仕方が無い」と、叱られてしまう。ただ一人、年の近い叔母の八重姉ちゃんだけが、綾子の問いに何とか答えようと一生懸命言葉を探し、「こうようなことは、いけんよねえ」と、怒りに震える綾子と共に泣いてくれたのだ。

賢い大人たちは、綾子の「なんで」という問いかけに「聞こえないふりや見ないふり」をした。心のどこかでおかしいと思っていても、その気持ちと向き合えば、「非国民」であることに繋がってしまうからだ。それは、すなわち危ない目にあうことでもあり、大きな壁にたった一人でぶつかりにいくようなことでもあった。だから、皆、自分の家の犬や猫が殺されていくのを、見て見ぬふりをした。私だって、戦争中に生きていれば、同じことをしただろう。しかし、老犬のトキが連れていかれてから半年後、広島には原爆が落とされ、昭和20年だけで14万人が死んでいったのだ。「聞こえないふりや見ないふり」をした大人たちだけではなく、たくさんの、本当にたくさんの若者や子どもたちが死んでいった。爆心地近くでは建物疎開などの勤労奉仕作業のために、女学校や中学校の学生たちが多数集められていた。彼らの大多数は、即死し、遺体も残らぬほど焼けてしまったのだ。綾子と一緒に泣いてくれた八重姉ちゃんも、帰ってこなかった。朽木は、この短い短編で、史実を踏まえ、歴史を見据えた問題提起を、小さい子どもの眼差しを通して見事に描き出している。子どもたちは動物への愛情を通して、戦争の残酷さを心で知ることが出来る。また、この物語を読んだ大人は、「どうして」という綾子の問いかけのくさびを、胸に打ち込まれるはずだ。

「いとけないもんから・・・・・・こまいもんから、痛いめにおうて(あって)しまうよねえ・・・・・・」

戦争で一番先に踏みにじられるのは、子どもや弱い立場にいるものたちだ。八重姉ちゃんは、良く言えばおっとり、要領が悪い愚直な人だった。でも、彼女だけが綾子の、連れていかれたトキの痛みと苦しみに共感し、「こうようなことはいけんよねえ」と言う力を持っていたのだ。人が生きていくには、賢く社会の中で立ち回るのも必要なことだ。しかし、それだけでは、人は大切なものを見失ってしまう。
 アウシュヴィッツ収容所にいた経験を、評論や小説で語り続けたプリーモ・レーヴィは、当時の大多数のドイツ人が、「意図的な無知と恐怖が、ラーゲル(収容所)のおぞましい残虐さを証言したかもしれない多くの「市民」の口をつぐませることになった」と述べている。(『溺れるものと救われるもの』)私たちは収容所、というとアウシュヴィッツやビルケナウ、ダッハウ、くらいしか思いつかないが、当時のドイツ領には、地図が真っ黒になるほど収容所があった。そこに物品を納入したり、労働力をただで使って利益を得ていた一般企業も多く存在した。囚人服、ガス室の装置、多くの薬品、建築資材。何しろ500万人以上のユダヤ人たちが収容され、殺されていったのだ。その維持に「普通の人々」が関わらないはずがない。でも、彼らは「目と耳と口を閉じて」語らなかった。そして、皆が自分の足元に開いている暗闇を見ようとしなかったのだ。賢く生きるということは、「意図的な無知」に繋がりやすいのだ。
 これは他人事ではない。日本にも、あまり知られていないが、ナチスドイツのように中国大陸から人々を強制連行してこき使った収容所がたくさんあった。今年の課題図書である『生きる 劉連仁の物語』(森越智子 童心社)はその問題を扱っている。日本は、その戦争の反省に立って、平和憲法を守ってきたはずだ。しかし、その足元が揺らいでいる。参院選で自民党が圧勝し、その大勢が判明した途端に、憲法改正という言葉が大量に、それまで沈黙していたメディアから流れた。本来なら権力の監視役としての機能を果たさねばならないメディアは、もうその役割を放棄して、「賢く」目と耳と口を閉じていこうとしている。その姿勢は、私たち日本人の心性をそのまま反映しているのだと思う。『帰ってきたヒトラー』という映画を先日見に行ったのだが、その中でヒトラーは「普通の人々が私を選んだのだ」と言っていた。大きな暗闇が、今、「賢く」生きていると思っている私たちの足元に開いてはいまいか。

この物語の最後、18歳になった主人公の綾子は、原爆のあの日を思い出しながら、「どうして、あんな恐ろしいことが起きたのだろう」と激しく読み手に語りかける。その声が、いつまでも胸の中でこだまする。愚直な子どもの「どうして」を大人が手放してしまったあと、犠牲になるのはこれからを生きる子どもたちなのだ。この物語には、「今」に繋がる大切な問いかけがたくさん詰まっている。たくさんの人に読んで欲しい。

片手の郵便配達人 グードルン・パウゼヴァング 高田ゆみ子訳 みすず書房

戦争の本や資料を読み込んでいると、「国」という巨大な一つの生き物同士が戦争をしていたかのように錯覚してしまうことがある。実際にはガンダムのモビルスーツのようなものを着た「日本」なんて、どこにも在りはしない。殺したり、殺されたりするのは、自分の息子と変わらない若い男の子たち。爆撃に手や足をもがれ、暴力に蹂躙されていくのは、「おばちゃん」と声をかけてくれたりする、幼い頃から知っている桜色の頬をした娘たちなのだ。そのことを心に教えてくれるのは、いつもこの本のような、心に響く物語だ。

この本の舞台は、戦時下のドイツの一地方の村だ。主人公のヨハンは17歳。召集されて三週間で片手を吹き飛ばされ、故郷の村に帰り、やりたかった郵便配達人の仕事についている。ヨハンは、毎日20kmの山道を歩いて郵便を配達する。戦場に母達が送る小包。息子たちが送る手紙。これは、嬉しい便りだ。そして、戦死の黒い手紙を運ぶのもヨハンだ。彼が歩く道のりは、そのまま物語の地図となり、郵便が運ぶ生と死とともに、くっきりと在りし日の村が立ち上がる。パウゼヴァングの筆は見事な客観性に貫かれていて、この小さな世界に、人として生きる全てがあることを描き出していく。

70年前のドイツの人々の日常は、私たちと何ら変わらない。そこにはやはり愛情があり、裏切りや悲しみがあり、家族への慈しみがあり、恋する若者たちがいる。ヒトラーに対するスタンスも様々だ。特にヨハンの母は、助産師として自分が取り上げた若者たちを戦争に送り込むヒトラーを毛嫌いしている。その物言いは痛快だ。同じ国に住んでいても、人の心は同じ色ではない。パウゼヴァングは、村人たちの人生を次々に描いていく。銃弾で顔を吹き飛ばされた青年。五人の子どもを残して死んでいった夫の死を嘆く未亡人。疎開してきた夫婦。強制労働で連れてこられたポーランドやウクライナの人々。100人いれば、100通りの物語がそこにあり、それぞれの人生に、戦争が黒々と食い込んで傷跡を残している。

彼らは、今、ここに生きている私たちと、痛みや苦しみも、喜びも、何ら変わらない。だからこそ、何度も立ち止まって考えてしまう。なぜ、彼らがヒトラーに政権を与えてしまったのか。なぜ、ホロコーストへの道を歩くことになってしまったのか。近隣諸国やアジアに侵略し、沖縄を地上戦に巻き込み、本土を空襲や原爆で徹底的に破壊され、何十万もの若者たちを戦争に送り込んだ、かっての日本に住んでいた人たちも、きっと今の私たちと変わらぬ日常を生きていた。だとしたら、これからの私たちが、また同じ道のりを歩まない保証が、どこにあるだろう。「戦争が出来る国になる」などという威勢の良い言葉に乗せられた後の光景が、確実にこの物語の中にある。

ヨハンは、母と同じ助産師のイルメラと恋をする。夏の青空のような、命の息吹に満ちた輝かしい日々。本当なら、そこから新しい命の連鎖が繋がっていくはずだった。しかし、戦争の理不尽は、全てを押しつぶす。一旦終わったかのように見えた戦争が、逃れられぬ運命のようにヨハンを飲み込んでいくのだ。ラストの理不尽さに、私はしばし呆然とした。物語を通じて、まるで息子のように片手の郵便配達人のヨハンを愛してしまった自分がいて、この理不尽を受け入れるのが辛すぎた。しかしパウゼヴァングは、あえてこの理不尽を読み手に突きつけたのだろう。

ヨハンの片手は、ヨハンだけのものだった。他の誰の手も、その代わりにはなれなかった。その片手を奪ったのは、兵士を入れ替え可能なものとして使い捨てる軍隊であり、戦争だ。ヨハンの失われた片手は、「個」のかけがえのなさ、人間の尊厳そのものなのだ。彼は、残った片手で村人たちの郵便という愛を繋ぐ。恋人を抱きしめ、キスをする。ところが、詳しいことはネタバレになるから書かないが、ヨハンは再び、彼自身であることを剥奪されてしまう。この世界に、片手の郵便配達人は、ヨハンただひとりだった。でも、彼はそのただ一人のかけがえのなさも奪われる。これが、戦争だ。人間というものが複数ではなく単数でのみ存在するかのように、地上にひとりの人間しか存在しないように人間を組織することで、全体主義は成立すると、ハンナ・アーレントは言う。戦争は、もっとも精鋭的な全体主義そのものだ。私たちはモビルスーツを着たガンダムではない。吹き飛ばされた片手は永遠に戻ってこない。

あなたは、今、どこにいるのかと。この理不尽にたどりつく道筋は、あなたの心の中にあるのではないか。一見平穏な日常に、黒々と戦争へと続く道筋は刻まれていないか。ヨハンが片手を奪われることを許してしまったとき、収容所ではやはり個人としての尊厳を奪われたユダヤ人たちがモノのように殺されていった。どんなに綺麗事で飾っても、八紘一宇や美しい日本、などという言葉に乗せられてしまったが最後、日本は近隣諸国を蹂躙して自分たちも深い深い傷を負うことになる。戦争は一旦始まれば、巨神兵のように全てを焼き尽くしてしまう。そこから逃れられる人間など、誰一人としていない。私たちは二度と人間としての尊厳を、失ってはならない。ヨハンの片手が、それを教えてくれる。

「ヒトラーの独裁政治は誘惑的でした。自分が何をすべきか、自ら判断する必要はなかったからです」

これは、後書きでのパウゼヴァングの言葉だ。終戦時17歳だった彼女は、軍国少女だったという。一昨年亡くなった児童文学者の古田足日も、戦時中に受けた皇国教育が、嘘っぱちだと知ったとき、自分がどう生きていけばよいかわからなくなったという。その思いが彼を児童文学へと駆り立てていくのだが、パウゼヴァングのこの作品にも、同じ苦しみと願いが込められているように思う。ナチスが配ったユダヤ人を貶める本を読んだヨハンが母にその是非を尋ねたとき、彼女はこう言い放つ。「あんたの脳みそはなんのためにあるの?」ドイツは、戦後自分たちの過ちと向き合い、子どもたちにも戦争責任を教えてきた。しかし、日本は過ちの痛みをまっすぐ見つめることを怠り、歴史を自分たちの都合のいいいように書き換えようとさえしている。再び片手が失われないように。誰の命と尊厳も奪われたり、奪ったりすることのないように、最大限脳みそを使わなければならない時が、もう既に来ている。パウゼヴァングのこの本は、そのことを教えてくれる。

2015年12月刊行

みすず書房

 

 

[映画]アメリカン・スナイパー クリント・イーストウッド監督

この映画は、実在の人物をモデルに描かれたものだ。主人公のクリスは、愛するものを守りたいという、ハリウッド映画そのままの正義感から軍人になる道を選んだ男。強い番犬になれ、という父親の刷り込みからずっと、クリスの価値観は「強く正しいアメリカ」から揺らぐことはなかった。彼の頭の中には、絵に描いたような悪と闘うヒーローのような自分の姿があったに違いない。しかし、意気揚々とイラク戦争に出かけた彼を待ち受けていたのは、そんなわかりやすい敵ではなかった。彼が初めて殺したのは、爆弾を持っていた女性と、幼い少年だったのだ。ベトナム戦争もそうだったが、相手の懐に飛び込んでの戦争は、ゲリラ戦になる。女性も、老人も、子どもも、武器さえあれば簡単に「敵」になるのだ。もがけばもがくほど、深みに沈んでいくような血まみれの戦地から帰還してみれば、戦争などどこにも存在しないかのような本国の脳天気さが待っている。クリスが派遣された戦争には、倒すべきわかりやすい悪も存在しなければ、守るべきか弱きものも存在しない。その空しさの中で殺し合いをしていくうちに、クリスにとっての戦争は、仲間を殺していく相手方のスナイパーへの私怨へと変化していく。つまり、大義ではなく感情なのだ。自分の同期の男が殺されて復讐にいった戦闘で返り討ちにあう。その恨みが忘れられないクリスは、周りじゅう敵兵だらけ、四面楚歌の状態で命令に反してスナイパーへの一撃を放つが、そのせいで彼の部隊は総攻撃をくらう。クリスは、殺したいという自分の欲望を抑えることが出来なくなってしまったのだ。

開高健が、『歩く影たち』の中の一篇で、アメリカ軍の将校が、短い休暇のあとでそわそわと戦地に戻っていく姿を描いていた。彼が、人を殺したがっていたということに、別れてから気付いたときの衝撃が忘れがたい短編だったが、クリスも同じように精神を蝕まれていく。アメリカに帰国しても、過剰な暴力性を抑えられないのだ。映画は一見彼がPTSDから雄々しく立ち直ったかのように描かれている。(実際に、同じように心を蝕まれた帰還兵士たちを助ける軍事会社を立ち上げて活躍していたらしい。)しかし、私には最後まで彼が立ち直っているとは思えなかった。最後のシーンででクリスと妻が愛を確かめ合うシーンがあるのだが、なんと彼は妻に拳銃を突きつけて「服を脱げ」と言うのである。もちろん冗談交じりの口調ではあるが、幼い子どもたちがいる前で妻に拳銃を突きつける、という行為自体が完全におかしい。しかも、出かけるときに、その拳銃をひょい、と家の梁の上に置きっぱなしにするのだ。クリスが幼い頃に、銃を地面に放り出して父親に酷く怒られるシーンが映画の冒頭に伏線としてあるところをみると、この銃の扱いの粗雑さも、彼の異常さを浮かび上がらせるイーストウッドの仕掛けの一つなのではないかと思う。イーストウッドは、そういう小さな仕掛けをあちこちにしのばせている。イラク側のスナイパーの傍らには、クリスの妻と同じように赤ん坊を抱く彼の妻がいる。また、クリスたちが暴力で情報を引き出したイラク人の家族は、ネタを売ったことでイラク兵に殺されてしまう。ネガとポジをひっくり返すように、敵にも味方にも同じように守ろうとするものがあることを、そして弱いものが守られるどころか、まず踏みつけられていくことが、容赦ない戦闘シーンと共に刻み込まれていく。何とこの映画の撮影中に、モデルとなった人物が帰還兵に殺されてしまうという事件が起こり、エンドロールにはその実際の葬儀の様子が流される。映画で描かれている凄惨な戦争と、英雄として葬られる葬儀の美しさとのギャップは、酷くもの悲しかった。

イラク戦争で160人を射殺した人物を主人公にしたこの映画が、一体反戦なのか、それとも戦争賛美なのかという議論がアメリカでは巻き起こっているらしい。監督したクリント・イーストウッドは、それは見るものが考えることだと何も語らない。多分彼は、アメリカという国から見た戦争を、ごろん、と深くえぐり取って観るものの前に無骨に転がしてみせたのだ。反戦か否か、というわかりやすい箱に入れるのではなく、その狂気も大義も、大義に踊らされる個人の苦しみも、人が戦争に惹かれる快感も含めて、一人の男の姿に戦争を、ただ語らせた。「愛するものを守りたい」というわかりやすい大義を背負って戦争に行ったスナイパーが、現実の殺し合いの中で、どんどん私怨に心を縛られ、蝕まれていく。戦争という非日常に煽られていく感情の暴走を、間近に肌で感じさせられる二時間だった。

子どもたちの未来、子どもたちの本の未来 フォーラムポスト3.11

少し前になるが、11月15日(土)に京都の平安女学院でで行われた日本ペンクラブ主催のシンポジウム「子どもたちの未来、子どもたちの本の未来」に行ってきた。第一部は野上暁さんの基調講演「3.11後の子どもの本」.。第二部はパネリストの児童作家の方々によるシンポジウム。朽木祥さん、越水利江子さん、芝田勝茂さん、濱野京子さん、ひこ・田中さん、松原秀行さん、森絵都さんがパネリストとして参加されていた。

第一部の野上暁さんの基調講演は、関東大震災後の日本の歩みを振り返ることから始まった。野上さんの作成された年表を見ながら3.11のあとの日本と重ねあわせてみると、これが、もう、ぎょっとするほど似ているのだ。震災に、その後の不況。中国や韓国との摩擦。右傾化していく中で、治安維持法や言論統制が行われていく。ひこ・田中さんが「我々は既に戦前を生きはじめている」とおっしゃられていたが、まさにその通りだと背中が寒くなる思いだった。その流れの中で、アニメーション、紙芝居、演劇、映画が統制され、児童文学も国威発揚の一端を担わされていった。その歴史も踏まえて、今、児童文学に何が出来るのか。それを問う講演だったと思う。その後のシンポジウムは、パネリストの作家さんたちの発言から始まった。ヒロシマをライフワークにしている朽木祥さんの「戦争を正しく記憶して警戒する」、「共感共苦を抱くことの出来る心」、という心に刻んでおきたい言葉。越水利江子さんの「子どもを守りたい、読者を守りたい」という強い気持ちから訴えられた反原発と面白い本をいっぱい書きたいという決意。社会派として、3.11後の変化を形にしたい、と語る濱野京子さん。特定秘密保護法案後の日本で作品を書いていくことについて語ったひこ・田中さん。松原秀行さんは、親族が3.11で被災され、その後被災地で独自の活動をされている。そして、森絵都さんは、3.11後に刊行された『おいで、一緒に行こう 福島原発20キロ圏内のペットレスキュー』『希望の牧場』の2冊から、弱い命が切り捨てられていること、人との出会いが作品を生み出していくことを語られた。日本ペンクラブの会長である浅田次郎さんも、忙しいスケジュールの合間を縫って、足を運ばれていた。

私は、今、強い危機感を持っている。自民党が政権を取り返してから、ひたすら右傾化の道を歩んでいること。特定秘密保護法も集団的自衛権の容認も、全く議論されないままに押し切られてしまった。マスコミが「反日」「売国奴」など、いつの時代の言葉なのかと思うような口汚さで近隣諸国との対立を煽っている。原発事故のあと、一旦は廃止に向かっていたベクトルが、ここにきて反対の方向に動き出していることも恐ろしい。復興どころか、未だに仮設住宅に住む人々がおられるのに、東京がオリンピック、などと言い出したのにはびっくりしたが、もはや誰もそのことに違和感を感じなくなっていること。ひたひたと暗い波が押し寄せてくる実感が日々強くなる。だが、選挙を間近に控えたこの時期にも、争点としてテレビで放映されるのは経済と消費税ばかり。なんでやねん!と一人テレビに突っ込む日々だ。子どもの物語を書く人は、当たり前だが子どもを見つめている。私たち大人が子どもに手渡すのが、黒い波にのまれていく日本であっていいはずはない。基調講演とパネリストの方々の話を聞き、その危機感を改めて認識できた。

濱野京子さんがおっしゃったように、3.11が児童文学において語られていくのは、まだまだこれからだと思うし、そうでなければならないと思う。子どもの本は、大人の本では語れない希望が、まっすぐな眼差しでみつめるものや真摯な心が語れるはずだ。そこに惹かれているし、そこが私の希望でもある。その希望が間違いではないと思わせてくれたシンポジウムだった。私も微力ではあるが、顔をあげてきちんと声をあげて語っていこう。子どもたちの未来は、私たち大人がどれだけきちんと過去を見つめ、記憶し、そこから学ぶことが出来るかにかかっているのではないか。それは決して自分たちに都合のよい過去であってはならない。

 

ヒロシマを伝えるということ 朽木祥さんの作品に寄せて

原爆忌に朽木祥さんの『彼岸花はきつねのかんざし』(学研、2008年刊)『八月の光』(偕成社、2012年刊)『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』(講談社、2013年刊)を読み返していました。

(以前書いたレビューはこちら)→『彼岸花はきつねのかんざし』『八月の光』『光のうつしえ

原爆をテーマにした作品はたくさんありますが、朽木さんのようにヒロシマをライフワークにして創作されている方は少ないです。今、原爆や戦争のことを若者に伝えることは、なかなか難しいものがあります。NHKの番組で放送されたことですが、長崎では原爆の語り部の方に「死にぞこない」と中学生が暴言を浴びせたとか。戦争は、今の若者たちの暮らしから遠すぎて、「ふーん、そんなことあったんだ」くらいの感情しか動かないのではないかと思います。いや、実を言うと、私自身もそうでした。それどころか、社会的なことに問題意識を持つこと自体、何やらタブー感さえ持っていました。

日本の社会は、同調意識が強いんです。当たらずさわらず、「皆と一緒」にしておくのが、一番都合がいい。空気を読むことに長けていた私も、若さゆえの頑なさと保身で、そんな価値観にすっかり縛られていたように思います。でも、子どもを生んで、子育てにもみくちゃにされ、すっかり裸になった心に、幼い頃に触れた児童文学が再び色鮮やかに染みこんできた。戦争や核のことを深く考えるようになったのも、実を言うと朽木さんの作品に触れたことがきっかけです。だから、今の若者たちだって、例え教えられたその時にはピンとこなくても、ふとしたことがきっかけで、もう一度自分から知りたくなる時というのは、必ずやってくると思うのです。心の中に、そのきっかけを作っておくためにも、子どものうちに素晴らしい作品に出会っていて欲しい。今、核は世界的に大きな、避けて通れない、しかも自分たちに必ず降りかかってくる問題です。福島の原発事故では、全ての炉がメルトダウンし、3号機ではほぼ100%の燃料が溶け落ちているとのこと。廃炉までの行程を考えると気が遠くなります。これほどの規模の大事故があったにも関わらず、政府は原発を手放そうとはしません。それは、何故なのか。そこに住む人々の命を犠牲にして、一体何を守ろうとしているのか。秘密保護法案を可決させ、憲法を恣意的に解釈することを自分たち閣僚だけで決め、近隣諸国との対決姿勢をあらわにする今の政治のあり方に、私は強い不安を覚えています。広島と長崎から始まった核の時代は、そのままフクシマに繋がっています。「今」しか見えない眼では、それを見通すことは難しい。連作短編の『八月の光』は、卓越した文章力で「あの日」をくっきりと立ち上がらせ、これからの未来をどう生きるのかを問いかける意欲作です。そして『光のうつしえ』は、記憶を未来に繋いでいくことが語られます。

「加害者になるな。犠牲者になるな。そしてなによりも傍観者になるな」

『光のうつしえ』の中で、婚約者を原爆でなくしてしまった先生が、子どもたちに送った手紙の中の一節です。この言葉の中で一番大切なのは「傍観者になるな」ということ。戦争は常に一人の人間を加害者にも犠牲者にもするのです。それは、今、パレスチナで続く戦闘を見てもわかるように、国家に軸を置いた二元論という単純な腑分けでは語りきれるものではありません。『八月の光』の『水の緘黙』の主人公の青年は、「あの日」から深い深い罪悪感にさいなまれて彷徨い続けます。それは、目の前で燃える少女を助けられなかったから。生き残った人たちは、皆、多かれ少なかれ、自らも傷つきながら「生き残ってしまった」という苦しみに苛まれるのです。ハンナ・アーレントが指摘したように、ホロコーストが行われていたとき、ユダヤ人の指導者たちの中にもナチスに協力した人がいた。もしくは、『夜と霧』でフランクルが語ったように、看守の中にも何とかしてユダヤ人に親切にしようと努めた人もいたのです。私たちは否応なく時代の中で生きている。その中で何を選んでいくのか、どのように生きるのかを自らに常に問いかけなければならないのです。『象使いティンの戦争』(シンシア・カドハタ)では、アメリカ兵をトラッキング(敵の足跡をたどること)して案内した村人の親切が虐殺に繋がり、村人たちは戦争へと踏み出していきます。気がつかないうちに、村人たちは戦争への一線を越えていたのです。そうならないように、一人の人間として考え抜くこと。それが、「傍観者になるな」という言葉の中には含まれているのではないかと思うのです。個々の思考停止の果てに戦争があるのだとすれば、常に私たちの中に戦争の可能性は眠っているのです。『光のうつしえ』は、過去を踏まえた上で、国や民族の枠を超えて、一人の人間としてどう生きるかという真摯な問いかけを投げかける作品だと思うのです。

広島は、長崎は、世界で唯一直接的な核攻撃を受けた場所です。そこで何があったのか。それは、徹底的に語られ、検証され、人類への責任として世界中に発信するべきことです。世界中に核は溢れていて、フクシマの事故もチェルノブイリの事故も人為的なミスから起こっていることを考えれば、人間のすることに絶対はあり得ない。唯一の被爆地に生まれた朽木さんは、被曝を風化させないという責任を、人類に対して、これからを生きる世代に対して背負い続けて、物語を書いていこうとされているのではと思います。その物語の力を、どうかこの夏休みに、子どもたちと一緒に感じて頂きたいと心から思います。

 

そこに僕らは居合わせた 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶  グールドン・パウゼヴァング 高田ゆみ子訳 みすず書房

作者のパウゼヴァングさんは、終戦時17歳でした。そのとき、軍国少女だった彼女は、戦時中に叩き込まれた価値観が全て粉々になる体験をしたのです。この本は、ナチス・ドイツ下にあった頃、ドイツの少年少女たちが何を考え、どんな風に過ごしていたかを、その自らの体験と見聞きしたエピソードから20の短編に仕上げたものです。実は、私はこの本を読むとき、身構えていました。戦争に関する本を読むのは、時として辛いものです。みすず書房という出版社といい、この装丁といい、もう見るからに誠実な作りの本だけに、よしっ、と気合いを入れて頁を開いたのですが、読み始めると、今度はやめられなくなりました。読み物として、非常に面白かったのです。面白かった、というのは語弊があるかもしれません。しかし、とにかく一気に引き込まれて読むのがやめられなかった。ここには、人の醜さ、ずるさ、無関心や偏見が引き起こす残酷さがあります。そして、同時に人の美しさ、悲しみ、友情、尊さも描かれています。つまり、私たちがおくる人生と少しも変わらない人々の生活と心境が、非常にシンプルに、かつ深く描かれていて心に響いてくるのです。たまたま、彼らはあの当時のドイツに生まれ、それぞれの人生を生きていた。それが伝わってくるからこそ、その彼らを大きな狂気に引きずり込んだものが何かを、時代と個人の関係を、深く考えさせられます。そしてまた、私があの時代に、ドイツ人として生きていたら、どうしていただろうと考えざるを得ないのです。

連行されたユダヤ人の家に入りこんでスープをすする家族。可愛い甥っこを「狩り」と称して連れて出て、練習だからと逃亡してきたロシア人を射殺させる。一方で、アメリカに逃れていこうとするユダヤの家族に、村中の冷たい目を浴びながら自分の貯金をすべてはたいて旅費として与える人がいる。連行されていった友達が残していったお人形を生涯大切に持ち続けた人もいる。一方を非難して一方を偉いと思うことはたやすいけれど、果たしてその時代の空気の中にいたら自分はどちらの行動をとっていただろうと思うのです。その昔、自分がおかしいと思うことをうっかり口にして、いじめられたときの恐怖も思い出します。そのあと、すっかり口をつぐむことに慣れてしまったことも。わかっているつもりで、わかっていないことだらけの人生をおくってきたと、最近思い知らされることばかりです。私には、自分が彼らから遠い場所にいると思うことが出来ません。だからこそ、この本はぜひ子どもたちに読んで欲しい。この本に書かれていることが他人事でなく、自分たちの今の社会のあり方にも繋がっていることだと実感できると思うのです。そして、ここには教育の恐ろしさも書かれています。人種と外見だけで人の価値を決めつけることが、授業で行われていたこと。おとぎ話のイメージを借りて、子どもに人種的偏見を植え付けてしまう『おとぎ話の時間』は作者自身の経験だといいます。こんなこと、戦争中だからだよ、などと言えるのかどうか。例えばヘイトスピーチや、ヘイトスピーチまがいの記事をまきちらす雑誌の見出しを見ると、私はその根っこにあるものは同じだと思わざるを得ません。意味の無い優越感が何を生み出すのか。だからこそ、この本は大人にも読んで欲しい。

ドイツという国は、確かに大きな負の遺産を残したけれども、その負の遺産との向き合い方には、日本との大きな違いがあるように思います。紆余曲折はあっても、とにかく事実に向き合おうという努力が払われている。でも、この国でこのように日本が戦争でしたことをわかりやすく子どもたちに伝えることが、どれくらい行われてきたか。私自身の記憶をたどっても、それはゼロに近いのではないのでしょうか。この本の『アメリカからの客』というお話の中に、昔のことを伏せようとする祖母に「私は本当のことが知りたいの!」と少女が叫ぶシーンがあります。そう、本当のことが知りたい。都合の悪いところを伏せて「美しい日本」を押しつけようと思ったところで、子どもはそんな嘘は簡単に見抜きます。嘘は不信しか生みません。確かに辛い過去をみつめるのは苦しい。パウゼヴァングさんがこの本を書くのも、決して簡単なことではなかったはずです。「私の十七歳までの人生を形作ったものと向き合えるようになるには、何十年という年月が必要だったということです」という言葉が紹介されていますが、それでもこの本を書こうと思ったのは、時代の証人が段々いなくなることに危機感を覚えたからとのこと。時代の証人がいなくなってしまう前に、徹底的に、あらゆる角度から検証した事実と向き合うことが、これからを生きる子どもたちのためにもしなければならないことではないのか。それは、日本という国のためだけではなく、人類に対する責任としても果たすべきことではないのかと、この本を書かれたパウゼヴァングさんの思いに心を打たれながら、思ったことでした。

2012年7月刊行

みすず書房

 

光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島  朽木祥 講談社

「美」はいつも心に新しい感動をくれる。美しさは人の心の扉を開いて、そっと奥底に滑り込む。夕焼けが、樹々や海の色が人の心にいつも何かを語りかけるように、「美しい」ということは私たちの心を解き放つのだ。ヒロシマの物語、というと「怖い」「恐ろしい」という拒否反応が特に子どもたちには生まれがちだが、この『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』は、ヒロシマの記憶を残された人たちの心と共に伝えながら、しみじみと美しい。この作品は、児童文学というジャンルにおいて、「ヒロシマを美を以て語る」という難しいことをやってのけたのではないかと、読み終えてまず思ったことだった。卓越した文章力がある朽木さんだから出来たこの物語は、灯籠の光とともに、原爆投下前の廣島、あの日のヒロシマ、そして現在の広島を繋いで確かなメッセージを刻み、読み手の心に色鮮やかに流れ込んでくる。

舞台は、あの日から25年後の広島。犠牲者を悼む色とりどりの灯籠流しのシーンから始まる。12歳の希未は、母が何も書かれていない白い灯籠を流すことに初めて気がつく。「あれは誰の灯籠なんだろう」と思った希未に、一人の老婦人が声をかける。「あなたは、おいくつ?」どうやら、老婦人は誰かの面影を希未に見つけたようなのだ。その老婦人のことが気になっていた夜、希未は仏壇の部屋で声を殺して泣く自分の母を見る。「もはや戦後ではないと言われ始めたころになっても、人びとは変わらず誰かを待ち続け、探していたのである」これは、朽木さんが書かれた「過ぎたれど去らぬ日々」(※1)という文章の一節だが、25年が経っても希未の周りにいる人々は、それぞれ亡くなった人の面影を心に「うつしえ」として刻んだままなのだ。希未は、ひょんなことから自分の通う中学校の美術教師である吉岡先生にも、忘れられない人がいることを知る。そして、その吉岡先生の入院をきっかけに、希未たち美術部は「あのころの廣島とヒロシマ」というテーマで文化祭に向けて作品を作ることを決め、自分たちの身近な人たちのかっての「廣島」と、あの日の記憶 「ヒロシマ」を聞くことにする。そのための打ち合わせのために若い希未や俊が話し合っている言葉の一つに、私ははっとした。

「よう知っとると思うとることでも、ほんまは知らんことが多いよな」
「よう知っとると思うとる人のこともね・・・・・ 」

この夏にNHKが放送した『ヒバクシャからの手紙』という番組を見たのだが、68年経った今でも、自分の娘や息子たちに被爆体験を語れない人たちがたくさんおられる。親しい肉親相手だからこそ、語れない人も多い。この「語れない」というところに、何が込められているのか。その言葉にならぬ思いを、朽木さんはこの作品の中で、丁寧に選び抜かれた言葉で綴られているように思う。この本の献辞は【世界中の「小山ひとみさん」のために】と綴られている。小山ひとみさんは、戦死された息子さんのことを歌った短歌をたくさん新聞に投稿された実在の方で、この物語にも何首か紹介されている。その短歌には、夫も子どもにも先立たれた小山さんの、極北に一人佇むような日々が凝縮されているようだ。先日の講演会で聞いたところによると、朽木さんはこの小山さんの短歌をリアルタイムで読んでおられたらしい。私は母親だから、やはり、息子を失った母の辛さに共鳴してしまう。そのしんしんと伝わってくる思いが、作品中に挿入される一人一人の記憶の物語と深く響き合って、まるで昨日自分の身におこったことのように身に染みた。吉岡先生の、耕造の祖父母の、須藤さんの、そして、希未の母が流す灯籠に託された思い。「知っていると思うとる人」が心の奥深くにしまい込んでいた記憶、顔の見える身近な人たちの見えなかった苦しみに触れることは、希未たち若者の心に新しい目を開いていく。人を成長させるのは、誰かの苦しみや痛みを自分自身のものにする力、「共感共苦」(Compassion)(※2)の力なのだ。お見舞い帰りのバスの中で吉岡先生の気持ちに気がついて大泣きしてしまった希未の涙は、今まで気づかなかった他人の心に深く共感したからこそ生まれてくるものであり、その共感は、この混沌とした世の中でいったい何が真実なのかを見抜く鍵でもあるのだと思う。

そう、この「よう知っとると思うとることでも、ほんまは知らんことが多いよな」という一言には、私たち人間が常に意識して考えていかねばならない深いものが隠されている。 1996年にノーベル賞を受賞したポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカは、言う。自分に対して「わたしは知らない」ということが、自分の選び取った仕事に対する不断のインスピレーションを生むものだと。そして、反対に「知っている」と思うことの危険性についてこう述べている。「どんな知識も、自分のなかから新たな疑問を生み出さなければ、すぐに死んだものになり、生命を保つのに好都合な温度を失ってしまいます。最近の、そして現代の歴史を見ればよくわかるように、極端な場合にはそういった知識は社会にとって危険なものにさえなり得るのです。」(※3)私たちはヒロシマを知っていると、記憶していると思っていた。少なくとも、私はそんな風に思い込んでいた。ところが、だ。真の記憶として心に刻まずにいた核の恐ろしさは、いつの間にか「知っている」と思う傲慢さの陰で忘れられて、日本は名だたる原発依存の国になっていた。そのことが、3.11のフクシマに繋がっているのだと私は思う。そんな私たちに、この物語は静かに語りかける。「あなたは知っていますか?」と。真の意味で、「知ろうとしていますか?」と。この、固定概念や思い込みを解き放ち、新しい目で、新鮮な心で物事の本質を見極めようとする、それは物語の力であり、芸術の力なのだ。

しかし、この『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』でも語られているように、美術や音楽、芸術は、国が危険な方に向かおうとするときに一番に弾圧されてしまう。「戦争が始まって真っ先に無用とされた科目は美術や音楽だったって。あと本もたくさん規制されたって」というのは事実だ。なんだか、その萌芽が今、あちこちに芽生えているような気がするのは私だけなんだろうか。(余談だけれど・・。「役にたたない」というお題目のもとに、文学や哲学さえも大学の学部から無くなっていくことが、私には何か恐ろしいことの始まりのように思えてならない。)希未や俊は、絵や彫刻を制作し、自由に「あのころの廣島とヒロシマ」を表現することで新しい心の目を開いていく。そして、ヒロシマを出発点として、その眼差しはもっと広がっていくのである。子どもを、若者を自分たちの都合の良いように使いたがる大人は、まずそういう自由な心の目をふさごうとする。吉岡先生からの手紙の中で述べられている「加害者になるな。犠牲者になるな。そしてなによりも傍観者になるな」という言葉は、心の自由を奪われない未来に向けての、これからを生きる子どもたちへの大切なメッセージだ。そして何より私がいいなと思うのは、この物語の中で、そのメッセージが「自分たちの出来ること」と結びついていることだと思う。大きな暴力や社会的な問題に対するとき、人は自分の小ささと非力を感じて、無力感に襲われてしまう。自分に出来ることなど、何もないと思ってしまいがちだ。私もずっとそう思っていた。しかし、吉岡先生が手紙の中で希未たちに伝えているように、「この世界は小さな物語が集まってできている。それぞれのささやかな日常が、小さいと思える生活が、世界を形作っている」のだ。そこから離れたところに、人の幸福はない。だからこそ、私たちは自分たちの小さな人生の中で何度も大切な記憶を心に刻みつける必要があるのだ。小さいからこそ出来ることがある。心に小さな灯籠流しの光を刻むことが、まことしやかに語られる大きな嘘を見抜く礎になるはずなのだ。希未や俊や耕造が、小さな「自分に出来ること」を精一杯やり遂げたことが、彼らの身近にいた人たちに、どんなに希望を与えたか、この物語の最後に原爆ドームを照らした色とりどりの美しい輝きを、どうか味わって欲しい。

ヒロシマは、過ぎた過去のことではなく、これから世界中どこにでも起こりえることでもあるし、この世界のどこかで、今、起こっていることでもある。ヒロシマを深く記憶することは、過去と現在と未来を繋ぐ視点を持つことではないか。私は最近ようやく、そんな風に考えるようになった。この物語のサブタイトル『廣島 ヒロシマ 広島』が意味するところも、そこにあるように思う。この物語は、これまでヒロシマを知っていたつもりであった私のような大人にも、これからヒロシマを知る子どもにも、非常に大切なことを丁寧に伝えてくれる物語だと思う。原爆についての基本的な知識もきっちりと書かれている。たくさんの人に読んで貰いたいし、『八月の光』(偕成社)の時にも思ったのだが、ぜひ翻訳されて海外の人にも読んで頂きたい。

2013年10月11日発行

講談社

 

(※1)「過ぎたれど去らぬ日々」朽木祥 子どもの本2012年9月号 日本児童図書出版協会

(※2)「「記憶」から去らない姿」朽木祥 子どもと読書 2013年7・8月号 親子読書地域文庫全国連絡会

(※3)「終わりと始まり」ヴィスワヴァ・シンボルスカ 沼野光義訳 未知谷

フォーラム 子どもの本と「核」を考える 

先週末(1月26日)、広島平和記念資料館で開かれた、日本ペンクラブ主催のフォーラム『子どもの本と核を考える』に行ってきた。第一部が、ペンクラブ会長浅田次郎さんのチェルノブイリの現状報告、そして二部はアーサー・ビナードさん、令丈ヒロ子さん、朽木祥さん、那須正幹さんという、核をテーマにした児童文学を書かれている方をパネリストに、子どもの本と核を考えるというお話があった。実際に自分の目でチェルノブイリを見てこられた浅田さんのお話、そして自著を通して、子どもたちに何を伝えていくかという作家さんのお話、それぞれに驚きと新しい発見があり、日ごろ考えている自分の思いと共感するところも多かった。これからを生きる子どもたちのために何ができるのか、ということを真摯に考え、歴史的な視野に立って実践していこうとされていることが伝わるフォーラムだった。

●浅田次郎さんのチェルノブイリ報告について

子どもの甲状腺ガンとDNAの異常が増えていること。これは、いろんな方の報告から知ってはいたのだが、やはり直接見聞きしてこられた浅田氏の言葉を直接耳で聞くと、ずっしりと重い。事故から27年が経ち、石棺といわれるコンクリートの覆いも劣化が酷い。そこで、もう一回り大きな石棺を作ってかぶせる作業が必要になるのだけれども、それもまた数十年後には劣化してしまう。放射能の半減期を計算すると、その作業はこれから何千年も繰り返さねばならない・・。そのことに茫然としてしまう。「一国が滅亡するかもしれないものは持ってはいけない」「負の遺産は私たちの世代で決着をつけていくという覚悟が必要」という言葉に深く頷く。歴史小説をたくさん書いておられる氏の言葉には、「今」を俯瞰で捉える強さがある。戦争を経験した親世代は、負の遺産を後の世代に伝えてはいけないという思いがあったのではないか。その親たちに珠のように育てられた私たちが、原発の事故を起こしてしまったということは、過去に対しても未来に対しても無責任なことであるということを述べられていた。このところ「やっぱり経済優先」という空気が世間に流れているように思う。経済をないがしろにする積りはないのだが、この原発の問題だけは、その短期的な視点から外れないと、また大きな過ちにつながってしまうような気がしてならないのだが、浅田さんの言葉に改めてその通りだと思う。浅田さんいわく、フクシマの原発事故に対して、外国からは「日本なら何とかするだろう」という期待が寄せられている、この期待を裏切ることは、日本に対する信頼を失うことになる。これは、国家として絶対に乗り越えねばならない試練である、という言葉が印象的だった。

●核をテーマにした児童文学を書かれた作家さんたち

アーサー・ビナードさんは、『さがしています』という、原爆の遺品の写真をテーマにした写真絵本を出してらっしゃる方。あの絵本は4年前に撮影するための台の石づくりから始められたらしい。その手間暇と思いが深く伝わってくる絵本だ。母国語である英語の「atomic bomb」「Nuclear weapons」という言葉ではなく、「ピカドン」という体験者の側から生まれた言葉で核を見たときに初めて自分の視点が変わったという体験を話された。「ピカドン」は、自分が原爆ドームのそばにいて、あの日を見ている視点の言葉だと。英語を母国語にするアーサーさんだからこその気付きは、いろんな問題提起を含んでいると思う。

令丈ヒロ子さんは、『パンプキン!模擬原爆の夏』についてのお話だった。これは、パンプキン爆弾という、原爆投下のための練習として日本全国に落とされた模擬原爆のことをテーマにした作品だ。この作品を書かれたきっかけは、近所に模擬原爆の慰霊碑があったことだったとか。この作品は、主人公の子どもたちが、自由研究で模擬原爆と戦争のことを調べていくという形式で書かれている。出版後大きな反響があって、テレビのドキュメンタリーでも放送されたほど。若おかみシリーズなど、子どもたちに絶大な人気を持つシリーズを書いておられる令丈さんだけあって、面白く、わかりやすく、しかも資料もふんだんに取り入れた説得力のある作品だ。その令丈さんが戦争というテーマに取り組まれたことはとても有意義なことだと朽木さんもおっしゃっていた。御苦労もたくさんおありだったようだが、教育現場からの反響がすごかったということ、そして、子どもたちがこちらが思うよりも普通に受け止めてくれた、という報告になるほど、と思った。子どもたちは、こちらが真摯に伝えたことを、ちゃんと聞く力を持っている。この作品のような、今の子どもたちの生活と戦争・核という問題を繋ぐような作品がたくさん生まれることがこれからとても大切なのではないかと思った。

八月の光』『彼岸花はきつねのかんざし』など、ヒロシマをライフワークにしてらっしゃる朽木祥さんのお話はとても心に沁みた。文学が持つ力は「共感共苦」にある。共感し、誰かの苦しみを分かち持つこと・・・正しい歴史認識を後世に伝え、理解することで正しい「心情の知性」を育む本を書きたいと述べておられた。「心情の知性」は、時代が全体主義に流されようとしたりしたときに、踏みとどまり、違うと言える知性のこと。全体主義は、他人事では決してないと私も思う。人の心の中には、ややもすると大きな声を出す人に飲み込まれて思考停止してしまう昏い部分がある。それは、人を、国家や民族や、性別などのわかりやすい切り口でくくってしまうところから始まるのだ。数ではなく、ひとりひとりを顔のある存在として認識することの大切さを心に刻みつけること。『八月の光』について、私は昨年[時が経てば経つほど困難になる【記憶】の刻印に、真摯に向き合い、共有することで、私たちは確かな繋がりを手にすることが出来るのだと思う。その心の糸を繋ぎ、張り巡らせることだけが、ただのお題目になってしまいそうな「過ちは 繰返しませぬから」という言葉に命を与えるのではないか]と書いた。その思いを改めて感じたし、忘れてはならない記憶を「今」に結びつける営みに、果敢に挑戦され続ける姿勢に頭が下がる。「失われた顔と声を聞いてそれを伝えていく」という言葉に物語の根源的な力を信じるものとして強く共感した。

●那須正幹さんは、3歳の時にご自身も被爆されている。『絵で読む広島の原爆』『八月の髪かざり』『ヒロシマ 歩き出した日』『ヒロシマ 様々な予感』『ヒロシマ めぐりくる夏』など、核をテーマにした本をたくさん書かれている。当日は、那須さんまで順番が回った時点であまり時間がなくなってしまい、詳しいお話は伺えなかったのだけれど、自分の後に続く世代の人たちが核について作品を発表されていることが、とても心強いとおっしゃっていた。私も強くそう思う。

もうすぐ、3.11から2年になる。まだ何も終わっていない。事故の後始末も、震災の傷跡も、何もかもそのままだ。でも、最近、そのことを忘れようとする力がいろんな場所で働いているように思えて仕方がない。マスコミは、すぐに何もかも忘れてしまおうとする。彼らは数の論理で動いているから・・・だからこそ、これから物語がとても大切になってくると思うのだ。フォーラムの最後で、中日新聞の記者の方が、沈黙を守ってきた被爆された方々のことに触れ、「なぜ人は語ってこなかったのか」という問いかけをされておられた。そこには声高に語れなかった事情や心情があるだろうし、語ることを許さなかった力も働いていたと思う。その記憶と心に寄り添う、朽木さんのおっしゃる「失われた顔と声を聞いてそれを伝えていく」営みこそが、これからの私たちの進むべき道を指し示してくれると思うから。顔のあるたった一人の心に思いを馳せる力、想像力を育てること・・・このフォーラムに参加された作家さんたちのお話を聞いて、その必要性をひしひしと感じた。それはとても辛いことではあるけれども、今、とても大切なことなのではないかと思う。こんな偉そうなことを言っていても、久しぶりにじっくり見た平和記念資料館、そして初めて拝見した国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の、被爆された方の写真のお顔を見て、実は私自身打ちのめされ、しばらく言葉を綴ることも苦しかった。この問題に向き合うには、本当に気力と体力が必要だとしみじみ思う。だから、ずっとこのテーマと向き合って作品を書いておられる方々には素直に尊敬の気持ちを感じてしまうのだ。那須さんは「この年齢なんで、どこまで書けるか」などとおっしゃっておられたが、お体に気をつけて頂いて、これからも子どもたちに大切な作品を届けて頂きたいと思った。

フォーラムの参加者に配られたパンフレットもさすがの出来栄えだった。特に、2部の司会をされていた野上暁さんの「核と日本の児童文学」という評論は個人的にとてもありがたく、これを頂けただけでも行った甲斐があった。とても寒いヒロシマの週末だったけれど、遠征してとてもよかったと思えるフォーラムだった。