3.11の震災で起きた原発事故で、たくさんの人たちが故郷を追われた。そのときに、たくさんのペットや家畜が悲惨な状況の中、死んでいった。この絵本に描かれている『希望の牧場・ふくしま』の代表である吉澤正巳さんも、国から退去するように言われ、その次は牛の殺処分(なんて恐ろしい言葉だろう)への同意を求められた。しかし、吉澤さんは自分も被曝することを知りながら、退去にも殺処分にも応じなかった。そして、自分の牛たちの世話をひたすら続けて現在に至っている。こう紹介すると、とても悲惨な絵本であるかのように思われるかもしれないのだが、そうではない。もちろん悲惨な事実もきちんと描かれているのだが、この絵本にはシンプルな強さが溢れているのだ。
「だって、牛にエサやらないと。オレ、牛飼いだからさ」
目の前にお腹を空かせている生き物がいる。だから、ご飯を食べさせてやる。ただ、それだけのまっすぐにシンプルなことを、ただやり切ろうとする強さ。肉牛としての「意味」は被曝してしまった牛にはもはや無い。しかし、生きることに「意味」を結びつけているのは人間だけだ。意味がなくなれば殺処分してもいいのか、という問いかけは、そのまま弱いものや目に見えない苦しみを切り捨てていこうとする人間の姿をあぶり出すように思う。
「希望なんてあるのかな意味はあるのかな。 まだ考えてる。オレはなんどでも考える。 一生、考え抜いてやる。 な、オレたちに意味はあるのかな?」
吉澤さんのような人がいて、その生き方を支援する人たちがいる。それは最後の希望なのかもしれないけれど、全てが他人事になってしまったときに、その希望は消えてしまうのだと思う。昨日終わった選挙の結果は、無関心という化け物が生み出した結果なのか。そう思うのは私だけなのか。テレビを見ながらやけに疎外感を感じてしまうのだが、この吉澤さんの言葉を噛みしめながら、考えることを放棄しちゃいかんよ、と自分に言い聞かせている。
2014年9月刊行
岩崎書店