[映画]ヒトラーの忘れもの LAND OF MINE マーチン・サントフリート監督

地雷という兵器には、人間の悪意がこってりと詰まっている。その悪意を、まだ幼顔の残る少年たちが一つ一つ掘り出していくのを見ていると、体中が緊張してこわばってくる。恐ろしい予感と一緒に、ドカン、という爆発音が心の奥まで突き刺さる。戦争での死を美しいなどという政治家は、絶対にこの映画を、憎しみに吹き飛ばされる少年たちを見るべきだと思う。

第二次世界大戦が終結したとき、デンマークの浜辺には150万発の地雷が埋められていた。その撤去に当たったのは、ドイツ軍の少年兵たち。手作業で一つ一つ地雷を掘り出す作業で半数近くが死亡するか重傷を負ったという。この映画は、美しい浜辺に埋められた地雷を撤去するために集められた少年たちと、彼らを監督する軍曹の物語だ。映画の冒頭は、その軍曹が自国に引き上げるドイツ兵をめちゃくちゃに殴り倒すシーンから始まる。「帰れ!ここは俺たちの国だ!さっさと出ていけ!早く!走れ!」とわめきたてる彼の顔は憎しみで真っ黒に凝り固まっている。しかし、目の前で、あどけない顔で地雷を掘り出し、手足を吹き飛ばされ、死んでいく少年たちを見ながら、少しずつ彼の顔が変わっていくのだ。一人一人と顔をあわせ、言葉を交わし、食料を調達し、面倒を見ているうちに、鬼の顔に少しずつ人間としての顔が混じってくる。手足を吹き飛ばされて「お母さん」と泣き叫ぶ少年は、「にっくきドイツ人」ではない、ただの傷ついたひとりの人間でしかないのだ。ひとりの人間の前に、ただ人間として向き合えば、そこにはどうしても通い合うものが生まれてくる。そのかけがえのなさを、この果てしない絶望の中に描いたことに、心打たれた。

つかの間、海で泳ぎ、ボール遊びに興じる彼らは、本当にどこにでもいるティーンエイジャーだ。その彼らが誰かの命を奪う少年兵として戦地に駆り出されてしまったこと。そして、誰かの命を奪うために埋めた地雷で吹き飛ばされていくこと。その残酷さが、美しい海の風景の中にくっきりと浮かび上がる。今日死ぬか、明日死ぬか、という日々の中でも、少年たちは小さな虫やネズミを捕まえて名前をつけ、愛情を傾けようとする。その切なさと、自分の犬を失って嘆き悲しむ軍曹の姿が、年齢も国の違いも超えて重なり合う。

最後に森の中に消えていく少年たちを見送る軍曹の眼差しに救いを感じたけれど、あの国境の森は、いろんなことを思い起こさせる。『サウルの息子』で、蜂起したユダヤ人たちが殺されていった森。クロード・ランズマンの『ショアー』に証言されている、恐ろしい殺戮が行われていた森。戦争は、憎しみはいつも弱いものを一番先に踏みつぶしていく。あの子たちは、無事に国境を、恐ろしい森を越えたのだろうか。人間と人間を引き裂く「国」とは何なのだろう。この映画の原題である「LAND OF MINE」と人が言うとき、少年たちと軍曹の間に生まれたような心は置き去りになってしまうのではないだろうかと思うのだ。そう考えたとき、『ヒトラーの忘れもの』というこの映画の邦題は、どうなんだろう。この厳しくも美しい映画のタイトルとして相応しいものなのかどうかと考えてしまう。焦点を曖昧にして、口当たりよくしておこうという日本的配慮は、この真摯な作品に対しても、観客にも失礼なことだ。少年を戦争に、殺戮に駆り出すことは、今も世界中で行われている。そして、地雷は今も子どもたちを吹き飛ばして殺している。ヒトラーだけの忘れ物ではない。すべての大人たちが忘れてはならないことなのだ。

 

21世紀美術館「トーマスルフ展」と日常からの距離について

二泊三日で金沢と能登に関東に住む友人と遊びに行っていた。学生時代からのつきあいである彼女とは、遠くにいてもなぜか感覚がシンクロしていることが多いので、時間を気にせずゆっくり話すことが出来るのは無条件に嬉しい。そして写真家である友人は、私と違う眼差しで美しいものを見つけていくので、兼六園や町中を散策しながらそれを横で見ているのも楽しいのだ。

旅に出かける楽しみは、違う土地が育んでいる人間の暮らしを感じることなのだと思うのだが、その面白さを強く感じたのは能登半島だ。観光バスのテープがやたらに面白い。能登にもアイヌの人々が住んでいたことを教えてくれて感心していると、いきなりUFOを押してくる。驚いたのは「モーゼの墓」だ。日本がまだ古事記の神々の時代に、モーゼが船で石川にやってきて583歳という寿命を全うして、そこに葬られたらしい。らしい、と書いていいのかどうか危ぶまれるくらいの伝説だが、西田幾多郎や鈴木大拙という哲学者を生んだ風土の発想力は侮れないね、というのが友人と私の一致した意見だった。なぜ、旧約聖書の中からモーゼを連れてきたのだろう。時間と空間の距離を超えた要素はなんだったのだろう。冬の長い場所は空想力が豊かになるというが、それにしても面白い。

今回の旅のメインは三日目の21世紀美術館。前知識を何も持たずに入った「トーマス・ルフ展」がとても良かった。いかにもドイツ!というかっちりした構図の私的な部屋の写真から始まるのだが、きっちりした写真を撮る姿勢と意欲はそのままに、次々と実験的な手法にトライしていくのが面白い。巨大なサイズに引き延ばされたポートレイト。モンタージュ写真を撮影する器械を使って撮影した四枚の写真を、他の人の写真と重ねあわせた肖像写真。どこかにいそうで、実は存在していない顔たちは、どこか虚ろな気持ち悪さでこちらを見つめてきて、その顔のどこを見つめていいのかわからない。デジタルの四角い粒子を引き延ばしたような巨大な写真には、9.11の光景が撮されているらしい。遠く離れて見るとそれらしいのだが、近くに寄るとただの四角の羅列だ。どこに立ってみても、もどかしく、手が届かない。デュッセルドルフの町を、特殊な暗視装置で撮した写真は、最新兵器が狙う標的のようだ。そこにあるはずの人の暮らしは、標的に阻まれて見えない。 最初に並んでいた、自分の暮らす部屋を撮影した写真からは、丁寧に手入れされた家具やシーツと彼が親密な空気で結ばれているのを感じた。その距離感から離れたとき、もしくは日常に絶え間なく流れ込む情報に自分をさらしたときの居心地の悪さや空しさ。9.11や大震災のような巨大な出来事に向かい合う目線のあり方や、「自分」との距離感の掴めなさを、トーマス・ルフの写真から強く感じた。

21世紀美術館はSANAAの設計で、様々な大きさの展示室が、中庭と回廊のまわりにぐるりと作られている。一つの部屋を出るたびに、冬の変わりやすい空は光の回廊を違う色で染めていく。ぐるぐるとあちこちの部屋を巡るうちに、トーマス・ルフが投げかけるものが、私たちのアンテナに触れて、目に見えない糸を紡ぎ出す。雨の幕の上を覗くと、そこでは金属で出来た一人の男が、空を見上げて雲を測っていた。最後にブルー・プラネット・スカイというジェームズ・タレルの部屋にいった。部屋は石造りの正方形で、天井も四角く切り取られている。私たち以外誰もいない部屋は振り込む雨音に満ちて、遠くから鳥の声が聞こえた。雨だれも四角く切り取られて落ちてくる。フレームの中の空が、様々な色に変わるのを、私たちはしばらく眺めていた。日頃から空が好きで暇さえあれば眺めているが、切り取られていることで、空の繊細な表情がより鮮明に目に映る。何もない、ということにとても満たされる空間だ。空や、雲や、星とは距離感に悩むことなど何もない。ただ、あるがままに受け取り、自分もそれに身を任せることができる。トーマス・ルフが恐ろしいまでの情熱で切り取っている星の写真には、人間が写っている作品とは全く違う親密な幸福感があった。「距離」はやはり心の中にある。

最終日は21世紀美術館だけで満足しきって、昼食もとらぬまま、たくさんの土産物を駅で買って、友人と別れ一人サンダーバードに乗った。ほとんどネットも見ず過ごしていたので、ふとツイッターを開けて覗いてみた。すると、目に飛び込んできたのはアレッポで虐殺されていく人々の写真と声だった。私は呆然とした。旅というちょっとした非日常を楽しんでいる自分と、今、虐殺されるかもしれないという極限の非日常を生きている人々。いや、彼らはもう死んでいるのかもしれない。ただ、その声や顔がツイッターというネット空間の中に浮かんでいるだけなのかもしれないのだ。日の落ちたサンダーバードの車内で、私は呆然とし続けるしかなかった。この距離感をどうすればいいのか、全くわからない。わからないのだが、このわからなさを、文学というものを手がかりにして、一つ一つたどっていくしかないのだと、あれから数日たって思っている。21世紀美術館の上にずっと立っている、測れない距離を、必死で伸び上がって測ろうとする男のように。

伊津野雄二展 残されし者  神戸ギャラリー島田にて

陽に透けるやわらかな棘(とげ)
胸を朱にそめ
のびあがるその極みに
地にくずれる
天と地の約束どうり
緑のアーチを描き
瞳を大空に残したまま
されど残されし者
しずかにここにとどまりて
あたらしき面(おもて)をつけよ
年ごとの花のように
年ごとの祝祭のために
―残されし者2016―

一年ぶりの伊津野雄二さんの個展。静謐な美しさに打たれながら、今回一番印象に残ったのは『残されしもの』という作品の、張り詰めた緊張感のある面差しだった。自然の木から彫り出されたトルソは、荒々しい自然の力を纏っている。しかし、その顔は、木の質感とは違うものを感じさせるほど、滑らかに磨き込まれている。顔の周りにはぐるりと線が刻み込まれて、こめかみには金具のようなものが取り付けられているところを見ると、この顔は、能の面のように取り外しできるものという設定のようだ。瞳には微かに虹彩が星のように刻まれていて、どこか近未来の匂いのする面差しだ。その表情は、厳しく凜として、優しさと、微かな、本当に微かな怒りを湛えているようにも思う。

芸術の魅力とは、新しい視座を獲得することにある。私たちが意識している「時」は常に一方方向で、矢印のように過去から未来へ同じ方向に流れている。時計の針が常に動いている、あの感覚だ。しかし、伊津野さんの作品の前に立つと、私はそこに違う「時」を幻視する。いや、そこに何か、時を超えた別の扉が開く手がかりがあるという確信に、ずっと見つめていたくなる。決して手の届かない彼方から訪なうものが、この仮面の形を借りて、語りかけてくるような気がするのだ。昨年拝見した、『されどなお 汝は微笑むか』という像の、慈しみの表情は忘れがたい。しかし、今年の『残されしもの』が厳しい瞳で見つめているものが、私はとても気になる。知りたいと思う。このところ、ずっと感じている胸が泡立つような危機感は、この瞳が見つめているものと繋がっているのだろうか。全ての人間が滅んだあとに、木や花や、鳥や、美しい生き物たちが繁栄してくれるなら、この面はつけられることはないのではないか。

会場には、限りない優しさを湛えた小さな作品も幾つも飾られていた。音楽を奏でる天使や、母と子が抱き合う柔らかな作品。緑のスカートを翻して踊る、晴れやかな少女。幸せが溢れる。毎日の暮らしの中にある、季節とともに生まれ、去っていくものを慈しむ幸せ。それは、人として生きる喜びそのものだ。それらを見つめ、時を超え、宇宙的な広がりをもつ彼方から、『残されしもの』が語りかける。会場の中央に据えられた『航海』が、たくましい腕で指し示す場所へ、人は、たどり着けるのだろうか。伊津野さんの作品には、宇宙的な俯瞰と、足元を見つめる確かな眼差しがある。自分が決して行けない場所があること、それは今、目の前に広がる風景の中に、常に内在しているのだということ、この二つを同時に見せてくれる。伊津野さんの指し示す理想は、この世のものならぬ美に満ちているけれど、その水脈は、私たちひとりひとりの心の奥底にも流れている。流れているということを、教えてくれるのだ。

あけましておめでとうございます

 

もはや6日、いや、日付が変わって7日になって、新年のご挨拶とは遅すぎますが。 最近、長い評論を書くので目一杯になっておりますが、更新したい気持ちはいつもあるのです。(って、新年から言い訳書いておりますが) いろんなものを読めば読むほど、あれこれ勉強すればするほど、文章が書きにくくなるということを痛感しております。しかし、痛感してばかりではいかんので(笑)今年は、なるべく更新を目標にしていきたい!と抱負を書いて自分の縛りにしておきます。

生き延びていく、という言葉が大げさではないほど、今、私たちは「異常な日常」に囲まれています。児童文学に関わるひとたちは、一番その異常さに敏感です。それは、子どもたちの未来を、いつも考えざるを得ないから。インディアンのイロクォイ族は「何事を決めるにも、自分たちの決断が七代先に影響を及ぼすことを考えなければならない」と何かを議論するときに常に誓い合っていたといいます。(管啓次郎「野生の哲学」より)その視点で見つめると、今、目の前に広がっている風景とは全く違うものが浮かび上がってきて、背筋が冷たくなっていくのです。何かしなければと、胸がぎゅっとする。だからこそ、言葉の力を信じて、今年も右往左往していきたいと思います。まずは、更新!ですね(笑)

繁内 理恵

大塚 忍 写真展 『birthday』 感想

先日の日曜日、東京の蒲田にあるギャラリー「南製作所」まで、大塚忍の個展を見にいってきた。 ギャラリー紹介はこちら。http://oishiihonbako.jp/wordpress/?p=1901

土地には「気」というものがある。そこに生きた人たちの暮らしの中から、少しずつ染みこみ、立ち上る気配のようなもの。この「南製作所」というギャラリーには、長年この場所で働いてきた人と機械たちが呼吸していた、気持ちよい「気」が満ちていた。大塚の写真は、その「気」の中から生まれる新しい命を紡いで、ひそやかな美に輝いていた。

大塚の写真は、かってここにあった機械や工具を撮影したものと、氷をテーマにした連作で構成されていた。人の手によって使い込まれてきた工作機械たちは、まるで生き物のようだ。そして氷の連作は、無機質な結晶であるはずなのに、氷の粒に閉じ込められた時間を湛えて、一度きりの命に咲いている。どちらも人の目には見えない命なのだが、大塚のレンズはその輝きを捉えて私たちの目に見せてくれる。日常の何気ないものからこういう思いがけない「美」を発見する彼女の写真が、私はとても好きだ。今回の写真たちも、まことに不思議な驚きに満ちていた。鳥の翼やおたまじゃくしの卵のような。はたまたナスカの地上絵や航空写真のような氷の写真たち。一番大きな作品は、立ち上がり、光に向かって触手を伸ばす植物を感じさせて、まさに「birthday」だった。工場から、ギャラリーへ。これまでの歴史を引き継いで始まった場所にふさわしい氷の華だ。彼女の作品を見ていると、静寂がなによりも雄弁であることを深く実感する。

この日はプレゼントがもう一つあった。オープニングパーティで、パーカッショニストのコスマス・カピッツァさんとオーボエとのコラボ演奏があり、間近で楽しい演奏を堪能させてもらった。私の耳には、彼等の音に重なって、ここに憩う目に見えないものが、写真たちと一緒に小さく歌っているのが聞こえてきた。この幸せな場所に、これからどんな物語が展開していくのだろう。

[映画]アメリカン・スナイパー クリント・イーストウッド監督

この映画は、実在の人物をモデルに描かれたものだ。主人公のクリスは、愛するものを守りたいという、ハリウッド映画そのままの正義感から軍人になる道を選んだ男。強い番犬になれ、という父親の刷り込みからずっと、クリスの価値観は「強く正しいアメリカ」から揺らぐことはなかった。彼の頭の中には、絵に描いたような悪と闘うヒーローのような自分の姿があったに違いない。しかし、意気揚々とイラク戦争に出かけた彼を待ち受けていたのは、そんなわかりやすい敵ではなかった。彼が初めて殺したのは、爆弾を持っていた女性と、幼い少年だったのだ。ベトナム戦争もそうだったが、相手の懐に飛び込んでの戦争は、ゲリラ戦になる。女性も、老人も、子どもも、武器さえあれば簡単に「敵」になるのだ。もがけばもがくほど、深みに沈んでいくような血まみれの戦地から帰還してみれば、戦争などどこにも存在しないかのような本国の脳天気さが待っている。クリスが派遣された戦争には、倒すべきわかりやすい悪も存在しなければ、守るべきか弱きものも存在しない。その空しさの中で殺し合いをしていくうちに、クリスにとっての戦争は、仲間を殺していく相手方のスナイパーへの私怨へと変化していく。つまり、大義ではなく感情なのだ。自分の同期の男が殺されて復讐にいった戦闘で返り討ちにあう。その恨みが忘れられないクリスは、周りじゅう敵兵だらけ、四面楚歌の状態で命令に反してスナイパーへの一撃を放つが、そのせいで彼の部隊は総攻撃をくらう。クリスは、殺したいという自分の欲望を抑えることが出来なくなってしまったのだ。

開高健が、『歩く影たち』の中の一篇で、アメリカ軍の将校が、短い休暇のあとでそわそわと戦地に戻っていく姿を描いていた。彼が、人を殺したがっていたということに、別れてから気付いたときの衝撃が忘れがたい短編だったが、クリスも同じように精神を蝕まれていく。アメリカに帰国しても、過剰な暴力性を抑えられないのだ。映画は一見彼がPTSDから雄々しく立ち直ったかのように描かれている。(実際に、同じように心を蝕まれた帰還兵士たちを助ける軍事会社を立ち上げて活躍していたらしい。)しかし、私には最後まで彼が立ち直っているとは思えなかった。最後のシーンででクリスと妻が愛を確かめ合うシーンがあるのだが、なんと彼は妻に拳銃を突きつけて「服を脱げ」と言うのである。もちろん冗談交じりの口調ではあるが、幼い子どもたちがいる前で妻に拳銃を突きつける、という行為自体が完全におかしい。しかも、出かけるときに、その拳銃をひょい、と家の梁の上に置きっぱなしにするのだ。クリスが幼い頃に、銃を地面に放り出して父親に酷く怒られるシーンが映画の冒頭に伏線としてあるところをみると、この銃の扱いの粗雑さも、彼の異常さを浮かび上がらせるイーストウッドの仕掛けの一つなのではないかと思う。イーストウッドは、そういう小さな仕掛けをあちこちにしのばせている。イラク側のスナイパーの傍らには、クリスの妻と同じように赤ん坊を抱く彼の妻がいる。また、クリスたちが暴力で情報を引き出したイラク人の家族は、ネタを売ったことでイラク兵に殺されてしまう。ネガとポジをひっくり返すように、敵にも味方にも同じように守ろうとするものがあることを、そして弱いものが守られるどころか、まず踏みつけられていくことが、容赦ない戦闘シーンと共に刻み込まれていく。何とこの映画の撮影中に、モデルとなった人物が帰還兵に殺されてしまうという事件が起こり、エンドロールにはその実際の葬儀の様子が流される。映画で描かれている凄惨な戦争と、英雄として葬られる葬儀の美しさとのギャップは、酷くもの悲しかった。

イラク戦争で160人を射殺した人物を主人公にしたこの映画が、一体反戦なのか、それとも戦争賛美なのかという議論がアメリカでは巻き起こっているらしい。監督したクリント・イーストウッドは、それは見るものが考えることだと何も語らない。多分彼は、アメリカという国から見た戦争を、ごろん、と深くえぐり取って観るものの前に無骨に転がしてみせたのだ。反戦か否か、というわかりやすい箱に入れるのではなく、その狂気も大義も、大義に踊らされる個人の苦しみも、人が戦争に惹かれる快感も含めて、一人の男の姿に戦争を、ただ語らせた。「愛するものを守りたい」というわかりやすい大義を背負って戦争に行ったスナイパーが、現実の殺し合いの中で、どんどん私怨に心を縛られ、蝕まれていく。戦争という非日常に煽られていく感情の暴走を、間近に肌で感じさせられる二時間だった。

大塚 忍 写真展 「birthday」

私の長年の友人が、大田区に新しくオープンするギャラリーで写真展を開きます。

大塚 忍 写真展

「birthday」

2015.3.27(fri) ~ 4.10(fri)

  ギャラリー 南製作所 

  〒144-0034 東京都大田区西糀谷2丁目22-2  木曜日定休

http://immigrantp.exblog.jp/23791551/

ここは、オーナーの水口惠子さんのお父様が機械工場を営んでらした場所です。

以前、ここで大塚が水口さんのダンスとコラボした写真を見たことがあります。

http://immigrantp.exblog.jp/16993186/

長年使い込まれた機械たちと水口さんが語り合っているようでした。

今度はギャラリーとして生まれ変わったから、「birthday」。

工場萌えの方には垂涎もののギャラリーになっているそうです。

工場と大塚の写真が、どのような融合と化学反応を見せてくれるのか、楽しみです。

お近くの方、ぜひ足をお運びくださいませ。

私も大阪から行こうと思っています。

 

[映画]おやすみなさいを言いたくて エーリク・ポッペ監督 ノルウエー・アイルランド・スゥエーデン合作

何年ぶりだろう、インフルエンザにかかってしまった。くたくたなのだが、頭の芯にしこりのようなものがずっとあって眠れない。熱のせいと、ここ数日ずっと報道されているイスラム国による誘拐事件のことが頭から離れないせいだ。人質になっている本人とご家族の恐怖と孤独はいかばかりだろうか。湯川さんはもはや殺されてしまったのだろうか。赤ちゃんを産んだばかりという後藤健二さんの奥様がどんな思いで夜を過ごしてらっしゃるかを想像すると、とにかく一刻も早く救出して欲しいと心から思う。後藤さんは戦地の子どもたちを取材し、世界に発信していた人だ。日本ではこういう時にすぐ自己責任論を持ち出す人がいるが、私たちが戦地の実情や悲惨さを知り得るのは、彼のようなジャーナリストが報道してくれるからこそなのだ。どうかご無事で、と祈るように思う。

先日見たこの映画は、紛争地帯を取材する戦争カメラマンの女性が主人公だった。しかも、冒頭のシーンは中東での自爆テロへの潜入取材から始まるのだ。死を覚悟して生きながら葬儀もすませ、しなやかな若い体に爆弾を巻き付けて車に乗る女性。主人公のレベッカは、彼女に、彼女を見送る同士たちに、刻々とカメラを向けてシャッターを切る。静謐な死の気配の中で、そのシャッター音だけが響くのだ。これから死のうとする人にまっすぐレンズを向けシャッターを押す、ためらいなく押し切る。そのプロとしての覚悟と胆のくくり方を、ジュリエット・ビノッシュは見事に演じていた。その根底にあるのは、理不尽な暴力や死に対する強烈な怒りであり、使命感なのだが、この映画ではカメラマンの本能のようなものをもう一つ掘り下げて描いてある。その本能に抗えないほど骨の髄までカメラマンである女性を演じきったジュリエット・ビノッシュが素晴らしかった。   スーザン・ソンダクは『写真論』の中で「写真を撮るということは、他人の(あるいは物の)死の運命、はかなさや無常に参入するということである」と述べていた。写真を撮るということは、時を止めることだ。動いているものも、呼吸しているものも、本来なら移ろうものを固定化する。撮った瞬間、映像になって切り取られるものは、もはやこの世界には無いものなのだ。目の前に常に強烈に生と死が輝いていて、それを客観的に切り取れる人だけがカメラマンの目を持っているのだと私は思う。写真というものが、何とも言えずに生々しく、壺のような静物を撮ってさえ時にエロチックであるのは、そこに常に死があるからだ。レベッカは、自爆テロに向かう女性の乗る車から降り際に、危険だと知りながら群衆の中で彼女の写真を撮ってしまう。それが引き金になってその場所で爆発が起こり、その場にいた人たちをレベッカも含めて巻き込んでしまう。若い女性が自爆テロ犯になる残酷さを撮るためだけなら、もう十分なほどシャッターを切っていたにも関わらず、テロ犯の女性の面差しに魅入られるようにシャッターを押してしまう。その本能が死に結びついていく凄惨さ。そして、そのカメラマンが母であり、妻であるということが、よりその凄惨さを際立たせてしまうのだ。他人の不幸にカメラを向ける、その残酷さを、この映画はまっすぐ見つめようとする。

レベッカは夫から、常に危険と共に生きることに耐えられないと最後通告を受ける。彼女の家庭のあるアイルランドはそれはそれは穏やかに美しい場所だ。優しい夫と可愛い娘たちのために、レベッカは一旦カメラを捨てようとする。しかし、安全だからという触れ込みで長女を連れていったケニアでいきなり動乱に巻き込まれ、レベッカは長女を置いてカメラを構え、争いの中に突入してしまう。本能に抗えなかったのだ。群衆になぎ倒されても前を向いてシャッターを押し続けるジュリエット・ビノッシュは、まさにカメラマンそのものだった。結局家を追い出され、全てを捨てて、またレベッカは戦場に向かう。しかし、また冒頭と同じ自爆テロの潜入取材の場面となるラストでまた監督はもう一つどんでん返しを用意する。今度のテロ犯が自分の娘と同じ年頃の少女であることを知ったレベッカは、今度はシャッターを切ることが出来ないのだ。何度試みてもどうしても出来ないまま、レベッカが地面の上にカメラを持って崩れ落ちるところで、映画は終わる。

戦争や饑餓などの凄惨な苦しみを撮影することには、常に人道的な議論がある。人の中に残酷なものをみたいという欲望があることも、その議論をややこしくする。写真を撮ることは傍観者であることでもある。冒頭の静謐な沈黙の中に響くシャッター音は、その残酷さを静謐な中に響かせる。プロである彼女にとってテロ犯は「被写体」なのだ。しかし、最後にレベッカはテロ犯を自分の娘と重ねてしまった。その瞬間、テロ犯の少女は見知らぬ被写体ではなくなってしまった。名前と顔と体温を持つかけがえのない存在になってしまった。もはや彼女は傍観者ではない。少女に心を寄せたその瞬間レベッカは、目の前で奪われようとする命の理不尽さに、その重みに改めて押しつぶされてしまったのだ。一枚の写真。そこに映っている眼差しと向き合うことの苦しみを、この映画は観るものに投げかける。

テレビをつければそこにある後藤さんの写真に、こちらを見つめる眼差しに、私もただ打ちひしがれている。こんな世界の片隅でブログを書いているだけの私に、何が出来ようか。ただ、彼の苦しみを思うしかない。想像するしかない。見ているしかない。手を差し伸べようもない。写真を撮るものの残酷さを、その写真を見るものは常に共有しているのだ。でも、だからこそ、見ないふりをするのではなく、自らの残酷さも含めて、目をそらさず見つめようと思う。自分の家族も救えないちっぽけな私であるけれど、なぜ、こんな写真が撮られることになったのか、もつれた糸の端がどこにあるのか、考えようと思う。地面に崩れ落ちたレベッカは、きっとまた立ち上がって写真を撮ると思うのだ。彼女は、今度は傷ついた子どもたちにカメラを向けていくのではないか。彼女が打ちひしがれたのは娘への、命への愛情ゆえなのだから。中東の子どもたちの苦しみを取材しようとした後藤さんも、何度も何度も打ちひしがれた人ではなかったのだろうか。そんな気がする。

子どもたちの未来、子どもたちの本の未来 フォーラムポスト3.11

少し前になるが、11月15日(土)に京都の平安女学院でで行われた日本ペンクラブ主催のシンポジウム「子どもたちの未来、子どもたちの本の未来」に行ってきた。第一部は野上暁さんの基調講演「3.11後の子どもの本」.。第二部はパネリストの児童作家の方々によるシンポジウム。朽木祥さん、越水利江子さん、芝田勝茂さん、濱野京子さん、ひこ・田中さん、松原秀行さん、森絵都さんがパネリストとして参加されていた。

第一部の野上暁さんの基調講演は、関東大震災後の日本の歩みを振り返ることから始まった。野上さんの作成された年表を見ながら3.11のあとの日本と重ねあわせてみると、これが、もう、ぎょっとするほど似ているのだ。震災に、その後の不況。中国や韓国との摩擦。右傾化していく中で、治安維持法や言論統制が行われていく。ひこ・田中さんが「我々は既に戦前を生きはじめている」とおっしゃられていたが、まさにその通りだと背中が寒くなる思いだった。その流れの中で、アニメーション、紙芝居、演劇、映画が統制され、児童文学も国威発揚の一端を担わされていった。その歴史も踏まえて、今、児童文学に何が出来るのか。それを問う講演だったと思う。その後のシンポジウムは、パネリストの作家さんたちの発言から始まった。ヒロシマをライフワークにしている朽木祥さんの「戦争を正しく記憶して警戒する」、「共感共苦を抱くことの出来る心」、という心に刻んでおきたい言葉。越水利江子さんの「子どもを守りたい、読者を守りたい」という強い気持ちから訴えられた反原発と面白い本をいっぱい書きたいという決意。社会派として、3.11後の変化を形にしたい、と語る濱野京子さん。特定秘密保護法案後の日本で作品を書いていくことについて語ったひこ・田中さん。松原秀行さんは、親族が3.11で被災され、その後被災地で独自の活動をされている。そして、森絵都さんは、3.11後に刊行された『おいで、一緒に行こう 福島原発20キロ圏内のペットレスキュー』『希望の牧場』の2冊から、弱い命が切り捨てられていること、人との出会いが作品を生み出していくことを語られた。日本ペンクラブの会長である浅田次郎さんも、忙しいスケジュールの合間を縫って、足を運ばれていた。

私は、今、強い危機感を持っている。自民党が政権を取り返してから、ひたすら右傾化の道を歩んでいること。特定秘密保護法も集団的自衛権の容認も、全く議論されないままに押し切られてしまった。マスコミが「反日」「売国奴」など、いつの時代の言葉なのかと思うような口汚さで近隣諸国との対立を煽っている。原発事故のあと、一旦は廃止に向かっていたベクトルが、ここにきて反対の方向に動き出していることも恐ろしい。復興どころか、未だに仮設住宅に住む人々がおられるのに、東京がオリンピック、などと言い出したのにはびっくりしたが、もはや誰もそのことに違和感を感じなくなっていること。ひたひたと暗い波が押し寄せてくる実感が日々強くなる。だが、選挙を間近に控えたこの時期にも、争点としてテレビで放映されるのは経済と消費税ばかり。なんでやねん!と一人テレビに突っ込む日々だ。子どもの物語を書く人は、当たり前だが子どもを見つめている。私たち大人が子どもに手渡すのが、黒い波にのまれていく日本であっていいはずはない。基調講演とパネリストの方々の話を聞き、その危機感を改めて認識できた。

濱野京子さんがおっしゃったように、3.11が児童文学において語られていくのは、まだまだこれからだと思うし、そうでなければならないと思う。子どもの本は、大人の本では語れない希望が、まっすぐな眼差しでみつめるものや真摯な心が語れるはずだ。そこに惹かれているし、そこが私の希望でもある。その希望が間違いではないと思わせてくれたシンポジウムだった。私も微力ではあるが、顔をあげてきちんと声をあげて語っていこう。子どもたちの未来は、私たち大人がどれだけきちんと過去を見つめ、記憶し、そこから学ぶことが出来るかにかかっているのではないか。それは決して自分たちに都合のよい過去であってはならない。

 

[映画 チョコレートドーナツ] トラヴィス・ファイン監督

とにかく、主演のアラン・カミングが素晴らしい!彼の演じるルディは、その日暮らしのゲイのダンサーです。ショービジネスの中で生きる色気と、散々傷ついてきた苦しみと、孤独に汚されずに息づいている純粋さが見事に一つの表情に見え隠れするのです。冒頭のドラァグクイーンとして踊る姿も魅力的だけれど、ドラマが展開していくにつれて、今度は内面から溢れてくる光が彼を美しく照らして、見ほれてしまいました。そして、折々に入る歌声が、またいい!あの歌声で、感動は確実に何割増しかになってますね。

ルディは、店に来た弁護士のポールと恋に落ちるのですが、奇しくもその日、麻薬常習者の母親に取り残された、ダウン症のマルコという少年と出会います。親の愛を知らずに育ってきたマルコを、優しいルディは手放せなくなってしまう。その気持ちを知ったポールは、自分の家で一緒に暮らそうと二人を誘って、ルディとポールは、マルコの両親となります。このとき、ルディがデモテープを作るために、二人の前で歌う“Come to me” が、素晴らしい。ハロウインやクリスマスでの三人の笑顔。海辺で寄り添うマルコとルディ。その光景があまりに美しくて、儚くて、きっとこの幸せがすぐに壊れてしまうだろうことが暗示されていて、とても切ない。この映画の舞台は1979年。車の中でルディとポールがいちゃいちゃしているだけで、警官に銃を突きつけられるシーンがあって驚いたのですが、この当時は同性愛が即犯罪であるという認識だったわけです。当然、彼らへの世間の風当たりは、恐ろしく厳しく、マルコは家庭局に連れ去られてしまい、ポールは自分の仕事を失ってしまうことになります。

ここからの、ルディとポールの闘いは壮絶です。いくら彼らが愛情深くマルコを育てていたことが証言されても、裁判で繰り返されるのは、ただ、彼らの性生活をほじくり返し、揶揄することばかり。差別と偏見の壁は、彼ら三人を打ち砕きます。ただ、一緒にいたいだけという彼らの愛情は、法律という網の目からこぼれ落ちてしまう。それは、世間の枠組みに当てはまらない愛情だから。自分には何の関係もないのに、あの手この手でルディ達を追い詰めるポールの上司の弁護士が出てくるのですが、ルディとポールが苦しむところを見ながらほくそ笑む彼の顔には、マイノリティへの被虐の快感がにじみ出ていました。一緒に映画を見た若い友人が、なぜあんな意地悪をするのかわからない、と言っていましたが。弱いものを踏みにじりたいという欲望、それも正義の名を騙って自分の支配力を確認したい人間は、たくさんいるんですよね。それは多分、私の心にも住んでいる。そう見るものに思わせるだけの深みが演技にありました。一歩間違えればセンチメンタリズムに流されかねないテーマに分厚さを与えているのは、この脇を固める俳優陣の素晴らしさだったのかもしれません。数シーンしか出てこないマルコの母親が、底知れない虚無に包まれていたのも胸に刺さりました。

ネタばれになるのでこれ以上ストーリーは書きませんが、ラストはハッピーエンドではありません。映画館中、すすり泣きの声でえらいことになっていたぐらいです。でも、心の中にとても暖かいものが残ります。ルディとポールは、楽な道を選ばなかった。どんなに傷つけられても、マルコを守ろうとした。自分が愛しているものへの気持ちを汚され、笑われることって、とても凹みます。でも、やっぱり自分が愛しているものは、自分が守っていかなくちゃいかんのだわ、と。例えその結果が敗北の形をとったとしても、それはいつか、光となって自分の中に帰ってくる。ルディが最後に歌った“I Shall Be Released ”は、ずっと私の胸の内で鳴り響く臆病な自分を励ますテーマソングになりそうです。

[映画]ドストエフスキーと愛に生きる ヴァデイム・イェンドレイコ監督

翻訳という仕事を、私はとても尊敬している。私は外国文学が大好きだが、それも翻訳して下さる方がおられるからこそ。(今月号の『考える人』も「海外児童文学ふたたび」と題した外国文学特集で、思わず買ってしまった。)信頼できる翻訳家の方の名前が表紙にあると、「これは読まねば!」と嬉しくなるのだ。この作家ならこの方、という名コンビも多々ある。アーサー・ランサムなら神宮輝男さん。今の朝ドラになっている村岡花子さんとモンゴメリ。ミルンと石井桃子さん。・・・もう、書いても書いても書き切れないほど名翻訳がたくさんある、これは非常に幸せなことだが、元を正せば、そもそも日本の近代文学は児童文学も含めて、翻訳を通じて始まったのだ。そう思うと、「翻訳」という仕事は幾世代にもわたって交流していく大きな橋をかけるお仕事に違いないと思う。

この『ドストエフスキーと愛に生きる』というドキュメンタリーは、スヴェトラーナ・ガイヤーというドイツ在住のロシア語翻訳家の暮らしを追ったものだ。84歳の彼女は、ドストエフスキーの翻訳に取り組んでいる。彼女曰く、「五頭の象」、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』『悪霊』『未成年』という、目眩がするほどの大作に、真摯に向き合う日々が描かれる。 翻訳家の作業を、こうして映像で見せて貰うということに、まず感動した。綿密な準備に、細かい読み合わせを人を替えて何度も行う、その労力といったら。翻訳をするということは、原文に忠実であることと、俯瞰した視線で言葉の向こうにあるものを捉える批評家としての作業を同時に進行させていくことなのだ。スヴェトラーナは作中で、文学で書かれたテキストを緻密に織られた生地にたとえているが、翻訳も、オリジナルへの忠実さを横糸に、ありとあらゆる教養と、人生を見つめる深い眼差しを縦糸に織り込んで出来上がるものなのだろうと思う。この映画は、その彼女の縦糸の部分に深く分け入っていく。暖かみのある手仕事の数々で飾られた家。リネンに丁寧にアイロンをかける、折り目正しい生活の美しさもさることながら、私が引きつけられたのは、彼女の過去への旅だった。

スヴェトラーナはウクライナ出身で、父親はスターリンの大粛正による拷問が原因で亡くなっている。その娘であるということは、一生反体制の人間として冷遇されて生きていくことなのだ。ちょうどそのとき、キエフはナチスドイツに占領される。語学に秀でていた彼女は、敵国であるドイツに協力し、ドイツ軍が引き上げていくときに共に出国して奨学金を得て安定した職を得ることになる。父親は15歳の彼女に、収容所での一部始終を語ったのだが、スヴェトラーナは全くその内容を覚えていないらしい。生きるために、幼かった彼女はその記憶を封印してしまったと言う。ドイツはどん底の彼女に手を差し伸べ、救ってくれた。しかし、同時にキエフのユダヤ人を殺害し、ヨーロッパ全土で何十万人という人たちを収容所に送り込んだのだ。彼女の友達もキエフの谷で虐殺されたという。15歳の彼女が、母と二人で懸命に生き抜いていくときに、何があったのか。何を見て、何を感じたのか。過去について、彼女は多くは語らない。しかし、65年間一度も帰らなかった故郷を「月よりも遠いところ」と言う彼女にとって、過去は年老いてますます重く胸に刻まれていたものではないかと思うのだ。それは時間が経ったから消えてしまうような生半可な記憶ではなかっただろうと思う。翻訳という自分の仕事に対する勤勉さについて問われたスヴェトラーナは、「負い目があるのよ」と答えていた。もちろん、それだけで語れてしまうほど簡単なことではないだろう。しかし、晩年になって、ドストエフスキーの新訳に全てを注ぎ込む彼女の記憶と思いを想像すると、粛然とするのだ。キエフの若い人たちに、「自分の心の声をよく聴くこと。もし、それがそのときの常識とかけ離れているとしても」(記憶だけで書いているので、原文そのままではありません。念のため。)と彼女は説いていた。それは、大きな波に飲み込まれようとするときに、自分の心にどんな羅針盤を持つかという意味ではないだろうか。その羅針盤を心に宿すための闘いが、彼女の残したいものなのかもしれない。だから、彼女は取り憑かれたように仕事をせずにはいられない。このドキュメントのさなかに、彼女は最愛の息子を失う。その悲しみも、過去の痛みも、愛情も、誇りも、全てを背負い、厳然と窓辺に座って言葉を選んでいく彼女の姿から、最後まで目が離せなかった。彼女の訳では、『罪と罰』は『罪と贖罪』というタイトルらしい。読んでみたいと心から思う。彼女は87歳で亡くなられたそうだが、きっと最後の最後まで仕事をされたことだろう。ドイツ語のドストエフスキーは一生読めないけれど、私も、「五頭の象」を、もう一度読み直してみたくなった。文学好き、特に外国文学好きな方にはおすすめの映画です。

 

光の井戸 伊津野雄二作品集 芸術新聞社 

あけましておめでとうございます。

2014年の年明けです。どうか穏やかな一年になりますようにと、ほんとうに祈るように思います。今日は地元の氏神さまに初詣に行ってきました。小さなお堂に手を合わせていると、この地に住んで一度も大きな天災に遭ったこともなく、ご近所の方達もいい方ばかりという幸運に恵まれているということに、遅ればせながら気がつきました。25年も住んで今頃気がつくんかいな、という感じですが(汗)こういう小さなことにしっかり心の碇を下ろしておくことが、今とても大切な気がします。

心の碇というと、最近ずっと手元に置いて見ている本があります。伊津野雄二さんの作品集『伊津野雄二作品集 光の井戸』です。手垢でこの美しい本を汚してしまいたくないんですが、つい手が伸びて、頁をめくってしまう。この作品たちから溢れてくる耳に聞こえない音楽に心を澄ませていると、心がしんと落ち着いてくるのです。静かな表情を浮かべて、ゆったりと姿を現す女神のような作品たちに見惚れます。伊津野さんは、美しい彫刻を作ろうとして、これらの作品をお造りになっているのではないと思うんです。海が少しずつ石を刻んでいくように。風が砂に模様を描くように。星がゆっくり軌跡をたどるように。生まれて死んで、命を重ねて紡いでいく時が生み出すかたちに近いもの。日々命の理(ことわり)に耳を澄ますものだけが生み出せる、かたちを超えたかたち。「うた」という、少女の頭部がまるく口を開けて歌っている作品があります。彼女(と言っていいのかどうか)の声は聞こえないんですが、きっとその歌は太古の昔から鳴り響いているに違いないと思う。崇高なんですが、人をひれ伏させる気高さではなく、木や土の暖かさに満ちた慈愛を湛えています。「光の井戸」という言葉が指し示すように、伊津野さんの作品に溢れている光は、天上から射してくるのではなく、私たちの足下にある大地から生まれているように思います。そのせいでしょうか。穏やかに微笑む女性の面影は、どこか懐かしく慕わしい。伊津野さんの作品を見ていると、魂の奥底が共鳴して震えます。その分、時にいろんな負の感情や打算や、大きな流れに押し流されがちになる私の上っ面がよく見えるのです。「美」ということについて、最近特にいろいろ考えているのですが、人間がなぜ「美」を探し続けるのか、それはやはり「美」が太古の昔から私たちを支えるものであり、唯一私たちに残されている可能性そのものだからではないかと思うのです。伊津野さんの作品には、その可能性が溢れています。

かく言う私は見事に俗人で、年賀状の印刷のことで夫と小競り合いはするは、耳が悪いのになかなか補聴器をつけない母に「危ないやんかいさ」と小言をいうは、仕事に行けば、何度も言ったことを間違える同僚に「ええ加減にしてえや」と腹立つは、「明日は特売日やから、牛乳買うのは今日はやめとこ」と10円20円をケチる、そりゃもう、吹けば飛ぶようにちっさな器の人間です。でも、伊津野先生(とうとう先生、と言ってしまった)の作品を見ていると、このちっぽけな私の奥底に、伊津野先生が命を削って形にしておられるものと響き合い、水脈を同じにするものがあることを感じられるのです。それを知覚し、心の碇として自分の芯に鎮ませておくこと。例えば、マイケル・サンデル教授が授業で受講者たちに突きつけるような、正義の名をつけた残酷な二者択一を迫られたときに、この永遠を感じさせる美しさを思い浮かべることができたら。私は少なくともその正義の胡散臭さを感じることは出来るだろうと思うんですよ。

「差異のみがめだつ現代ですが伏流として在る共通のゆたかな水脈に繋がるために、自らの足元を深く掘り下げることが望まれているのではないかと考えています」

これは、伊津野先生自身の後書きの文章の一節です。ちっぽけな自分という目に見える現実に流されないように。「足元を深く掘り下げる」営みとして、今年も本を読み、じっくりと考える一年にしたいと思っています。

皆様にとって実り多い一年になりますように。今年もよろしくお願いいたします。

[映画]ハンナ・アーレント マルガレーテ・フォン・トロッタ監督

特定秘密保護法案が強行採決された。なぜ、そんなに急いであの穴だらけの法案を通さなければならないのか。世論の反対を押し切っての強行採決に非常に不安を覚える。憲法改正の動きといい、中高年御用達の週刊誌が煽り立てている反中韓キャンペーンといい、ここ最近のきな臭さといったらどうだろう。昨年の自民党の圧勝から不安に思っていたのだが、一斉になだれを打って一つの方向になびいていくこの空気が恐ろしい。しかも、こんな風に考える自分はえらくマイノリティであるようなのだ。ずっとのしかかる重いものを抱えている中で、この映画の予告を見て、「これは見にいかねば」と思ったのだが、なんと梅田ガーデンシネマでは珍しい立ち見まで出る混雑ぶりに驚いた。岩波ホールでも連日満員だそうである。嬉しい驚きだった。もしかしたら、私のような不安を抱えている人間は、多数派とはいかぬまでもそこそこいるんじゃないか。どんな非難にも負けずに真実を主張したハンナの姿とともに、少し勇気づけられた午後だった。

ハンナ・アーレントはユダヤ人の高名な哲学家だ。戦時中はユダヤ人の青少年をパレスチナに移住させる仕事をしていた。フランスで国内収容所に収容され、何とか脱出したあとアメリカに亡命し、そこで『全体主義の起源』を書いて名声を獲得する。しかし、1960年にイスラエル軍が逮捕したアイヒマンの裁判を傍聴し、ニューヨーカー誌に連載した『イェルサレムのアイヒマン』が世論の猛反発にあう。何百万人ものユダヤ人を収容所に送り虐殺した稀代の極悪人として裁判にかけられたアイヒマンが、実は何も考えずに言われたまま任務を遂行しただけの凡庸な人間であったこと。そして、当時ナチスに協力したユダヤ人の指導者達がいたことを指摘したためであった。彼女はそのために長年の友人を失い、孤独の中に叩き込まれる。しかし、彼女は一歩も引くことがなかった。アイヒマンの凡庸さの中にこそ、思考停止という最大の悪が潜んでいると確信していたからだ。この映画は、アイヒマンが強制連行されるシーンから始まり、非難の嵐の中で孤独に戦うハンナの姿が描かれる。

思考停止と悪というテーマで思い出すのは、高村薫の『冷血』だ。ネットの掲示板で出会った男たちが、さしたる動機もなく歯科医の家族を惨殺する。徹底的な警察の検証をもってしても、そこには犯行に繋がる「なぜ」は見つからない。彼らは言う。「考えていたら、やってません」と。何とアイヒマンと似ていることか。彼らは思考停止の虚無の中に自分を放り込み、ただ身を任せただけなのだ。この映画ではアイヒマンは役者が演じておらず、実際の裁判での映像が使われている。話し方といい、その情けない風貌といい、「ああ、知ってるわ、こんな人・・・」と思うようなただのオジサンなんである。「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない、人間であることを拒絶したものなのです」 これは映画の中でハンナが学生に講義する一節だが、実際のアイヒマンの映像はその主張を見事に裏付けていた。

この思考停止が、当時のドイツの官僚たちだけではなく、ドイツに対抗するべき連合国側にもはびこっていたことは、エリ・ヴィーゼルが『死者の歌』の中で述べている。ナチス政権はユダヤ人における虐殺を一気に行ったわけではなく、段階を踏んで小出しにし、諸外国の反応を伺っていた。しかし、そのどの段階においてもさしたる反応は見られず、ナチス側はこれを「了承」と見なしていった。『サラの鍵』(タチアナ・ド ロネ)で当時ナチスに反目していたはずのフランスでもユダヤ人の強制収容が行われていたことが世界に知られるようになったが、つまるところユダヤ人たちは「傍観者の無関心」(『死者の歌』)の中で四面楚歌の状態だったのだ。この思考停止は、まさに何百万人という大虐殺を引き起こしたが、その中枢にいた人物がまさに平々凡々たる一市民であったことは、今、私たちが肝に銘じるべきことだと思う。中国を占領していた時代の日本人将校の回想を読んだことがあるが、彼らはアイヒマンと同じことを言っていた。曰く、自分たちは命令されてやっていただけなんだと。ただ真面目に任務を遂行しただけなんだと。「真面目」という美徳が、戦争において発揮されてしまうとそれは無制限のやりたい放題になってしまうのだ。思考停止という『冷血』は、特別な人の中にのみ存在するのではない。それは、人間という存在が常に抱える、誰もが孕んでいる最大の悪に繋がるものなのだ。

そう考えたとき、まるでザルのように政権に無制限な秘密保持の権限を与える法案を強行採決してしまう安倍政権は非常に危険な存在であると思わざるを得ない。政権を握る側が一方的に秘密を指定でき、それを国民が知ろうとするだけでも懲罰の対象になるという法律が、恣意的に運用されない保障など、どこにもない。彼を「支持する」と答える大多数の人々の支持理由は、アベノミクスという、株価の上昇と円安という経済的なものだと思われる。要は金だ。私には、彼らが「あんたらは株価だけ見ときなはれ。そのほかのことは、わしらが上手いことやっといたるさかい」と国民の耳と口をふさぎにかかっているとしか思えない。彼らがこの強行採決の影で何を考えているのか、もっと目を懲らしてしっかり見ていないと大変なことになるのではないだろうか。人間は誰一人として全知全能な存在ではない。だからこそ、細心の注意を払って、悪が生まれる可能性をつぶしておかねばならないのだ。ハンナはこの映画のラストで疲れ切って自宅の窓から町を見下ろす。パンフに早乙女愛氏も書いておられるが、そこには摩天楼の夜が広がっているのだ。夜の都会の風景は、今、どこの国もさして変わらない。ハンナを包む夜の孤独は、今、私たちの周りにも広がっている。この映画はそのままでいいのか、と見る者に強く語りかけているようだった。ハンナは「思考」とは「自分自身との静かな対話」だと言う。その行為に「書物を読む」という行為は深く関わっていると私は思う。子どもたちにどうやってその行為を手渡すのか。そのことについても、また深く考えさせられる映画だった。

[映画]もうひとりの息子 ロレーヌ・レヴィ監督

ある日いきなり、自分の子どもが「あなたの実子ではない」と告げられたら。 是枝監督もこの赤ちゃんの取り違えをテーマにして映画を撮っていましたが、この「もうひとりの息子」の設定はもっと過酷です。何しろ、赤ん坊は片方はイスラエル、片方はパレスチナという反目しあう国の間で取り違えられてしまったのだから。この映画は、思いもよらない状況に放り込まれてしまった二組の親子を描いた物語です。

イスラエルとヨルダン川西岸地区のパレスチナというと、かってのベルリンの壁よりも超えがたい壁が幾重にも重なっているように思います。現実として、そこには鉄条網が張り巡らされた分離壁がそびえ立っていて、映画の中で何度もクローズアップされて映し出されます。恥ずかしながら、私自身初めてこの映画でその分離壁を見たのですが、まるで「国」や「宗教」という大きな枠組みの超えがたさの象徴のように延々と、全く向こう側が見えないほどに高くそびえ立っているのに圧倒されました。しかし、この映画は、その何とも如何しがたい壁を超えようとする物語なのです。

この映画は、二組の親子がいきなり我が子の出生の秘密を告げられるところから始まるのです、その受け止め方が母親と父親では全く違うのが印象的です。同じ部屋に集められ、初めてお互いの顔合わせをしたとき、父親同士はまるで縄張りで出会った犬のように牙を剥きあうのだけれど、母親はただ見つめ合っただけで、お互いの胸にある辛さと苦しみを認め合うのです。ひたすら抱いて、ご飯を食べさせて、病気のときは胸もつぶれんばかりに心配して看病して。たとえ宗教がなんであろうと、どんな言語を話そうと、その母としての営みや赤ん坊を一人前にするときの苦労や喜びのあり方は同じなんですよね。お互いの瞳の中に苦しみを認めあったとき、苦しみがその愛情から生まれているものだということが理屈ではなく伝わってしまう。その共感が、同じように自分の胸にも伝わってくるのがわかりました。

2011年にノーベル平和賞を貰ったリーマ・ボウイーさんの自伝を読んだとき、男たちがいつまで経っても出来なかった停戦を、女たちが短期間に実現させてしまったことが書かれていたのを思い出します。イスラエル人として生きてきたヨセフは、ユダヤ教のラビにユダヤ人としての自分を否定されてしまう。そして、パレスチナ人として生きてきたヤシンは、分身のように仲が良かった兄に、いきなり敵視されてしまう。お互いのアイデンティティが揺らぐ日々の中で、ただひたすら手を差し伸べる母親がいるということが、二人の息子を支えていくんですね。そして、若者の心にお互いに対する共感と、一歩を踏み出そうとする勇気が芽生えます。

国家とか宗教とか。絶対に超え難いと思うものを、ただ一人の人間として向き合ったもの同士だけが超えていく。基本はここだな、と。人間は時代や国家との関わりから絶対的に逃げられない存在です。でも、物語は「個」を徹底的に描ききることでその縛りを唯一超えられるのではないのか。そこに、おとぎ話ではない希望が見いだせないか。脚本だけに3年かけ、国籍を超えて様々な国のスタッフとキャストをそろえてこの映画を撮影した監督の心にある願いが、非常に胸を打つ映画でした。

八島ヶ原湿原 8月のフルムーンミーティング 月の雫

八島ヶ原湿原は、霧ヶ峰の北西部にあります。ここのフルムーンミーティングのHPを見つけたのは、本当に偶然だったのですが。「これは、是非行かねば!」と野生の勘が働いた自分を褒めてやりたいほど素晴らしい経験になりました。

この日は朝から曇りがちのお天気で、予報では夜は雨だったんです。集合の7時30分の時点では、空は分厚い雲に覆われていました。しかし、案内して下さるビジターセンターのスタッフの方によると、満月の夜は曇っていても懐中電灯がいらないくらい明るいとか。半信半疑で出発しましたが、何にも人工的な灯りのない湿原に目が慣れてくると、すべてが仄明るく浮かび上がって見えてくるのがわかります。湿原には人間が勝手に踏み込まないために木道が作ってあるのですが、それがくっきりと見えてきます。木のシルエット。前を歩く人の靴。池の水が月を反射して白く見える。様々な白と黒のコントラストの中を歩いていると、自分が徐々に夜行性の動物になったように感覚が研ぎ澄まされていくのがわかります。

フルムーンミーティングは静寂が御馳走です。ガイドの方も必要最小限の話声だけで、なおかつあちこちでただ静かに佇む時間を設けてくださいます。湿原の真ん中で、木道を枕に寝そべると、雲の切れ間から夏の大三角の星々が煌めいていました。風の音が聞こえ、遠くの空には雷が時折光っています。たくさんの虫の声・・・。夜の湿原という非日常の中に自分がいるということが不思議で、でもこの上なく安らかな気持ちなのです。またしばらく歩いたあと、木道の途中で設けてあるベンチで、小さな小さな灯りを点けてお茶会。熱いハーブティーとクッキーを頂きました。なんだか絵本の中に迷い込んだ気持ち。ノルシュテインの『きりのなかのはりねずみ』くんがこぐまくんとしたお茶会は、こんな感じだったのかも。そう思った途端、雲が切れて満月が顔を出しました。

その月の、何と眩しかったこと!闇に慣れた目には、まさに銀の雫が降り注ぐような明るさでした。木道に、月の影がくっきりと落ちます。木の葉の間からきらきらと光がこぼれて溢れます。その光を全身に浴びる至福。月明かりに包まれることが、こんなにも幸せなことだなんて、初めて知りました。思い出したのは、月灯りを浴びて霊力を蓄える河童の八寸。朽木祥さんの『かたはれ』に出てくる愛しい小さな河童です。(『かはたれ』には鎌倉の美しい風景がたくさん出てくるのです。満月の夜に浅沼を旅立つシーンも忘れ難いです。ぜひ読んで頂きたい)銀の雫、というほどの月明かりを体感できた喜びに魂が震えるような時間でした。

そして、夢のような二時間ばかりが過ぎ、出発点の広場に戻ってきた私たちが月に別れを告げて、ビジターセンターへのトンネルをくぐろうとした瞬間、煌々と輝いていた月は、再び厚い雲の中に隠れてしまいました。まるで私たちとタイミングを合わせてくれたように現れて、姿を隠したフルムーンの役者ぶりにすっかりやられた夜でした。

この月は、宿に帰ってから深夜に窓から撮影したもの。フルムーンツアー中は撮影禁止です。

翌日、今度は夜明け前から起き出して、早朝の八島ヶ原湿原に向かいました。

これは朝日を浴びる八島ヶ池。夜明けの湿原は、神々しいほど美しかった・・・。

 

これがお茶会をした場所です。花たちも、とても可憐でした。

 一緒にツアーに参加した親子さんは、年に何度もこの湿原を訪れているらしいです。気持ちがわかります。今度は春の初めか秋に訪れてみたい。一日中ここを散歩していたいくらい美しいところでした。

・・・と、浮世離れした想い出に浸っていたら、どこやらの教育委員会が『はだしのゲン』に閲覧制限をかけたという話が聞こえてきました。非常にきな臭い話です。残酷な表現があるから、ということらしいですが。戦争というものが如何に残酷で、このような美しい風景をいとも簡単に踏みにじるものなのか、ということを教えるのが教育というものでしょう。闇を見つめる目を培うことなしに、美しいものを感じる心は育たない。人というものは、どんなに美しくにも、残酷にもなれる生き物なのです。その現実を歴史を通じてしっかり見つめることの大切さを、私たちは何度も思い知らされてきたのではなかったのか。教育に携わる人間がしっかりとした理念を持っていれば、一部の的外れの抗議に対して毅然とした態度をとることが出来るはずなのに。民族や国という縛りは、時に本質的なことを見誤らせます。『はだしのゲン』は人間が行う最大の暴力にさらされたときの記憶を子どもたちに伝えようとした真摯な営みであったと思うのです。

―と、すっかり話がそれてしまいました(汗)私が願うのは、こういう美しい風景が踏みにじられないこと。美しさを感じる心が殺されるような時代にならないこと。今も、あの湿原では霧と月が静かな時を刻んでいる。そう思うだけで幸せになれます。また、いつか行けますように。