月白青船山 朽木祥 岩波書店

この物語のプロローグをもう何度読み返したことだろう。追っ手の気配を感じながら闇の中で笛に隠された瑠璃を塚に埋める若者。若者を導くような、妖しく光る白猫。この幻想的かつ、若者の血と汗の匂いまで感じるほどの緊迫した空気に肌が総毛立つような気さえする。ここから、引きずり込まれるままに物語にのめり込んでいく気持ちよさは唯一無二だ。物語は一旦夢から醒めたように現代へと移り、兵吾と主税という古風な名前を持つ兄弟が登場する。ある事情で夏休みの間東京を離れ、父の生まれた古い家に滞在することになった二人は、近所に住む靜音という少女と犬のダンと共に、不思議な場所と現実を行き来する一夏を過ごすことになる。

鎌倉には、八〇〇年近く前からの落ち武者の道である切り通しがそのまま残っているという。三人と一匹は、その切り通しから、時が止まったまま流れない村に迷い込む。その村の桜はつぼみのまま咲くこともなく、人々は闇に食い尽くされそうになりながら恐れと不安の日々を繰り返している。三人と一匹は、村人に失われた瑠璃を取り戻してほしいと頼まれるのだ。現代に帰ってきた彼らは、「星月谷」「大姫」「瑠璃」という言葉を道標に、鎌倉に秘められた悲しい伝説に迫っていく。歴史という地層が積み重なっている鎌倉という土地の魅力、小さな手がかりから謎を解き明かしていく探偵の謎解きのような面白さ。吾妻鏡をベースにした古典世界に触れる典雅な趣。あちこちにちりばめられている、次の本への扉。開けても開けてもきりが無い玉手箱のような作品世界の深みにため息が出る。これだけの複雑な構成をするりと読ませる手腕はさすがとしか言いようがないが、何より心打たれるのは、子どもたちが歴史や時間の壁を越えて、悲しみや痛みに閉じ込められた過去の魂を解放していくところだ。

この物語には幾つかの時代の深い悲しみが、夜空を貫く天の川のように流れている。いや、流れているならば良かったのだ。理不尽にもぎ取られ、踏みにじられたまま置き去りにされた悲しみ。その過ちを解放するのは、「不思議なできごとを苦もなく信じられる」子どもの力だ。その力は物語の力そのものでもあるし、大人の心に秘められた子どもの心を取り戻すことでもある。時間が止まった村の人々の願いを叶えたいという子どもたちの行動が、現在を生きる大人の心もまた動かしていく。ミッションを果たした子どもたちが見た鮮やかな風景は、その力の具現化したものなのかもしれない。「歴史とは過去と現在の対話である」とE・H・カーは述べている。まるで自分と関係なさそうな歴史の出来事が、実は現在と地続きの場所で繋がっていることを子どもたちは実感する。鎌倉という歴史と深く結びついた土地で、過去との対話を通して開いた心の扉は、未来を開く扉でもあるはずだ。物語への旅は、すぐに現実を変えるものではない。しかし、この旅で子どもたちと読み手の心には、先の見えない未来へ進むときの方向感覚のようなものが宿るのではないだろうか。いつか、この物語を手に鎌倉を旅してみたい。靜音や兵吾や主税とともに、輝く星空を眺めてみたい。

2019年5月 岩波書店

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