ゾウと旅した戦争の冬 マイケル・モーパーゴ 杉田七恵訳 徳間書店

ゾウがとっても可愛いです。戦争という、人間の最も醜い愚行の中で、一頭の子ゾウの姿だけが生き物としてのまっとうさに輝いているのです。空襲の中を子ゾウと旅するというのは、本来なら非現実なことなんですが、戦争がその非現実をひっくり返します。支え合い、いたわり合うということを思い出させてくれる穏やかな、優しい命。戦争のお話なのに、読み終わったあと、生きる喜びがじんわりと心を包んできます。マイケル・モーパーゴならではの不思議な輝きを放つ物語です。

第二次世界大戦の末期、空襲が始まったドレスデンの町から、一組の家族が子ゾウと共に逃げだします。16歳のリジーと、9歳の弟のカーリ、そして母のムティ。飼育員をしていたムティが動物園から連れ帰ってきた子ゾウのマレーネは、人懐っこくて可愛い子。マレーネがいるところには、いつも安らぎが生まれます。空襲の夜、命からがら逃げ、動物園から聞こえる悲鳴を聞きながらたちすくむ三人を、マレーネがそっと鼻で包むシーンがあります。人間の勝手な都合に何の罪もない動物たちを巻き込んでしまったこと。町が焼き尽くされていく悲しみと怒り。地獄絵図のような状況の中で、ただ自分たちを信頼して温もりを伝えてくるマレーネ。その対比が鮮やかで忘れられない情景です。

傷つけ合う愚かさと、心を繋ぐ素晴らしい力と、どちらもが人間であり、生きていく上で多かれ少なかれ誰もが身のうちに抱える両面です。作者はその両面を戦争という極限の中で見事に描いていきます。命を繋ぐぎりぎりの場所で、怒りや悲しみに胸を焦がしながら、家族がいつも「愛」に軸足を置いて歩こうとする。その先頭にゾウのマレーネがいることが、私にはとても象徴的なことに思えるのです。ありとあらゆる手段でお互いを差別化しようとしてしまう人間が陥る最大の過ちが戦争。その過ちをどう乗り越えるかを、種という垣根を超えて心を繋ぐマレーネが教えてくれているようだと思うのです。そして、その力は子ども達の中にも溢れています。たどり着いた叔父さんの農場で出会った敵国人であるカナダ人の兵隊であるピーターに、リジーはあっという間に恋をして、カーリはなついてしまうのです。兵隊という顔の見えない存在から、名前と顔のあるひとりの人間として出会ったとき、いろんな壁が消えてしまう。子どもの持つ、壁を超えてゆく力の鮮やかさが、この物語の中で希望として輝いています。

大人はなかなかそうはいきません。戦争に反対で、日頃ドイツ政府を批判していた母が、一番ピーターに抵抗感が強いのも、これまたよくわかるところです。しかし、この物語にはもうひとつの輝きが描かれています。傷ついた人たちを助け、敵国人であるペーターと共にいるリジー達家族を救ってくれた公爵夫人の知性の輝きです。避難民を受け入れ、自らの信念を貫く勇気は、きっと長い時間をかけて磨き上げられた教養と知性に支えられている。その美しさに、リジー達は救われるのです。壁を超えていく子どものしなやかな心と、磨き上げられた大人の知性。その両方に敬意を払う作者の願いが伝わってきます。

リジーとペーターがその後、どんな人生を送ったか。子ゾウのマレーネが戦争のあとどうなったのか。それは、ネタばれになるので書きませんが。老婦人の回想として少年に語られるこの物語が、かけがえのない子どもたちへの贈り物であることは間違いがありません。表紙も装丁も素敵で、ほんとに読んで良かったなと思わせられる1冊でした。

2013年12月刊行

徳間書店

 

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