村岡花子と赤毛のアンの世界 生誕120周年永久保存版 河出書房新社

今日、初めて梅田のグランフロントに行ってきました。目的は、本を大好きなもの同士のおしゃべりです。デイヴィッド・アーモンド氏の講演会に行った折に、本当に偶然に知り合った若いお友達と、マニアックな本の話をしに行ったのでした。好きな本が重なる、というのはこんなに楽しいものかという勢いで喋りに喋り、気が付いたら夕方。本人たちの感覚では、つい1時間くらいしゃべったかな、くらいの感覚でびっくりしたのでした。本を読むというのはとても個人的な行為なのですが、思い入れのある本のことを同士とあれこれお喋りするのは、本当に楽しいことです。一つの本について、複数の目が持てる。自分が気付かない良さを発見する、話しあうことで深いところまで分かり合えたりする。そんな喜びは、本読みの大きな幸せです。この本のようなマニアックな特集本を読む楽しみも、そこにあります。村岡花子さんと赤毛のアンを大好きな人たちが集まって、自分の想いを語る楽しみ。今まで知らなかったことを教えてもらえる楽しみ。そして、これまで以上に、またその本が好きになれる幸せ。たくさんの喜びがぎゅっと詰まっています。

村岡花子さんについては、以前『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』を読んだことがあります。その時にも思ったのですが、こうして様々な論考やご自身のエッセイなどを読むと、モンゴメリという作家と村岡さんが出会った必然性というか、深い縁に驚きます。ポール・オースターと柴田元幸氏、フランクルの『夜と霧』と霜山徳爾氏、という風に、深く結びついて切り離せない名訳というのがありますが、それはただ文章を訳するという作業以上のものがあるような気がします。明治という時代に、特権階級でない女性が学問を修め、家庭を持ち、幼子を亡くし、戦争を乗り越えて生き抜いていく中で、モンゴメリの物語と魂が結びついていったのではないか、この本の様々な資料を読みがなら、その感はより強くなりました。そして、この本はまた新しい驚きもくれました。モンゴメリが亡くなった当日に出版社に届けられた原稿があったこと。それが最後の赤毛のアンシリーズとしてカナダで出版されたのが2009年であること。そして、その日本語訳が村岡美枝さんの訳で去年出版されていること!慌ててアマゾンでポチりました。アンの後日談ではなく、アンの周りにいた人たちの物語で、これまでよりもダークな、人間の影の部分に焦点を当てた物語が多いとのこと。(まだ全然読めていません)そして、モンゴメリが、最後は自分で命を断ってしまったことも、この本で初めて知りました。彼女は実生活でいろいろな苦しみを抱えていたんですよね。そのことはある程度は知っていたのですが。小説家として成功しながら、晩年を迎えて自殺しなければならなかったその苦しみを、この年齢になって考えると胸がしんとします。そのことも含めて、最後の小説が現れたことで、ここから新しい検証と論考が始まっていくのでしょう。それは、戦争や家庭、女性の生き方という「今」の困難と響き合うのものなのではないか。そんな予感もします。

『赤毛のアン』を、私は何度読み返したことか。アンのような友だちが欲しいと願った幼い頃から、このシリーズは理屈抜きの私の腹心の友でした。アン・シャーリーや『小公女』のセーラ、そしてアンネ・フランクが、ある意味、現実の友だちよりも大切な存在だった時もあります。その自分の強い思い入れが何故だったのか。私は今でも折に触れ考えることがあるのです。この本のような多角的な資料を集めた特集本は、その自分の心のへの道しるべとなるのです。一応図書館で予約して読んでみましたが、やはりこれはポチっと購入決定です。これまた大好きな梨木香歩さんと熊井明子さんの対談が載っているのにも興奮しました。河出書房新社さん、ありがとう。そして、今気付いたんですが、同じく河出書房新社から『図説赤毛のアン』という本も出てるんですね。これも読まねば。

 

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