第二次大戦中、アメリカ西海岸に住むすべての日本人と日系アメリカ人が強制収容所に収容され、「敵対外国人」として暮らさなければならなかったことを、当時収容所の写真を撮影した3人の写真家たちの写真を中心に、「日系人たちになにが起こったのか」を伝えた本。
ある属性を有している人々を、「強制収容」するということが、どういうことなのかを、この本は非常に的確に、詳しく教えてくれる。収容所に向かう日系人の一家が、小さな子どもまで荷札のようなものを付けられ、こちらを見つめている。荷札は識別タグで、そこには番号が書かれている。人間を番号で管理しようとする、ナチスの強制収容所と同じやり方だ。強制収容の告示のなかの「ペットの同行は一切認めない」という一文にも凍り付いた。小さな家族の一員を置いていかねばならないということ。それは子どもたちにどんな苦しみと悲しみを残したのだろう。想像すると胸が痛くなる。
挿絵も印象的だが、やはり三人の写真家たちの手によって撮影された写真たちが、違う角度から日系人たちの表情を切り取っていて、興味深い。同じ日系人の宮武東洋が同胞として撮影した写真たちは、写す側と移される側の距離感がほとんどなくて、表情が豊かだ。それに対して3人目の写真家、アンセル・アダムズの撮影した日系人たちは、皆笑顔、笑顔だ。「忠誠を誓うこと、善良な市民であること、真面目で働き者であること」をアピールする必要があったからだ。この笑顔は、収容所から解放されたあとも、「モデル・マイノリティ」として、日系人の人々を縛ったという。この「モデル・マイノリティ(マイノリティの手本)」という言葉は、「マイノリティ(少数派)でありながら、社会的に平均よりも成功しているグループ」を指す言葉で、アメリカにいるアジア系の人に対して、よく使われるそうだ。アジア系だからといって、皆が皆働き者で、従順なわけはないのだが、そうあらねばならないという呪縛がずっとアジア系の人たちにはかかっている。つまり、「白人の眼鏡にかなう者」としてふるまうことを求められているということで、これもまた差別の現れであるということ。なるほどと深く納得した。そして、「忠誠を誓うこと、善良な市民であること、真面目で働き者であること」という三つの価値観は、アメリカ社会のみならず、今の日本の社会の中でも、同調圧力として存在するのではないかと思う。では、私たちは誰の眼鏡にかなうために、そうふるまっているのだろう?
そして、この強制収容という極悪非道なことが、同じく第二次大戦中に日本国内においても行われていたということを、忘れてはいけないと思う。中国や朝鮮の人々を強制連行して労働させていたところがたくさんあったのだ。アメリカ政府は、日系人の強制収容に対して公的な謝罪の文書に署名し、賠償金を支払った。しかし日本は、きちんと過去に向き合うことすら出来ていない。そして、今、私たちが生きている日本のなかにも、外国人を強制収容している場所があり、人権を踏みにじる行為が行われている。そのことも合わせて考えてみる助けにもなる本だと思う。数日前に我が国でも可決した、障害を持つ人や、認知症の人などが使うことが難しいことを無視して、マイナンバーカードを国民皆保険と結びつける強引な法案のこと。人権や生存権を踏みにじる行為があからさまに行われているにもかかわらず、それを無視して、改悪とも言われる入管法を、成立させようとしていること。これもまた、数の力による暴力なのではないかと思う。この本に書かれていることは過去のことではなく、すべて「今」と繋がっていることなのだ。