【映画】天のしずく 辰巳芳子“いのちのスープ”

私は毎日料理をする。1年が365日あれば、360日ぐらいは欠かさず家族5人のためにご飯を作る。私ぐらいの年齢になれば、まわりの友人たちはそろそろご飯作りから解放されている人も多い。子どもたちは家に帰ってこなくなり、夫も仕事仕事で帰りが遅い。「たった一人の夕食だと何を作るのも面倒で、買ってすませてしまうんよ」などと聞くと、正直うらやましく思ったりもする。でも、この映画を見て、辰巳芳子さんが作る「天のしずく」である命のスープに込められた愛情に、自分の適当さや、「こんなもんで大丈夫」という奢りの心を思い知らされてしまったのである。「食」は人間の一番根源的な愛情の姿であること。そして、この国の食べ物を守る、「食」を守ることが、私たちの次の世代のために絶対に必要なことであることを、心込めて教えてもらった。凛と立つ辰巳さんが、その手から生み出す料理は、まさに慈愛そのものなのだ。

辰巳さんの「食」は、家族と生きてこられた歴史。戦中戦後と苦しい時代を、心込めた料理で支えたお母様との毎日が、辰巳さんの中にそのまま生きている。そして、病気で倒れたお父様のために作られたのが、命のスープ。それを作る辰巳さんの手の動きの美しいこと。そう、全てが美しいのだ。辰巳さんの使う食材を生みだす農家の人たちの面差し。広がる土の風景。田んぼに実る黄金色の稲穂。何て日本の風景は美しいのかと涙が出そうになる。その美しさを全て集めて、辰巳さんの端正な手が命のしずくを生みだす。そのスープを飲む人の、顔がとても印象的だった。保育園の子どもたちは満ち足りて寝てしまう。病んでいる人が「おいしい」と顔を緩める。私は、人に「美しい」と思わせるような料理を作ることが出来ているだろうか。辰巳さんのお母様は人生の最後に「ああ、美し。一点一画のくるいもない」と思わせる献立を並べて辰巳さんに食べさせた。何となく食べられるから、くらいのものを毎日作って「めんどくさい」とはよく言えたものだなと、自分のぼんやり加減にため息が出た。

この映画の中で、心に残った手がもう一つある。それは、長島愛生園で人生を過ごしてこられた宮崎かづゑさんの手だ。若い頃の病でその手は指がない。でも、かづゑさんはその手で愛する親友のために、辰巳さんのスープを作って届けておられたのである。辰巳さんはそのスープを飲んで「やさしい味ね」とため息をついた。私はそのシーンを見ながら、父の臨終のときのことを思い出していた。父が倒れたとき、あともう少ししか命がないとわかったとき。私はなぜ、病室で右往左往しか出来なかったのだろう。なぜ、父の好きだったお味噌汁を作って飲ませなかったのだろう。そう思って涙が止まらなくなってしまった。私は、そんな風に人に愛情を与える生き方をしてこなかったんだなあと心がひりひりした。そのかづゑさんが言う。「人間は生きているべきですね」「ここまで生きてこなくちゃわからなかった、ということがあるんです」とおっしゃっていた。そう・・本当に、年齢を重ねなければわからないことがある。それも、丁寧に生きていなければわからないことが。

今、日本人の価値観は揺らいでいる。大きな波にのまれそうになって消えてしまいそうなものがたくさんある。富とは何か。豊かに生きるということは何か。この美しい日本に生まれて、こんなに豊かな食の慈しみを受けられること。この恵みを決して無くしてはいけないし、それを無くしてしまったら、心の未来は無いのだということ。土は絶対に汚してはいけない。土は、命そのものだから。その基本を見据えたら、自ずと私たちの方向は定まるように思う。私達は日本人だから、この日本で、顔の見える人たちの作るものを慈しんで食べて生きるべきなのだ。それは、ほんとうに当たり前のこと。そして、大切なこと。でも、その大切なことは、今切り捨てられようとしている。ここで声を上げなければならないという辰巳さんとスタッフさんたちの切なる想いが、まっすぐ伝わる映画だった。このところ、漠然と心にあって形にならなかったことが、すーっと心の中で繋がったような気がする。心から見て良かったと思う。

この映画は、今公開中です。パンフレットにはレシピもついてます。一人でも多くの人がこの映画を見てくれますように・・・。

by ERI

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">