嵐にいななく L・S・マシューズ 三辺律子訳 小学館

この物語、冒頭からとてもドキドキします。嵐の夜、お母さんと二人きりで暮らすジャックの家を洪水が襲います。あっという間にあがってくる水の中、ボートで漂う二人・・。思わず3.11を思い出してしまうのですが、その後の展開は津波の話ではありません。でも、この不気味に襲ってくる水のような不安は、この物語の中にずっと漂うことになります。上手いなあ・・・と引きずり込まれるうちに、この物語が近未来のような複雑な設定になっていることに気付くのです。ひたひたと迫る暗い水のような時代の不安。その中で少年が自分の手で掴む、信頼という黄金がきらきらと泥の中から現れる。その鮮やかさに思わず涙してしまう物語でした。

村を襲った洪水から逃れ、新しい町に引っ越ししたジャック。そこで彼は、一匹の傷ついた馬・バンに出会う。バンは、人間とトラブルを起こしたせいで、もうすぐ殺されてしまうという。思わずバンを飼うことにしたジャックだが、動物をペットとして飼うことは許されていない。馬なら、運送に使うという目的でしか飼育できないのだ。一度も馬と過ごしたことがないジャック。でも、両親と隣に住むマイケルの力を借りて、何とかバンに荷を引かせる訓練を始める・・・。

主人公のジャックは、あまり自分に自信を持てていない男の子なのです。度重なる父親の転勤で、まとまって学校に通えず、読み書きが遅れがち。しかも引っ込み思案な彼は、友だちも作りにくい。読みながら、私は、そんなジャックの不安が、そのまま自分の中の不安と繋がっていくのを感じていました。ジャックの生きる世界は、私たちの社会の不安が、そのまま膨れ上がっているような世界なのです。先進技術がありながら、エネルギーが足りない。動物も自由に飼えない。戦争が絶え間なく続き、気候も不順で雨季と乾季を繰り返す。そして、どうやら教育もお金の有無で格差が広がっているらしい。いろんなことを考えれば考えるほど、まるで窒息しそうな息苦しい世界。でも、ジャックは引っ越してきた町で、バンに出会ったのです。躍動する命、温かい体とまっすぐな眼差しを持った美しい馬が、ジャックの内に眠っている力を呼び覚ましていくのです。その毎日の手ごたえが、とても瑞々しく描かれます。「ぼくはこうやってここに、馬といることで、とても満たされた気持ちになる」というジャックの気持ちが、私はとてもよくわかります。嘘偽りなく生きている動物がくれる愛情と信頼ほど、胸にまっすぐ沁み込むものはないですから。バンのいななきが、温かい体が、ジャックの視界に一筋の光を連れてくるのが見えるようでした。

そして、もう一つ大切なのが、隣に住むマイケルとの関係です。このマイケルの描き方がねえ、それはもう上手いというか、何というか。この物語は、ジャックの視点からの部分と、マイケルが日記として書いた部分とが交錯して進みます。マイケルはジャックに自分の日記を書き写すことを勧めて読み書きの手ほどきをするのです。読み手は、ジャックとともに、マイケルの日記から、彼の人となりを想像しながら読み進めていくのですが、いい意味で、その想像を最後の最後で裏切られることになるのです。このどんでん返しが、何とも鮮やかで、「やられた」と思いながら涙が溢れて、もう一度この物語を初めから読み返したくなること請け合いです。マイケルがジャックに与える優しさと希望が、読み返すたびに胸に沁み込んでいくのです。

作者のマシューズさんは、読み手の想像力を刺激することに長けた方です。以前読んだ『フイッシュ』も、とても不思議な味わいの物語でした。読み手の視点によって、プリズムのように様々に色を変えるような、そんなお話なのです。この物語も、そんな仕掛けがいっぱいです。ジャックの世界は、どうしてこんな風になってしまったのだろう?犬や猫が全く出てこないけれど、ペットが許されない時代で、彼らはどうしているのか。・・・そんなことを考えてしまう。ジャックの世界も、私たちの世界も、簡単に答えの出るようなことばかりではありません。簡単に見せかけていることほど、裏にややこしい、どす黒いものを秘めていたりする。情報が溢れるほど押し寄せるこの時代に、子どもたちは一人でこぎ出していかねばならないのです。その中で生き抜く、お仕着せではない知性、本当の知恵とは何かを、この物語は考えさせます。そして、どんな時代であっても、自分の手で繋ぐ信頼こそが、人の背中を押してくれるということを教えてくれるのです。彼らの信頼という黄金は、バンを、ジャックを、マイケルを、嵐になぎ倒されてしまいそうになった村の人たちも救っていくのです。訳された三辺さんもおっしゃっていますが、この最後の驚きを、ジャックとバンとマイケルが成し遂げた奇跡を、どうか味わってみて頂きたいと思います。

2013年3月刊行

小学館