いっしょにアんべ! 高森美由紀作 ミロコマチコ絵 フレーベル館

人々の暮らしと共に歩いてきた言葉が持つ力というものは誠に大きいなと思う。タイトルは東北の方言で「いっしょに行こう!」という意味だ。しかし、「アんべ!」という言葉には、もっと深い温もりや、お互いの荷物を持ち合うような共生の気持ちが含まれているように思う。まあ、お互いあんまり器用には生きられないけれど、一緒にいこか(大阪弁で解説して申し訳ない)という気持ち。この物語には、縁があって寄り添う男の子のストレートな思いが溢れている。踏まれても折られても、何とか伸びようとする若芽のような子どもの力が、朝日のように輝く素敵な物語だ。

主人公は、柿の木から落ちて足を骨折してから、クラスメイトたちと距離が出来てしまい、ひとりの日々を過ごしている5年生の男の子ノボル。そして、彼の家に里子としてやってくる、3.11の震災で親を亡くした有田といういがぐり頭の少年だ。この二人の距離感がとても面白い。有田はマイペースで、いつも首からカメラをさげ、目に付くものを片端から撮りまくっている。何かにつけその調子で、長年ひとりっきりで人との距離感に敏感になっているノボルにぐいぐい近寄ってくる。ノボルも最初は引き気味なのだが、有田のどこかひょうきんで憎めない性格に少しずつ惹かれていく。震災は有田の心に深い傷を残している。水が怖くて一人で風呂に入れないし、首から提げているカメラは、独りぼっちになってしまった避難所で被災した夫婦がくれたもので、片時も手離すことが出来ない。学校に行っても昔自分が飼っていた犬に似ている近所の犬を、追いかけ回してしまう。

この有田という少年が持っている悲しみと痛みが、ノボルの目を通して読み手に強い実感をもって伝わってくる。彼がなぜ、目に映るすべてのものをカメラに撮りたがるのか。それは、彼が常に「末期の目」でこの世の中を見ているからに違いない。彼はあの日に生と死の境目に立ち、家族も友達も目の前で亡くしてしまった。それまでの日常を無くしてしまった彼には、窓に映る水滴一つもかけがえのない「今」の瞬間なのだ。少しの揺れにも恐怖が蘇り、愛犬のチョコを、流されていく父や母を助けられなかった苦しみはいつも胸にある。大人はそんな彼を傷つけまいと、少し遠巻きにして彼を見ているのだが、ノボルはそんな有田に振り回されながらも、子ども同士のまっすぐさで、彼にぶつかっていく。ケンカもする。文句も言う。でも、ずっと一人で過ごしてきたノボルは、いきなりひとりっきりになってしまった有田の心の痛み、苦しみを理屈ではなく感じる心根を持っているのだ。有田にどんな声をかければいいのかと聞いたときに、ノボルの父ちゃんが言う。「ただ、そういうことがケイタくんの身に起きた、ということを知っていればいい、心にもないなぐさめやとってつけたようなはげましはするな。・・・ただ事実を覚えておきなさい」という。その言葉のとおりに、ただ一緒にいようとするノボル。そして、有田もノボルの過ごしてきた日々の寂しさに気がつく。そんな二人に巻き起こるいろんな事件が、小さなつむじ風のように心に風穴を開けていく。それがとても心地よく胸に沁みた。

物語の最後、犬のダイゴロウを連れた二人が新雪の上を走り回って朝日に叫ぶ姿が忘れられない。声が枯れるまで父母と愛犬の名前を呼び続ける有田の声を、じっと聴くノボル。

「有田の深い傷と、痛みをオレもいっしょになって浴び続けた」

ここから、また生きることが始まるのだ。ひとりではなく、一緒に。「いっしょにアんべ!」という言葉の美しさに込められた作者の思い。たくさんの人に読んで欲しい一冊だ。

2014年2月刊行