天山の巫女ソニン 江南外伝 海竜の子 菅野雪虫 講談社

大好きなこのシリーズの外伝を読めるのはとっても嬉しい。しかも主人公は男前の花王子、クワンです。彼が華やかな見かけの中に抱えているものが深く掘り下げられていて、ファンにはとても嬉しい一冊です。「人の90%は目に見えない。 人間というものはもっと見えているつもりなのかもしれないけれど、 10%しか見えていないの。」この物語を読みながら、今月の19日に亡くなったカニグズバーグの「ムーンレディの記憶」の一節を思い出しました。

巨山の王女であるイェラの外伝を読んだ時にも思ったのですが、王子や王女に生まれるということは、大きな渦の中に生まれ落ちるようなものなんですよね。権力とか富とか、欲望とか思惑とか、ありとあらゆるものに翻弄される。クワンは、自分の出自も知らないまま、実力者の叔父に守られた少年時代を過ごします。しかし、故郷の湾が毒で汚染されてしまった事件をきっかけに、叔父も母も、故郷も失って、妹と二人きりで放り出されてしまうことになってしまうのです。あまり深くものごとを考えない性質だったクワンには、それが何故だか初めは全くわからない。しかし、慣れない宮廷で苦労し、王妃の命で危険な任務にかり出されているうちに、少しずつ霧が晴れるようにいろんなことが見えてくるのです。叔父が自分を湾の外に出さなかったこと。あまりにも不自然な事件の起こり方と、湾を封鎖するという後処理の厳しさ。その裏に何があるのか。でも、見えたところで、クワンには何も出来ないという現実が襲いかかります。あまりにも大きく複雑に絡み合う権力に、まだ若いクワンとセオは屈服せざるを得ないのです。この物語の中でクワンのたどる苦すぎる道のりは、読み手が生きている「今」を物語の光で照らしだしてくれる力があります。読みながら、私もいろんなことを考えました。

私たちは、王子でも王女でもないけれど、時代や生まれた国の事情に深く織り込まれている存在であることは同じです。その混沌とした営みの中に生きていくことは、いつの時代も簡単なことではありません。いきなり生まれ故郷が封鎖され、放り出されてしまう・・・そのクワンたちの姿は、そのまま明日私たちの身の上にふりかかることかもしれない。あの震災で起こった原発事故も、単なる不幸な事故ではなく―その裏には巨大企業の利権や、危機管理の甘さ、原発推進に励んできた国の政策や、もっとたどれば原爆投下のアメリカの思惑と、複雑な歴史と国の在り方の果てに起こったことです。でも、私も含めて、日本人は、深くその危険を考えることもしなかった。しかも、その危険が露呈してしまった今でも、この国の舵は、また原発推進に大きく切られようとしています。その裏に何があるのか。私たちは、見据えなければならない。クワンとセオが絶望の中から再び歩き出したように。

菅野さんの物語は、いつも自分の目で観察し、目に見えないものを見据えて自分の頭で考えていくことが一つのテーマとして流れています。私たちはちっぽけな存在でしかないけれど。何の権力も持たない、毎日を生活のために必死に働いて生きている、そんな人生だけれど。自分の目で見て、誰かの言うことを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考えること。皆が一斉に「そうだ」ということが、ほんとうに正しいのかをしっかり見据えること。そんな「個」が声をあげていくことが、地味だけれども危険な一元化に流れていこうとするものを押しとどめる唯一の力であるような気がします。・・・何て偉そうなことを言いながら、職場の「?」なこともなかなか変えられなかったりする微力すぎる自分でもあったりするんですが。ほんと、うろうろしてるありんこみたいだなーと、しみじみ思う(汗)でも、どんなに絶望しても妹のリアンを守り通したクワンのように。果てしなく困難な道と知りながら、クワンを王にするべく歩き出したセオのように。自分の大切なものを守り、自分の頭で考えることを死ぬまでやめないでおきたいと思います。

これからの時代は、グローバル、などという国家をも超えた新しい理不尽が荒れ狂う時代になるような予感がします。その中で、物語が問いかけるもの、たった一つの命が語る心の声は、ますます大切になるんじゃないかと思うのです。菅野さんの物語が語りかける声をもっと聞きたい。また、ソニンのシリーズを一から読みたくなりました。昨日届いた本2冊も、まだ封を開けていないのに、どうしたらええのん・・・(知らんがな!)

2013年2月刊行

講談社