猫のよびごえ 町田康 講談社

年末である。師走なんである。非常に寒がりなので、あまり大掃除とかはやりたくない。しかし、いろいろと用事が鬱陶しいほど溜まっているし、読まなければならない本も山積みなんである。書かなきゃいけないこともたくさんある。先日見た骨太の映画『ローザ・ルクセンブルク』の話なども書きたい。なのに、手元に町田さんの本があると、もういけないんである。つい、開く。読み出したら、町田さんの語り口に引き込まれてしまい、結局最後まで一気読み。もう、とことんまで猫神さまに取り憑かれている町田さんに合掌してしまった。そして、やっぱり色々考えてしまった。

この本には、ここ3年ほどのエッセイが収録されているのだが、その間に町田さん、猫を4匹ほど拾ったり、預かったりしておられるのだ。しかも、何と犬まで増殖している。町田家には既に9匹の猫がいたわけで、もう何がなんやらめっちゃくちゃなんである。これだけ猫がいると、それでなくても猫同士のバランスを保つのが大変なのに、そこに新参者が入ってくると、何しろ猫は環境が変わることが一番嫌いなんで、揉めに揉める。そこで町田さんは、あっちの猫に気を遣い、こっちの猫におべんちゃらを遣い、今度はそっちの猫をなだめすかして、必死に奮闘する。でも、猫たちは町田さんを独占できぬ嫉妬に身悶えして、マーキングはするは、ハンガーストライキはするは、とことん町田さんを振り回す。もう、そのあたりの「しゃあないな、もう」という涙目いっぱいのドタバタがなんとも可笑しく、切ないんである。そして、あったかいんである。

町田さんは、猫を飼うということがどういうことか知り尽くしているので、いつも新しい猫に出会うと一応躊躇する。「猫を保護すると自分の時間をとられるし、はっきりいって医療費も餌代など、銭もけっこうかかる」。本音をいえば、もうこれ以上は避けたい。でも、そのとき町田さんに内なる声がささやくのである。「おまえって悪魔?」見捨てたりなんかしたら「地獄の業火に焼かれますよ」と。町田さんは、含羞の人なのでこういう言い方になるんだが、別に信心深いわけじゃないと思う。町田さんは、忘れる、ということが出来ない人なのだ。身を切る「後悔」という業火の恐ろしさを知っている。

町田さんはたくさん、身寄りの無い猫を飼ってきた。いくつもの命も見送ってきた。自分のところにやってきて、たとえ少しでも一緒に暮らした命は、もう、犬とか猫とかいう種族の分類なんてくそ食らえに関係なく、家族なんである。この本にも、町田さんが代弁している猫さんたちの心のつぶやきがたくさん書かれているけれど、彼らにも人と変わらぬ心があり、プライドがあり、愛情や悲しみがある。小説という、心と常に向き合う作業が習い性となっている町田さんには、彼らの声がほんとに台詞になって聞こえているに違いない。困った境遇の猫を目の前にすると、その子がこれからどんな末路をたどるか、その溢れんばかりの想像力で一番悲惨な状況を思い描いてしまうんだろう。町田さんは、失った猫さんのことを語れない。2年経ってやっと「二〇〇八年三月十五日の深夜、トラが死んだ」と書く町田さんの辛さが、切なかった。町田さんにとって、その記憶はずっと色あせず、変わらぬ手触りで心の中に存在し続けているのだろう。饒舌な町田さんが語れないくらいに。猫や犬を救う活動をしている方達というのは、自分たちのところにやってきた子たちの幸せを考えながら、いつも自分が救えなかった命に心を痛めているようなところがある。その痛みを忘れられないから、手を差し伸べずにはいられない。痛みの記憶を持ち続けることについて、あれこれと考えてしまった。

最近「空気を読む」ということについて、あれこれ考えている。今更遅いよ、と言われそうだが、まあ、それでも考えざるを得ない。だって、最近の「空気を読んで忘れなさい」圧力って、凄いじゃないですか。秘密保護法案ていうのは、「あんたたち、怖かったら何にも言わないで空気読んで自己規制しときなさいよ」っていう脅しみたいなもんですよね。しかも、原発を発電のベースにするよ、なんて宣言しちゃうし。この、全く何も解決できていない状況は、どうするんだか全く説明がないままなのに。戦争だって、震災だって、原発の事故だって、とにかく無かったことにしておきたい人たち(いや、戦争はこれからやろうとしてるのかも)の圧力をひしひしと感じてしまう。でも、そういう人たちは絶対に困っている人、弱い立場にいる人には手を差し伸べない。痛みや苦しみは、効率やお金儲けには邪魔なものだから。町田さんにとって、猫さんと自分は同じ並列にある。(いや、猫さんの方が上にいるのかもだけど)だから、彼らの痛みを見て見ぬふりが出来ない。弱さや痛みを分け合う、というのはまっすぐお互いに向き合う関係の中からしか生まれないのだろう。いつまでも仮説住宅に暮らしている人たちや、事故原発の中で放射能を浴びながら作業している人たちや、自分たちが可決しようとする法案に反対するひとたちのことを見下して差別化する眼差ししか持たぬ人たちは、切り捨てることのみ考えてるんだよなあ。傲慢な彼らの顔を思い浮かべるだけで、げんなりしてしまう。反対に、「やだなあ」なんて思いながらも、絶対に命を投げ出さす、こけつ転びつ、カッコ悪く猫さんたちと生きている町田さんは、何てかっこいいんだろう。町田さんは、猫は空気を読むことに長けているという。でも、猫たちは決して相手に自分の考えを押しつけたりはしない。「私たちはそんな風にして生きている。今日もまだ生きている。今日もまた、生きていく」ラストの一行の「私たち」という言葉が胸に沁みる。

2013年11月刊行

講談社