One Day ホロコーストと闘いつづけた父と息子の実話 マイケル・ローゼン 文, ベンジャミン・フィリップス 絵, 横山和江 訳鈴木出版

 

表紙に描かれているのは、たくさんの顔、顔、顔。眼鏡をかけたり、帽子をかぶったり、スカーフやストールを巻いたり。赤ちゃんや子どもを抱いた人もいる。皆、表情には影が射して唇は引き結ばれ、言葉にしがたい思いを、必死に飲み込んでいるように見える。服には、黄色のユダヤの星が縫い付けられている。X(旧ツイッター)で、Auschwitz Memorialというアカウントが、アウシュヴィッツに収監されたユダヤ人の写真を、毎日のように一人ずつ紹介しているのだが、彼等のまなざしと表情が、そのままこの表紙に書き起こされているようで、胸が痛い。 

 

この絵本は、第二次大戦中、パリから収容所に強制連行された、ハンガリー系ユダヤ人の父と息子の物語だ。1940年にパリがナチスドイツに陥落し、ヴィシー政権はナチスに協力してユダヤ人の連行を推し進めていた。この物語の「ぼく」と「父さん」はレジスタンス活動をしていて警察に目をつけられ、収容所に送られてしまう。ナチス政権下でレジスタンス活動をするということは、反戦ビラを配った白バラのショル兄弟が絞首刑になったことを思い出すまでもなく、大変勇気のいることだ。しかし、そんな二人にとっても、収容所の生活はつらすぎた。飢えた体に重労働がのしかかる。アウシュヴィッツ収容所にいたプリーモ・レーヴィが、水さえも与えられずに工事現場のほこりの中で働かされ、いつも渇きにさいなまれていたとき、一本の管から滴り落ちる水を、友人と二人でほんの少しずつ舐めつくしたことがあったという。たったコップ一杯分ぐらいの水だ。しかし、そのことを知った他の友人との間には、解放後もずっとしこりが残ったという。その数滴の水が、生死をわけるほどの重みをもっていたということなのだ。

 

昨日のことは、かんがえない。

明日なんて、ないかもしれない。

 

「その日、一日だけ」を生き延びる。ただ、それだけを考える日々。人間らしい暮らしというのは、昨日と同じ今日があり、今日と変わらぬ明日を送ることができるはず、という日常の連続性の上に成り立っている。そんな人間の尊厳すべてを奪う収容所の暮らしの過酷さが、この言葉に込められている。でも、彼らのいた収容所は、通過収容所で、実は、もっとひどい収容所に送られる前にいれられるところだったのだ。そこから毎日ユダヤ人たちがどこかに連れていかれ、帰ってくることはなかった。どこか、というのは、恐ろしいガス室のある、絶滅収容所だ。もちろん、彼らはプリーモ・レーヴィがいた悪名高きアウシュヴィッツやトレブリンカで何が行われているのか知るよしもなかったが、列車に乗せられてしまえば、もう戻っては来られないことだけはわかったのだ。どこかわからないその場所を、彼等は「ピチポイ」と呼んでいた。「ピチポイ」という、どことなく滑稽な、それでいて空虚な語感には、底知れない恐怖も、恐怖だけに支配されたくない抵抗の意志も込められているように思う。これ以上、尊厳も命も失いたくない。ピチポイにだけは行きたくなかった彼らが収容所で何を始め、その後どうなったか。それは、この絵本を読んで自分で確かめて頂きたい。極限のなかで、彼らがどう絶望と闘い、自分たちを押しつぶそうとする力に抵抗しようとしたかを、だ。

 

この絵本に書かれているのは、地獄の窯で煮詰められたような絶望だ。しかし今、その暗闇は、描かれなければならない大切なものだと思う。ナチスのホロコーストの物語は、これまでにもたくさん書かれてきた。でも、ガザで繰り返されている民族浄化の虐殺を目の前にして、まだまだ、私も含め、この虐殺を止めることができなかったすべての者たちは、ホロコーストの教訓を、真の意味で受け止めきれていないのだと思っている。この表紙の人たちのまなざしは、今、殺されていこうとする人たちのまなざしなのだ。

 

しずくと祈り 「人影の石」の真実 朽木祥 小学館

 ライフワークとしてヒロシマを描き続けてきた朽木祥さんの最新刊。広島平和記念資料館に収蔵されている「人影の石」をテーマにした、史実を忠実に踏まえた物語だ。実は、この「人影の石」の主ではないかと言われている「越智ミツノ」さんは、朽木さんの姻戚にあたる人で、ミツノさんの一人娘の幸子さんは子どもの頃にお世話になった方だったらしい。この石に残った人影が誰のものであるかを確定することは、この物語に詳しく書かれているように、非常に難しいことだった。「人影の石」があったのは、ほとんど爆心地ともいえるような場所だ。三千度から四千度になったという熱線を浴びて、ほとんどの人が即死し、壊滅的な被害が出た混乱の極みのなかで、たったひとつの死の状況を特定することが、いかに難しいか。しかし、難しいからこそ、この物語は書かれねばならなかったに違いない。

 「人影の石」のモチーフは、『八月の光 失われた声に耳をすませて』(小学館)の冒頭に収録されている短編「石の記憶」にも取り上げられているが、今回は、歴史ドキュメントとして、非常に緻密に再構成されている。幾つもの時と場所、眼差しを重ねながら、「あの日」を立ち上がらせていく過程が見事だ。物語としては、一気に読めるぐらいのページ数でありながら、原爆という巨大な、捉えがたいものに肉薄する扉がたくさん秘められている。原爆のことは学校で習っても、冒頭に描かれる原爆スラムのことまで知っている人は、あまりいないかもしれない。そこにずっと暮らしている人たちと、原爆のことを考えずに生きていける人たちとの断絶から紡がれる物語は、零れ落ちていく人々の記憶を、パズルのピースを埋めるように丁寧に拾い集めていく。原爆投下の日に人々が体験したこと、また何とかあの日を生き延びても、家や家族を焼かれてしまったあと、傷ついた心と体を抱えて生きてゆかねばならなかったこと。声も出さずに消えていった人たちのこと。被曝しても被爆者と認められず、何の支援も受けられなかった朝鮮の人々のこと。

 巨大な暴力に押しつぶされてしまったのは、「人間」なのだ。このことを忘れてしまったら、ミツノさんと、娘の幸子さんが味わった地獄は、再び未来に蘇ってしまう。ガザで繰り返されているジェノサイドを目の当たりにし、核兵器の使用が再び現実性を帯びているいま、これは腹の底に落ちてくる恐ろしい確信だ。 先日、「パレスチナ・イスラエル取材記 壁の外側と内側」という映画を見に行った際、この映画を作った川上泰徳氏の舞台挨拶を聞く機会があった。映画は川上氏がイスラエルとヨルダン川西岸のパレスチナ自治区で人々に直接取材した映像がそのまま使われていて、ニュース報道ではわからない人々の生の声を伝えてくれる。日常的に行われているパレスチナの人々へのイスラエルの暴力と抑圧は痛ましく残酷なものだが、ほとんどのイスラエルの人々は、その事実を知らない。イスラエルはパレスチナの人々を閉じ込めるために巨大な分離壁を作ったが、その壁は「外側」を遮断し、「内側」に自らの加害への無関心を育てている。「無関心」は暴力の温床になっているが、その暴力は「自分とは関係ない」人々を殺すだけではなく、イスラエルの人々自らの人間性を殺してしまっているのではないかと川上氏は言う。自分の知りたい情報の中だけで過ごすのは、SNSのフィルターバブルのなかで生きている現代人すべてに共通していることで、これは何もイスラエルの人だけの問題ではないのだ、と。しかし、絶望的にも思えるこの状況のなかでも、イスラエル人のなかに、少数ではあるがパレスチナの人々と交流を持ち、「友人」になろうとする人たちがいる。このささやかな営みは、袋小路から脱する、微かではあるが、確かな道標になるのではと川上氏は言う。パレスチナの人々は、何度叩きのめされても、家を壊されても、洞窟の一隅に薔薇を飾り、人間らしく生きようとする。それは、人間らしく生きて日常を送ることが、ささやかでも確かな抵抗の印だからだ。そのパレスチナの人々と友人になって初めて、イスラエルの人々も人間性を回復できるのでは、と。この話を聞きながら、この人間性の回復のあり方は、物語の中に生きる人々の喜びと痛みを共にし、思いを馳せることにも通じるのではと、私は思ったのだ。 

ささやかな、小さな命のしずくは、戦争で一番先に踏みつぶされる。あの日の朝、ミツノさんは銀行に出かける前に、縁側に布団を干していく。あの頃、布団は、何度も綿を打ち直し、仕立て直して、とても大切に使ったものだった。夫亡きあと、娘との暮らしを守ってゆかねばならぬという母の思いが、ささやかな行いのなかにも宿っている。記憶の糸を伸ばし、張りめぐらせて失われた命のしずくを蘇らせる。それは、巨大な暴力への、ささやかでしぶとい抵抗であり、人間性を失わぬための道標でもある。そのしずくをこの手に受け、命の重みを感じることもまた、このやり切れない世界に生きながら人間としての心を失わぬための、大切な抵抗だ。またひとつ、灯された平和へのあかりが、大きく広がっていくことを願う。

2025年10月刊行

 

 

 

 

太田女子高等学校新聞部発行の7月18日号「学友報知」にインタビューを載せて頂きました。

太田女子高等学校新聞部発行の7月18日号「学友報知」にインタビューを載せて頂きました。 拙著である『戦争と児童文学』(みすず書房)を読んでくださったのがきっかけです。

インタビューは、<あれから〇〇年―戦争や震災を経ての「いま」を探る>という企画の一つです。 「語り部となる児童文学―終戦から80年―」として、「戦争を風化させないために私たちは何ができるのだろうか」という新聞部の方たちの問いかけに、私が「文学の力」、とりわけ児童文学が戦争をどのように伝えようとしているのか、というお話をさせてもらったのです。

文学は、すべての壁を越えてゆくもの。心の壁、国境の壁、時間の壁。翻訳されて言語の壁も飛び越え、見も知らぬ人の心のなかにたどり着くことが出来ます。 あなたも、私も、かけがえのない、ひとりの人間であるということを教えてくれる。特に、児童文学は、その越えてゆく力が強い―そんな私の話を、新聞部の皆さんは、とても真摯に聞いてくださって、素敵な記事にしてくださいました。

 他にも、「次世代に語り継ぐ平和への思い―太田空襲から80年―」という記事には、地元の「太田市遺族会 戦争を語り継ぐ会」の代表の方への直接インタビュー、「―阪神・淡路大震災から30年―」として、阪神淡路大震災がきっかけになって変わったこと、防災グッズなどの紹介などの記事と、非常に充実した内容で、読み応えがあります。

戦争を、どう語り継ぐか。この難しい命題に、若い人たちが取り組んでくださったことが何よりうれしい。自分が高校生の頃には、ほんとに何にも考えず、毎日バンドの練習をしたり、マンガを読みふけったり、遊ぶことしか考えてなかったなと、頭が下がる思いです。また、それだけ、若い人たちにも「戦争」が自分事として近くに感じられてしまっているのかもしれないとも思います。戦後80年目の夏。この戦後が「戦前」にならないようにと、Zoomで、新聞部の皆さんと楽しくお話しながら思ったことでした。

 

最新刊「日本児童文学 7・8月号」特集「記憶を伝えるという文化」

 

自分のインタビューを載せてもらったから、というのではないが、今月号の「日本児童文学」(日本児童文学者協会)が、読み応えがあって面白い。 

まず、「雨あがりに虹が立つように」という井上良子さんの詩が、心に刺さる。井上さんは、この詩に本当のことだけ書いたという。家族や親族の人々が原爆投下によって舐めた辛酸を、熱のある言葉で連ねてあるのだが、連ねた記憶に詩人の魂が注がれており、力強くも琴線に触れるメッセージとなっている。

朽木祥さんの「『負の記憶』を伝えるということ」、中澤晶子さんの「八十年目のひろしまで」というエッセイには、原爆の物語をずっと書いてこられた方の誠実さと責任感が伺えて背筋が伸びる。西山利佳さんの「伝える語り・伝わる語りーー朽木祥作品を通して『伝える』を考える」と相川美恵子さんの「中澤晶子作『ワタシゴトー14歳のひろしま』の越え方を『ワタシゴトー14歳のひろしま』から学ぶーー「原爆を発見する物語」のこれから」という評論にも、気づかされることが多かった。そして、指田和さんの「日本原水爆被害者団体協議会 田中煕巳さんとの対話」は、指田さんならではの、貴重な記録だと思う。田中さんの温かいお人柄とともに、憲法九条についての厳しい言葉や、核兵器廃絶に今もたゆまぬ努力をされている姿勢など、学ぶことがたくさんあった。

「繁内理恵さんに「戦争」と「児童文学」について聞く」という、拙著『戦争と児童文学』(みすず書房)についてのインタビューは、9ページにわたって掲載していただいた。何時間も調子にのってしゃべりまくってしまったことを、的確にまとめて頂いて感謝しかない。本屋さんからの取り寄せもできるし、全国の図書館で読めると思うので、良ければ手にとって頂けると嬉しい。 

きみは、ぼうけんか シャフルザード・シャフルジェルディー 文, ガザル・ファトッラヒー 絵, 愛甲恵子 訳 ブロンズ新社

 

窓ガラスが割れ、家族の写真も壁から落ち、一目で爆撃されたことがわかる部屋に兄と妹がいる。両親の姿はすでにない。戦車が迫る町から逃げ出さないと命があぶない。途方に暮れる幼い妹に、兄は「ぼうけんかになりたくない?」と言葉をかけ、一冊の本とともに、戦火から逃れ、難民のひとりとなって歩き続ける。生き延びるために、兄は物語の魔法の力を妹と分け合おうとした。次々と直面する苦難に打ちひしがれるたび、兄はその魔法が解けないように、妹に、これは「ぼうけんか」になるための旅だと必死に語り続ける。それは、自分をはげます魔法でもあるのだ。

「さあ、おやすみ……。/ぼうけんかには こわいものなんて なにもないんだ。/もちろん、くらやみだって」

小さな肩に背負う妹の命と、胸に抱えた悲しみ。複雑な気持ちを湛えた兄の表情が切ない。その兄が疲れ果てて力尽きようとしたとき、今度は妹が再び兄に魔法をかけようとする。この、小さい子どもたちが抱いている、大きくて尊い愛情が、柔らかく繊細な絵で伝わってくる。表題紙と最後の頁の折り鶴に心が掴まれる。この物語が、国境を、時代を超えた、苦しみと困難に直面している子どもたちの物語であることを教えてくれているようだ。

殺傷能力のある武器を作り、輸出することを推進しようという動きが活発化している。軍事の専門家、と言われるひとたちの口からも「どんどんやったらいい」などという言葉があちこちで聞こえて驚く。平和主義というこれまで一応でも原則とされていたことが、冷笑と蔑みに汚されていく。そのしたり顔の欺瞞を打ち砕くのは、この子どもが抱く悲しみと愛情ではないかと、私は思う。

この絵本は。2021年度 プラチスラバ世界絵本原画展金杯を受賞している。

おばあちゃんのにわ ジョーダン・スコット文 シドニー・スミス絵 原田勝訳 偕成社

昨年刊行された『ぼくは川のように話す』のコンビによる絵本。私はシドニー・スミスの絵がとても好きだ。『このまちのどこかに』(せなあいこ訳 評論社)の冬の都会の風景も忘れがたいし、『ぼくは川のように話す』の、川面のきらめく光にもとても心惹かれた。この『おばあちゃんのにわ』の表紙も、とてもいい。おばあちゃんとぼくのまわりを、うっすらと取り巻く光。まるで二人を祝福するかのようだ。シドニー・スミスの描く光には、時間と季節の表情がある。二人が朝食をとるシーンの朝の光。庭を歩く夕方の光。雨の日にガラス窓から射す淡い光。それが見事に心を映し、響いてくる。

作者であるジョーダン・スコットのおばあちゃんは、ポーランドからカナダに移民としてやってきた人だ。第二次世界大戦中は家族とともに、非常な苦労を味わったとのこと。第二次世界大戦は、ナチスドイツがポーランドに侵攻したとことを皮切りにはじまった。ユダヤ人に対する弾圧も、最も激しかった。有名なトレブリンカの収容所も、アウシュヴィッツの収容所もポーランドにある。ポーランドの総人口の五分の一が大戦中に亡くなっていて、大戦後はソ連の鉄のカーテンの向こうに組み込まれた。今、ロシアと戦争中のウクライナとは隣同士だ。『炎628』や『異端の鳥』という映画を見ると、当時の東欧がさらされていた暴力の恐ろしさの一端が垣間見える。垣間見えるだけで、本当のところはとてもわからない。いろんな当時の記録を何冊読んでもわからないことだらけだ。占領、飢餓、告発、逮捕、連行、病気。このおばあちゃんは、そんな苦難をかいくぐり、故郷から離れ、今は孫と一緒に、穏やかな光に包まれて歩いている。表紙のおばあちゃんの背中は、その幸せなひと時の重みを語っている。

元ニワトリ小屋だったというおばあちゃんの家が、とてもいい。朝の光に照らされて、猫がいて、いろんな果物や野菜がつるされたり、積まれたりしている。ビーツは、おばあちゃんの故郷の味だろうか。ぼくが食べ物をこぼすと、おばあちゃんはさっと拾い上げて、キスをしておわんに戻す。おばあちゃんの中にはたくさんの記憶が息づいているのだろう。言葉の壁があっても、いや、うまく言葉にできないことが、毎日の積み重ねのなかで「ぼく」に伝わっている。この穏やかさが、静かに満ちる安らぎが、実はとても尊く、得難いものであることが、繰り返して読むうちに伝わってきて、心がしんとする。過去と未来と今が、すべてこの一冊のなかで憩っているようだ。手元において、何度も開きたい絵本だ。

 

 

 

カメラにうつらなかった真実 3人の写真家が見た日系人収容所  エリザベス・パートリッジ文 ローレン・タマキ絵 松波佐知子訳 徳間書店

第二次大戦中、アメリカ西海岸に住むすべての日本人と日系アメリカ人が強制収容所に収容され、「敵対外国人」として暮らさなければならなかったことを、当時収容所の写真を撮影した3人の写真家たちの写真を中心に、「日系人たちになにが起こったのか」を伝えた本。

ある属性を有している人々を、「強制収容」するということが、どういうことなのかを、この本は非常に的確に、詳しく教えてくれる。収容所に向かう日系人の一家が、小さな子どもまで荷札のようなものを付けられ、こちらを見つめている。荷札は識別タグで、そこには番号が書かれている。人間を番号で管理しようとする、ナチスの強制収容所と同じやり方だ。強制収容の告示のなかの「ペットの同行は一切認めない」という一文にも凍り付いた。小さな家族の一員を置いていかねばならないということ。それは子どもたちにどんな苦しみと悲しみを残したのだろう。想像すると胸が痛くなる。

挿絵も印象的だが、やはり三人の写真家たちの手によって撮影された写真たちが、違う角度から日系人たちの表情を切り取っていて、興味深い。同じ日系人の宮武東洋が同胞として撮影した写真たちは、写す側と移される側の距離感がほとんどなくて、表情が豊かだ。それに対して3人目の写真家、アンセル・アダムズの撮影した日系人たちは、皆笑顔、笑顔だ。「忠誠を誓うこと、善良な市民であること、真面目で働き者であること」をアピールする必要があったからだ。この笑顔は、収容所から解放されたあとも、「モデル・マイノリティ」として、日系人の人々を縛ったという。この「モデル・マイノリティ(マイノリティの手本)」という言葉は、「マイノリティ(少数派)でありながら、社会的に平均よりも成功しているグループ」を指す言葉で、アメリカにいるアジア系の人に対して、よく使われるそうだ。アジア系だからといって、皆が皆働き者で、従順なわけはないのだが、そうあらねばならないという呪縛がずっとアジア系の人たちにはかかっている。つまり、「白人の眼鏡にかなう者」としてふるまうことを求められているということで、これもまた差別の現れであるということ。なるほどと深く納得した。そして、「忠誠を誓うこと、善良な市民であること、真面目で働き者であること」という三つの価値観は、アメリカ社会のみならず、今の日本の社会の中でも、同調圧力として存在するのではないかと思う。では、私たちは誰の眼鏡にかなうために、そうふるまっているのだろう?

そして、この強制収容という極悪非道なことが、同じく第二次大戦中に日本国内においても行われていたということを、忘れてはいけないと思う。中国や朝鮮の人々を強制連行して労働させていたところがたくさんあったのだ。アメリカ政府は、日系人の強制収容に対して公的な謝罪の文書に署名し、賠償金を支払った。しかし日本は、きちんと過去に向き合うことすら出来ていない。そして、今、私たちが生きている日本のなかにも、外国人を強制収容している場所があり、人権を踏みにじる行為が行われている。そのことも合わせて考えてみる助けにもなる本だと思う。数日前に我が国でも可決した、障害を持つ人や、認知症の人などが使うことが難しいことを無視して、マイナンバーカードを国民皆保険と結びつける強引な法案のこと。人権や生存権を踏みにじる行為があからさまに行われているにもかかわらず、それを無視して、改悪とも言われる入管法を、成立させようとしていること。これもまた、数の力による暴力なのではないかと思う。この本に書かれていることは過去のことではなく、すべて「今」と繋がっていることなのだ。

かげふみ 朽木祥作 網中いづる絵 光村図書

 

「ヒロシマ」「原爆」をライフワークにしておられる朽木祥さんの最新作。

妹が水ぼうそうにかかったせいで、一人で広島にある母の実家で夏休みを過ごすことになった拓海は、近くの児童館の図書室で、白いブラウスに黒のスカート、三つ編みの透き通るような色白の女の子「澄ちゃん」に出会う。しかし、心惹かれたその子とは、雨の日しか出会えない。少しずつ話をするようになった拓海は、女の子が「影の話」を探していること、石けりやらかげふみをして遊ぶことが好きなのに「長いことあそんでない」ことを知る…。

澄ちゃんは「影」をずっと探している。『八月の光 失われた声に耳をすませて』(小学館、2017)の連作短編にも、「影」はいろんな形で、失われた命や声を呼び戻す手がかりとして登場していた。あの日さく裂した「空に現れた二つ目の太陽」は、たくさんの人を、石段や壁に、影だけ残して焼き尽くした。その影たちは長い年月の間に薄れ、人々の記憶からも消え去ろうとしている。この物語は、その影たちを、体温と顔のある、ひとりの人間として立ち上がらせ、温かい血を通わせる。儚げな澄ちゃんに、拓海はほのかな思いを抱く。一人で、慣れないところにやってきた拓海と、一人でずっと影を探してきた澄ちゃんは、どこかで心が共鳴したのかもしれない。近くにいると、日向の温かい匂いのする少女。いつも図書室にいる謎めいた澄ちゃんと、本好きな拓海は本を通じていろんな話をする。

この物語は、朽木さん自身の作品も含めて、たくさんの文学作品が登場する。『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス)のタイムスリップという、ファンタジー要素も重ねあわされ、この物語自体が、時間と空間を旅する小さな船のようだ。

よそからやってきた拓海と、すぐに仲良くしてくれた広島の友人たちと、拓海は川で古いボタンや「石けり」を拾う。それは、あの日に逝ってしまった子どもたちが残したもの。広島もまた、あの日の記憶を幾重にも隠し持つ船のようだ。いっしんに遊ぶ子どもたちのなかに混ぜてもらって、自分の「石けり」を拾ってもらった子も、きっと嬉しいだろう。ここにいるよ、という小さい声が聞こえるようだ。ふっと、見知った顔のなかに、いつもと違う、澄ちゃんのような子が遊んでいるかもしれない。そんな優しい空間が、この物語には広がっている。原爆の話はこわい。恐ろしい。子どもだけではなく、大人でもそう思ってしまいがちだ。

「うまいこと言えんのじゃけど、あの日いきなりおらんようになった人らのことをね、遺族らは、こわいとは思うとらんのよ。ただただ慕わしいっていうか……」

「『こわい』という言葉と『かわいそう』という言葉は、なんだか似てる」という拓海の言葉にはっとさせられる。自分とは違うものを私たちは畏れるが、それは異質なものを排除したい、という気持ちの現れ、無意識に作る心の壁なのだ。物語は、その壁を越えてゆくもの。本という、時間と空間を超えたタイムカプセルと共に長い年月を過ごした澄ちゃんは、拓海の心に刻まれて、これからを生きる子どもたちの希望に、未来を照らす光になっていく。何度も読んで切なくて美しい二人の物語に浸りたい。「この本は、あなたの前の扉です。/扉をあけて、「澄ちゃん」に出会ってくださいね。/わたしたちひとりひとりの「命」について、考えを深めるきっかけになりますように。」というあまんきみこさんの帯文もまた、心に沁みる。

共に掲載されている「たずねびと」は、小学五年生の国語教科書に載っている短編。「さがしています」という『原爆供養塔納骨名簿』のポスターに、「楠木アヤ」という自分と同じ名前を見つけたことが縁で、広島を尋ねた少女の物語だ。このふたつの物語を合わせて読むことで、私たちはかけがえない「記憶」への旅をすることができる。朽木さんが後書きで書いておられるように、ウクライナ侵攻により、子どもたちにも戦争は遠くのことではなくなっている。核もまた、力の顕示や政治の道具として使われることが多くなってきた。それがいかなる惨禍をもたらすのか。改めて心に刻むべきだと思う。

パンに書かれた言葉 朽木祥 小学館

元首相が聴衆の目前で銃弾に倒れるというショッキングな事件があった。犯人はカルト宗教信者の家庭に生まれた二世で、その宗教と繋がりのある元首相を狙ったとのこと。同じ宗教ではないが、私も幼い頃から新興宗教にのめり込む母に悩まされてきた。金銭的にも精神的にも、カルト宗教二世は大きなダメージを受ける。いまだに子どもの頃に叩きこまれた価値観が自分のなかに根深く存在することに気づいてうんざりする。人生の基盤をカルトに左右されてしまう子どもの辛さに溜息がでる。だからといって、その恨みを直接的な暴力に結びつけてしまうのは許されることではないのは重々承知しながら、もし彼に自分の苦しみや状況を語る、自分の言葉があったなら、もし自分で綴れないとしても、自分の痛みと響き合い、問題を可視化してくれる言葉や物語に出会っていたら、と思ってしまうのだ。

 周りがすべて一つの価値観に染まっているなかで自分の言葉を持つことは非常に難しい。抑圧は沈黙を強いるから。しかし、人間が理不尽な力に押しつぶされそうになるとき、人の心を支え、自分のいる場所を客観的に見ることで怒りや絶望を別のエネルギーに変えてくれるのは、「言葉」なのだと私は思う。例えば、隠れ家の日々を批判精神と真摯に思考する言葉で日記に綴ったアンネ・フランクのように。

 この『パンに書かれた言葉』という物語は、イタリア人の母と日本人の父を持つ少女、光・S・エレオノーラ(通称エリー)が、東日本大震災をきっかけに、第二次世界大戦下のイタリアでファシズムに抗おうとしたレジスタンス、そしてヒロシマの記憶を旅する物語だ。彼女のミドルネームは最後まで伏せられている。そこに大切な秘密が隠されているから。

物語は東日本大震災の日々から始まる。余震と停電が繰り返されるなか、「毎日のようにテレビに映し出される光景をいやというほど観て、心が痛いのか痛くないのかわからなくなって、しびれたみたいな感じ」になるエリー。戦争に銃による襲撃と、次々と目の前で繰り広げられる恐怖に、同じようなしんどさを抱えている子どもたちは多いのではないだろうか。エリーは両親のすすめで母の故郷であるイタリアのフリウリの村にあるノンナ(祖母)の家にしばらく滞在することになる。そこで、エリーは、ノンナから、ナチスに連れていかれ消息不明になった当時十三歳だった親友のサラと、レジスタンス活動に身を投じたために十七歳で処刑されてしまったノンナの兄、パオロの話を聞くことになる。パオロは、処刑前に一冊のノートと、自分の血である言葉を書き記したパンを残していった。ノンナはずっとそれを大切にしてきたのだ。

世界中に報道されるほどの大震災があった日本からやってきたエリーに、ノンナがナチス支配下の記憶をしっかり話して聞かせるのがとても印象的だ。ノンナはエリーに、素晴らしい家庭料理を作ってくれる。(これがもう、たまらなく美味しそうで涎が出る)その一方で、人間の罪の暗い淵をのぞき込むような過去の記憶を語り、しっかりエリーに伝えようとする。ヨーロッパにおける戦争の記憶の継承のあり方は、特に加害の過去に蓋をしがちな日本とは全く違う。ガス室に送り込まれた人たち、レジスタンス活動で殺されていった人たちの声を、顔と名前を取り戻し、決して忘れない記憶としてすべての子どもたちが継承していくことが大前提なのだ。エリーは、サラとパオロの話をノンナから聞くうちに、これまで、心のどこかで自分と無関係だと思っていたアウシュヴィッツの光景が、まるで今目の前で起こっていることのように思えてくる。どこかの見知らぬ人ではなく、顔と名前のある存在として人間を取り戻す、というのはこういう営みなのだ。

イタリアから帰ってきたエリーは、今度が自分から広島に行き、祖父母が体験した原爆の話を聞き、広島平和記念資料館で、やはり十三歳で被爆し、死んでいった祖父の妹、真美子の写真に出会う。なぜ、真美子は体中を焼かれて死ななければならなかったのか。戦後もピカドンに焼かれた人たちは、差別と後遺症に苦しみ続けた。エリーの祖父母のヒロシマの記憶は、フクシマへ繋がっていく。

チェルノブイリ原発にロシア軍が侵攻し、世界中が震え上がったのは、つい数か月前のことだ。恐ろしかったのは、ロシア軍が、チェルノブイリでも特に放射線量の高いことで有名な森に野営し、兵士たちが被曝したことだ。チェルノブイリの記憶が、全く彼らには共有されていなかった。決して忘れてはならない記憶が、継承されていなかったのだ。ヒロシマもフクシマも、チェルノブイリも、ショア―(ホロコースト)も、決して過去のものではない。現在進行形の、いつわが身にふりかかるかもしれぬ未来でもある。その未来を生むのは、忘却と無関心なのだ。

パオロが処刑前に、自分の血でパンに書き残した言葉が何かは、読んで確かめてほしい。いつまでも、まるでゾンビのように戦争と暴力を繰り返すのを、「人間ってこんなもの」「弱いものがやられるのは仕方ない」などとうそぶいてやり過ごすのは、もういい加減やめにしよう。言葉の力を信じて、素敵なミドルネームを持つエリーとともに何度も記憶をめぐる旅に出よう。美味しいものもたくさん出てくる、愛しい人たちと出会う旅に。大切な人々から聞いたそれぞれの記憶が少女の心のなかで輻輳し、お互いを照らし、響き合いながら、少女の視界を開いていく。共に旅する私たちの心の扉も。だからなのだろうか、辛く悲しい記憶への旅なのに、読後感は優しい光に満ちている。

一冊の本は大切な記憶への扉だ。ただ、羅列的に知識を得るだけなら、ネットでも出来る。しかし、他者の経験や心の動きを通じて歴史の奥行きを体験し、心に刻むことができるのは、厚みを供えた本への旅が必要なのだ。戦争と暴力の恐怖が世界中を駆け巡っている今、この本が刊行された意味はとても大きい。暴力に、同じ暴力で立ち向かおうとする負の連鎖を断ち切るのは、痛みや苦しみへの真の理解と共感を促す言葉の力であることを信じてやまない。

 

 

うまれてそだつ わたしたちのDNAといでん ニコラ・デイビス文 エミリー・サットン絵 越智典子訳 斎藤成也 監修 ゴブリン書房

 

国とは何だろう。国という大きな枠組みに属していないと、わたしたちが人間らしく生きることは難しい。しかし、「国」というアイデンティティは、私たちを形作る複雑な、無数の要素のたった一つにすぎないはず。好きな音楽、食べ物の好み、どんな家に住み、どんな仕事をしているのか。映画の好みや、それこそ推しのアイドルに至るまで、ひとりの人間のなかには、無数のアイデンティティがある。それなのに、たった一つ、国という帰属のために、敵と味方に分かれて殺しあわねばならぬという価値観に縛られる理不尽から、そろそろ自由になってもいいはずだ。

 

「すべての いきものが、うまれて そだつ」という文章と生き物たちの鮮やかな絵からはじまるこの絵本は、DNAという生き物の「せっけいしょ」について、わかりやすく楽しく教えてくれる。驚くほどはやく成長するもの、長い時間をかけるもの。大きく成長するもの、小さいサイズでおとなになるもの。環境にあわせてDNAの設計書がつくりかえられ、驚くほど多様な生き物たちが、この地球上に生きているという奇跡がどのようにこの青い星に満ちているのか。その理由が科学の力でわかりはじめたからこそ、なお募る不思議さと豊かさが、ぎっしりとこの絵本には描きこまれている。

 

様々な肌の色、髪、体格、服装をした人たちが100人以上いる駅を描いた頁と、動物や植物たちが300種類近く(正確に数えるのが難しいほどたくさん!)も描きこまれた頁が呼応するように配置されているのは、考え抜かれてのことだろう。様々な人種に分かれているように見えるが、私たちは「人間」という大きなひとつの種だ。肌や髪の色の違いは、多様性というDNAの生存戦略。人間のDNAという設計書は、ひとりひとり違うけれども、「わたしたちは みんな おなじ、にんげんだから。」地球上のほかの人たちとも似ていること。そして、地球上のすべての生き物の設計書も、どこか同じところがあって、「みんなが おおきな かぞく」であること。大きな命の樹に実る果実のように。

 

見かけも、生き方もこんなに違う生き物がいる地球の不思議と、それが塩基というたった4つの文字で書かれた暗号から、出来ているんだという驚きを何度も味わいたい。科学は、積み上げられた事実に裏打ちされた大切なことを教えてくれる。動物学者であるニコラ・デイビスは、科学者の視点から、命の不思議を教えてくれるが、そこには深い祈りがあると思う。どうやら、私たち人間の遺伝子には、ある条件がそろうと発動する残虐さが組み込まれている。ゾンビのように蘇る戦争を、これほど繰り返しているのだから。しかし、この血塗られた呪いを解く鍵もやはり私たちのなかにあると思いたい。ニコラ・デイビスは、その鍵のひとつを、子どもたちに手渡したいと思っているのではないだろうか。彼の書いた『せんそうがやってきた日』(レベッカ・コップ絵、長友恵子訳、鈴木出版)という絵本もぜひ読んでほしい。もう、大人たちの憎しみに子どもたちが殺されるのは、たくさんだ。

2021年4月発行

日・中・韓平和絵本 へいわって、どんなこと? 浜田桂子 童心社

今こそ確認したい「へいわ」(平和)の原則

 

お昼時に寄った焼き立てパンの店で、支払いの列に並ぶお父さんと小さな男の子。多分家族の分もなのだろう、パンを溢れんばかりにトレイに載せて「たくさん買っちゃったねえ」「ちょっと買いすぎちゃったねえ」と話していた。温かいパンを抱えた二人を迎える家族の声も想像して、幸せな気持ちになる。同時に、男の子の笑顔にウクライナの避難シェルターで「死にたくない」と泣いていた男の子の泣き顔がかぶり、心が曇る。

 

浜田桂子さんの『へいわって、どんなこと?』というこの絵本を、『戦争と児童文学』の原稿を書いている間、何度も開いて読み返した。戦争の記録を読めば読むほど、この絵本に描かれている「へいわ」(平和)の原則が、まさに原則として的を射ていると思ったからだ。この絵本は平和という抽象的な言葉が具体的にどういうものなのかを、子どもの目線で描いている。注目すべきなのは、その言葉が、すべて「せんそうを しない」「ばくだんなんか おとさない」とすべて決意表明としてはっきり言い切る形になっていることだ。

 

この絵本は「アジアの絵本作家と連帯し、一緒に平和の絵本を作る」というプロジェクトの中から生まれている。各国の絵本作家が集まる南京でのディスカッションの場に持っていくこの絵本の試作では、浜田さんは「ばくだんが ふってこないこと」と受け身の表現として描いていた。しかし、「日本の被害者意識を表している」という意見が出て、話し合いを繰り返すなかで、浜田さんは被害者意識に偏っていた自分の平和認識を見つめなおす。そして「被害認識も戦争の実相を知る上で大事だけれども、本当に戦争を拒否するためには、加害意識を持つことが必要だ」と思うようになったという。(「好書好日」https://book.asahi.com/article/13568012 より)

 これはとても大切な認識だと思う。なぜなら、戦争はまず正義の名のもとに始められるのが常道であり、国民の被害者意識に訴えることから始められるからだ。今回のプーチンによる侵略も、「我々は平和的な解決を目指してきたが、これ以上我々の主権に対する脅威を許すわけにはいかない。ドンバスで行われている残虐行為から人々を救うための派兵」という大義名分が掲げられている。ナチスドイツも、戦争を始めたときの日本も、全く同じ理屈で他国を蹂躙していった。どんな大義名分を唱えられても、どんなに被害者意識を喚起させられようとも、殺し合いである戦争は絶対にしない、武力に対して「No」と言い切ることが、この巧妙なプロパガンダに飲み込まれない意識を育てる。そう思う。テレビで日本の防衛大臣が、チャンスとばかり軍備増強を口にし、首相経験者の国会議員(自称プーチンの友達らしいが)が、あろうことか核兵器の配備まで言い出す始末だが、その発想はプーチンが陥った過ちと同じ道をたどるものでしかない。軍備増強や核配備はますます国同士の緊張を高め、攻撃される糸口になってしまうだろう。誇大妄想にとりつかれた為政者が、防衛と称していたずらに巨大化した軍事力を手にしたとき何が起こるかを、私たちは今目にしている。愚かにも同じ轍を踏めば、次世代の子どもたちに恐ろしい苦しみをもたらしてしまうはずだ。

『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』の著者スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチは、「血の時代、武器の時代、暴力の時代は去ったのです。そして私たちは、命というもののとらえ方を、今までとは違うものに切り替えるべきなのです。」(文藝2021年冬号・インタビュー(「抵抗するために『聞く』、アレクシェーヴィチの今」)と述べている。彼女はウクライナの隣国ベラルーシで弾圧を受け、国外滞在中だ。暴力で他者をねじ伏せようとするやり方は、もはや過去の遺物として葬り去らねばならない。NHKが放映したイギリス制作の「プーチン政権と闘う女性たち」というドキュメンタリーを見た。ただ選挙戦に立候補したいだけの女性たちを逮捕・監禁するなどというのは、血なまぐさいソ連・スターリン時代の再来でしかない。ロシア国内でも、プーチンのやり方に抵抗しようとして闘い、傷ついている人たちはたくさんいる。「いやなことは いやだって、ひとりでも いけんが いえる」ことを許さない体制など、ロシアの人々も、もういらないはずだ。

この絵本に書かれている「へいわ」(平和)の原則を、世界中が共有できるようになればと心から思う。「現実はそんなに甘いもんじゃないよ」「お人よしは潰されるだけ」と冷笑されても、「お花畑」と笑われても、何度も何度も言いたい。この原則を、何度も声に出して確認したい。かがり火のように世界の片隅から掲げたい。

 

「へいわって ぼくが うまれて よかったって いうこと。」

「へいわって きみが うまれて よかったって いうこと。」

 

子どもたちが、この言葉を笑顔で言える世界を作ることこそが、政治の目的であり、大人たちの責任であるということを。

 

『戦争と児童文学』繁内理恵 みすず書房 2021年12月10日刊行のお知らせ

この評論集は、雑誌『みすず』二〇一八年四月号から二〇二〇年六月号にかけて十二回連載したもののうち、十篇を選んで加筆・修正を加えたものです。連載は隔月で、枚数も限られていたこともあり、刊行にあたり、随分書き直しました。お手にとって頂けると幸いです。

ここ数年、戦争に関する本を多く読みました。まだまだ勉強し足りない身ではありますが、それでも読めば読むほど、戦争が「今」と深く関係していることを知りました。児童文学が描いてきた戦争。そのなかで必死にもがく子どもたちの姿は過去のものではない。その思いが、この連載と改稿を続けられた原動力のひとつであったと思います。
そして戦争と文学という果てしなく巨大なテーマに打ちひしがれる私を支えてくれたのは、児童文学に込められている愛情と光です。戦争という絶望と狂気ののなかから、作者たちが掲げてくれた灯は、未来を照らしてくれる羅針盤です。そんな児童文学の奥深さと豊かさが、少しでも伝わる本になっていればよいのですが。収録された評論は次の十篇です。

・小さきものへのまなざし 小さきものからのまなざし――越えてゆく小さな記憶  朽木祥『彼岸花はきつねのかんざし』『八月の光 失われた声に耳をすませて』

・命に線を引かない、あたたかな混沌の場所――クラップヘクのヒューマニズムの懐に抱かれて  エルス・ペルフロム『第八森の子どもたち』

・空爆と暴力と少年たち――顔の見えない戦争のはじまり  ロバート・ウェストール『〝機関銃要塞〟の少年たち』

・普通の家庭にやってきた戦争――究極の共感のかたち、共苦compassionを生きた弟  ロバート・ウェストール『弟の戦争』

・基地の町に生きる少女たち――沈黙の圧力を解除する物語の力  岩瀬成子『ピース・ヴィレッジ』

・国家と民族のはざまで生きる人々――狂気のジャングルを生き延びる少年が見た星(ムトゥ)  シンシア・カドハタ『象使いティンの戦争』

・転がり落ちていくオレンジと希望――憎しみのなかを走り抜ける少女  エリザベス・レアード『戦場のオレンジ』

・核戦争を止めた火喰い男と少年の物語――愛と怒りの炎を受け継いで  デイヴィッド・アーモンド『火を喰う者たち』

・歴史の暗闇に眠る魂への旅――戦争責任と子ども  三木卓『ほろびた国の旅』
三木卓と満州

・忘却と無関心の黙示録――壮絶な最期が語るもの  グードルン・パウゼヴァング『片手の郵便配達人』

巻末に、取り上げた作家の作品、そして戦争を描いた児童文学のブックリストを載せています。ぜひ、そちらもお手に取っていただけますように。

八月の光 失われた声に耳をすませて 朽木祥 小学館 


偕成社版に収録されていた「雛の顔」「石の記憶」「水の緘黙」、文庫版に収録された「銀杏のお重」「三つ目の橋」、そしてこの美しい本に新たに収録された「八重ねえちゃん」と書き下ろしの「カンナ―あなたへの手紙」。密やかな声を心に響かせる短篇が7篇積み重なって、こんなに美しい装丁で再刊されたことがとても嬉しい。君野可代子さんの装画と挿絵が素晴らしい。表題紙の上には桜の花びらの薄紙。それぞれの短篇のタイトルにも、手向けの花のような、心のこもったイラストがついている。七つの物語は、あの日から少しずつ違う時間軸で描かれている。原爆という途方もない暴力になぎ倒された、小さな人間たちの物語に、とても相応しい装丁だ。

「いとけないもんから・・・・・・こまいもんから、痛い目におうて(あって)しまうよねえ」

これは、老犬のトキを権力に殺された日の「八重ねえちゃん」の言葉だ。戦争末期に、軍服用の毛皮にしたり、軍用犬として使うという名目でたくさんの犬たちが殺された。年老いて、もはやしっぽもすすけてしまった老犬まで殺されてしまうと思っていなかった綾は「なんで連れていかれたん、なんで、なんで」と泣き叫ぶ。しかし、その問いにきちんと答えられる大人はいないのだ。ただ、お人好しで、皆に軽く扱われていた八重ねえちゃんだけが、「いけんよねえ、こうようなことは、ほんまにいけんようねえ」と一緒に泣いてくれた。この少女たちの、小さなものを踏みつけにするものたちへの怒りと、人の痛みに共感する力が、もっと、もっと、人間には、今の私たちには必要なのだ。

この7篇の物語を、私は何度読み返したことだろう。まるで自分の記憶のようになっている、と思うほどなのだが、やはり読み返すたびに違うものが見えてくる。例えば、「水の緘黙」。この短篇は、7篇の中で、一つだけ「ウーティス―ダレデモナイ」という『オデュッセイア』のキュプクロスに寄せられた頌が物語の前に付けられている。この物語の中に出てくる人たちは、「僕」「K修道士」という風に、固有名詞を持たない。「僕」は、あの日からさすらい続けている。

「水の緘黙」の自分の名前を忘れてしまった「僕」は、ついてくる影たちから逃げるように彷徨うが、夜には川のほとりに寝に帰る。そこは、原爆スラムと呼ばれた川沿いの町だったのだろうか。だとすれば、そこで、ただ彷徨う「僕」を助けていたのは、やはり被爆して、そこにバラックを建てて住んでいた人たちだったのだろうか。原爆スラムは、「ヒロシマの恥部」と言われ続け、その後強制撤去されて平和公園の一部になった。そう思うと、「僕」は、忘れられていく町の記憶とも重なるようにも思える。そこで、懸命に生きていた人たちの姿とも重なるように思う。記憶は、歴史の出来事として記録されるときには単純化されてしまう。物語だけが、人間の心と体の厚みをもって、語り継がれていくのだ。

私は、この物語は、生き残ってしまった者と、あの日に声も上げずに死んでいった人たちとの、魂の対話の物語だと思っている。生き残った人たちにも、ずっと苦しみはつきまとった。「三つ目の橋」の娘の同級生たちは、あの日奉仕作業でピカにあい、誰一人助からなかった。彼女は腹痛で休んでいたのだ。本当に偶然にすぎなかった生と死を分けた理由は、ずっと娘を苦しめる。被爆による差別。親を亡くした生活の困窮。「僕」は、復興していく町が見かけを変えていっても、ずっと変わらず苦しみを抱えている生き残ってしまった人たちの心そのもののように、行き場もなくさまよい、数え切れないほどの人たちが死んでいった水辺にうずくまっている。

しかし、「水の緘黙」の扉絵に添えられている百合の花のように、この苦しみは、人間が人間の心を持っているがゆえの、切ない希望なのだと思う。この7篇の物語の主人公たちの苦しみに触れると、その尊い痛みから、ひそやかで香り高い、小さな花が生まれるように思うのだ。作者が、渾身の思いを込めて咲かせたこの花が、この表紙のようにたくさんの人たちの心に咲いて、世界中に広がっていくことを、私は心から願っている。それこそが、照りつける八月の光を、絶望の闇から希望の光へと変える力になるのだから。書き下ろしの「カンナ あなたへの手紙」は、70年以上経った日本から、世界に向けて警鐘を鳴らす物語だ。今月の7日、ニューヨークの国連本部で、核兵器禁止条約が採択されたが、世界で唯一の被爆国である日本は、その条約に署名しなかった。「八重ねえちゃん」の少女のように、「どうして、どうして」と問い続ける決意も込めて、この物語を、また何度も読み返そうと思う。何度も、何度も。

 

茶色の朝 フランク・パブロフ・物語 ヴィンセント・ギャロ・絵 高橋哲也・メッセージ 藤本一勇・訳 大月書店

この物語は、ファシズムが音も無く静かに自分の日常の中に入り込んでくる恐怖を描いたもの。猫が増えすぎるという「問題を解決」するために、「茶色以外の猫をとりのぞく制度にする法律」を「仕方がない」と承諾したことが始まりになって、どんどん取り締まりは広がっていきます。茶色の犬以外の禁止へ。過去に茶色以外の犬猫を飼っていた人たちへの弾圧へ。いつの間にか、茶色以外のものは全て許されない朝を迎える恐怖です。以前読んだ記憶があるので、すっかりレビューを書いたつもりになっていたのに、検索してみたら無いんです。つまり、前回読んだときには、この恐ろしさが身にしみていなかったのでしょう。私も、この恐怖を見過ごしてきた一人です。

教育勅語を復活させ、教育の現場に銃剣で人を殺す方法を持ち込む。それがいつの間にか、閣議決定や、党議拘束で縛られた国会で決まっていく。権力は常に子どもを支配しようとします。子どもを洗脳すると、優秀な兵隊になっていくのは、戦前の日本の教育やヒトラーユーゲントの政策、今も世界中で増え続けている少年兵を見れば、明らかなこと。

もう何年も前から、ひっそりと教科書は政権寄りに改訂され続けているし、「個」より国や全体に奉仕することを目標にした道徳教育も、本格的に実施されます。いつの間にか、私たちの生活は茶色に染まっているのです。過酷な労働。格差の拡大。原発の再稼働。沖縄の基地問題。銃剣で人を殺す以外にも、戦争はそこここに、転がっている。何が出来るのだろう。何が。焦りながら、策を持たない私に、後書きの高橋哲也さんのメッセージが染みます。何が出来るのかを、私は誰かに教えて貰わずに、自分で考えなければならないのです。この違和感や疑問、恐怖を決して手放さないことを軸にして。

いろいろな形はそのまま残っている。家族や会社や、学校や、音楽や、映画や、そんなものは変わっていないのに、いつの間にか精神はそっくり入れ替わっている。でも、形はそのまま残っているから、誰も変わってしまったことに気づかない―これは、丸山眞男の評論で紹介されている、ヒトラーが台頭していった時代について語ったドイツの言語学者の証言です。同じことを繰り返してはならない。何十年かあとの子どもたちに、なぜ、あの時に止めておいてくれなかったのか、と言われないためにも。

 

 

[映画]ヒトラーの忘れもの LAND OF MINE マーチン・サントフリート監督

地雷という兵器には、人間の悪意がこってりと詰まっている。その悪意を、まだ幼顔の残る少年たちが一つ一つ掘り出していくのを見ていると、体中が緊張してこわばってくる。恐ろしい予感と一緒に、ドカン、という爆発音が心の奥まで突き刺さる。戦争での死を美しいなどという政治家は、絶対にこの映画を、憎しみに吹き飛ばされる少年たちを見るべきだと思う。

第二次世界大戦が終結したとき、デンマークの浜辺には150万発の地雷が埋められていた。その撤去に当たったのは、ドイツ軍の少年兵たち。手作業で一つ一つ地雷を掘り出す作業で半数近くが死亡するか重傷を負ったという。この映画は、美しい浜辺に埋められた地雷を撤去するために集められた少年たちと、彼らを監督する軍曹の物語だ。映画の冒頭は、その軍曹が自国に引き上げるドイツ兵をめちゃくちゃに殴り倒すシーンから始まる。「帰れ!ここは俺たちの国だ!さっさと出ていけ!早く!走れ!」とわめきたてる彼の顔は憎しみで真っ黒に凝り固まっている。しかし、目の前で、あどけない顔で地雷を掘り出し、手足を吹き飛ばされ、死んでいく少年たちを見ながら、少しずつ彼の顔が変わっていくのだ。一人一人と顔をあわせ、言葉を交わし、食料を調達し、面倒を見ているうちに、鬼の顔に少しずつ人間としての顔が混じってくる。手足を吹き飛ばされて「お母さん」と泣き叫ぶ少年は、「にっくきドイツ人」ではない、ただの傷ついたひとりの人間でしかないのだ。ひとりの人間の前に、ただ人間として向き合えば、そこにはどうしても通い合うものが生まれてくる。そのかけがえのなさを、この果てしない絶望の中に描いたことに、心打たれた。

つかの間、海で泳ぎ、ボール遊びに興じる彼らは、本当にどこにでもいるティーンエイジャーだ。その彼らが誰かの命を奪う少年兵として戦地に駆り出されてしまったこと。そして、誰かの命を奪うために埋めた地雷で吹き飛ばされていくこと。その残酷さが、美しい海の風景の中にくっきりと浮かび上がる。今日死ぬか、明日死ぬか、という日々の中でも、少年たちは小さな虫やネズミを捕まえて名前をつけ、愛情を傾けようとする。その切なさと、自分の犬を失って嘆き悲しむ軍曹の姿が、年齢も国の違いも超えて重なり合う。

最後に森の中に消えていく少年たちを見送る軍曹の眼差しに救いを感じたけれど、あの国境の森は、いろんなことを思い起こさせる。『サウルの息子』で、蜂起したユダヤ人たちが殺されていった森。クロード・ランズマンの『ショアー』に証言されている、恐ろしい殺戮が行われていた森。戦争は、憎しみはいつも弱いものを一番先に踏みつぶしていく。あの子たちは、無事に国境を、恐ろしい森を越えたのだろうか。人間と人間を引き裂く「国」とは何なのだろう。この映画の原題である「LAND OF MINE」と人が言うとき、少年たちと軍曹の間に生まれたような心は置き去りになってしまうのではないだろうかと思うのだ。そう考えたとき、『ヒトラーの忘れもの』というこの映画の邦題は、どうなんだろう。この厳しくも美しい映画のタイトルとして相応しいものなのかどうかと考えてしまう。焦点を曖昧にして、口当たりよくしておこうという日本的配慮は、この真摯な作品に対しても、観客にも失礼なことだ。少年を戦争に、殺戮に駆り出すことは、今も世界中で行われている。そして、地雷は今も子どもたちを吹き飛ばして殺している。ヒトラーだけの忘れ物ではない。すべての大人たちが忘れてはならないことなのだ。