オレたちの明日に向かって 八束澄子 ポプラ社

「出会う」というのは偶然なものだけれど、出会うべくして出会った、と思えることが時々あります。偶然だけど必然だったよね、という出会い。そんな出会いは、人を変える力があるものです。この物語の主人公・勇気も、ジョブ・トレーニングでの出会いをきっかけにして、これまで見えなかったものが少しだけ見えるようになります。若い身体と心が大きくなるときを、伸びやかな筆遣いで描いた素敵な作品でした。

主人公の勇気は、勉強にはいまいち身が入らないし、部活に出れば顧問に怒鳴られっぱなしという中学二年生。ある日、保育園に勤める姉が、交通事故を起こしてしまうのだが、どうやら相手の中学生は、親に強要されて当たり屋をしているらしい。一歩間違えれば大変な事態になるところを助けてくれたのは、保険代理店の今井さんだった。それがきっかけで、勇気はジョブ・トレーニング(職業体験)で今井さんのところに行くことを選ぶ。そこで出会ったのは、保険という大きなお金が絡む世界の、大人の姿だった・・・。

保険というのは、大金が絡むだけに、今井さんの言うように「人間の負の側面を刺激する」んですよね。お金というのは、生きていくことと直結しているだけに、非常に生臭い一面を持っています。勇気は今井さんのところに通っている二日間のうちに、人のいろんな面に触れます。その冷たさや暖かさが、勇気の若い心にまっすぐ沁みこんでいくのを読みながら、ああ、これが「知る」ということなんだなあと思ったんですよ。何でも知っているふりをする人っていますよね。「そんなこと、ニュースでもいつもやってるよね」とか、「ああ、どこかで読んだことあるよ」というくらいで、「知っている積り」になっている、そんな人の「知っている」は、「忘れてた」と同じくらいの重みしかない。「知る」というのは、心に刻むこと、自分の内的な体験として血肉化することです。介護する奥さんの頭をなでるおじいさんの無骨な手や、稲刈りのお礼にとおばあさんが作ってくれたちらし寿司の味や、今井さんが話してくれた交通事故のあとの何ともやるせない光景。そして、姉の車に当たり屋として突っ込んできた男の子の家庭の事情。それまで無関係だと思っていたことが、姉の事故や、今井さんとの関わりを通じて、顔が見える人の出来事として勇気の胸に刻まれる・・・それが、彼を変えていくのです。

この週末、広島に行っておりました。(その話は、またゆっくり書きますが)。平和記念公園の中に、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館があります。そこには、原爆で命を落とされた方の名簿と写真が収められており、常にそのお顔を見ることができるようになっているのです。映し出される一人ひとりの顔を見つめながら、私は、何万人という死者の一人ではない、たった一つの存在であったそれぞれの方の命の重みを感じました。誰も、「どこにでもいるような一人」ではなく、ほかの誰でもない、たった一人の存在であること。その認識を持つことが、かけがえのない命をもって生きる人間同士が生きていく基本なんですよね。そこを失ってしまったとき、私たちは大きな間違いを犯すことになります。そして、他者をかけがえのない存在として認識することは、自分の大切さにも気付くこと。関わりを持った人に誠実に対応する今井さんの仕事ぶりを見て、勇気は「この社会のどこかに自分の居場所と仕事がある」と、ぼんやりとでも思えるようになる。それもまた、他者に顔の見える存在としての自分を思い描けた上のことだと思います。何やら不安だらけの、漠然とした未来に押しつぶされそうになる若い子たちに、この感触を伝えたいという作者の思いが伝わるような気がしました。

勇気の家庭のあけすけな明るさや、勇気が友達のきぼちんと、犬のマロンの三人(笑)ではしゃぐおバカっぷりが楽しくて、保険という重いテーマをテンポ良く読ませる役割を果たしています。雪合戦のシーンなんかは笑いながら、なぜか涙が出てしまいました。若い子の笑顔に泣けるなんて、年やね・・と思ったりしましたが(笑)挿絵や、今井さんの業務日誌がはさんである工夫も面白くて素敵なんですが、少しもったいないと思うのが、タイトルです。もう少しひねってあったほうが、若者の食い付きが良かったんじゃないかしらん。ラノベ世代にはストレートすぎないかしら・・などと、余計な心配をしたりしました。凝りに凝ったラノベのタイトルを常に見ているものの老婆心かな。とにかく、たくさんの若い人が手にとってくれたらいいなと思います。

2012年10月

ポプラ社