モッキンバード キャスリン・アースキン ニキリンコ訳 明石書店

アメリカで「初めてのライフル」という子ども向けの銃で、5歳の兄が2歳の妹を撃ち殺すという事件があったそうで・・・。『馬を盗みに』(ペール・ペッテルソン 西田英恵訳 白水社  )を思い出してしまう。妹を殺してしまった兄はたった5歳で人を殺した記憶を背負って生きていくことになります。こんな残酷な事件が再三起こっても、なかなか銃を規制できないアメリカ、などと避難する言葉をつい言いたくなってしまうけれども、あれだけの悲惨な事故があっても日本が原発をやめられないのと、根は一緒なのかもしれないなと思います。どちらも、被害者として苦しむのは、幼なかったり、弱い立場にいる人たち、というのも共通しています。この物語の主人公のお兄さんも、学校で起こった銃の乱射事件(これまた、『少年は残酷な弓を射る』(ライオネル・シュライヴァー 光野多恵子/真貴志順子/堤理華訳 イーストプレス)を思い出します)に巻き込まれて殺されてしまったのです。残された妹のケイトリンは、アスペルガー症候群というハンディを抱えていて、お兄さんは彼女をいつも支えてくれた大切な存在でした。これは、兄を失ったケイトリンと、泣き虫のお父さんの、「その後」を描いた物語です。

自閉症スペクトラムの方たちがご自分で綴った文章を読むと、ぎゅっと引き込まれてしまうことが多いのです。チェスタトンが『棒大なる針小』で述べていた、小人の視点と重なるものがあるというか。私たちが一歩であるくところを、十歩かけていくような感じ。私たちには普通の庭に見える場所が、例えばコウロギくらいの体なら、そこはジャングルそのものでしょう。見えているものは同じでも、その尺度が全然違うのです。だから、いろんな発見がある。新しい発見もあれば、自分が幼い頃から長年慣れ親しんできた感覚や、ものの捉え方などに通じる箇所に、はっとすることも多いのです。でも、そんな彼らの内面は、外からは上手く見えない。『自閉症だった私へ』の中で、ドナ・ウィリアムスが「あまりに細かく感じすぎるが故に、かえって回りにはそのミクロさが見えない」というようなことを言っていました。つまり、見えない、もしくはわかりにくいだけで、悲しみも傷つく気持ちも、喜びも、おんなじなんですよね。そして、それが周りに伝わりにくい分、理解されなくて苦しむことも多いのです。ニキリンコさんが後書きで言うように、外国で一人いるようなものなのかもしれません。

この物語の主人公のケイトリンも、とても豊かな内面世界を持っています。でも、彼女と周りの世界との通訳をしてくれていたお兄ちゃんは、悲惨な事件で死んでしまった。彼女は深い深い孤独と悲しみの中にいます。お兄ちゃんが残した作りかけのチェストを見つめ、そこに潜り込むケイトリン。彼女が全身で泣いていることを、「悲しい」という言葉も、涙も一切書かずに伝えてくるアースキンの文章の力に、初めから引き込まれました。でも、たった一人の家族になってしまったお父さんも、彼女の気持ちを捉えることは出来ません。自分の悲しみで、いっぱいいっぱいなんですよ。ケイトリンは、少しずつ、手さぐりで歩き始めなければいけないのです。人は一人で生きられない。共に生きていくことは、痛みや悲しみ、喜びを共有することなんだけれども、それはアスペルガーのケイトリンにとって一番苦手なこと。でも、彼女は、お兄ちゃんのことを考え、「気持ちの区切り」を、まるで珍しい昆虫を探すように一生懸命探します。そんな彼女の真摯な真面目さが、とても切ない。もう、ほんとに小人が大きな山を越えるように、傍から見たら滑稽にも見えるくらいにアップアップしながら、一人で海にこぎ出していく彼女の姿に心打たれます。そして、彼女は自分だけの世界から少しだけ歩き出して、残酷な最期を迎えて、やりたいことも出来ないままに死んでしまったお兄ちゃんの心を思いやることを知るのです。「わたし自分の気持ちじゃなくて、お兄ちゃんの気持ちを代わりに感じてたよ」と叫ぶケイトリンは、悲しみと同時に、理解しあう世界への切符を手に入れたのです。

自分の気持ちを上手く伝えられなかったり、すれ違ったり。そのせいで誰かを傷つけたり、傷ついたり。ケイトリンのような孤独やしんどさは、アスペルガーの人だけが抱えるものではありません。私だって、自分の気持ちを言葉にしてしゃべることは、とても苦手です。こんな、何日もかかってやっと一つレビューをかけるようなトロいスピードですが、文章で書くほうが、まだマシ。だから、この物語のケイトリンの心に寄り添いながら、私は覗きからくりを反対から見るように、自分自身が、もしくは私たちが抱えている生きることの困難さをたくさん見つけることが出来ました。根っこは同じなんですよね。誰だって、理解されないこと、理解したいのに出来ないことに苦しんでいる。だからこそ、自閉の人たち、上手くこの世界と折り合っていくことが大変な人たちが生きやすい社会を作ることは、この世界そのものを生きやすくしていくことだと、この物語を読んで切実に感じたことでした。何だか世界はますます反対の方向に向かっているように思えて仕方ないけれども。作者のアースキンさんの危機意識も、そこにあるように思います。

さっきも書いたように、自閉スペクトラム、アスペルガーの方たちが、この世界をどんな風に見ているのかについての本を読むと、はっとさせられることが多いのです。初めて読んだのは、ドナ・ウイリアムス の『自閉症だったわたしへ』。この本を翻訳していらっしゃるニキリンコさんの『俺ルール!』(花風社)も目からウロコでした。『ぼくには数字が風景に見える』(ダニエル・タメット 講談社)という数字に共感覚を持っている男性の手記もとても心惹かれました。彼らと暮らす家族の視点から描いた児童書としては、『アル・カポネによろしく』(ジェニファ・チョールデンコウ こだまともこ 訳 あすなろ書房 )『ルール!』(シンシア・ロード おびかゆうこ訳 主婦の友社 )『トモ、ぼくは元気です』(香坂直 講談社)などがあります。

2013年1月刊行