あらしの島で ブライアン・フロッカ文 シドニー・スミス絵 原田勝訳 偕成社

 シドニー・スミスの絵が、すばらしい。いまにも嵐がやってこようとするときの、空の色や風の匂い、ざわざわする空気感が、みごとに描き出されている。嵐が来るときの、非日常感。怖いけど、ワクワクするような、体中がざわめくような、あの感じ。いつもと違う顔をしている場所をめぐってみたくなるのは、誰でも経験のある感情だ。 

 

「もう、気がすんだ? それとも まだ?

 手をひっぱって、ひっぱられて、ぼくらはさきへすすむ」

 

海も空も暗くなって、それでいて雲の切れ間から光が射して。複雑な表情を見せる瞬間が、ページをめくるたびに押し寄せ、ドキドキする。見開きいっぱいに展開するところと、横に長く切り取った絵を重ねていくところと、変化とリズムがあるのもいい。嵐が吹き荒れるギリギリのところを駆け抜けながら、五感が研ぎ澄まされていく。迫力に押し流されて、細部の美しさに引き込まれる。いいなあ、と、溜息をついて、もう一度、はじめから読む。何度もめくりたくなる。何度も体感したくなる。この世界は、こんなに美しくて、不思議に満ちているということを。

こうして、本棚にシドニー・スミスコレクションが増えていく。 

 

 

いち にの さん! スギヤマカナヨ 童心社

 

日本で初めて出版される多言語の赤ちゃん絵本。 

 この絵本は、9つの言葉で書いてあります。日本語、中国語、ベトナム語、韓国語、フィリピノ語、ポルトガル語、英語、ネパール語、スペイン語です。日本語ではない言葉を話す人にも楽しんでもらえるように作りました。言葉を読まなくても、絵を見ておしゃべりするのでもいいのです。(童心社HPより) 

 赤ちゃんにファーストブックをプレゼントする「ブックスタート」の仕事を長らくさせてもらっている。最近、海外から来られて、日本で子育てする方が、ぐんと増えた。ブックスタートNPOが用意してくださっている多言語の案内冊子も添えるが、プレゼントするのはもちろん日本語の赤ちゃん絵本だ。皆さん、とても喜んでもらってくださるが、母国語で書かれた絵本もあると嬉しいだろうな、といつも思う。この『いち にの さん!』は、9か国語で書かれていて、絵も明るく楽しく、視覚的にとてもわかりやすい。赤ちゃん絵本は、絵本のなかでも最も難しいジャンルで、色や形が洗練され、リズムがあって、読んだときに心地よい、動きがあって赤ちゃんの目でもとらえやすくて…と、様々な条件をクリアしないと、これ!という作品にならない。この絵本は、スギヤマカナヨさんのセンスと心遣いが、ぎゅっと詰まって、子供もだけれど、大人にも楽しい一冊だ。それぞれの言葉をどう読むのか、後ろにちゃんと読み方がついているし、奥付のQRコードから、各言語の朗読も聞くことができる。世界には、こんなに色々な言葉があって、それでいて、「友達」「だいすき」という共通の感情は同じなんだな、ということもわかる。 

言葉は扉で、居場所でもある。壁をこえて、たくさんの子供たちの居場所が、絵本のなかにできるといいな、と思う。

One Day ホロコーストと闘いつづけた父と息子の実話 マイケル・ローゼン 文, ベンジャミン・フィリップス 絵, 横山和江 訳鈴木出版

 

表紙に描かれているのは、たくさんの顔、顔、顔。眼鏡をかけたり、帽子をかぶったり、スカーフやストールを巻いたり。赤ちゃんや子どもを抱いた人もいる。皆、表情には影が射して唇は引き結ばれ、言葉にしがたい思いを、必死に飲み込んでいるように見える。服には、黄色のユダヤの星が縫い付けられている。X(旧ツイッター)で、Auschwitz Memorialというアカウントが、アウシュヴィッツに収監されたユダヤ人の写真を、毎日のように一人ずつ紹介しているのだが、彼等のまなざしと表情が、そのままこの表紙に書き起こされているようで、胸が痛い。 

 

この絵本は、第二次大戦中、パリから収容所に強制連行された、ハンガリー系ユダヤ人の父と息子の物語だ。1940年にパリがナチスドイツに陥落し、ヴィシー政権はナチスに協力してユダヤ人の連行を推し進めていた。この物語の「ぼく」と「父さん」はレジスタンス活動をしていて警察に目をつけられ、収容所に送られてしまう。ナチス政権下でレジスタンス活動をするということは、反戦ビラを配った白バラのショル兄弟が絞首刑になったことを思い出すまでもなく、大変勇気のいることだ。しかし、そんな二人にとっても、収容所の生活はつらすぎた。飢えた体に重労働がのしかかる。アウシュヴィッツ収容所にいたプリーモ・レーヴィが、水さえも与えられずに工事現場のほこりの中で働かされ、いつも渇きにさいなまれていたとき、一本の管から滴り落ちる水を、友人と二人でほんの少しずつ舐めつくしたことがあったという。たったコップ一杯分ぐらいの水だ。しかし、そのことを知った他の友人との間には、解放後もずっとしこりが残ったという。その数滴の水が、生死をわけるほどの重みをもっていたということなのだ。

 

昨日のことは、かんがえない。

明日なんて、ないかもしれない。

 

「その日、一日だけ」を生き延びる。ただ、それだけを考える日々。人間らしい暮らしというのは、昨日と同じ今日があり、今日と変わらぬ明日を送ることができるはず、という日常の連続性の上に成り立っている。そんな人間の尊厳すべてを奪う収容所の暮らしの過酷さが、この言葉に込められている。でも、彼らのいた収容所は、通過収容所で、実は、もっとひどい収容所に送られる前にいれられるところだったのだ。そこから毎日ユダヤ人たちがどこかに連れていかれ、帰ってくることはなかった。どこか、というのは、恐ろしいガス室のある、絶滅収容所だ。もちろん、彼らはプリーモ・レーヴィがいた悪名高きアウシュヴィッツやトレブリンカで何が行われているのか知るよしもなかったが、列車に乗せられてしまえば、もう戻っては来られないことだけはわかったのだ。どこかわからないその場所を、彼等は「ピチポイ」と呼んでいた。「ピチポイ」という、どことなく滑稽な、それでいて空虚な語感には、底知れない恐怖も、恐怖だけに支配されたくない抵抗の意志も込められているように思う。これ以上、尊厳も命も失いたくない。ピチポイにだけは行きたくなかった彼らが収容所で何を始め、その後どうなったか。それは、この絵本を読んで自分で確かめて頂きたい。極限のなかで、彼らがどう絶望と闘い、自分たちを押しつぶそうとする力に抵抗しようとしたかを、だ。

 

この絵本に書かれているのは、地獄の窯で煮詰められたような絶望だ。しかし今、その暗闇は、描かれなければならない大切なものだと思う。ナチスのホロコーストの物語は、これまでにもたくさん書かれてきた。でも、ガザで繰り返されている民族浄化の虐殺を目の前にして、まだまだ、私も含め、この虐殺を止めることができなかったすべての者たちは、ホロコーストの教訓を、真の意味で受け止めきれていないのだと思っている。この表紙の人たちのまなざしは、今、殺されていこうとする人たちのまなざしなのだ。

 

しずくと祈り 「人影の石」の真実 朽木祥 小学館

 ライフワークとしてヒロシマを描き続けてきた朽木祥さんの最新刊。広島平和記念資料館に収蔵されている「人影の石」をテーマにした、史実を忠実に踏まえた物語だ。実は、この「人影の石」の主ではないかと言われている「越智ミツノ」さんは、朽木さんの姻戚にあたる人で、ミツノさんの一人娘の幸子さんは子どもの頃にお世話になった方だったらしい。この石に残った人影が誰のものであるかを確定することは、この物語に詳しく書かれているように、非常に難しいことだった。「人影の石」があったのは、ほとんど爆心地ともいえるような場所だ。三千度から四千度になったという熱線を浴びて、ほとんどの人が即死し、壊滅的な被害が出た混乱の極みのなかで、たったひとつの死の状況を特定することが、いかに難しいか。しかし、難しいからこそ、この物語は書かれねばならなかったに違いない。

 「人影の石」のモチーフは、『八月の光 失われた声に耳をすませて』(小学館)の冒頭に収録されている短編「石の記憶」にも取り上げられているが、今回は、歴史ドキュメントとして、非常に緻密に再構成されている。幾つもの時と場所、眼差しを重ねながら、「あの日」を立ち上がらせていく過程が見事だ。物語としては、一気に読めるぐらいのページ数でありながら、原爆という巨大な、捉えがたいものに肉薄する扉がたくさん秘められている。原爆のことは学校で習っても、冒頭に描かれる原爆スラムのことまで知っている人は、あまりいないかもしれない。そこにずっと暮らしている人たちと、原爆のことを考えずに生きていける人たちとの断絶から紡がれる物語は、零れ落ちていく人々の記憶を、パズルのピースを埋めるように丁寧に拾い集めていく。原爆投下の日に人々が体験したこと、また何とかあの日を生き延びても、家や家族を焼かれてしまったあと、傷ついた心と体を抱えて生きてゆかねばならなかったこと。声も出さずに消えていった人たちのこと。被曝しても被爆者と認められず、何の支援も受けられなかった朝鮮の人々のこと。

 巨大な暴力に押しつぶされてしまったのは、「人間」なのだ。このことを忘れてしまったら、ミツノさんと、娘の幸子さんが味わった地獄は、再び未来に蘇ってしまう。ガザで繰り返されているジェノサイドを目の当たりにし、核兵器の使用が再び現実性を帯びているいま、これは腹の底に落ちてくる恐ろしい確信だ。 先日、「パレスチナ・イスラエル取材記 壁の外側と内側」という映画を見に行った際、この映画を作った川上泰徳氏の舞台挨拶を聞く機会があった。映画は川上氏がイスラエルとヨルダン川西岸のパレスチナ自治区で人々に直接取材した映像がそのまま使われていて、ニュース報道ではわからない人々の生の声を伝えてくれる。日常的に行われているパレスチナの人々へのイスラエルの暴力と抑圧は痛ましく残酷なものだが、ほとんどのイスラエルの人々は、その事実を知らない。イスラエルはパレスチナの人々を閉じ込めるために巨大な分離壁を作ったが、その壁は「外側」を遮断し、「内側」に自らの加害への無関心を育てている。「無関心」は暴力の温床になっているが、その暴力は「自分とは関係ない」人々を殺すだけではなく、イスラエルの人々自らの人間性を殺してしまっているのではないかと川上氏は言う。自分の知りたい情報の中だけで過ごすのは、SNSのフィルターバブルのなかで生きている現代人すべてに共通していることで、これは何もイスラエルの人だけの問題ではないのだ、と。しかし、絶望的にも思えるこの状況のなかでも、イスラエル人のなかに、少数ではあるがパレスチナの人々と交流を持ち、「友人」になろうとする人たちがいる。このささやかな営みは、袋小路から脱する、微かではあるが、確かな道標になるのではと川上氏は言う。パレスチナの人々は、何度叩きのめされても、家を壊されても、洞窟の一隅に薔薇を飾り、人間らしく生きようとする。それは、人間らしく生きて日常を送ることが、ささやかでも確かな抵抗の印だからだ。そのパレスチナの人々と友人になって初めて、イスラエルの人々も人間性を回復できるのでは、と。この話を聞きながら、この人間性の回復のあり方は、物語の中に生きる人々の喜びと痛みを共にし、思いを馳せることにも通じるのではと、私は思ったのだ。 

ささやかな、小さな命のしずくは、戦争で一番先に踏みつぶされる。あの日の朝、ミツノさんは銀行に出かける前に、縁側に布団を干していく。あの頃、布団は、何度も綿を打ち直し、仕立て直して、とても大切に使ったものだった。夫亡きあと、娘との暮らしを守ってゆかねばならぬという母の思いが、ささやかな行いのなかにも宿っている。記憶の糸を伸ばし、張りめぐらせて失われた命のしずくを蘇らせる。それは、巨大な暴力への、ささやかでしぶとい抵抗であり、人間性を失わぬための道標でもある。そのしずくをこの手に受け、命の重みを感じることもまた、このやり切れない世界に生きながら人間としての心を失わぬための、大切な抵抗だ。またひとつ、灯された平和へのあかりが、大きく広がっていくことを願う。

2025年10月刊行