とにかく、主演のアラン・カミングが素晴らしい!彼の演じるルディは、その日暮らしのゲイのダンサーです。ショービジネスの中で生きる色気と、散々傷ついてきた苦しみと、孤独に汚されずに息づいている純粋さが見事に一つの表情に見え隠れするのです。冒頭のドラァグクイーンとして踊る姿も魅力的だけれど、ドラマが展開していくにつれて、今度は内面から溢れてくる光が彼を美しく照らして、見ほれてしまいました。そして、折々に入る歌声が、またいい!あの歌声で、感動は確実に何割増しかになってますね。
ルディは、店に来た弁護士のポールと恋に落ちるのですが、奇しくもその日、麻薬常習者の母親に取り残された、ダウン症のマルコという少年と出会います。親の愛を知らずに育ってきたマルコを、優しいルディは手放せなくなってしまう。その気持ちを知ったポールは、自分の家で一緒に暮らそうと二人を誘って、ルディとポールは、マルコの両親となります。このとき、ルディがデモテープを作るために、二人の前で歌う“Come to me” が、素晴らしい。ハロウインやクリスマスでの三人の笑顔。海辺で寄り添うマルコとルディ。その光景があまりに美しくて、儚くて、きっとこの幸せがすぐに壊れてしまうだろうことが暗示されていて、とても切ない。この映画の舞台は1979年。車の中でルディとポールがいちゃいちゃしているだけで、警官に銃を突きつけられるシーンがあって驚いたのですが、この当時は同性愛が即犯罪であるという認識だったわけです。当然、彼らへの世間の風当たりは、恐ろしく厳しく、マルコは家庭局に連れ去られてしまい、ポールは自分の仕事を失ってしまうことになります。
ここからの、ルディとポールの闘いは壮絶です。いくら彼らが愛情深くマルコを育てていたことが証言されても、裁判で繰り返されるのは、ただ、彼らの性生活をほじくり返し、揶揄することばかり。差別と偏見の壁は、彼ら三人を打ち砕きます。ただ、一緒にいたいだけという彼らの愛情は、法律という網の目からこぼれ落ちてしまう。それは、世間の枠組みに当てはまらない愛情だから。自分には何の関係もないのに、あの手この手でルディ達を追い詰めるポールの上司の弁護士が出てくるのですが、ルディとポールが苦しむところを見ながらほくそ笑む彼の顔には、マイノリティへの被虐の快感がにじみ出ていました。一緒に映画を見た若い友人が、なぜあんな意地悪をするのかわからない、と言っていましたが。弱いものを踏みにじりたいという欲望、それも正義の名を騙って自分の支配力を確認したい人間は、たくさんいるんですよね。それは多分、私の心にも住んでいる。そう見るものに思わせるだけの深みが演技にありました。一歩間違えればセンチメンタリズムに流されかねないテーマに分厚さを与えているのは、この脇を固める俳優陣の素晴らしさだったのかもしれません。数シーンしか出てこないマルコの母親が、底知れない虚無に包まれていたのも胸に刺さりました。
ネタばれになるのでこれ以上ストーリーは書きませんが、ラストはハッピーエンドではありません。映画館中、すすり泣きの声でえらいことになっていたぐらいです。でも、心の中にとても暖かいものが残ります。ルディとポールは、楽な道を選ばなかった。どんなに傷つけられても、マルコを守ろうとした。自分が愛しているものへの気持ちを汚され、笑われることって、とても凹みます。でも、やっぱり自分が愛しているものは、自分が守っていかなくちゃいかんのだわ、と。例えその結果が敗北の形をとったとしても、それはいつか、光となって自分の中に帰ってくる。ルディが最後に歌った“I Shall Be Released ”は、ずっと私の胸の内で鳴り響く臆病な自分を励ますテーマソングになりそうです。