2013年の心に残った本 

2013年が終わります。自分でもツッコミたくなるくらい、久しぶりの更新ですねえ。実は今年の後半は、ずーっと評論を書いていました。一つは10月締め切りで、もう一つは今日、12月31日締め切り。もう、大掃除も何にもしないままに、やっと書き上げて送ったところです。公募の評論なので、結果がどうなるかはわかりませんが、とにかく書き上げられただけで自分では満足かな(笑)でも、10月に送った方は、おかげさまで選考を通過しまして、来年『日本児童文学』という雑誌に載せて頂く予定です。何月号に載るかはっきりしたら、お知らせします。タイトルは「朽木祥の『八月の光』が照らし出すもの」。機会があれば、読んで頂けると嬉しいです。

私は不器用というか、頭の切り替えが出来ないというか、評論を書いていると、ずーっとそのことで頭がいっぱいになってしまって、他のレビューが書けなくなってしまいます。ほんとに、いろんな作品を並行して書き上げられる作家の皆さんは凄い!もうね、30枚くらいの評論を書くのに、こんなに苦労する自分に笑えます。でも、あれこれ悩んでじたばたしながら書いていると、ふっと自分の思考の蓋がパカッと開いて次に行ける瞬間があって、そこが面白くて苦しくて、面白いという(笑)来年はどうするかわかりませんが、いろんな機会を捕まえて、評論を書いていこうと思っています。ですので、ブログの更新がしばらく無かったら、「あ、今、苦しんでるな」と思ってください(笑)(知らんがな!!)

今年はそんな関係で、評論や社会学の本を読むことが多くて、肝心の児童書や、大好きな翻訳作品を集中して読むことが出来なかったのが心残りです。来年はもっとがっつりと読んで、レビューもたくさん書きたい!うん、これはちゃんと言葉にして言っとくべきですね。言霊、言霊。そんな中でも、心に残った本たちをあげておきます。順不同。

光のうつしえ―廣島 ヒロシマ 広島 朽木祥 講談社

実は、この作品で今日まで評論書いてました。ヒロシマは、とても大切な、私たちが伝え続けていかなければいけないことです。ヒロシマを置き去りにしてきたことが、今、私たちの暮らしとこれからの子どもたちの生きる場所を脅かしている。戦後70年経った今、ヒロシマをどう自分の問題として若い人たちに伝えていくのか。この作品は、その難しさに対する真摯な挑戦であると思います。原発の問題、それから秘密保護法案、きな臭い情勢の中での靖国参拝。非常に危機感を覚えます。この本を、少しでも多くの人に読んでもらいたい。ヒロシマは、他人事ではありません。今、ひしひしとそれを感じます。

嵐にいななく L・S・マシューズ 三辺律子訳 小学館

近未来のような、位相が少しずれた世界のような、どこか不安を感じさせる場所が舞台のこの物語。冒頭の洪水のシーンが忘れられません。ひたひたと押し寄せる黒い水のような不安の中から、主人公の少年が自分の手で掴む信頼という名の黄金がきらめきます。最後まで読んで、あっと驚くどんでん返しの妙も味わってほしい一冊。

マルセロ・イン・ザ・リアルワールド フランシスコ・X・ストーク 千葉茂樹訳 岩波書店

今年のYA翻訳作品の中で、一番好きな作品です。主人公のマルセロがほんとに素敵で、どんどん感情移入してしまう。マルセロの感受性と内面の豊かさに、大切なことを教えられます。何を目指して人生を歩いていくのか。人を愛するということはどういうことなのか。マルセロの眼差しとともに、じっくりゆっくり考えたくなる。文章もとても美しくて何度も読み返したくなる作品でした。

象使いティンの戦争 シンシア・カドハタ 代田亜香子訳 作品社

今年は戦争についての本をたくさん読みました。思うのは、戦争とはある日突然始まるのではなく、いつの間にか一線を越えてしまっているもの、知らないうちに巻き込まれているものなんだということ。その「知らないうちに」の恐ろしさが、この本には描かれています。ジャングルの混沌の中を彷徨うティンと、暁の星のように彼を導く象たちの愛情に満ちた姿。忘れられない物語です。

わたしは倒れて血を流す イェニー・ヤーゲルフェルト ヘレンハルメ美穂訳 岩波書店

岩波のSTAMP BOOKSは面白い。この本はのっけから血だらけだし、主人公の少女のエキセントリックさや性の描き方など、YAとしては結構リスキーな選書です。でも、だからこそ面白い。時代が突きつけてくるテーマから目をそらさず、挑み続けるこの姿勢は、さすがに岩波だと思うのです。身体と心から血を流す少女の痛みと危うさに、もっと身を浸していたくなる。母と娘の根源的なテーマを描いた骨太さも魅力的でした。

スターリンの鼻が落っこちた ユージン・イェルチン 若林千鶴訳 岩波書店

今年は信じられないことが次々と起こった一年でした。オリンピックの誘致で首相が原発事故について、全世界に嘘をついたこと。橋下大阪市長の慰安婦発言。さっきも書きましたが、特別秘密保護法案の強行採決。原発ゼロを目指すと決めたことを翻して、原発をベース電源にするとの方針転換。そして、過敏になっている神経を逆なでするように行われた靖国参拝。この流れに、恐ろしいものを感じてしまうのです。この「スターリンの鼻が落っこちた」の中の一節。

「わたしたちがだれかの考えを、正しかろうが間違っていようが、うのみにし、自分で選択するのをやめることは、遅かれ早かれ政治システム全体を崩壊に導く。国全体、世界をもだ」

この言葉を忘れないように。そして、子どもたちにも伝えていきたいと思います。

花びら姫とねこ魔女 朽木祥作 こみねゆら絵 小学館

この本に登場するたくさんの猫たち。ゆらさんのお書きになる猫さんたちがとても可愛くて愛しくて。しかも、うちの猫二匹もこの中に書いて頂いたんですよね~~(自慢自慢!)この本を何人に見せたことか。―という個人的な事情は別にして、これはとても素敵な本です。あなたにとって「とくべつ」って何ですか?と問いかけてくる物語なのです。他の誰かの「とくべつ」ではありません。自分だけの「とくべつ」です。心通う「とくべつ」を探して、自分だけの「とくべつ」を抱きしめて見失わずにいたい。声高に語られる大きな物語や誰かの思惑に振り回されずに。それが来年の私の目標でもあります。

こんな気まぐれの更新しかないブログにきて下さって、やたらに長いレビューを読んで頂けたこと、心から感謝しております。ありがとうございました。 来年もよろしくお願いいたします。

Rie Shigeuchi

猫のよびごえ 町田康 講談社

年末である。師走なんである。非常に寒がりなので、あまり大掃除とかはやりたくない。しかし、いろいろと用事が鬱陶しいほど溜まっているし、読まなければならない本も山積みなんである。書かなきゃいけないこともたくさんある。先日見た骨太の映画『ローザ・ルクセンブルク』の話なども書きたい。なのに、手元に町田さんの本があると、もういけないんである。つい、開く。読み出したら、町田さんの語り口に引き込まれてしまい、結局最後まで一気読み。もう、とことんまで猫神さまに取り憑かれている町田さんに合掌してしまった。そして、やっぱり色々考えてしまった。

この本には、ここ3年ほどのエッセイが収録されているのだが、その間に町田さん、猫を4匹ほど拾ったり、預かったりしておられるのだ。しかも、何と犬まで増殖している。町田家には既に9匹の猫がいたわけで、もう何がなんやらめっちゃくちゃなんである。これだけ猫がいると、それでなくても猫同士のバランスを保つのが大変なのに、そこに新参者が入ってくると、何しろ猫は環境が変わることが一番嫌いなんで、揉めに揉める。そこで町田さんは、あっちの猫に気を遣い、こっちの猫におべんちゃらを遣い、今度はそっちの猫をなだめすかして、必死に奮闘する。でも、猫たちは町田さんを独占できぬ嫉妬に身悶えして、マーキングはするは、ハンガーストライキはするは、とことん町田さんを振り回す。もう、そのあたりの「しゃあないな、もう」という涙目いっぱいのドタバタがなんとも可笑しく、切ないんである。そして、あったかいんである。

町田さんは、猫を飼うということがどういうことか知り尽くしているので、いつも新しい猫に出会うと一応躊躇する。「猫を保護すると自分の時間をとられるし、はっきりいって医療費も餌代など、銭もけっこうかかる」。本音をいえば、もうこれ以上は避けたい。でも、そのとき町田さんに内なる声がささやくのである。「おまえって悪魔?」見捨てたりなんかしたら「地獄の業火に焼かれますよ」と。町田さんは、含羞の人なのでこういう言い方になるんだが、別に信心深いわけじゃないと思う。町田さんは、忘れる、ということが出来ない人なのだ。身を切る「後悔」という業火の恐ろしさを知っている。

町田さんはたくさん、身寄りの無い猫を飼ってきた。いくつもの命も見送ってきた。自分のところにやってきて、たとえ少しでも一緒に暮らした命は、もう、犬とか猫とかいう種族の分類なんてくそ食らえに関係なく、家族なんである。この本にも、町田さんが代弁している猫さんたちの心のつぶやきがたくさん書かれているけれど、彼らにも人と変わらぬ心があり、プライドがあり、愛情や悲しみがある。小説という、心と常に向き合う作業が習い性となっている町田さんには、彼らの声がほんとに台詞になって聞こえているに違いない。困った境遇の猫を目の前にすると、その子がこれからどんな末路をたどるか、その溢れんばかりの想像力で一番悲惨な状況を思い描いてしまうんだろう。町田さんは、失った猫さんのことを語れない。2年経ってやっと「二〇〇八年三月十五日の深夜、トラが死んだ」と書く町田さんの辛さが、切なかった。町田さんにとって、その記憶はずっと色あせず、変わらぬ手触りで心の中に存在し続けているのだろう。饒舌な町田さんが語れないくらいに。猫や犬を救う活動をしている方達というのは、自分たちのところにやってきた子たちの幸せを考えながら、いつも自分が救えなかった命に心を痛めているようなところがある。その痛みを忘れられないから、手を差し伸べずにはいられない。痛みの記憶を持ち続けることについて、あれこれと考えてしまった。

最近「空気を読む」ということについて、あれこれ考えている。今更遅いよ、と言われそうだが、まあ、それでも考えざるを得ない。だって、最近の「空気を読んで忘れなさい」圧力って、凄いじゃないですか。秘密保護法案ていうのは、「あんたたち、怖かったら何にも言わないで空気読んで自己規制しときなさいよ」っていう脅しみたいなもんですよね。しかも、原発を発電のベースにするよ、なんて宣言しちゃうし。この、全く何も解決できていない状況は、どうするんだか全く説明がないままなのに。戦争だって、震災だって、原発の事故だって、とにかく無かったことにしておきたい人たち(いや、戦争はこれからやろうとしてるのかも)の圧力をひしひしと感じてしまう。でも、そういう人たちは絶対に困っている人、弱い立場にいる人には手を差し伸べない。痛みや苦しみは、効率やお金儲けには邪魔なものだから。町田さんにとって、猫さんと自分は同じ並列にある。(いや、猫さんの方が上にいるのかもだけど)だから、彼らの痛みを見て見ぬふりが出来ない。弱さや痛みを分け合う、というのはまっすぐお互いに向き合う関係の中からしか生まれないのだろう。いつまでも仮説住宅に暮らしている人たちや、事故原発の中で放射能を浴びながら作業している人たちや、自分たちが可決しようとする法案に反対するひとたちのことを見下して差別化する眼差ししか持たぬ人たちは、切り捨てることのみ考えてるんだよなあ。傲慢な彼らの顔を思い浮かべるだけで、げんなりしてしまう。反対に、「やだなあ」なんて思いながらも、絶対に命を投げ出さす、こけつ転びつ、カッコ悪く猫さんたちと生きている町田さんは、何てかっこいいんだろう。町田さんは、猫は空気を読むことに長けているという。でも、猫たちは決して相手に自分の考えを押しつけたりはしない。「私たちはそんな風にして生きている。今日もまだ生きている。今日もまた、生きていく」ラストの一行の「私たち」という言葉が胸に沁みる。

2013年11月刊行

講談社