光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島  朽木祥 講談社

「美」はいつも心に新しい感動をくれる。美しさは人の心の扉を開いて、そっと奥底に滑り込む。夕焼けが、樹々や海の色が人の心にいつも何かを語りかけるように、「美しい」ということは私たちの心を解き放つのだ。ヒロシマの物語、というと「怖い」「恐ろしい」という拒否反応が特に子どもたちには生まれがちだが、この『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』は、ヒロシマの記憶を残された人たちの心と共に伝えながら、しみじみと美しい。この作品は、児童文学というジャンルにおいて、「ヒロシマを美を以て語る」という難しいことをやってのけたのではないかと、読み終えてまず思ったことだった。卓越した文章力がある朽木さんだから出来たこの物語は、灯籠の光とともに、原爆投下前の廣島、あの日のヒロシマ、そして現在の広島を繋いで確かなメッセージを刻み、読み手の心に色鮮やかに流れ込んでくる。

舞台は、あの日から25年後の広島。犠牲者を悼む色とりどりの灯籠流しのシーンから始まる。12歳の希未は、母が何も書かれていない白い灯籠を流すことに初めて気がつく。「あれは誰の灯籠なんだろう」と思った希未に、一人の老婦人が声をかける。「あなたは、おいくつ?」どうやら、老婦人は誰かの面影を希未に見つけたようなのだ。その老婦人のことが気になっていた夜、希未は仏壇の部屋で声を殺して泣く自分の母を見る。「もはや戦後ではないと言われ始めたころになっても、人びとは変わらず誰かを待ち続け、探していたのである」これは、朽木さんが書かれた「過ぎたれど去らぬ日々」(※1)という文章の一節だが、25年が経っても希未の周りにいる人々は、それぞれ亡くなった人の面影を心に「うつしえ」として刻んだままなのだ。希未は、ひょんなことから自分の通う中学校の美術教師である吉岡先生にも、忘れられない人がいることを知る。そして、その吉岡先生の入院をきっかけに、希未たち美術部は「あのころの廣島とヒロシマ」というテーマで文化祭に向けて作品を作ることを決め、自分たちの身近な人たちのかっての「廣島」と、あの日の記憶 「ヒロシマ」を聞くことにする。そのための打ち合わせのために若い希未や俊が話し合っている言葉の一つに、私ははっとした。

「よう知っとると思うとることでも、ほんまは知らんことが多いよな」
「よう知っとると思うとる人のこともね・・・・・ 」

この夏にNHKが放送した『ヒバクシャからの手紙』という番組を見たのだが、68年経った今でも、自分の娘や息子たちに被爆体験を語れない人たちがたくさんおられる。親しい肉親相手だからこそ、語れない人も多い。この「語れない」というところに、何が込められているのか。その言葉にならぬ思いを、朽木さんはこの作品の中で、丁寧に選び抜かれた言葉で綴られているように思う。この本の献辞は【世界中の「小山ひとみさん」のために】と綴られている。小山ひとみさんは、戦死された息子さんのことを歌った短歌をたくさん新聞に投稿された実在の方で、この物語にも何首か紹介されている。その短歌には、夫も子どもにも先立たれた小山さんの、極北に一人佇むような日々が凝縮されているようだ。先日の講演会で聞いたところによると、朽木さんはこの小山さんの短歌をリアルタイムで読んでおられたらしい。私は母親だから、やはり、息子を失った母の辛さに共鳴してしまう。そのしんしんと伝わってくる思いが、作品中に挿入される一人一人の記憶の物語と深く響き合って、まるで昨日自分の身におこったことのように身に染みた。吉岡先生の、耕造の祖父母の、須藤さんの、そして、希未の母が流す灯籠に託された思い。「知っていると思うとる人」が心の奥深くにしまい込んでいた記憶、顔の見える身近な人たちの見えなかった苦しみに触れることは、希未たち若者の心に新しい目を開いていく。人を成長させるのは、誰かの苦しみや痛みを自分自身のものにする力、「共感共苦」(Compassion)(※2)の力なのだ。お見舞い帰りのバスの中で吉岡先生の気持ちに気がついて大泣きしてしまった希未の涙は、今まで気づかなかった他人の心に深く共感したからこそ生まれてくるものであり、その共感は、この混沌とした世の中でいったい何が真実なのかを見抜く鍵でもあるのだと思う。

そう、この「よう知っとると思うとることでも、ほんまは知らんことが多いよな」という一言には、私たち人間が常に意識して考えていかねばならない深いものが隠されている。 1996年にノーベル賞を受賞したポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカは、言う。自分に対して「わたしは知らない」ということが、自分の選び取った仕事に対する不断のインスピレーションを生むものだと。そして、反対に「知っている」と思うことの危険性についてこう述べている。「どんな知識も、自分のなかから新たな疑問を生み出さなければ、すぐに死んだものになり、生命を保つのに好都合な温度を失ってしまいます。最近の、そして現代の歴史を見ればよくわかるように、極端な場合にはそういった知識は社会にとって危険なものにさえなり得るのです。」(※3)私たちはヒロシマを知っていると、記憶していると思っていた。少なくとも、私はそんな風に思い込んでいた。ところが、だ。真の記憶として心に刻まずにいた核の恐ろしさは、いつの間にか「知っている」と思う傲慢さの陰で忘れられて、日本は名だたる原発依存の国になっていた。そのことが、3.11のフクシマに繋がっているのだと私は思う。そんな私たちに、この物語は静かに語りかける。「あなたは知っていますか?」と。真の意味で、「知ろうとしていますか?」と。この、固定概念や思い込みを解き放ち、新しい目で、新鮮な心で物事の本質を見極めようとする、それは物語の力であり、芸術の力なのだ。

しかし、この『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』でも語られているように、美術や音楽、芸術は、国が危険な方に向かおうとするときに一番に弾圧されてしまう。「戦争が始まって真っ先に無用とされた科目は美術や音楽だったって。あと本もたくさん規制されたって」というのは事実だ。なんだか、その萌芽が今、あちこちに芽生えているような気がするのは私だけなんだろうか。(余談だけれど・・。「役にたたない」というお題目のもとに、文学や哲学さえも大学の学部から無くなっていくことが、私には何か恐ろしいことの始まりのように思えてならない。)希未や俊は、絵や彫刻を制作し、自由に「あのころの廣島とヒロシマ」を表現することで新しい心の目を開いていく。そして、ヒロシマを出発点として、その眼差しはもっと広がっていくのである。子どもを、若者を自分たちの都合の良いように使いたがる大人は、まずそういう自由な心の目をふさごうとする。吉岡先生からの手紙の中で述べられている「加害者になるな。犠牲者になるな。そしてなによりも傍観者になるな」という言葉は、心の自由を奪われない未来に向けての、これからを生きる子どもたちへの大切なメッセージだ。そして何より私がいいなと思うのは、この物語の中で、そのメッセージが「自分たちの出来ること」と結びついていることだと思う。大きな暴力や社会的な問題に対するとき、人は自分の小ささと非力を感じて、無力感に襲われてしまう。自分に出来ることなど、何もないと思ってしまいがちだ。私もずっとそう思っていた。しかし、吉岡先生が手紙の中で希未たちに伝えているように、「この世界は小さな物語が集まってできている。それぞれのささやかな日常が、小さいと思える生活が、世界を形作っている」のだ。そこから離れたところに、人の幸福はない。だからこそ、私たちは自分たちの小さな人生の中で何度も大切な記憶を心に刻みつける必要があるのだ。小さいからこそ出来ることがある。心に小さな灯籠流しの光を刻むことが、まことしやかに語られる大きな嘘を見抜く礎になるはずなのだ。希未や俊や耕造が、小さな「自分に出来ること」を精一杯やり遂げたことが、彼らの身近にいた人たちに、どんなに希望を与えたか、この物語の最後に原爆ドームを照らした色とりどりの美しい輝きを、どうか味わって欲しい。

ヒロシマは、過ぎた過去のことではなく、これから世界中どこにでも起こりえることでもあるし、この世界のどこかで、今、起こっていることでもある。ヒロシマを深く記憶することは、過去と現在と未来を繋ぐ視点を持つことではないか。私は最近ようやく、そんな風に考えるようになった。この物語のサブタイトル『廣島 ヒロシマ 広島』が意味するところも、そこにあるように思う。この物語は、これまでヒロシマを知っていたつもりであった私のような大人にも、これからヒロシマを知る子どもにも、非常に大切なことを丁寧に伝えてくれる物語だと思う。原爆についての基本的な知識もきっちりと書かれている。たくさんの人に読んで貰いたいし、『八月の光』(偕成社)の時にも思ったのだが、ぜひ翻訳されて海外の人にも読んで頂きたい。

2013年10月11日発行

講談社

 

(※1)「過ぎたれど去らぬ日々」朽木祥 子どもの本2012年9月号 日本児童図書出版協会

(※2)「「記憶」から去らない姿」朽木祥 子どもと読書 2013年7・8月号 親子読書地域文庫全国連絡会

(※3)「終わりと始まり」ヴィスワヴァ・シンボルスカ 沼野光義訳 未知谷