インヘリタンス 果てなき旅 ドラゴンライダーbook4 クリストファー・パオリーニ 静山社

前作の『ブリジンガー』から3年あまり。待っていた完結編が刊行されました。上下巻の力作です。ただ人がたくさん死ぬ戦闘ファンタジーは苦手なんですが、この物語は単なる善悪の二元論に止まらず、争いという出来事の中にある人間の複雑さや心情をしっかり描き出しています。手に汗握る展開といい、キャラクターの魅力といい、この分厚さを一気に読ませて圧巻です。

そう、この物語の読みどころは、戦争という特殊な状況の中での、主人公たちの内面の葛藤や弱さが克明に描かれるところだと思います。ドラゴンライダーとして、ガルバトリックスという最強の敵と対峙しなければならない重圧に苦しむエラゴン。寄せ集めの軍隊をまとめて指揮をとるナスアダは強い女性ですが、今回は敵に誘拐され拷問を受けるという苦難に陥ります。そして、魔力も特別な能力も持たずに、自らの知恵と力だけで妻子を守り抜こうと苦闘するローラン。命をかけたぎりぎりの場所でまっすぐ自分の弱さを見つめた時に、もう尽きたと思った場所から新しい力が溢れてくる。そこに大きなドラマがありました。

でもねえ、ほんとにたくさん人が死ぬんですよ。息子たちがやっている「三国無双」を連想するくらい。ちょっとうんざりしかけました。でも、読んでいるうちに、そのあたりの矛盾も、作者は意識して書いてるんじゃないかと思ったんです。敵はばったばったとなぎ倒して死に対する感覚も麻痺するぐらいなのに、自分の身内の死に対しては深い喪失感に苦しむ。戦争の中で、エラゴンの身内に赤ん坊が生まれます。口に障がいを持って生まれたその子を、エラゴンは時間と力を使って必死に治すんです。何百人という人を殺したその手で。でも、本当はなぎ倒される名も無い兵士(実は名も無い兵士なんていないのですが)一人一人に家族があり、大切な人生がある。そこを感覚的に切り捨てる無自覚の怖さと、無自覚に気付いたときの苦しみ。その矛盾と葛藤の中に人は生きている。

それを象徴するのが、エラゴンとガルバトリックスとの最後の戦いと戦後処理の描かれ方です。ネタバレになってしまうので、あまり詳しいことは書きませんが、最後の戦いでは、相手を力でねじ伏せるのではなく、「理解」を求めるところから活路が見いだされる。この迫力溢れるシーンは圧巻でしたが、その戦いで勝利を収め(そこは予定調和だから書いていいよね)英雄になったエラゴンの身の処し方に、ああ、そうなのか、と私はこの物語のテーマが腑に落ちるような気がしたんです。ここも書いてしまうとこれから読む人が面白くないんで、明言は避けますが。エラゴンは、ガルバトリックスが犯した過ちを二度と繰り返さぬために、栄光とは無縁の、厳しい生き方を選ぶのです。そこには、ル=グウインの言うヒロイックファンタジーの本質ー「人が過ちを犯すこと。そして、ほかの人であれ、本人であれ、誰かがその過ちを防いだり、正したりしようと努めて、けれどもその過程で、さらに過ちを犯さずにはいられないこと」を描き出そうとする営みがありました。これを読んだ子どもたちは、ハラハラドキドキしながら、自分自身と語り合い、矛盾も含めた人間という存在に思いを馳せることになると思います。この壮大なファンタジーを締め括りに相応しい爽かなラストも良かった。何はともあれ、最後までこの分厚さにめげずに読み終われてほんとに良かった(笑)

2012年11月刊行 静山社

 

※表紙の画像を入れたいのですがiPadでどうしたらそれができるのかわからない。ああ。。。普通のパソコン欲しい(笑)

映画:『最初の人間』ジャンニ・アメリオ監督

あけましておめでとうございます。皆様、良いお正月をお過ごしでしょうか。私、なんと元旦からパソコンが壊れるというアクシデントに見舞われました。何をやっても立ちあがらない。とうとうリカバリまでしましたが、やっぱり立ち上がらない。仕方なく、本日修理入院となりました。正月休みということもあって、いつ治るかわからないとのこと。がっくりです。従って、しばらくは家族のiPadを使わせてもらうことにしたのですが、これがまあ、慣れないので非常に使いにくい。文章もそこはかとなく電報みたいでぎこちない。読みにくい箇所などございましたら、どうか教えてくださいませ。お願いします。

今日、パソコンを修理に持っていくついでに、息子と映画を見てきました。ジャンニ・アメリオ監督の『最初の人間』です。カミュの自伝的な遺作を映画化した作品で、静かな語り口の中にたくさんの問いかけのある映画でした。祖国アルジェリアに帰郷する有名な作家のコルムリ。独立運動に揺れる祖国のために投げかける彼の言葉は、その時は一部の人にしか届かなかった。映画の中で、恩師に彼が、自分の政治的な立ち位置の苦しみを伝えるシーンがあります。その時、恩師は彼に「小説を」書きなさいという。小説の中にこそ真実がある」と。

この映画の舞台となっているのが50年ほど前。民族や領土をめぐる問題はネットの普及も手伝って、より複雑になっているようにも思います。また、政治的に威勢のいい言葉が、年末には日本でもたくさん飛び交いました。その一方で、静かに核廃絶を訴えて座り込みを続ける方たちがいるのも事実です。今、多数の人に支持されるのは、威勢のいい言葉なのかもしれない。でも、カミュが自らの軸足を非暴力に置き続けたこと。その根底にある母への愛情や、祖国への思いが掘り下げられたこの作品を見て、最後に人の心に残っていくのは、やはりここに、非暴力に軸足を置く人間の言葉なのだと思いました。小説、物語というものはマイノリティな存在だと思います。世界の流れを変えたり、主流になることは決してないのかもしれません。でもカミュのような小説家の物語が流れる時の中で生き残っていてくれることは、とても大切なことであり、もしかしたらぎりぎりの所で私たちが踏みとどまれる最後の力になり得るのでは・・・そんなことを思った年頭でした。

少年時代のコルムリを演じた少年が、聡明な繊細さと芯の強さを見せてとても凛々しかった。彼の魅力もあって、回想の少年時代の映像がとても詩情に溢れていて素敵でした。そして主人公のコムルリのジャック・ガンブランが個人的にとても好みでした。手の表情が良かったなあ。静かに座っているだけでコムルリの、カミュの背負うものの重みを感じさせるんですよ。パソコンが壊れてしまったのは残念ですが、お正月からいい映画を見て、今年もこつこつやっていこうとおもえたのはとても良かったと思います。今年もどうかよろしくお願いいたします。