2025年三月末で閉館になる、DIC川村記念美術館。美しい広大な庭園と贅沢な建築、マーク・ロスコのシーグラム壁画を専用の部屋で展示するロスコ・ルームなどを備えた素晴らしいコレクションの噂をずっと聞いてはいたものの、関西住みの身としてはなかなか行く機会が持てずにいました。閉館と聞いて最後に駆けつける、という形になってしまった後悔はあるものの、あの空間を体感できてほんとに良かった。すべての場所に、大切に美術館を存続させてきた方々の愛情と誇りが感じられました。ステンドグラスに、ホール天井の繊細な布の花のような装飾が、見事に清らかで、職員さんたちのプライドと愛情に泣きました。
コレクションはジャンルも量も多くて多岐にわたっていて、レンブラントからモネ、ピカソやシャガールといった有名どころから、ジョゼフ・コーネルの箱の作品、ロスコやフランク・ステラまで、非常に多彩なのですが、空間の使い方が巧みなのと建築の余白が見事に計算されていて、無理なく鑑賞できます。なかでも、真っ赤なロスコ・ルームがやはり圧巻。いい意味で作品の迫力ある「圧」を感じて、ロスコという人の芸術に興味がわきます。部屋に入るまでは、静謐とか、洗練とか想像していたのですが、実際に入ってみると、結構生々しい。意志をもった生き物めいた感じというか、シンプルな造形のようでいて、複雑な感情と言葉がうごめいているように感じて、興味深かった。この部屋がなくなってしまうことで、この「圧」も失われてしまうのかと思うと、とても残念です。こういう場所は、何度も訪れて、自分のなかに何が呼応するか、どんな言葉が生まれるか、確かめるのが面白いんだと思うんです。現代芸術の面白さは、その土地や建物と組み合わされるインスタレーションの妙味を感じることかな、と個人的には思っています。なべて芸術とはそういうものかもしれませんが、作品と向き合い、その日、その場所だけのシチュエーションも含めての一期一会が自分にもたらすものを感じるのが醍醐味です。この美術館は、その出会いを来館者に提供するために、手間暇惜しまず手入れされてきた。人間がこんなに多彩で、不思議なものを生み出す力があって、感じることも考えることも、こんなに違って、だからこそ自由に共存できるんだということを、鳥たちが穏やかに泳ぐお庭も含めて体現した美術館だったのだと感じました。展示の最後に掲げてあった結びの言葉にも、川村美術館が、「あなたの内なる声」を聞き取る場としてのあり方を大切にしてきた、と書かれていて、共感とともに涙しながら読みました。
この「場」が経済効率を理由になくなるのは、損失というよりも「敗北」という言葉が似つかわしい。ヒューマニズムの敗北、人間が人間らしくあることの敗北。今、世界中を覆っていこうとしている、強者が弱者を飲み込み、なぎ倒していくことをよしとする価値観がもたらす破壊のことなどを考えながら、帰りのバスに乗りました。
コレクションを収集し、美術館を作られた関係者の皆様と、維持管理し、心込めて運営してこられた方々に心からの感謝を。ありがとうございました。どうか、少しでもこの精神が損なわれることなく移転できますように。