魔道師の月 乾石智子 東京創元社

私たちは「今」を俯瞰することはできない。いや、俯瞰しようとはしない、と言うべきかも。例えば私が今パソコンのキーを叩いている、この光景も、本当はありとあらゆる過去の積み重ねの上にあるものなんですよね。無造作に積んでいる本の一冊一冊、テーブルの下に敷いてあるラグから電話、壁にかかっている時計ひとつにしたって、発明と工夫と、それを使い続けてきた人たちの歴史があり、精神と物語がある。いわば、この瞬間、私たちが命を刻んでいる「今」は、同時に膨大な時間と空間の広がりを孕んだ宇宙の物語そのものなのだ。―なんてことを書くと、「大げさやな~」「この人、大風呂敷広げてはるわ」という字面になってしまうのだけれど、この物語を読むと、この私のやたらにハイテンションな物言いを幻視化させてくれる言葉の魔法に、目をみはることになるはずです。これは、文学だけが叶える魔法。奔流のように展開していくこのイメージを映像でもゲームでも具現化するのは無理かと思います。

『夜の写本師』に続く乾石さんの2作目のファンタジー。舞台は一作目より前の時代に始まりますが、物語は歌とタペストリーに導かれ、過去に、別の生命体へと旅して複雑な展開を見せます。主人公になるのは、キアルスとレイサンダーという二人の魔道師。レイサンダーは次期皇帝のガザウスに可愛がられていたが、ある日ガザウスに献上された「暗樹」という漆黒の円筒に、恐ろしい邪悪さを感じて逃げ出してしまう。一方、キアルスは、前作でアンジストに殺されてしまった少女を救えなかったことにヤケを起こして、大切な「タージの歌謡集」を燃やしてしまう。しかし、その歌謡集こそが、「暗樹」という根源的な悪意の塊に対抗するものなのだった・・・。

この「暗樹」という存在が、この物語の芯です。太古の闇、人が必ず持つ暗黒。邪悪を導き、破滅を喜ぶもの。この「暗樹」の姿が、非常に気味悪い。うっすらと目をあけるところなんか、背筋がぞくりとします。このイメージの具現化力が、乾石さんはとても高いんですよね。初めて読む物語なのに、こういう邪悪さの姿をいつか見たことがあるような気さえしてきます。キアルスは、失われた歌を求めてティバドールという別の男の人生を夢の中で生きる。そして、レイサンダーは、『クロニクル千古の闇』の生き霊わたりのように、人以外の生き物の命をわたり歩いて、闇を遠ざける力を探し続ける。しかし、どうやら、その暗樹を滅ぼすことは出来ないらしい。出来るのは、自らの命と引き換えに共に闇に沈むことのみ。この二人がどうなるのか、最後まで物語は息もつかせません。物語の密度が濃いんですよねえ。矢継ぎ早に繰り出される展開に翻弄されながら、物語は冒頭で述べたように過去と今を結んで大きな命や時の循環の中に、激しく光る一点を結びます。このあたりのダイナミックな展開は、ぜひ読んで頂きたいところ。まさに物語のうちに千夜を過ごす喜びを感じることが出来ます。

ここから少々ネタばれ。

人の中に潜む暗闇は、滅ぼすことは出来ない。また、暗闇を嘆くだけでは何も出来ない。たとえ心に暗闇を持とうとも、「善意と愛と美をめでる心」を持ち続けていれば、暗闇に喰われてしまうことはない。長い長い闘いを経たあとにもたらされる、この物語のメッセージは、とても共感できるものでした。物語の中で、キアルスが可愛がっていたエブンという少年が、書きかけの歌謡集を火から守って死んでしまうのです。私がこの物語で一番心に残ったのは、彼の死と、エブンを抱きしめて嘆くキアルスの悲しみでした。邪悪さは、大きな暴力で人の運命にのしかかるけれど、私たちがそれに対抗する力は、いつもとても小さい。歌謡集を守って焼け死んでしまった小さな背中のように。でも、その小さな積み重ねこそが、私たちを光に導くものだと、強く思うのです。最後に笑いあうキアルスとレイサンダーの姿に、小さな人間同士が結ぶ信頼を見ました。「世界はやっていける、人生は生きるに値する、ひとは信頼できる」。先日読んだ岡田淳さんの言葉を思い出しました。世界中のあちこちにどんなに恐ろしいものが巣くっていても、物語は自ずから光を求めて言葉を紡ぐ。私はいつもそこに生きる力を貰っているように思います。

・・・これは全くの余談ですが。恐ろしいと言えば、最近流行ってる「地獄」の絵本って、どうなんでしょうねえ。あれをしつけに使っているところも多いそうですが、私は好きじゃありません。私は、幼い頃に、この地獄極楽図というやつを、散々見せられ、講釈を聞かされました。幼い頃、私は(今じゃ考えられない、と言われますが)非常に怖がりで、蚊や蟻さえも怖い、同級生も宇宙人に見えるほど怖い。ジャングルジムに足をかけることも出来ない子でした。その怖がりが、あの血みどろの絵を見せられて、「死」について延々と聞かされる、恐怖といったら・・・。存在不安や離人体験のようなことも、今思い起こすとあったりして、けっこう辛い記憶です。私ほど極端でなくても、多かれ少なかれ、子どもというのは、この世界に対する不安を持っているのではないかと思うのです。絵本を読む時間というのは、やはり、親子の愛情を確かめ合う時間であってほしい。子どもの不安を抱きしめて、「大丈夫だよ」と伝えるものであって欲しい、そう思うんですよね。暗闇を見つめることは大切なことです。でも、その暗闇を功利的に扱うことと、きちんと向き合うこととを一緒にしてはいけない。そう思います。余談が長くなりましたが・・・。ファンタジーの力を強く感じる一冊でした。乾石さんの3作目を読むのが楽しみです。

2012年4月刊行

東京創元社

 

 

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