とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢 ジョイス・キャロル・オーツ傑作選 河出書房新社

ジョイス・キャロル・オーツの傑作選です。以前読んだ『フリーキー・グリーン・アイ』もそうでしたが、オーツは「恐怖」がにじり寄ってくるのを書くのが上手いです。にじり寄ってくるというか、自分がにじり寄っていってしまうというか。ぽっかり空いている穴を覗き込みたくなる恐怖。恐怖って、ずるずると紐を手繰ると人間の個々の枠を超えて繋がる共同領域(勝手に言葉作ってますが)に赤ちゃんのへその緒のように繋がってるような気がする。オーツは、その恐怖の源泉のありかをよーく知ってるんでしょうね。自分たちのまわりに普通に転がっているアイテムを使って、その共同領域から無限の闇を引き出してみせます。だから、初めて読む短編なのに、知らないのに、デジャブ感があって、余計に怖い。しばらく現実に戻ってこれない怖さという、読書の幸せを感じました。怖いお話は、こうでなくちゃね。

オーツの筆は、グロテスクで独特な美しさを湛えています。例えば、七つの短編の中で一番長い作品、「とうもろこしの少女 ある愛の物語」。とうもろこしのヒゲのような、輝く金髪の少女が誘拐され、監禁されてしまうのですが、犯人は、なんと同じ学校の同級生の少女たち。そのことを知っているのは、彼女たちと、読者だけです。警察も母親も、学校の先生も、そのことにだーれも気づかない。気づかないままに進行する、監禁された密室での儀式めいた行為が、おぞましい。おぞましいんですが、昔、この少女たちの年頃に、オカルトめいたことを皆でしていたことをふっと思い出してしまいました。こっくりさんとか。放課後の教室でのタロット占いとか。のめりこみすぎて、集団ヒステリーのような状態になってしまったりとか。ラップ現象みたいなことが起こって、パニック起こして走り回ったりね。催眠術ごっこして、戻ってこれない子を皆で必死で介抱したり・・・。いやいや、おバカさんなこと、いっぱいやりました。だから、読んでいて、妙に疼くものがあるんですよ。知ってる。私、この怖さをどこかで知ってる、って。第二次性徴の前のほの暗い部分やコンプレックス、首謀者の女の子の深い絶望と過去の渦巻く古い屋敷の地下で展開される儀式の中心で輝く少女の髪の輝きに、くらくらします。

地上では少女の母親をめぐって、これまた私たちがよく知っている恐怖が展開していきます。マスコミと警察によって、シングルマザーである母親は、徹底的に秘密を暴かれ、好奇の目にさらされ、消費されていく。そして、偽の犯人に仕立てあげられた男のプライバシーも、徹底的に破壊されます。少女がいなくなったとわかった時、母親が警察に電話するのをためらうシーン、「九一一に電話すれば、人生捨てたも同然 九一一に電話すればあなたは乞食同然 九一一に電話すれは あなたは丸裸」・・・この恐怖を私たちはイヤというほど知ってる。自分が当事者でなければ、他人のプライバシーほど面白いことはない。無関係な人間への、そんな無自覚な残酷さを改めて掘り起こすオーツの筆にしびれます。地下と地上の狂気は、眠らされている少女を生贄にして展開し、爆発します。ラストの穏やかささえ、何かを孕んでいるように思わせるオーツの筆力が悪魔のように魅力的な一篇です。

ほかの短編も、それぞれ読み応えがあります。昔に別れたっきりの義理の娘(これが、また気味悪い娘なんですよ)に、墓地に連れていかれる「ベールシェバ」。「化石の兄弟」と「タマゴテングダケ」は双子をテーマにした話ですが、これもまた血の繋がりというものの、何ともいえない厄介さと憎しみと愛情が渦巻いてくらくらします。私が一番心惹かれたのは、「私の名を知るものはいない」という、妹が出来たばかりの少女・ジェシカの内面を描いた作品。帝王切開で出来た赤ちゃんに、両親や親戚の視線も愛情も集中してしまい、孤独にさいなまれるジェシカ。ぴりぴりした少女のアンテナが、何も言わなくてもすべてを見通しているようなネコの瞳と感応していくんです。もやのように立ち込める少女の悲しみに気付くものは、ネコと読者だけ。オーツの筆があまりにも美しくそのもやの立ち込める風景を描き出すものだから、ラストで赤ちゃんの息を吸い取ろうとするネコに自分が憑依しているような錯覚さえ覚えます。少女の内面を、こんなに繊細に描き起こしてしまうオーツに痺れました。以前読んだオーツの『アグリー・ガール』は、自分のことを醜いと思っている少女の内面を、細やかに描きだした佳品でしたが、こういうYA世代をテーマにしたオーツの作品を、もっと読みたいと改めて思います。

恐怖って何なんでしょうねえ。この本を読みながら、ずっとそのことを考えていました。恐怖というのは「知っている」ことが前提になりますよね。動物たちの恐怖のバリエーションは、人間よりはよほど少ないでしょう。想像力が深ければ深いほど、知覚できる喜びが大きいほど、その裏にある恐怖は大きく膨れあがっていく。数年前に、うちのぴっちゃん(ネコです。私はネコ馬鹿です)が行方不明になったときの恐怖は、私には筆舌に尽くしがたいものでしたが、それは、ぴっちゃんが私にはかけがえのない存在だからなんですよね。失うものがなければ、きっと恐怖は存在しない。この物語を読んだあとで、ネコたちのあったかい体を撫で撫でして「おかあさん怖かったわ~」と報告するのは、一種の快感でしたが、恐怖は快感とも深く繋がっているとも思います。恐怖って、もしかしたら生きるパワーの一つなのかもしれないですよね。とにかくオーツのこのパワーに、ある意味充電された感のある、がっつり読み応えある短編集でした。栩木玲子さんの翻訳と、あと書きのオーツについての文章も素晴らしいです。それによると、オーツはとても多作らしいです。もっと翻訳されないかなあ。

2013年2月発行

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">