離陸 絲山秋子 文藝春秋

ばたばたと年越しの準備をしながら、ずっとこの本を横目で眺めていた。もう、絶対面白いという予感があったのだ。やっとお雑煮をすませて本を開いて読み始めたら止まらない、止まらない。何度も繰り返される「heureuse,maheureuse」(幸せ、不幸せ)  という言葉を噛みしめながら、絲山さんの物語にはまり込んでしまった。

真冬、雪に閉ざされた巨大なダムの狭い歩梁で作業をする主人公の佐藤のもとに、いきなりレスラーのような体格の見知らぬ外国人がやってくる。こう書くと何の不思議もない感じになってしまうのだが。いつか見た黒四ダムの圧倒されるほどでかい凹部分を思い出すと、このシーンがもたらす違和感に心が泡立つ。この、現実からふわりと浮き上がる感じ。ダムの管理という地道な仕事が、しっかり書き混まれているだけに、そこにやってくる「非日常」がふわりと絶妙な距離感で浮かび上がるのだ。自分の置かれている風景が、音楽一つで色合いや形をいきなり変えてしまう感覚に少し近いかもしれない。私はこの絲山さん独特の浮遊感が大好きで、またこの物語ではそれがますます洗練されているように思う。イルベールというその男は、佐藤に「女優を、探してほしい」という。昔佐藤が少しだけつきあって振られた乃緒が、その女優なのだという。佐藤は知らないと答えるが、イルベールとやりとりを繰り返すうち、少しずつその謎に深入りしていくことになる。

この物語は長編なので、この、突然やってきた非日常が佐藤の人生に少しずつ食い入って根を張る様子が克明に描かれる。失踪した女優の乃緒。彼女を探すイルベールという黒人の男。女優の残した息子。古い文書や映画。日本からフランスへ、パレスチナへ。時空も越える謎の翼に乗ってふわりと離陸した物語は、最後まで謎を連れたまま、今度は確かな日常を連れて佐藤の人生に帰着する。佐藤ははじめ、どこかぼんやりとしたとりとめのない男として描かれる。東大卒のエリート官僚であるけれども、キャリアの役人というのは、大きな組織のコマの一つでしかなく、常に異動させられて一カ所に根付くことから意識的に切り離されている。そんな環境と、常に自分と他者の間に線を引く性格とが手伝ってどこにいても居心地が悪く、自分の人生によそ者として紛れ込んだような気分にいつも支配されている。そんな彼が渡仏して、まさに異郷でエトランゼとなることで、変わっていく。人と深く関わろうとしなかった自分と向き合い、愛する女性と出会い、イルベールや女優が残した幼い息子の人生に深く関わっていくことで、愛も苦しみも深く味わう。後書きによると、この作品の原型は長く絲山さんの中にあったらしいが、伊坂幸太郎氏の「絲山秋子の書く女スパイものが読みたい」という言葉がきっかけになったそうだ。スパイとして生きるというのは、自分の人生そのものを虚構化してしまうことだろうと思う。若い頃の佐藤のこの世界に対する馴染めなさは、どこか乃緒という女性の居所のなさと呼応していたのだろう。しかし、そこから道はどんどん分かれてしまう。不器用ながらも、佐藤は人を愛し、失い、幸と不幸、「heureuse,maheureuse」という残酷な時間にとことんまで洗われていった。パリで、故郷で、九州で、少しずつ根を生やした人と土地との関わりは、大きな悲しみに見舞われた佐藤をふわりと受け止めて落下させなかった。

そう思ったとき、物語の中でほとんど描かれていない乃緒の人生はどんなものだったのだろうと思ってしまうのだ。物語の中で、佐藤の元の同僚も失踪してしまうのだが、彼は3.11の震災の中にいて、その苛烈な風景を見てしまったせいで、元の生活に帰ることができなくなってしまう。乃緒もそうだったのだろうか。彼女も、それまでの自分を失ってしまうほど苛烈なものを見てしまったのだろうか。彼女のそばには、いつも暴力や戦争の匂いがするが、彼女が人生から離陸を繰り返したのは、そのせいだったのだろうか。佐藤の人生が語られれば語られるほど、私はそこにいない、佐藤のようなセーフティネットを持たなかった乃緒の人生が膨れあがってくるように思うのだった。絲山さんが描くそれぞれの土地は、風の匂いまでするようで、とても魅力的だ。その風景の中を、「heureuse,maheureuse」とつぶやきながら歩く乃緒の姿が、いつまでも胸に残る物語だった。

離陸 絲山秋子 文藝春秋” への4件のコメント

  1. 繁内さま
    明けましておめでとうございます。
    絲山秋子が出てきたので思わずコメントしたくなりお邪魔しました。
    離陸、ちょうど大会前後に読んでました。絲山秋子は現代でもっとも信頼する作家の一人です。この作品は彼女の意欲作ですね。およそ彼女らしくないものに挑戦している。風土の匂い、意表をつく登場人物の行動、異国の様式美、パリの街、乾いたアラブの遺跡、純文学の王道を行くようで興味深く、ため息して読みました。ただ個人的にこの作品は彼女にして失敗作だと思う。そういいながら要所で圧倒されました。近年では、北緯14度、妻の超然、末裔、ばかものが秀逸でした。四つもあげといて秀逸もないけど(笑)そのくらい絲山秋子が好きです。初期の海の仙人。ああいう小説を書きたいな、と常々思います。
    弱輩は思うように書けなくて、悔しく、悲しいです。けど、書き続けます。
    繁内さんの新年が輝くことを祈ってます。
    本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
    海光拝

  2. 海光さま

    あけましておめでとうございます。
    海光さんも絲山明子好きとは・・・さすがご同輩と祝杯をあげて語り合いたい衝動にかられます(笑)
    絲山さんはデビュー以来ずっと追いかけている作家です。
    レビューもたくさん書いています。
    「妻の超然」http://oisiihonbako.at.webry.info/201012/article_9.html
    「末裔」http://oisiihonbako.at.webry.info/201104/article_4.html
    「ばかもの」http://oisiihonbako.at.webry.info/200810/article_14.html
    「北緯14度」http://oisiihonbako.at.webry.info/200901/article_14.html
    以前書いていたブログ「おいしい本箱http://oisiihonbako.at.webry.info/」で検索をかけて頂くと他にも出てきます。
    しかし、「海の仙人」は書いてないんですよね。再読して書きたいです。いつになるかわかりませんが・・・うう。
    絲山さんの孤独とユーモア、ペーソスと潔さ。がつんと突き放した客観性と純粋さが同居する様に惹かれます。
    この作品、海光さんもお書きになっているように、とにかく文章がいいんですよね。ひとつひとつの情景に忘れがたい質感があって、いつまでも読んでいたくなる。終わるのがもったいないと思ったくらいです。私たちは不条理の中に生きている。時間を後戻りすることもできないし、生まれることも死ぬことも自分で選べない。愛するものも理不尽に奪われる。ただ、私たちには言葉がある。演劇や音楽は一回性を生きる芸術だと思いますが、小説は時の流れの中に杭を打ち込むことが出来るし、自由に時を旅して目に見えない心の奥に降りてゆくこともできる。言葉で、言葉にならないものを描くのが小説とも言えるでしょう。乃緒が時を超えてたどった私たちには見えない旅は、もしかしたら文学の営みと重なる、不条理の奥底へ降りてゆく旅だったのかもしれない。それは非常に危険なことだろうと思います。言葉を綴るもの(セリーヌという小説家・・私は読んだことがありませんが)を守ろうとして言葉を失ってしまった乃緒が見ていたものは何なんだろう。それがとても気になるのです。結果、乃緒は言葉を失ってしまった。それは何故なんだろう。そこがよくわからなくて、私はこの小説、消化不良です。ゆえに、レビューも消化不良なんですよ。歴史や外国文学の教養が足りないことが残念です。まあ、わからないことをずっと抱えていくのも、小説読みの醍醐味でもありますが。

    海光さんの新しい作品も、またぜひ読ませて頂きたいです。根が怠け者なので、いい刺激を頂きたいです。今年も、どうかよろしくお願いいたします。

    繁内 理恵

    • 繁内さま

      過去ブログすべて(おそらく)拝読しました。
      欲どしい、なんて言葉知りませなんだ。どちらの方言なのですか。欲深いが可愛らしく感じるほど、絡みつくような生々しい表現です。言葉というのは妙なものですね。つい最近、ゲシュタルト崩壊じゃないかということを体験しました。老いなのか、疲れなのか、更年期なのか…。これ、とてもおそろしいです。
      もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵(椎名誠)を読んで、思わず、これは俺だ、と思ったことがあります。世の中に似た症状の中毒者がいるのだと、孤独のなかに大衆性を感じたわけでして。
      それにしても、評論家という生き物には感心と畏怖を抱きます。繁内さんの本箱を読んでいると、件に漏れずスーパーコンピューターも驚く博覧強記やと思う。およそ過去というものに執着がないのが原因かはわからんのですけど、記憶が希薄なんです。これは物書きとして大いなる悩みでもあるのだけど、赤字入れるとか、付箋つけるとか、ノートにメモるとか、皆さん工夫されているんやろか。でも、やっぱり頭脳の基礎機能とメモリーが違うんだろうな、と諦めてはいるんですけど。致命的な敗北感がある。でも書かねばいられない。
      「小説は時の流れの中に杭を打ち込むことが出来る」
      なんて素敵なセンテンスなんだ。
      繁内さん、こんな言葉が編めるのに、小説を書かないなんてもったいないですわ(笑)
      妻の超然。私も【作家の超然】がいちばん面白く、圧倒され、やられたと思いました。これも絲山秋子のチャレンジですよね。彼女の意欲がすごい。
      正月、仏映画【サンバ】を観ました。スクリーンに映るオマールシー演じるセネガルの移民青年サンバを眺めながら、北緯14度に登場するセネガル人と絲山秋子を相対的に思い浮かべてました。
      小説は一度目と、二度目、年数をおくと、また読み味が違います。そんなん釈迦に説法ですね。本箱も、年度や繁内さんのその時に読まれたテンションや心象で、文体がやや変わりますね。そこも興味深く拝見しました。開高健、絲山秋子、この二人は私の読者体験としてキーマンでもある。繁内さんの文体が私に心地いいのは、同じ小説家を好むとこに起因するのか、そもそも感性が近いから同じ小説が心に響くのだろうか。年末はショートショートを書きました。新年は、新しいジャンルに次々とチャレンジするつもりです。いずれ下戸の繁内さんに、こんな小説を書く彼と飲んでみたいと思ってもらえる日まで、文章、文体、言葉を磨いて、頑張りますわ。
      今回は、ふいに訪れて失礼しました。
      【海の仙人】の評論が楽しみです。
      おいしい刺激を待っています。

      海光拝

  3. 海光さま

    お返事遅くなりました。
    どうも最近夜になると目が疲れていけません。「欲どしい」といのは大阪弁だと長年思って使っておりますが、もしかしたら特殊な地域言葉なんでしょうか(知らんがな!)欲深いの最上級として長年ご近所で使っております(笑)大阪弁というのは、何事につけ最上級をあらわす言葉が豊富です。田辺聖子さんの「大阪弁ちゃらんぽらん」は、そんな大阪弁を解説した名著作です。面白いですよ!読む読まないに関わらず、とにかく手の届くところすべてに活字を置いておきたいという果てしない欲望は、もうこの言葉でしか現せないですね。
    実は私も非常に記憶力が鈍く、レビューのブログを始めたのも、とにかく記録を残すことで記憶の助けにしたいという思いがあったからなのです。いやー、忘れます。読んだはしから忘れます。怖いくらい。しかし、若い頃に読んだもの、特に開高健はやはり自分の血肉のように精神に食い込んでいるのですよね、やっぱり。3.11の原発事故やオウム真理教事件、ここ数年の急速な右傾化やヘイトスピーチ。憲法改正論議や秘密保護法など、大きなことが起きるたびに、彼なら何と言うだろうと必ず考えます。
    新しいジャンルに挑戦されるのですね!新しい海光さんの世界をとても楽しみにしています。ショートショート、また読ませてくださいね。

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