トランプおじさんと家出してきたコブタ たかどのほうこ にしむらあつこ画 偕成社

音読、というのが結構好きです。声に出して読むと、黙読では味わえない言葉のリズムの面白さも味わえるし、とっても簡単に俳優気分も味わえます。その昔、とても長い間私は子どもたちに本の読み聞かせをしましたが、それは多分子どものためと言いながら、半分以上自分の楽しみだったんですよね。今はそれが出来なくてとても残念。特に、この本のように言葉が生き生きと脈打っているような物語に出会うと、「声に出して読みたい病」が再発して、困りました。子どもたちと、あれこれ突っ込んだりして笑いながら、読みたかったなあ。

まず、登場人物の名前が面白い。動物の言葉がわかるトランプおじさんは、ほとんどいつも本を読んていて、イルカーネポポラーネという白いずんどうの、ソファでいっつもごろごろしてる犬と暮らしています。この「イルカーネポポラーネ」っていうのを、「いるか~ね ぽぽら~ね」ってまず引き延ばして読みたいじゃありませんか。まったり暮らしている二人のところに、トゥモロウというブタが転がり込んできます。トゥモロウは、モンドリ・ドリーさんというおばあさんと一緒に暮らしていたのですが、家族だった動物たちが次々といなくなったのがおばあさんのせいだと思い込んで家出してきたのです。そこで、トランプおじさんとイルカーネポポラーネは、いなくなったカモとワニとテンと小鳥がどうなったのか、調査することになったのです。

このトゥモロウというブタさんの微妙な人(?)となりといい、トランプおじさん&イルカーネポポラーネの、のんびりした探偵っぷりといい、だあれも偉い人や「ああしましょう、こうしましょう」という人が出てこないのが最高に楽しいんですよね。たかどのさんの軽快な言葉のリズムに乗って、つるつる物語の中を滑っていく楽しみ。ところどころに「ふくみがあったのです」「じくじたる思いがしたのでしょう」なんて、大人の言い回しが出てきて、うまくジャンプする場所を作ってあるのもいい。こういう言葉を知って、自分の頭に書きこむ楽しみって、読書の喜びの一つですよね。このあたりの言葉遣いの呼吸が、さすがです。

猫のシマモヨウにそそのかされて生まれたトゥモロウのモンドリ・ドリーさんへの疑いは、実は妄想なのです。でも、調査しているうちにトランプさんたちもその妄想にどんどん巻き込まれていっちゃうんですよね。そのあたりにハラハラしながら、でも、読み手には彼らの妄想が、妄想であることがちゃんと伝わるように書いてあります。だから、子どもたちは、トゥモロウの妄想に皆が巻き込まれる物語を安心しながら楽しめるし、その一部始終を客観的に眺めることにもなっているんですよね。言葉というのは魔力があって、表に見えているものだけを使って、どんな風にも物語を作ることが出来る。それって、ほんとは怖いことなんですよね。例えば・・・ですが。皇太子妃の雅子さんに対する報道なんかを見ていると、マスコミの姑根性を凄く感じてしまうんですよ。ご病気が長くて自分のことを語る機会がないだけに、どんどん勝手に物語が作られてしまっている気がします。心の病を抱えた家族に対して、これは暴力に近いよなあと溜息が出る。そして、こんな風に誰かを追い詰めることを、自分もしてしまうかもしれないと怖くもなる。だから、トゥモロウが作った物語が、ドリーさんの実際の姿からどんどんかけ離れていくのを読みながら、「おーい、帰ってこいよ~!」と子どもたちが思ってくれたら嬉しいな、とこの物語を読んでいて思いました。「これはね、じぶんのよわいこころにつかまっちゃったってことだとおもうんです」という最後のトゥモロウの言葉に、つるつるっと楽しく読みながら、ぽーんと飛びこんで、「ああ、よかった~」って思える。たかどのさんの物語の中に張り廻らされた何気ない仕掛けに、「うんうん」といっぱいニコニコしながら頁を閉じました。子どもと一緒に読むと、ほんとに楽しいだろう一冊です。にしむらあつこさんの絵も、とっても可愛い。エプロンの似合うトゥモロウが最高です。

2013年4月

偕成社

 

 

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